ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

地方にテレビ局が少ないのはなぜ?

こんにちは、ずばあんです。

 

早速ですが、大都市圏とそれ以外の地域では見れる(地上波デジタル)テレビのチャンネルの数が異なることは常識となっております。

 

「うちの地域はテレビ東京見れないからね」とか「自分の所ではガキ使の特番やってないからね」という会話は珍しいものではありません。

 

私もこれは単純に地方と大都市圏との経済力が大きく異なるからと考えておりました。事実、放送局の経営に関わる広告収入と地域のマーケットの大きさには相関があるからです。

ところが、この事情について調べてみますと、その状況を生み出した事情と矛盾が明らかになりました。そして、その解決策についても密かに立てられていることも分かりました。

今回は皆様にそれらを紹介いたします。

 

 

【テレビ局の数と情報の多様性】

 

 

地方のテレビ局が大都市圏のテレビ局に比べ数が少ないのは、直接的には放送免許を与える総務省が地方に新たに開局枠を設けないからです。

 

日本のテレビ局は開局に辺り総務省の認可を必要としますが、その認可は国のチャンネルプランに基づいた開局枠から下りています。開局枠はその放送対象地域の人口や経済規模などの要素から放送局数を決定し設定されます。つまり放送局の数は地域の経済力に比例するのです。

一見して納得のいく理由に思えますが、ここである可能性を考えられます。それはひとつの会社が沢山テレビ局を運営することです。

普通の会社を見れば分かりますが、全国津々浦々に支社を設置している企業は沢山あります。テレビ局も各地に支社をつくり、各地でテレビ放送を行えば地方の経済力に関係なく放送を行えます。そして地方でも沢山のチャンネルを視聴できます。

 

実はこの事は総務省、そしてその前身の郵政省も気付いておりました。しかし、それを許さなかったのはある理由からでした。それはマスメディア集中排除原則です。

 

マスメディア集中排除原則とは、特定の会社(新聞社・テレビ局・ラジオ局等)が複数の放送局をある程度以上支配することを禁止する原則です。

この原則ではある放送局の株式の総発行数の1/10以上を特定の会社が保有するときに、その会社は別の放送局の総発行株式数を一定割合以上(ある放送局と同じ地域の放送局ならば1/10以上、別の地域の放送局ならば1/3以上)保有することは違法となります。この原則は総務省令「基幹放送の業務に係る表現の自由享有基準に関する省令」に定められた原則であり、この省令は放送法に準拠しています。

 

この原則が設けられている理由は、「情報の多様性」の確保のためです。

日本のテレビ放送を規制している放送法の理念のひとつに「情報の多様性」があります。これは単に沢山のチャンネルを見れることではなく、それぞれのチャンネルが異なる情報を視聴者に提供することを期待するものです。つまり放送局ごとの個性を明確にしようという試みなのです。そしてその分かりやすい指標が各テレビ局の資本、すなわち株主構成の多様性でした。

 

日本ではテレビ局の筆頭株主に新聞社や他のテレビ局がついていることが珍しくありません。これはメディア会社が他のメディアを支配している実情を表しております。通常、保有株式の数は会社に対する発言権の大きさそのものなので、テレビ局の筆頭株主である新聞社の意向はテレビ局のスタンスをほぼ決定します。

日本でテレビビジネスが興った昭和30年代は特にこの傾向が顕著で、大都市のテレビ局は全国紙が、地方のテレビ局(ラジオ局を兼業していることが多かった)は地方紙が筆頭株主・有力株主である例がほとんどでした。これは膨大な資金力とメディア経営の豊富なノウハウが新聞社の圧倒的な強みだったからです。

この時期はテレビ局の更なる開局が期待された時期でありましたが、新たなテレビ局もこれまでのように新聞社により支配されることは容易に予想されました。これは情報の多様性の危機でもありました。圧倒的に強大な資本力を持つ新聞社が同じ地域の複数の放送局の相当な割合の株式を持てば、同じ地域に同じ内容の情報を流すテレビ局が増えるだけとなります。

この事態を防ぐために先程の原則(1950年代当時は局長通達、1988年に省令化)が作られ、テレビ放送の情報の多様性が確保されることになったのです。

 

しかし、この原則は新たなテレビ局の開局に制約をかけることとなりました。原則にのっとれば、一つの有力企業が複数の放送局の大株主になることは不可能なので、テレビ局の株主を地元で沢山募るしか開局の道はありません。

そうなると各地域の経済力がテレビの開局の制約となり、開局後も放送圏内の広告市場の大きさが経営上の制約になります。そのため経済的に強みのある大都市圏程テレビチャンネル数は多くなり、比較的弱い地方部ではチャンネル数は少なくなります。

 

したがって、テレビ情報の多様性とテレビ局の数の多さはお互いに拮抗する課題であると言えます。

1つの会社が多くのテレビ局を運営すればテレビ局の数を増やすことは可能です。しかし、それは日本のテレビメディア全体を牛耳る1つの資本による独占状態を招くおそれがあります。そうなれば情報の多様性が損なわれることとなるでしょう。

 

一方で情報の多様性の保護のための規制が機能しているかという疑念もあります。先程申し上げた通り、この規制が地方のテレビ局の数の少なさを招きむしろ情報の多様性を狭めているという側面もあります。隣接する地域からの放送を視聴できればいいですが、あくまでそれは非公式のものであり、制度の外の偶然の産物に過ぎません。

それに資本比率で情報の多様性を計る方法にも限界があります。新聞社の中には地域内のテレビ局の筆頭株主ではないものの、報道部門などで業務提携を行う例が多く存在します。中には同様の業務提携を地域内の複数局で行う例もあります。そのため実質上の情報の多様性は株主構成とは異なる様相を見せる可能性が高いです。

 

 

【地方にテレビ局は必要なのか】

 

 

さて、地方にテレビ局が少ないことでどのようなデメリットがあるのでしょうか。

 

そのデメリットは大きく分けて3つあります。

 

1つは見れる全国ネットの番組が少なくなることです。

日本の民放テレビの全国ネットワークは5つ存在します。この5つとはTBS系列(28局)、日本テレビ系列(30局)、フジテレビ系列(28局)、テレビ朝日系列(26局)、テレビ東京系列(6局)です。これらを全部視聴するには同じ地域に5局は少なくとも必要です。この5系列を全て揃っている地域は首都圏と愛知県、大阪府、岡山・香川県、福岡県、北海道の6地域のみです(ネットワークに属していない「独立局」でテレビ東京系列の番組を多く放送している局のある地域を含めるともっと多くなります。)。

この他の地域では4局以下の地域が多くなります。なかでも福井県と宮崎県では2局、そして佐賀県徳島県は1局になります。

もっぱら5系列に対してテレビ局数が少なくなる分見れる番組数は少なくなります。ここで1つのテレビ局のプログラムは、複数のネットワークと契約を結びクロスネット体制をとるなり、番組販売制度で番組を購入するなりして結果的に複数のネットワークの番組を放送することになります。

宮崎県では民放テレビ局は2局存在しますが、この地域のテレビ局UMKテレビ宮崎は3つの系列に属しておりこれは現在日本で最多のネットワーク加盟数です。3つの系列を1つのチャンネルで放送するため、それぞれの系列の全番組から取捨選択しながら番組を放送することになります。日本テレビ系列にも加盟していることから、あの「24時間テレビ」も放送しますが、普段他の系列の番組を放送する時間は「24時間TV」を中断しそちらを放送します。今から30年以上前は宮崎県のように民放テレビ局が少ない地域はもっと多く存在し、テレビ東京系列以外の4系列を見れる地域ですら概ね人口200万人以上の地域に限られておりました。

このようにテレビ局の数の少なさは番組の数という面で物理的に情報格差を生じさせます。地方と大都市の間の地理的な差異が、格差を生じさせる結果となるのです。

この問題を政府は長年認識しており、1986年には「全国民放4局化構想」を発表し、全てのネットワークを全ての都道府県で視聴出来るようにするプランを立てました。このプランにより1990年代までに数十のテレビ局が新設されました。特に専属系列局の少なかったテレビ朝日はそれを元の12局から最終的に24局へと倍増させました。

しかしこの構想はバブル崩壊や人口減少などにより放送局の経営悪化が見込まれ、途中まで進行して終わり、中途半端なまま現在に至っております。

一方で、全ての地域が等しくこのデメリットを被っている訳ではありません。佐賀県では地元テレビ局はフジテレビ系列のサガテレビ1局のみですが、実際には隣県の福岡県の民放5局の放送が佐賀県の大部分で視聴できます。そのためサガテレビはフジテレビ系列の番組のネットとローカル番組の放送ににほぼ専念しております。徳島県でも地元局は日本テレビ系列の四国放送1局ですが海を挟んだ大阪府など関西地方からの放送を視聴できます。それらの県では実際に視聴できる系列は地元テレビ局の数より多くなります。

 

2つ目のデメリットは地域の情報発信拠点が少なくなることです。

各地域のテレビ局は全国ネットの番組のほかその地域内のみのローカル番組も放送します。ローカル番組の主な内容は、天気予報、ニュース、生活情報などです。番組ではありませんが、CMも含めればローカルCMも地域内放送の重要な内容になります。このため各地域のテレビ局はその地域の情報発信拠点となるのです。

特に災害時にはこれは重要な役割を果たします。日本では近年大雨や地震などの災害が多発しており、その度に迅速な情報提供がテレビで行われています。テレビは速報性や共時性に長けているメディアですのでその役目が期待されております。地震の時の「緊急地震速報」はその一つですし、大雨や台風のときの情報もそれに含まれております。

それが少ないということは地域内での情報密度が小さくなるということにも繋がりますし、地域社会のまとまりや生活にも影響を与えることにもなります。

さて日本のテレビ局にはどこのネットワークにも所属していない「独立局」という放送局がありますが、この独立局は地域の情報発信拠点に特化して作られた放送局です。この独立局は全て関東、東海、近畿といった広域放送(複数の都府県にまたがり行われる放送)が行われる地域に存在しております。これらの地域の広域放送局は放送対象地域よりも更に細かい都府県の情報の発信は手薄になります。そのため広域放送局とは異なり都府県単位のローカル放送に特化したテレビ局が作られたのです。兵庫県サンテレビジョンや東京都のTOKYO MXテレビなどがこれに入ります。

