ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

漫画「ブラック・ジャック」の魅力

ずばあんです。こんにちは!

今日は心に響く読む価値のある漫画について語ります。今回お話しするのは手塚治虫先生の「ブラック・ジャック」です。

この漫画は天才外科医ブラック・ジャックが瀕死や難病の患者の生命を本気で救おうとするストーリーが描いています。内容や設定の詳細は省きますが、この漫画では生きることの大切さを訴える人の苦悩や価値観について余すこと無く語られています。

このような有名な作品は書評や評論は多く出ているはずなので、ここでは私がどうこの漫画を読み取ったかを一読者の立場で書きたいと思います。

〈青年ブラック・ジャック


ブラックジャックを私が初めて知ったのは小学校4年生の時でした。その時のブラックジャックの印象は、すげー超人能力を持ったスーパーマンでした。(当時の語彙力のままです)手術料は高いし、免許ないけど大人には大人の考えがあるのだ、と思ってました。

それから10年以上経った今、ブラックジャックの印象は変化しました。
今の私にとってBJは、少年の時からの理想を抱き続け、それが中々通せない現実にぶち当たり屈しそうになりながらも、ずっと踏ん張り続けている悩める強い若者という印象が強いです。

BJは瀕死の自分を救ってくれた本間医師のように、人の命を救う医者になろうと一所懸命努力します。
しかしながら、自分と理想を異にする者との邂逅や不可抗力の襲来などが絶え間なく起きます。BJはそれに対して熱く抵抗し足掻いていきます。
BJはオペの技術においては誰をも寄せ付けない程の天才ぶりを見せます。難病という難病の治療を次々と成功させます。

しかし、その治療の意義が疑われる出
来事も度々起こりました。
手術をした患者が自殺したり、事故死、戦死、死刑などに至ることがありました。そこまで至らずも殺人犯の証拠隠滅に加担させられかけたり、老化が止まった患者が治療後に老化が「正常に」起こり死亡するケースもありました。
これらはBJの人命を救うという医者としてのポリシーに反することです。

そしてBJにとって何よりの大事件は本間医師の命を救えなかったことでした。BJは老衰で意識不明となった本間医師の執刀を行うも、願い叶わず絶命しました。落胆するBJに本間医師の霊が語りかけます「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいと思わんかね・・・」

BJは外科医としてはトップレベルの鬼才であります。ですが、外科医は外科医としての本分以上に何も出来ない存在でもあるのです。BJには自分なりの生命倫理があるのでしょうが、それを道徳として人に施すにはあまりにもBJは無力なのです。

青年とは少年と大人の間の時期ですが、まさしくBJは青年であると思います。少年よりは実行力や能力に溢れているものの、大人というにはあまりにも理想家すぎるのです。患者に対して法外な料金を提示するなど患者の覚悟を試す鬼の部分もあるBJですので、大人に近い部分は存在します。しかし、それでも理想に反するものに負けまいと果敢に立ち向かう姿には若々しさがあります。

私はそんなBJの大人と少年の合間の青年らしさに惹かれたのです。

〈魅力的なBJの敵〉


さて、この漫画の魅力はBJ本人の青年らしさもありますが、BJが対峙する敵にも魅力といえる部分があります。

有名なのはドクター・キリコです。キリコは依頼を受けて患者の安楽死を有償で請け負う闇医師です。患者の生を追求するBJとは対照的とも言える存在です。
ですが、このキリコはある意味BJの理想を究極的に追求した存在と言えるでしょう。

BJは患者の命を救うという医師の本分を理想としています。そして、その本分はギリシャの医学者ヒポクラテスの医師倫理にたどり着きます。ヒポクラテスは医師を「患者の苦痛を取り除き、患者の幸福を追求する」存在と考えています。つまり、患者の治療は患者の苦しみや痛みを取り除き、幸せな人生を保障するためにあるということです。
実際にBJもその事は意識しており、患者の苦痛を以前よりも増大させる可能性が高い手術(成功確率の低い視力回復手術など)は断ることがあります。そしてあの法外な料金も患者自身の人生を頑張って生きる意思を試すものでもあるのです。もしそれを受け入れられないのならば、手術をしても不幸になるだけだと考えているのでしょう。

そしてその理想を突き詰めると、治しても癒えない重傷や重病を治すのは無駄という考えもできます。そうだと分かった患者は今後どうすれば・・・。その難題に直面したのがキリコです。
野戦病院の医師だったキリコは貧弱な設備での元で苦しみながら死に行く傷病兵を常に見てきました。そして苦痛に耐えかね死を望み請う患者にキリコは遂に禁忌を破り安楽死を施しました。すると患者は安らかに息を引き取りました。

そこに自分の