ちなみに、日本には地元民放テレビ局がゼロの県が一つだけ存在します。それは茨城県です。茨城県は関東広域放送圏に入り、いわゆる東京キー局を全部視聴できますが、県内の情報を発信する民間テレビ放送局は存在しません。NHK水戸放送局は県域放送を行っていますが、開始したのは2004年10月でそれまでは行っていませんでした。そのため茨城県では県内の他都市や他地区の情報が分からないという状況が続いていました。

 

3つ目のデメリットは自分の地域から他の地域に対する情報発信力が欠如することです。自分の地方の情報を全国ネットを通じて他の地方に発信することは地域の情報発信力に含まれます。全国ネットのニュース番組やワイドショーは製作しているのはキー局等ですが、その情報ソースは各地方のテレビ局から集めております。全国ニュースで福岡県内の情報を流すときはその取材・配給は福岡県のテレビ局が行います。

かつて日本テレビ系列で放送された情報番組「ズームイン!!朝!」はその代表例で、東京と全国の地方局で中継を繋ぎ、各地から生の情報をリアルタイムで放送しておりました。放送開始当初は画期的な試みで、他の放送局もこれに追随する現象が起きました。

よって地方のローカル局の存在は全国レベルでの情報発信の力の大きさに関わります。ネットワークに加盟している放送局の存在は特に重要です。先程申し上げました広域放送圏に入っている地域では、その放送局が立地している都府県以外の府県は独立局があるのみです。独立局は全国に情報を発信する機能はありませんので、独立局だけしかない府県の情報は全国に知れ渡りにくいという課題があります。先程申し上げた茨城県は独立局も存在しておりませんので、全国的な視点によると情報が手薄になりやすい状況になります。東日本大震災の時はそれらの地域の被害状況の報道は手薄となり、福島などの地域に比べて復興支援の確保に困難を極めたという意見もありました。

 

このように地方のテレビ局が少ないことにより、(1)見れる全国ネットの番組が少なく大都市圏などとの情報格差が生まれ(2)地域の情報発信拠点が少なくなり地域内の情報共有の度合いが小さくなり(3)全国への情報発信源が少なくなり全国での地域の情報の認知度に支障が出る、という弊害が生まれるのです。

 

 

【地方のテレビ局を増やす工夫】

 

 

このような環境の元で政府やテレビ業界がこの問題を見て見ぬふりしてた訳ではありません。両者はこの問題を試行錯誤しながら解決してきました。その先駆的な試みをいくつか紹介します。

 

(1)放送対象地域の統合

 

現在島根県鳥取県は2県で同じ放送対象地域に入り、両県は同じ民放チャンネル3局を共有しています。これは通常1県で1つの放送対象地域とするのに対して異例です。

かつてこの2県は他地域と同じようにそれぞれの県で放送対象地域が別れておりましたが、1972年に両県の放送対象地域が統合され今の形になりました。

その理由は、当時両県の人口はそれぞれ70万人、60万人と共に日本最小レベルで域内市場の小ささ故に将来テレビビジネスがそれぞれの県で発達する可能性は望めなかったからです。当時既に島根県には2局、鳥取県には1局民放テレビ局が存在していましたが、ここから放送局が増える望みは小さいものでした。むしろ、放送局が経営難に陥る可能性の方が高かったのです。放送対象地域の統合直後は地域内のテレビ局は3局となり、域内人口は約130万人でした。これは今の大分県とほぼ同じ状況です。そのため当時の政府は放送対象地域の統合を実行したのです。

 

これと似たような例で、岡山県香川県は1979年に両県の放送対象地域が統合されることになりました。これは両県が瀬戸内海を挟んで正対し、電波を遮るものがないため元からお互いに相手の県の放送を見ることが出来たからです。その実情から、岡山県香川県は同じ放送対象地域に含まれるのが合理的であると判断されたのです。現在岡山県には民放テレビ局が3局、香川県には2局あり、両県で5局見ることが出来ます。5系列全て視聴することが出来ます。

 

(2) テレビ局間業務提携

 

次に沖縄県の例ですが、1995年に沖縄県の民放テレビ第3局(かつ最後発)のQAB琉球朝日放送が開局しました。この放送局が特別なのは、この放送局の本社が他局のRBC琉球放送の本社ビルの中に同居していることです。しかもただ入居しているだけではなく、スタジオや放送機材などの設備もRBC共用しており、業務の多くはRBC提携しております放送法の兼ね合いから報道部門などは独立しておりますが、ほとんど同じテレビ局のようなものです。

このような変わった経営の仕方をするのは、沖縄の地場資本の小ささ故でした。沖縄は本土から大きく離れた小さな離島であり重工業などの第二次産業を誘致できないのと、沖縄本島などにアメリカ軍が駐留しており開発に制約を掛けられている点から、経済発展が未発達な地域となっていました。その状況は沖縄の日本への返還後ますます強くなりました。

それ故に一から新たなテレビ局を開局するために資本を集めるのは困難な状況でした。QAB開局以前にも沖縄には「南西放送」の開局構想がありました。これは日本テレビが多大な支援をして開局する予定でしたが、日本テレビの社内政策の変更により南西放送の構想と資本から撤退しました。結果、南西放送設立に参加した地元資本だけでは開局のための資金が足らず、この構想は頓挫しました。

この後に起こったのがこのQAB開局構想でした。この構想を主導したのはテレビ朝日でしたが、テレビ朝日RBCと関わりがあり、それによりRBCもQAB開局に関わりました。ここでRBC南西放送構想破綻の教訓から自社内に新たな放送局を開局し、新局の資本を小さくすることを提案しました。これはテレビ朝日や政府との協議の末に実現し今に至りました。このような経営形態は沖縄経済のパイの小ささという制約の中で、沖縄の新しいテレビ局への期待を実現するための工夫でした。

 

この沖縄の例に近いのが、鹿児島のKKB鹿児島放送です。こちらは1982年に開局しましたが、その際に同じ地域の放送局・MBC南日本放送から人員派遣を受けたり、中継所を共用したり業務面で厚い協力関係を築きました。MBCはKKBの主要株主の一つですが、株式以上の密な関係があったのです。

 

この(1)(2)の例は古い例でございましたが、近年においても放送局の経営や新設に関わる新たな取り組みが行われております。

 

 

【今、そして将来どうなるか】

 

 

近年行われている新たな取り組みは、放送持株会社の認可と、マスメディア集中排除原則の緩和、そしてテレビ放送における法規制のチャンネル単位の規制からレイヤー単位の規制への転換です。

 

(1)放送持株会社の認可

 

放送持株会社とは、放送局がその傘下に入ることを目的とした持株会社のことです。ちなみに持株会社とは他の複数の企業の株を保有し資本面で支配するための会社です。一般的に出資比率50%以上の場合子会社として認められます。

これにより各テレビ局は放送持株会社の支配を受けつつ、財政面で手厚いサポートを受けながら安定した経営が出来るようになりました。法律では最大12局が同じ放送持株会社の傘下に入ることが出来ます(ただし各局が別々の地域に所在する必要があります)。

日本では放送法の改正により2008年に放送持株会社が認可され、フジテレビホールディングスなどが放送持株会社として設立されました。フジテレビHDの場合、傘下にフジテレビジョンとBSフジ、ラジオ局のニッポン放送宮城県の地方テレビ局・仙台放送があります。大阪の朝日放送ホールディングスの場合、旧・ABC朝日放送の放送の内ラジオ部門を朝日放送ラジオに、テレビ部門を朝日放送テレビに分社化した上でこの2社を傘下に支配しています。

このように放送持株会社は、それぞれ異なる放送局を強力なグループとして傘下においたり、元は1つの放送局の事業を分割した上で持株会社を含めてそれぞれの役割に特化した集団をまとめるなどして機能しております。

 

この放送持株会社は、2011年の地上波デジタルテレビ放送の開始に伴う莫大な投資に地方のテレビ局の財政が悪化する可能性を見越して認可されたものでした。

そして地デジへ完全に移行した現在は、人口減少やマルチメディア化などによるテレビ局の経営の悪化に関心が移行しております。全国的にこの放送持株会社が地方局の株式に対する持ち合い比率を上げ、筆頭株主になる例が多くなってきました。特に東京キー局や新聞社の持株会社がこの傾向を強めております。これは地方局側の経営の安定化という思惑と、キー局や新聞社の自社系列やグループの一体的支配の拡大・強化という思惑が一致したものと言えます。

 

(2)マスメディア集中排除原則の緩和

 

2011年には総務省がこれまでのマスメディア集中排除原則の基準を省令改正の元で緩和しました。ここでは複数の放送局に出資する会社は2局目以降は出資比率を、異なる1地域の1局のみならば、従来は20%が上限だったものを、3分の1(33.33・・・%)を上限として出資することが可能となりました。

この改正は当時全体的に悪化しつつあった日本の放送局の財政の安定化を図って作られました。この緩和により日本のどの会社も、放送持株会社でなくとも、それぞれの地域で1局ずつならば、テレビ局の株式の最大3分の1までの株式を保有することが出来ます。

このため持株会社を持たない新聞社や放送局も近年複数のテレビ局に対する支配力を強めつつあります。例えば全国紙の朝日新聞社持株会社を持っていませんが、2020年現在6つのテレビ局において局の全株式の内の20%以上を保有しており、省令改正後に支配力を強めたことが分かります。この集中排除原則の緩和は、放送持株会社の認可とともに、複数の放送局を一社が支配する傾向を強めていることが分かります。

 

(3)チャンネルへの法規制から各段階への規制へ

 

ここで話は一旦反れますが、テレビはもう要らないという意見やテレビ局は無くてもよいという意見が昨今は起こっております。

その様な意見が出ることは自然なことです。現在インターネットによる動画配信はポピュラーな物となり、テレビ局や新聞社などもインターネットで配信する時代となっております。両者の間でコンテンツを共有することも当たり前になりました。

またケーブルテレビ局を見ると、インターネット通信とテレビメディアの融合は地上波以上に進んでおります。自社ケーブルによって、テレビ放送と共にインターネットサービスも提供しており、両者を合わせたサービスも幅広く行っております。

そのような中で、これまで通りの放送局のあり方は「古い」と考えられるようになりました。これまでのようにテレビ局が一貫して情報管理する時代は終わったのです。

 

この流れが日本のテレビ法制に影響を与えております。長年チャンネル自体に対して行われていた縦割りの放送規制が、2010年にテレビ放送の各段階に対する横割りの規制になりました。

それまでは放送業界や放送法制において、テレビ番組の企画から製作、放送は全て同じ放送局が行う前提でした。放送局に本放送免許が降りると、そのチャンネルは一企業であるその放送局が半永久的に占有することになりました。これはある種の利権であり、時にはその利権争いがし烈なものになることも珍しくありませんでした。

しかし、平成時代になるとインターネットが普及し始め、そのサービスも年々充実していきました。インターネット通信は最初はテレビ放送と独立しておりましたが、2000年代にはインターネットでテレビコンテンツを扱ったり、テレビ事業者がインターネットサービスを提供するなど両者の壁は徐々に融解していきました。

その中でこれまでの縦割り放送規制では法律の数も増え処理が複雑になり、現実の通信・放送事業に対応し難くなりました。そのため政府は各レイヤー(段階)ごとの横割り放送規制に切り替えることにしたのです。

横割り放送規制では、放送コンテンツ、伝送サービス、伝送設備の3つのレイヤーごとに規制することになりました。放送コンテンツは放送法のもとに、伝送サービスは電気通信事業法のもとに、そして伝送設備は電波法と有線電気通信法のもとに規律されることとなりました。これにより放送と通信が融合した現在の社会に対応しました。

現在日本のテレビ局はネット配信サービスも行っております。ネットニュースに素材を提供したり、YouTubeの動画配信サービスに組み込まれたりもしております。また、YouTubeのチャンネルにこれまでのテレビ人材が大量に参入する現象も起きており、ネット内にテレビのノウハウが攻めてくるようになりました。Huluなどの動画配信サービスと協力して番組製作をすることもあります。もはやテレビ局かネットサービスかではなく、全ての情報はどこからでも発信されどこからでもアクセス出来るようになったのです。

こうなれば、これまでのテレビ局は必要無いと言われるのは当然の結論となります。番組を作る所、番組を組み立てプログラムを放送する所、放送設備を管理する所は全く別々でいいのですから。インターネットかテレビかにこだわる理由がもはや無いのです。

 

 

ここまで(1)(2)(3)を見てきましたが、これらからテレビ放送の事業拡大に関わる障壁が徐々に小さくなっていることが分かります。一社により複数の放送局の所有や経営を行う体制が整えられてきたことや、放送・通信事業にこれまで入れなかった事業者が参入することができるようになることから日本のテレビの可能性が決して狭くないことも分かります。

 

前章で見た前例からも分かる通り、地方のテレビ局の少なさを補う工夫はずっと行われてきました。今後地方と都市とのテレビの情報格差を補う策にもっと進展があるかもしれません。

 

 

【おしまいに】

 

 

また長い記事になりました。

 

この問題は私自身が経験したことでもあり、私の友人が痛感していることでもあります。

 

私は長崎県出身ですが、長崎県では民放テレビ局が4局存在し、テレビ東京系列の局はありません。地上波ではテレ東系列の番組は一部しか見ることが出来ませんでした。そのため大学進学で福岡に住み始めたときは、テレビ東京系列のTVQを見れることに感動した覚えがあります。

 

福岡で会った宮崎県出身の人は、宮崎県では民放が2局しか無いので「ガキ使」の年末特番を見れないと仰っていました。また、漫才トーナメント番組の「M-1」も生放送ではなく、後日録画放送するので結果が分かってから見ることになると仰っていました。

 

かつては長崎も民放2局の時代が長く続いており、自分の親世代の人には当時福岡や熊本など他県からのテレビ放送を見る人も少なからずいたとのことです。

 

この問題は昔から存在しておりその解決が長らく図られてきましたが、従来どおりのやり方では解決困難になってきました。その中で放送・情報ビジネスの大改革に伴い新たな青写真が描かれつつあります。

 

これからこの問題がどのように動くかはとても面白い見ものであると考えています。

 

それでは最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

2021年2月9日

続編・「許しを請うこと」をやめる生き方

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は短めの記事ですが、ライトノベル小説キノの旅」の「人を殺すことができる国」について思うところがあり話したいと思います。

 

先日私は『「許しを請うこと」を止める生き方』(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2021/01/13/182054)の記事を発表しましたが、それを受けてこの話の感想を述べさせていただきます。

 

キノの旅「人を殺すことができる国」】

 

さてこの「人を殺すことができる国」のあらすじは次の通りです。

 

(あらすじ ※ネタバレあり

 

・・・主人公のキノは旅の途中で若い男と会う。話を聞くと彼はこの先の国に移住するそうだ。その国は人を殺しても罪にならず、それゆえに凶悪犯が逃げ込んでいるらしい。キノは先に行き国に入った。

その国は平穏で、人も穏和で親切で心地よい場所だった。ただ、ある店には「人を殺すため」の銃が常備されていた。充実した3日間を過ごしたキノは予定通り国を去ろうとする。

その時、先の道中で会った若い男に、殺されたくなければ荷物を置いていくように脅迫される。彼はこの国の国民になったという。それを拒否するキノに銃口を向ける男。すると男の腕に矢が刺さった。

男の回りに武器を持つ市民が寄ってくる。その中の老紳士が、この国では人を殺そうとするものは殺されると男に言った。男はこの国では殺人は禁止されていないと反論する。すると老紳士は、禁止されていないことは許されていることではないと返す。そして老紳士は自分が有名な連続殺人犯であることを明かすと男を殺した。事を終えると老紳士はキノを笑顔で見送った。

キノは国を出ると別の男に会った。彼は先ほどキノが出てきた「安全な」国に行くという。キノは男にきっと気に入ると告げ去っていった。

 

こちらが「人を殺すことができる国」の内容でした。

 

キノが訪れたこの国は確かに人を殺すことは禁止されていませんでした。しかしそれは人を殺す権利が認められたわけではありません。もしそれが認められるならば、その者を殺し返すことは禁止されるはずです。

 

実際のこの国では人を殺そうとする者を逆に殺しても罪にならないのです。人を殺すことが禁止されないという法秩序は人々に殺す自由と共に殺されるリスクも与えております。よって誰もが処刑人になるという環境から逆に人を殺せないという秩序を作っているのです。

 

これは権利・許しと自由の違い如実に表した話であると思いました。

 

 

【理不尽は許さなくてもよい】

 

 

さて、世の中には理不尽で苦しいことは沢山あります。大人であれば理不尽なこととそうでないものの区別はつく方は多いと思われます。

 

そうした理不尽について、それは当たり前のこと、それに不平不満を言うことは情けないことなど、理不尽を放置しようとする人は多いと思われます。それは理不尽を禁止するのはそれこそ理不尽だからです。もしそれを禁止しようとすればあちらが立てばこちらが立たずという風に、理不尽がやむことは無いからです。理不尽を受ける人間が変わるだけです。そうなると理不尽の度合いが益々強くなるだけです。

 

しかし、ここで誤解してはいけないのは理不尽は禁止されていないだけで許されてはいないということです。理不尽を行う権利というのは誰も持ってないですし誰も与えていないのです。そのため、理不尽はなるべく最小限にする、もしくは理不尽を強めない努力が必要なのです。

 

ここで理不尽が禁止されてないことと許されることの差を、先の「人を殺すことができる国」の例に則り詳しく説明します。

 

理不尽が許されるというのは、人は誰しも理不尽を行う権利を持つということです。そのため、人が理不尽なことを積極的にしようとする場合、それを止める人間は人権侵害に対するペナルティとして理不尽を公正に受ける義務を負うこととなります。

お気づきの方もいらっしゃるでしょうがこれは現実的ではありません。そんな権利を大っぴらに主張すればとんでもない社会的制裁を受けることはお分かりでしょう。自分が理不尽な目に会ったから、それが裁かれなかったからといってそれが正しいのだ、人にしていいのだ、ともならないのです。

「人を殺すことができる国」では、人を殺す権利は誰も持っていません。そんなものがあれば先ほどの老紳士や矢を放った者こそが殺されるべきなのですから。

 

一方で理不尽を禁止されてないとなるとどうなるでしょうか。こちらでは理不尽なことをする者はいますが、彼らは同時にされ返すリスクもあるためにある程度抑止力が働き理不尽が暴走することは避けられます。理不尽を行うにせよ利に叶う方へと動こうとするのです。

「人を殺すことができる国」でも人を殺すことは禁止されていません。しかし誰もがそうであることから、かえって相互抑止力になっています。自分のやろうとする悪意は、相手からも仕返しされるのですから。

 

こう申し上げますと、世の中はそう理屈どおりにいかないとおっしゃる方もいるでしょう。確かに理不尽の度合いは千差万別で、場合によっては「神も仏も無い」と思われるパターンもあるでしょう。

そのような方に私が重ねて申し上げたいのは「神も仏も無いのであれば、もう理不尽を許している者はいないのでは」ということです。理不尽を行う人は勝手に許しもなくやっているのであって、あなたがその「権利」を守る理由は無いのです。少なくともあなたの心が楽になるように考えても罰は当たらないのです。そんなものに罰を与える神も仏もいないのですから。

 

もっと言えば、やめてくださいと許しを請うこともないのです。別に理不尽をしている人は許可を得てやっているのではないのですから。神様に対しても何も許しを請うことはないのです。

 

 

【おしまいに】

 

 

今回は「キノの旅」の「人を殺すことができる国」の感想と理不尽を許さなくてもいい理由を述べました。

 

これは何かを煽動する意図はなく、あくまで内心の問題として主に語ったつもりです。

 

いつもよりあっさりめの記事でしたが、ご覧いただきありがとうございました。

 

2021年1月24日

 

 

「許しを請うこと」をやめる生き方。

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は「許しを請う」ことについて話をしたいと思います。

 

許しを請う」ことは日常的に行われることであり、結婚するときに結婚相手の家族に許しを請う場面、仕事で契約違反をしてしまった場合にも先方へ許しを請う場面など様々な場面において許しを請うことがあります。このセンスを持つことこそが大人の資格の要件といっても過言ではありません。

 

しかしながら、とにかく許しを請うことが正しいかというとそうではないと思います。むしろ、そればかりを意識してもっと大事なものを犠牲にする恐れがあります。場合によっては人の人命を奪いかねません。

 

その為今日は私の人生経験から許しを請うことの是非を述べていきます。

 

 

【私のことが気にくわない人】

 

さて、世の中には私の生き様や存在が気に食わないという人がいます。世間に気の合わない人は人間全体の3割いますので仕方ありません。

その大半の人は距離感を置くなり疎遠にするなり賢い行動をとられますが、中には暴言や暴力などの実力行使を伴う方もいらっしゃいます。「消えろ」「死ね」「気持ち悪い」など言う人はそれです。

 

私は昔はそうした人達がいれば自分が悪かったものと思い、いろいろ「努力」をしました。しかし、それが上手くいくことは少なかったのでした。そしてあるとき私は気づくのです。向こうが私を許すときも、私が許すときも来ないのだと

 

そこから私は人と親しくするよりも、適度な距離感をとりその上で仲良くする道を選びました。その結果、人付き合いで心の負担がかかることは少なくなりました。

 

人間は何か理由や改善点があって不和が起こるのではありません。そもそもの相性の悪さから有ってないような理由で不和が起こることもあるのです。

それも理由に入るだろうという人もいますが、それならば人間関係を築くことはとんでもない博打かあるいは重罪に当たるでしょう。もちろん「朱も交われば赤くなる」と言われるように、明らかに悪い集団に関わることは自分の責任かもしれませんが。

許しを請い続けないと成り立たない関係性はそもそも成立していることが害悪なのです。あり続けることは可能ですが害悪なのです。それを放置したり、認めるものに心から許しを請うことも害悪です。

 

そのためそのような不穏分子との関係は改めないと、自分の幸福はゴリゴリ削られまくるのです。

 

もちろん自分が他人に対して害を与えてしまう関係性も改めなくてはなりません。行動を改めるのは当然ですが、関係性も改めなくては問題は延々と続きます。

自分が勝手に人を裁く関係を積極的に作るのもある意味不幸です。たちの悪い粘着質です。いつも人の罪や罰に怯えたり怖がりながら暮らすのと変わりません。自分もそうしているのだから人もそうしているのだろうと思うからです。

 

そうしたことから、自分を裁きたがるようなもしくは他人を裁きたがるような関係は最初から殺意満々ですし、口で言って聞かせたところで改めないのです。

だから、このような関係はとっとと決別させた方が早いのです。親しくつき合うことから、不和さえ起きなければの方に早々とシフトチェンジした方がよいのです。

 

 

【私を許さない神】

 

さて、このような人々の上に立つものとしていわゆる神様がいます。その神様からの裁きは「天罰」だとか「裁きの鉄槌」と呼ばれます。

私はこの考え方は常々不健康であると考えております。体感として、もしこれが神からの罰ならばあまりにもメッセージがないものだなと思います。それほど天罰の理由が理由になってないのです。あったとしてもあちらが立てばこちらが立たずのような、神のメッセージとしてありえないものに思われます。

 

ただ、これはいきなり無神論や神様への侮辱の弁を述べるものではありません。そもそも私は神様のメッセージとやらを解せるほど知識が豊富なわけではありませんし、人生経験を経ているわけでもありません。このさき神様のメッセージを理解できる日が来るかもしれませんし、私もそれは信じております。

 

ただ、問題はその日までどのように過ごすのかということです。分からないものから無理矢理メッセージを汲み取るのは、妄想以外の何者でもありません。自分の思い込みで行動することになりますし、神様への侮辱です。もしこれが人相手ならば、失礼でおろかな行為であることはハッキリ理解することができるでしょう。そもそも神様の存在自体も不確かでしょうに。

そのため私は、いずれ神様のお心が分かるだろうというのは、天罰を天罰として強制的に粛々として飲み込む理由にはならないと思っています。

 

私も過去の失敗や不幸の度にこれは神様からの罰ではないかと思ったことがありました。しかし、今思えばそれは教訓というものもなくメッセージでもなく、罰だとすればものすごい気まぐれなものなのです。

 

罰を受けるものと受けないものの差を理由もなくつける存在。私たちがそんな存在に対する最後のアプローチは「許し」なのです。許すか許さないかはそれを思う者の心持ちが全てですので公平性が入る余地がないのです。不公平に罰せられたことには不公平な許しを請うしかないのです。

それで何か得るものがあれば問題はありませんが、むしろ失うものの方が大きくなればまた新たな問題が起きます。失うものを供物として許されるか、許されずに失うものを減らすかです。罪か幸福かどちらかを選択するのです。

 

しかし、時計の針を戻して客観的に考えましょう。そもそもこれは許しを請うべき神の存在から始まっているのです。

天罰は私に何を求めるのか。天罰は公平なのか。その神様はそもそも天罰を落としたのか。それ以前に私の中での神様の存在の仕方は正しいのか。

 

こうしてみれば、神様が自分の行いに対して天罰を落とすという思考自体がどれ程バカらしいことか分かるでしょう。そんな神がいたとしていつ許してくれるかも知れたものではありませんし、むしろそれで命を落とすことになれば神が殺人鬼と同等の存在であることになります。そんなものに請う許しには塵ほどの価値もないのです。

 

そもそも世の中には、何かしらの宗教を信じる人や神様を信じる人は沢山います。しかし、その人達がみんな自分の宗教を十分理解しているわけではありませんし、天罰だとかをみんな正しく理解しているわけではないのです。むしろその様なものに拘泥せず自分の生きやすいように生きているのではないのでしょうか。そのなかで善行を積む人も多く、自律心の高い人もいます。こうしたことからも天罰や神の否定がすなわち非徳や不幸に陥ることを意味しないのです。

 

 

【私に死ぬことのみを望む正義】

 

 

さて、私に死を強要するのは生きることを許さない神ばかりではありません。私を生け贄として成立する正義もまた殺意にまみれた存在であると思います。

 

個人はこうあるべき、集団はこうあるべき、社会はこうあるべきという正義は何かしらの形であります。正義は個人を個人足らしめ、集団を集団足らしめ、社会を社会足らしめます。故に人間が充実した人生を送るには何かしらの正義は必要なのです。そのために自分の時間や力を投資するのは必要な投資です。

 

そこから外れた者は穢れた者として蔑まれ、制裁を受けます。人を不愉快にする人間が、嫌われ集団から追放されるのはその一例です。

しかし、その正義が過激になると「生贄」を要求されるようになります。例えば、太平洋戦争が続いたときに、大日本帝国であり軍国主義の下にあった日本では誉れ高き民族の矜持やその連帯意識から集団自決をすることが少なからずありました。これは軍国主義に対する「生贄」です。その生贄を断れば正義の名の下に激しい攻撃を受けたでしょう。

 

小説「沈黙」でも、生命の危険からキリスト教から棄教した主人公などは、敬虔な信徒からの侮蔑や罵りを受けることを予測しておりました。キリスト教の正義に基づけば、拷問に屈せず殉教した信徒こそが正義に守られ、そうでない者は正義に攻撃されるのです。

 

つまり、正義は時として従うものを死の脅威に晒す可能性もあるのです。死とまではいかずとも健康を損ねるまでの犠牲を我々に求めることがあるのです。これは一種の殺意です。

これは嫌いな人間に対する憎悪の念ではなく、愛の条件としての殺意です。正義のために奉じ死んでくれた人間には愛を向けるも、殉死から逃げた人間には侮蔑や軽蔑の念が向けられます。または、死から逃れた自分への後悔や懺悔の思いも同じものでしょう。そして、それは長く汚名として残されることもありますし、自分の中でも許されない失態として心の傷となることもあります。

 

私はこの事を思うときに、許されるために許されるまで生きようと思ってきました。いじめられないようにすること。荒れた学校の同級生を更正させること。自分がより男らしくなること。目に見えて分かる友人関係を築くこと・・・etc 。自分の人生は許しを請うためにあるのだと。正義に奉じ続けることが私の人生なのだと。

しかし、そうしようとすればするほど許しを請う事に耐えられず逃げてしまうのです。そして「穢れ」だけが増えていきいつまでも「みそぎ」は終わらないのです。許してもらえる気配は無いし、強迫観念は日に日に増しました。

 

そんなある日、私はリラックスしているときにこう思いました。そもそも私を裁いているのは誰なのか、私にみそぎを要求する人間との原初の関係性は何なのか。そんな「輩」が私を許すことはあるのか、それ以前に許したことはあったのか。

 

私に正義に奉じて死ぬことを要求する人間は、最初から私という人間に殺意があるか、あるいは私という人間に関心がないのかのどちらかなのです。その時から私は無い罪や正義のためにみそぐことをやめました。自分を永遠に許さない者や関心がないものに許しを請うことを止めたのです。

 

数あまたの人間の暮らすこの世に生まれた以上、私を悪人として殺したい人は沢山いるのです。それは立場を変えても同じです。私は数あまたの人々に殺意を向けられ、そこからは逃れられないのです。そのため私は正義から悪人として裁かれようと、穢れだと卑しいと言われようとも、取りあえず生きようと思います。そんなささやかな希望だけは忘れずに璧として大事にしていきたいと自分に誓いたいです。

 

 

【許されずとも生き抜く】

 

 

ここまで申し上げた通り、世の中には私をとにかく殺したくて殺したくて仕方ない者が沢山いることが分かります。許しを請うても殺すし許さないならもちろん殺すという、そんな人は沢山いるのです。

 

以前上げた記事で「この世は殺意が横溢している」と申し上げましたが、その根拠はこうしたことなのです。

 

そんな者に対して本当に許しを請うことがどんなに徒労なことでしょうか。私を許したくない者は一生私を許さないし、死んだところで許さないでしょう。そもそも私がこの世に生まれなくとも私を端から許さないでしょう。

 

そんなに私を許さない人間だらけなら、もう許しを請わずに勝手に生きていけばいいし、せめて人に迷惑をかけないような工夫をすればいいことなのです。

 

ここまで言うと私は人間が絶滅することや私自身がこの世から去ることを望んでいるように思われるでしょうがそれは違います。

 

私はこの世は素晴らしいと思っていますし、人々との交流にも素晴らしいものがあると思います。その中で殺意を汲むことやそれに許しを請うことは無いと申し上げているのです。殺意を向けられたらそれに対して嫌だと言うのがコミュニケーションなのです。

 

現在新型コロナウイルスの脅威が未だに続いておりますが、もしそれが何者かのメッセージならば、それに対して許しを請うても無駄だと思います。私たちは反省はすれど、無い罪の妄想に付き合う義理はないのですから。無い罪に対する許しを請うことは滑稽なのですから。

万が一にも誰かが私に本当に死んで欲しいならば、私はそれまでの関係性を否定しなくてはなりません。絶縁とまではいかなくてもただの他人以下の関係になることは避けられません。

 

さて、ここで諸作品の紹介です。

 

始めに工藤マコトさんの漫画作品「木曜日は君と泣きたい」を紹介します。

 

この作品は、女装して生活する男子大学生とそれを取り巻く人々の話です。主人公の男子大学生の薫は普段は女装して女子と偽って生活しており、薫が男性という事実は親友や単身赴任中の父親のほか知りません。

彼が女装するのは過去に双子だった妹の楓が事故死したことがきっかけでした。塞ぎこんだ母のために薫は女装し「楓」になりました。それから母は薫を「楓」としてしか受け入れられなくなりました。そのため同居する母の前で薫は「楓」として生きているのです。

話が進むにつれ薫を殺そうとする人物が現れたり、実は親友が薫のことを「楓」として見ていたりと、薫の居場所が無いことが明らかになりました。

身近な人間から悉く殺意のようなものを向けられた薫は現在の環境に絶望し、全く別の場所で「薫」としての人生を取り戻すのでした。

 

この様にこの作品は、自分が生きることを許されない緊迫した状況を描き、そこから脱するストーリーを描いております。

 

二つ目は音楽作品ですが、TOKIOの「宙船」です。こちらは中島みゆきさんが作詞作曲され、長瀬智也さんが歌っておられました。

 

この曲は人の人生を船に例えて、人生の様々な難局を乗り越えながら厳しい人生を歩むことの尊さを表しております。

こちらの曲の歌詞には「お前が消えてよろこぶ者にお前のオールをまかせるな」という節がございます。私は小学生の頃からこの曲が好きでしたが、歳を経るにつれこの節がやたら気になるようになりました。

お前が消えてよろこぶ者」というのは自分のことを嫌ったり虐めるものだけにとどまりません。前の章で述べた通り、自分と相容れないものや、メッセージの無い罰を下す神、正義のために自分に殉死して欲しい人など沢山います。

そんな人間に自分の行動の主導権を握らせるのは、実に愚かな行為であります。どんなにキツイ状況でもそれだけはやってはならないことだと思います。

 

この二つの作品は厳しい局面で自分の人生を守る話ですが、実際にとったアクションは逃げるか立ち向かうかで真逆です。ですが、この2つのアクションは両方とも「許しを請う」場面は出ておりません。許さない人間はまだいますし、永遠に許されないのかもしれません。しかし、どちらも許されなくとも生きております。

生存権は誰かの許しを得て獲得するのではないのです。自分に死んで欲しい人間は消えないのが当たり前ですから。

 

許されないなら許さない人間は無視して生きていけばいいのです。許さないという感情は正義の鉄槌でも裁きでも何でもないのです。あくまで1つの現象なのですから。

 

 

【おしまいに】

 

この記事はかなりきつい口ぶりになってしまいました。これは誰もが謂われ無き殺意で悲劇的な最期を向かえないために、そして自分もそうして生きていきたいと思い記しました。

 

許しを請うこと自体は全否定はしませんが、それはあくまでコミュニケーション上の要請であり、何処から沸いたか分からない許さない心に対するものでは無いのです。そんなものは地面の石ころのようなものと考えるのが一番です。

 

 

 

今日現在、様々な難局に満ちておりますけれども、とにかく皆様には生き続けてもらえればと思います。

 

それでは今日もありがとうございました。

 

 

 

2021年1月13日

 

 

ヘイトスピーチって何が問題?

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は「ヘイトスピーチ」の話をします。

この言葉を聞いたことがある方も沢山いらっしゃると思われますが、ヘイトスピーチとは「特定の民族や国籍などを理由にそれに属する人々を攻撃、侮辱すること」とされます。

 

昨今では日本でも在日の韓国人や朝鮮人、中国人などへのヘイトスピーチとされる事案が問題となっています。日常生活やネットでの誹謗中傷や在日外国人の排斥を主張するデモ活動とされる事案などが問題となっています。その中で訴訟に発展するケースも少なくはありません。

 

2016年には国会でヘイトスピーチ規制法が制定され官公庁はヘイトスピーチ防止の努力義務を負うことになりました。一部の地域ではヘイトスピーチに対して罰則を定める条例も定められました。

 

しかし、このヘイトスピーチの問題について分からない部分は沢山あります。そのためこれまでの知識に加えて、新たに明らかにされた部分も補いつつこの問題をまとめてみました。

 

【何故ヘイトスピーチは問題なのか】

 

そもそもヘイトスピーチは誰の何に対して害を与え問題とされるのでしょうか。

 

ヘイトスピーチアメリカで生まれた言葉です。アメリカでは1980年代より特定の民族に対する憎悪を表現する発言を「ヘイトスピーチ」と呼ぶようになり、一般的な言葉として使われ始めました。

一方で、日本ではこの言葉が使われるようになったのは2010年代に入ってからであり、この言葉が市民権を得てから10年も経っていません。きっかけは2000年代からのネット上やデモ活動などでの在日外国人への攻撃的な発言が司法や政治の場で問題になり、それが報道されたことからです。

 

では、この特定の民族に対して憎悪を示す発言は社会ではどのように解釈されるのでしょうか。

 

ヘイトスピーチとは特定の「民族」への憎悪を示す発言ですが、これが特定の「個人」へとなると話は変わります。

特定の個人への憎悪や誹謗中傷は「名誉毀損」に当たります。名誉毀損は人の名誉、すなわち人の価値を傷つけることです。この内、法的に問題となる名誉毀損人の評判やプライドを傷つけることを指します。

 

この名誉毀損への罪状は、刑法上では230条の名誉毀損と231条の侮辱罪、そして233条の信用毀損罪が存在します。民法上では、先の刑法上での各条で定められている構成要件を満たせば、名誉毀損として認められ損害賠償に問えるとされます。

 

ここまでくると、ヘイトスピーチはこれらの罪で罰することが出来そうですが、それは不可能です。なぜならヘイトスピーチは「個人」に対してではなく「民族」「出自」に対する発言だからです。例えば「在日韓国人」は特定の属性であり特定の個人ではありません。そのためこれまでの名誉毀損への罰則ではヘイトスピーチに対応できないという問題があるのです。

 

それに、こうした発言への規制は日本国憲法21条の表現の自由を考慮する必要もあるという問題もあります。これはアメリカのヘイトスピーチ問題も同様で、表現の自由を定めたアメリカ合衆国憲法修正1条に則り各地でのヘイトスピーチ規制に関わる地方公的機関の対応に違憲判決が出されております。

 

一方でヘイトスピーチにより攻撃された民族に属する人々の生業が侵されたり生活上の平穏が侵される事態が続いてきたことも事実です。それによりここ10年で各地でヘイトスピーチの被害を巡る刑事・民事訴訟が増加し頻発しました。

 

2009年には京都の朝鮮学校への街宣行為が授業妨害や脅迫行為であると問題になりました。この街宣を行った市民団体は企業や組合への脅迫等でも併せて責任を問われ、裁判所から損害賠償を命じられ、それを実行したメンバーにも刑事罰が課せられました。

また、2020年には不動産会社の社長が在日韓国人の女性従業員への出自を揶揄した暴言について、地裁で損害賠償が命じられました。これに対して被告の社長は控訴しました。

 

そうした現状からこれまで法的規制の存在しなかった日本でのヘイトスピーチへの対策のために、超党派による議員立法で2016年6月に「ヘイトスピーチ規制法」が成立しました。これにより全国の官公庁にはヘイトスピーチ規制への対応の努力義務が課されることになりました。そして川崎市など一部の自治体では条例により罰則を課す所も出てきました。

 

しかしながら、この対応についてまだまだ諸外国に比べて緩く、被害への対応も不十分という批判も聞かれます。

法務省ヘイトスピーチ相談ダイヤルには相談が相次ぎますが、ある相談者は「相手をせずに我慢してと答えられ、ヘイトスピーチ自体への対応が不十分であった。」という不満を述べました。

 

 

【何故ヘイトスピーチをするのか】

 

 

一方でヘイトスピーチをする人々はどのような理由でヘイトスピーチをするに至ったのでしょうか。

 

日本の例を見ますと、ネットの匿名掲示2ちゃんねるでは中国や韓国などの諸外国を敵視する書き込みは2000年代から既に始まっていました。その切っ掛けとして考えられるのは日本の「自虐史観」やそれに伴う諸外国との関係性を批判する書籍が1990年代に広く認知されたからと言われます。

そこから保守的な政治観や強固な愛国心を強調する言説がインターネット上に多く出回るようになり、右派政治団体の一部もネット上で言論活動を行うようになります。

 

この後2000年代後半になると、そのような保守的な言説をデモ活動として行う市民団体が生まれました。この活動は「行動する保守運動」と呼ばれました。これは、これまでメディア上の言論活動や右翼団体による抗議活動に限られていた保守派の政治活動を、革新派や左派などが従来より行っていた市民デモ行進にも拡大させようという試みでした。

 

この活動では、保守派の思想に反する発言や行為をした組織や個人に対する抗議や批判などが行われます。運動には市民団体のメンバーのほかそれに同調する人々も活動ごとに任意で参加します。

 

この行動する保守運動にインターネット上での右派政治団体の活動が合流し、この2つのシナジー効果として日本社会全体での保守世論が拡大・成熟していったのです。

しかし、この動きのなかで過激な保守主義を抱く人も現れ、その人々が在日外国人や諸外国、あるいは自分と思想を異にする人々への議論を越えた誹謗中傷を行うことが問題となりました。これが各所で対立や摩擦を起こし、日本に置けるヘイトスピーチ問題に至ったのです。

現在ではこのヘイトスピーチに疑問を持つ市民団体やそのほか組織、個人との軋轢や対立も加わり、今日に至るまで抗争や訴訟、暴力事件などが頻発しております。

 

したがって、ヘイトスピーチインターネットデモ活動をきっかけに引き起こされたものなのです。

 

 

なお、ヘイトスピーチをする人の分布ですが、評論家の古谷経衡氏の分析によりますと50~60代にやや集中しつつもどの年代にも満遍なく分布していました。これまでは若年層が多いとか、就職氷河期の人々の不満が爆発している等の説が唱えられてきましたが、この分析によるとヘイトスピーチにおいては世代論はあまり通用しないものと思われます。

 

また、ヘイトスピーチ規制条例を日本でいち早く(2014年)制定した大阪市の市長だった橋下徹氏は「□□(ヘイトスピーチを行っていた人物)は知識量は豊富ではあるがそれには偏りがある。」と述べました。これは「確証バイアス」、すなわち一個人の「合理的な判断」の基準が既に個人の主観により歪んでいることへの言及でした。

実際にヘイトスピーチを行う人々には日々勉強と知識の更新を怠らない方も少なからずおります。しかし、その情報選択や処理の基準は自身の主観で決定されており、言うなれば最初から結論が決まっているようなものなのです。

ヘイトスピーチを行う団体の発言では「警察は(某団体)の手先。(某団体)は北朝鮮のスパイ」「○○市役所は外国人に乗っ取られている」「(某企業)はテロ支援団体」などの、根拠不明・意味不詳の過激なだけの文言が度々発せられます。

それも確固たる証拠があるわけではなく、陰謀論や憶測に基づく物が多く占めています。恐らくは要素たる多くの知識はまごうなき事実なのでしょうが、それらを繋ぐ論理が主観や願望、その他諸々の思惑により客観から遠く歪められ、その集合体たる論が虚実になっているのでしょう。

 

 

【なんでもかんでもヘイトスピーチ?!】

 

 

ヘイトスピーチの問題が各所で取り上げられる中で、それに含まれないものまでヘイトスピーチとしてでっち上げられる事案が出てきました。

 

例えば、ある評論家がその立場において他国の政策を批判した時に、先方の政府機関がその発言を「ヘイトスピーチ」であると批難するケースがあります。

この場合は評論家の発言は民族や出自への誹謗中傷ではなく、政府の政策への批判です。それも正当なルールに基づく正確な発言です。よってこの発言は「ヘイトスピーチ」には当たらず、また制限されるべきものではありません。

例えば日本と国交を持つ国の政策において、貿易協定の一方的な破棄など日本の国益を左右する事案について日本の国政関係者が批判的なメッセージを出すことはヘイトスピーチには当たりません。これが認められないならば、そもそも外交自体が成立しません。また逆の場合もしかりです。よって先方政府機関の非難は、ヘイトスピーチというレッテル貼りとそれにかこつけた越権行為なのです。

 

また、団体や個人への批判も同様で、民族や出自に対する発言でもなければ、誹謗中傷でもないのです。ある個人が犯罪を犯したときにその人の批判をすることは、その人が日本人だろうが在日外国人であろうが関係なく認められるのです。また外国と関わりの深い特定の団体の税制上の扱いについて論議することも同様です。ゆえにこれもヘイトスピーチではないのです。

 

こうしたことは本来のヘイトスピーチ問題の提起を妨害し、ヘイトスピーチ防止活動で保護されるべき人々の安全を間接的に危機に貶める行為でもあります。もちろん、通常の議論自体を停滞させてしまいかねない、それこそ表現の自由を侵す行為なのです。

 

 

一方でこのような事案もありました。

ある国会議員が自身のSNSアカウントで、当時ヘイトスピーチを度々行っていた団体の代表を名指しで「存在そのものがヘイトスピーチ」「差別に寄生して生活している」と主張しました。

これに対して団体の代表はその議員に名誉毀損であるとし損害賠償を求め訴訟を起こしました。その結果、議員の発言は名誉毀損には当たらないという一審の地裁判決が出され、高裁も原告の控訴請求を棄却し地裁判決を支持し判決が確定しました。

この判決の理由は、この事案以前から当団体の代表は団体の中心的な役割を果たし団体ぐるみでヘイトスピーチ規制法に触れる発言を繰り返してきたことと、当団体の代表がその団体の活動により資金を集め営利行為を行っていたことの二点からでした。

 

このようにヘイトスピーチの真偽というのは言葉の定義に加えて、発言する人間の信用度によっても判断されることが上の訴訟の判決から分かります。

特にヘイトスピーチの法規制上の抜け穴を意識しながらヘイトスピーチを長期に渡り繰り返す人の発言は、信用度は最悪であると言えます。

この事はヘイトスピーチの定義と併せて考慮すべき点であると言えます。

 

したがって、ヘイトスピーチ問題は言葉の定義を越えて、正当な批判に対するセーフガードとして濫用される懸念があります。一方で自らのヘイトスピーチの経歴が自身の言行の信用度を貶めるという現象も起こっております。

 

 

ヘイトスピーチ勢力 vs 反ヘイトスピーチ勢力】

 

 

こうしたヘイトスピーチに対するヘイトスピーチの動きは日本で動いております。2016年のヘイトスピーチ規制法の制定やそれに基づく地方自治体の条例の制定もそうです。

ヘイトスピーチに対する抗議運動も年々激化しております。2013年にヘイトスピーチに抗議する市民団体が作られ、現在では地方支部も各地に存在します。メディアにおいてもここ十年近くでヘイトスピーチの問題は取り上げられる頻度が増えました。また政治評論家の中にもヘイトスピーチを批判する人物が思想の立ち位置に関係なく多く出てきました。

 

これまでヘイトスピーチを行ってきた団体の活動は反ヘイト勢力との終わりが見えぬ泥沼の戦いに突入しております。

 

ヘイトスピーチを行う団体の街頭演説には、反ヘイトスピーチ団体がカウンターの抗議デモを行うことが多くなりました。これにより双方の攻撃は熾烈さを極め、街頭演説の度に騒乱が起こっております。

これまで街頭演説やデモに対する苦情に対して小競り合いが起こることは珍しくありませんでしたが、今度は団体同士である以上一度騒乱が起こると長時間にわたり収拾がつかなくなっております。

 

昨年の2020年6月にはヘイトスピーチを批判した評論家の元にある団体がゲリラ街宣を行い騒動となる事案がありました。そして2020年12月にはその団体の会員と反ヘイト団体の構成員の間で暴力事件が発生し、双方が逮捕される事件が起こりました。

 

また、この団体の街頭演説中に取材をしていた新聞記者と激しい口論になることもありました。その新聞記者は自社紙面のヘイトスピーチ特集コーナーを担当していました。ヘイト勢力により、団体の運動を批判する記事を載せた新聞社やその記者への抗議街宣も度々行われ、双方の支持者を交えての騒乱は定番となりました。

 

2019年3月にはヘイト団体の集会会場が反ヘイト団体に占拠され、集会が数時間にわたり開けない状態になりました。別の当団体の集会でも、ヘイトスピーチに反対する市民が集会に乱入したこともありました。

 

またこの団体と官公庁との摩擦も以前から強く、ヘイトスピーチ規制法成立以前より団体に官公庁から警告が出ておりました。ヘイトスピーチ規制を担う法務省の職員がヘイト団体のデモ活動を調査しているときに、デモ参加者らは職員を大声で罵倒したこともあります。前述のヘイトスピーチ規制条例を敷く川崎市に対しても団体は度々抗議デモを行い、ネット上でも当市役所をめぐる陰謀論を発信しております。

2019年には愛知県での芸術祭の展示物をめぐる議論と、公費による芸術祭の支援を巡る県知事の指針の是非が問われました。知事の指針に反発したヘイト団体は、同じ愛知県で芸術展を開き、ヘイトスピーチに当たるであろう展示物の他にも先述の知事や芸術祭の代表を揶揄した作品も展示しました。

 

そうした抗争の中で特に印象深いのは、2014年10月の当時の大阪市長橋下徹氏と団体代表(当時)の対談でした。

報道陣を前に始まった対談は1分ほどで些細な言葉遣いをきっかけに激しい口論が始まり険悪ムードとなりました。一時警備班が出動した後、対談は再開しましたがお互いにつっけんどんな平行線の会話に終止し、橋下市長が開始10分程で対談を打ち切りました。団体代表はそれに憤慨し去り行く市長に暴言を吐き続けました。

私もその日のうちにこのニュースを見ましたが、ここまでの感情的な喧嘩になるとは予想だにしませんでした。

 

そしてこのあと団体代表と橋下徹氏の政党「大阪維新の会」とは今日に至るまで激しく対立することになりました。

この団体代表は2016年に政治団体を新たに創設し、地方自治体や国政の選挙に代表本人も含め候補者を送ってきております。その度に団体は他の政党や候補者を激しく攻撃する街宣を繰り返しており、デモ活動ばりの勢いを見せております。

 

このようにヘイトスピーチを行う団体と反ヘイトスピーチ団体の戦いは、インターネットやデモ活動のみならず政治の場での直接対決にも及ぶ懸念が強まっております。

 

 

【おしまいに】

 

ご覧のようにヘイトスピーチ問題は本来のヘイトスピーチのみならず、そこから枝葉の様に派生する問題も含めて一筋縄ではいかない事態を起こしております。

 

ヘイトスピーチが悪いかそうではないのかという論議よりは、それを取り巻く動き全体が厄介な状態になっているという感想です。この問題と関わらないようにしようとする人を含めて誰もが当事者になっていく、そんな印象です。

 

今回は日本でのヘイトスピーチ問題について話しましたが、ヘイトスピーチ問題の本場(?)アメリカでは、ヘイトスピーチを行う市民とそれに反発する市民との争いが日本以上に激しくなっております。ニュースやネットでも聞かれるBLM運動(Black Lives Matter)やANTIFA(反ファシズム行動)はその団体の代表格です。こちらも同様に本来のヘイトスピーチや差別問題自体を取り囲むように過激な暴行や犯罪行為などが問題となっております。

 

私は人の思想について指図できる立場ではありませんが、この記事を読んで各人ごとに色んな考え方があっていいものと思われます。

何事にも内心や選択の自由があり、そして行動の責任が問われる、それだけだと思います。

 

今日も最後までありがとうごさいました。

 

2021年1月11日

 

「風の谷のナウシカ」をふりかえる

こんにちは、ずばあんです。

 

数日前に風の谷のナウシカの漫画版の感想を述べさせていただきました。

主人公ナウシカが真の優しさを求め、困難や因業とぶつかりながら、最終的に清濁入り交じる生のあり方を肯定し愛するストーリーはもの悲しくも温かく優しいものでした。

 

私ずばあんの漫画版ナウシカに対する感想は既に記しました。しかしその域から漏れる私の考えについては記事の質と量を担保するのと記事を読む方への誤解を少なくするために敢えて今回の記事に持ち越しました。

 

今回は漫画版、映画版のナウシカから思った私の考えを記します。

 

【私達は「自然」の外で暮らしている】

 

私は映画「風の谷のナウシカ」を見まして、本当に自然に対する優しさこそが最後は勝つのだというメッセージを感じました。

 

ここでいう自然とは王蟲やその他の蟲、腐海といったものを指します。ナウシカらはそれらを愛し親和しようとする立場です。一方でトルメキアの兵器や巨神兵などは非自然であり、自然とは敵対する関係にあります。

映画の結末は、ナウシカは奇跡を起こしトルメキアの圧政をはね除け、風の谷に平和を取り戻したのです。

 

まさしく自然愛護の勝利です。映画のフィルムの最初あたりで、WWF推薦のスポットが入るあたり映画のメッセージ性を表しています。

 

しかし漫画版ナウシカでは映画版のメッセージがひっくり返りました。ナウシカが愛していた自然は実は人工物であったことが分かりました。ナウシカら人間も含めてかつて存在していた旧人類の高い科学技術により作られた生物だったのです。

こうなるとナウシカの世界における自然vs人工物の構造は完全に崩壊します。ナウシカ自身が自然から人工物の方へ飛ばされてしまっているのですから。

 

ですが、これは完全なるフィクションではありません。私達の暮らす地球も人工でない部分の方がとっくの昔から少数になっているのです。

かつて人類の祖先は狩りをしながら生活をしていましたが、やがて農業を行うようになりました。この時に天然の森林はほとんど斬り倒され、山々の生態系は改変させられたのです。それ以来私達人類は「自然」と決別したのです。

私達の人類史は太古の昔から自然破壊の連続でした。中東にはかつて「レバノン杉」が生い茂る森がありましたが、この地に古代文明が興るとレバノン杉は全て斬り倒され森は消滅しました。それ以来森だった場所はアラブの広大な砂漠となりました。

日本も弥生時代に稲作が普及すると農地の開発のために原生林の多くが消え、現在は白神山地知床半島の一部等に残る程度です。江戸時代には湿地帯や低地でも大規模な農地開発が進められました。(米どころ・越後が誕生したのもこの頃です。)私の暮らす九州地方では江戸時代の内にクマが絶滅するなどもっと自然の改変の度合いは強くなっております。

私達が思い浮かべる自然の風景と言えば農村や森生い茂る山々等ですがもはやそれすらも太古の昔から人工物なのです。

そこから我々が「自然」に本当に戻ったらどうなるでしょう。私達は人間として暮らせなくなるはずです。それこそとんでもないバッドエンドです。

 

ナウシカ達の暮らす環境は砂漠の真ん中ですが、砂漠は環境破壊の産物でもあり人工物なのです。そこに腐海が生まれ世界の浄化をしていく先には、「自然」は復活するかもしれません。それはちょっと訪れればいい場所かもしれませんが、ずっと暮らせば人間は「自然」と対立しまた環境破壊をするでしょう。

 

そのためナウシカが示した人工物だらけの世界は、人工物にまみれた私たちの世界の現実とそれを愛する心を表しているのです。

 

 

【漫画ナウシカと「沈黙」】

 

漫画版にいて映画版にいない者を前の記事で話しましたが、実はまだおります。

 

それは「蟲使い」です。蟲使いはその名の通り蟲を家畜のように操り、各種目的で使役する民族です。その民族は数百年に渡り差別迫害を受け、侮蔑の目を向けられ続けてきました。金を持ってても物を買うことも許されず、故に火事場泥棒のような生活で生き延びておりました。ナウシカも1巻の時点で「忌々しい蟲使いども」と罵っていました。この世界における蟲使いの汚名の強さが分かります。

 

そして彼らはナウシカ達のように「神様や神話を信じ守られる」立場ではありません。それは蟲使いが6巻で発した「神様がほしいよう」という発言からも分かります。宗教国家土鬼からも差別を受け、土鬼の僧官チヤルカにも憎しみの感情をぶつけたあたりから神から見放されているという意識は強いのでしょう。

 

そして、この意識は蟲使いのみならずこの話のキャラクターに徐々に伝播していきます。主人公ナウシカは老僧から大海嘯は天罰であると聞き心の闇を深め、それを癒すために王蟲たちと世界の浄化に与し、かえって心の闇に閉じ籠る事態になりました。

僧官チヤルカもこれまで土鬼国民のことを思い自身が進めてきた宗教政策が、むしろ国民に終末思想を芽生えさせていたことを知り愕然し幾度も後悔と懺悔の念に襲われました。

そして腐海や蟲と共生してきた一族「森の人」の青年セルムも、ナウシカと共にこの世界の人工物の真相を知り、自分達の伝説の神話を否定され落胆します。

 

このように、漫画版ナウシカの話が進むにつれ、神から見放される人々の姿が徐々に浮き彫りにされたのです。

 

ここで私は、遠藤周作の「沈黙」を思い出しました。

この作品では徳川時代の日本でキリスト教弾圧のもとで殉教する人々やキリスト教の実態を目の当たりにし、神の存在を疑うも信仰から離れられない人々の姿を描いております。

タイトルの「沈黙」は上の状況で何もせず言わずを貫くような神の態度を表すものです。

 

蟲使いやナウシカたちの状況と「沈黙」は、この神様不在という点で似ているように思いました。

 

「沈黙」の話の結末ですが、最終的に主人公は自分や信徒の命のために浄土真宗に改宗しますが、そこで神の声が聞こえ主人公の行いを赦しました。神は、神の子の依存心ではなく生き様の前に現れたのです。神が自分から出現したのではなく、主人公のなかに神が内在していたのです。

 

ナウシカの話に戻しますが、ナウシカ達の創造主である旧人類を代表する「墓の主」はあたかも神のように振る舞いますナウシカはそれに憤り、墓の主の神性を否定します。そして、ナウシカは「神々は一つ一つの生き物に存在する」と発言します。

 

ナウシカの場合は非常にアグレッシブですが、これは「沈黙」の結末に通ずるものがあります。それは神の出現の否定です。

「沈黙」では神の沈黙の正体が外在する神の不在であると明かし、神の存在が自分の真心の中にあることを示しました。

一方で「ナウシカ」ではそれがもっと強調されます。沈黙していた神は実は神を騙るエゴまみれの「墓の主」でした。そしてナウシカはこの「悪魔」を抹殺し、ナウシカの意志で改めてこの世界を神と認めたのです。

ナウシカが「生きねば」と最後に思ったのは、自分の生きようとする意志こそが神の存在の証明だからです。

 

この部分を私なりにまとめれば、これは人間が綺麗な理想の元に生き残ることが難しい程弱いということ、そして弱い人間の生存戦略弱さの肯定であることを表しているといえます。

弱さの肯定というのは、弱さに甘えることではありません。弱い自分がいきなり強い存在になれるという幻想を捨て、弱いなりに精一杯生きることを言うのです。

 

巨神兵オーマも「裁定者」として生まれ、擬似的に神の役割を演じさせられました。しかし、ナウシカの先の発言によりオーマはその存在意義を失いました。最後にオーマはナウシカの指示で墓の主を抹殺しますがそれは裁定者の立場からではなく、ナウシカの子としての立場から行ったのです。

 

 

ナウシカの敵は誰だったのか】
 

漫画版ナウシカではナウシカを様々な困難が襲い、多くの敵が襲ってきました。初めは風の谷に襲来したトルメキア軍でしたが、その後王蟲を傷つけ自分たちと敵対した土鬼軍へと移り変わります。ここまでは軍事上派閥上の敵対関係でした。

 

その後土着宗教の老僧の言葉から「天罰」としての世界浄化の思想と対立します。ここで汚染されたナウシカ達とそれを浄化しようとするものの対立が起こりました。この対立はいわゆるエコロジー論におけるもので、汚れたものと綺麗なものの対立となっております。ナウシカは汚れた存在としての自分の位置付けに戸惑い、ナウシカは浄化に与しようと王蟲に飲まれました。これによりナウシカは浄化の意志に負けたかのように思われました。しかし、ナウシカは生き残りセルムらにより心身ともに回復しました。

 

この後ナウシカは差別されていた民族と融和を図り、戦争そのものも停止しようと試みます。ここでナウシカ戦争や差別を起こす意思との戦いに入るのです。そしてナウシカは、上の戦いの最終的な敵である墓所とその主に対峙するのです。ここでナウシカ墓所浄化の意思の権化であり、浄化の意思こそが自分の世界における悲劇の端緒であることを確信します。ここで、ナウシカ人間の清濁を是とし、浄化の意思と対立し墓所を抹殺したのです。

 

このようにナウシカの敵は対立軸が移り変わりつつ、何度も変わってきたことが分かりますが。最初は風の谷や自分の愛する生き物、仲間を傷つける者との戦いでしたが、やがてエコロジー論に置ける汚染物としての自分との戦い、そして最終的には世界の「浄化」を行い自分達の生を脅かす者との戦いで幕を閉じたのです。

 

これらは現代の私たちの社会の諸問題に当てはまります。戦争、差別、環境問題、経済問題などです。それらは一挙に解決するものではなく、徐々に解決するものです。いつ終わるか分からない課題にひたすら尽力するしかないのです。

 

「清浄と汚濁の両方を人間の本質として受け止める」という考えはそうした状況における人々の苦悩に投げ掛ける言葉だと思います。そう思わなければ、人間の成長のために自分が生き続けるなんて出来ません。ナウシカというのはそのような人々の代名詞なのではと思います。

 

したがってナウシカの敵とは、自分の愛するもの同士が平和に暮らし続けるのを邪魔するもの一切であると思われます。

 

【新人類はその後亡びたのか?】

 

ナウシカ達新人類はいずれは滅びる運命であると墓の主などは言っていましたが、結局新人類は消えてしまったのでしょうか?

浄化後に復活する予定だった人類もナウシカらが墓所ごと始末したので人類は浄化後に絶滅することは確定したかように思えます。

 

漫画版ナウシカの終わりは、ナウシカが今まで彼女と共に行動してきた人々に囲まれながら、心の中で「・・・生きねば」とつぶやくところでした。このまま終われば私はもうナウシカ達人類は絶滅したのだと間違いなく思いました。しかし、それを疑わせるものがそのすぐ下に書いてありました。

 

「・・・その後ナウシカは土鬼にとどまりチククの成人後、風の谷に帰ったとも、森の人のもとへ去ったとも言われる。クシャナは代王を名乗り以来トルメキアは王を持たぬ国となったという。」

 

これは、文でその後の展開を示したものです。ただそれだけなのですが、私はこの終わり方をある所で見たことがありました。

それは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」の附記「ニュースピークの諸原理」  でした。この附記は小説の本編が終わりその直後に記されていたものですが、実はこれこそが本当の「1984」の結末だったのです。附記は本編の時代設定よりも後の時代の何者かにより記され、本編の終わった後何が起きたのかも記されているのです

 

私はこれと同じにおいを漫画ナウシカの締めの文に感じました。つまりこれはこの物語を伝承する人類がこの先も存在することを暗示しているのです。トルメキアの行く末(大統領制国家か)はともかく、ナウシカの行く末について歴史的に2通りの解釈がでるほど時間が流れたことを表しています。

 

この世界の歴史の伝承の精度も検証すると、蟲使いたちが先の大海嘯以来の自分達の300年ほどの歴史で部族の数の減少を正確に把握できる程の精度はあると考えられます。一方で、大海嘯による混乱もあるのでしょうが、1000年前の世界浄化計画がかなり改変された神話として伝えられる程の歪みもあることが伺えます。

 

故に巻末の締めの文はこの話が終わってから数百年以上から千年未満後の者により語られていると思われます。そしてそこまで人類が存続していることも暗に示していると思われます。

 

宮崎駿氏はなぜナウシカを作った?】

 

さて、このナウシカですが映画版であのような自然愛に溢れる作品を描きながら、なぜ漫画版では長い時間をかけて全く異なる結論に至ったのでしょうか。

 

実は漫画版のナウシカは、映画版のナウシカの製作を予定して連載が始まったものだったのです。

詳細はWikipediaの「風の谷のナウシカ(漫画)」をご覧になるのが速いですが、当時徳間書店宮崎駿氏のオリジナル映画の製作が計画されておりました。しかし、徳間書店原作のあるアニメ映画しか認めなかったのです。そのため自社の雑誌アニメージュで宮崎氏のオリジナルアニメの漫画版の連載を先行し、ある一定の時期が来たらアニメ映画の製作をすることにしたのです。

 

映画の製作が進むと、当初の宮崎監督は映画のエンドを「ナウシカ王蟲の襲撃を止めようとする所」にすることを考えていました。しかし、それは却下され現実の映画版のエンドに改められました。

これにより神話的なエンドとなりましたが、宮崎氏は後悔しました。宮崎氏はかなり強固なリアリストであり、現実的な因果関係の薄いこのエンドに納得しませんでした。

そのため宮崎駿氏はその後ジブリ作品の製作と平行しながら、自らの本当に伝えたいことを漫画に記したのです。映画版のエンドの神話性を否定し、自らが丹念に作ったナウシカ世界を漫画に表現しました。

 

では宮崎駿氏の描きたかったこととは何だったのでしょうか。

 

この漫画ナウシカですが、ある意味では宮崎駿氏自身の自伝とも言えます。

宮崎駿氏は青年時代に共産主義思想に傾倒しておりました。共産主義というのは、産業革命以前の農村共同体のように、お互いに経済的に助け合う理想的な共同体(コミューン)を国の社会レベルで実現しようとする思想です。

宮崎氏の青年時代である昭和30年代は世界的にこの共産主義革命の機運が高まっていた時期でした。宮崎氏はアニメ作家になってもこの思想を抱き、自身の担当作品でもその理想を描いておりました。

しかし、1960年代終わりから1970年代にかけて、共産主義運動の退潮や世界各国の共産主義政権の限界が明るみになってきました。

宮崎駿氏もそれを理解しており、共産主義とその共同体への期待は薄れていきました。そしてそこから宮崎氏の関心はエコロジーへと移りました。これは当時の共産主義に同調し幻滅した人々の共通の動きでした。

そのような宮崎氏の人生の軌跡を投影して漫画・映画ナウシカの製作が始まったのです。

 

しかし、漫画ナウシカの連載中にも宮崎駿氏の考えとそれを取り巻く環境は大きく変化しました。

この漫画の連載時期は1982年から1994年でした。その間に世界情勢は東西冷戦の激化から一転して融和へと移り1989年には東西冷戦が解決しました。そこから恒久な平和が期待されましたが、湾岸戦争などの地域紛争が激化しました。

ソ連も1991年に崩壊し共産主義国間の安全保障や経済援助の関係も解消されました。共産主義国でも中国やベトナムなどで資本主義経済がこの頃に導入されました。

環境問題でも1986年に当時ソ連だったウクライナチェルノブイリ原発が爆発し放射性物質が広範囲に拡散し、当時人類史上最悪の原子力事故となりました。

この頃日本社会も緩やかな成長からバブル景気とその崩壊という激しい変化が起きております。国内の産業も、工業などの第二次産業の衰退と金融やITなどの第三次産業の躍進が起こりました。

 

映画版ナウシカの製作は1983年に行われました(上映は1984年初)が、映画上映後にナウシカ世界のリアリティーを揺るがす事態が現実世界で絶え間なく続いてきたことが分かります。

 

こうした中で、宮崎駿氏は私たちの世界の未来の姿であるナウシカの世界についても絶えず見直しを考えていたと思われます。何が「火の7日間」を起こし、ナウシカの世界を誰がどの様な思惑で作ったのか、そしてこの世で生きている自分達は何のために生きているのか、その答えは宮崎駿氏の人生が産み出したものと言えます。

 

【おしまいに】

 

このナウシカという作品は人間という生き物を包括的に描いており、それを描いた宮崎駿氏の人生の軌跡も同時に描いていると言えます。

 

この記事では私がナウシカについて考えたことを記しましたが、本当はもっと多くの発見がある作品だと思われます。

 

私はより多くの人のナウシカの考察に触れ、このナウシカという作品をもっと知り、楽しんでいきたいと思います。

 

今日も最後までありがとうございます。

 

2021年1月5日

 

新年明けましておめでとうございます

ずばあんです。

新しい年2021年の幕開けです。

 

このブログも2年目になりますが本年度も前年度同様、私と皆さまの接点として続けていきたいと思います。

 

なおこのブログは数千字ものの長文でしか伝わらないメッセージを配信しております。数十字程度の短文はTwitterの方で配信しております(IDはプロフィール欄参照)ので、そちらもよろしければご覧ください。

 

それでは今年もよろしくお願いいたします。

 





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2021年1月1日

 

 

 

 

今年はありがとうございました。

こんにちは、ずばあんです。

 

本年は当ブログをご覧いただきまことにありがとうございました。

 

当ブログは今年の4月に緊急事態宣言で家から出られない時期に、何か新しいことや人と繋がれることをしたいと思い始めました。

 

ブログ自体はずいぶん前からやろうと思っていましたが、長続きするか心配だったので生活が安定してからやろうと考えていました。

しかしながら、新型コロナで人々の生活が激変するなかで何か思うところがあり、もう始めても構わないと思いました。

 

ブログは初めてのことでしたが、書いてみて人に見せることで気づいたことは少なからずありました。そのためブログを始めたことは私は良かったことだと思います。

 

今後も時間があれば記事を配信しますのでよろしくお願いします。

 

寒い日が続きますので体調の方をお気をつけください。

 

それではよいお年を。

 


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2020年12月29日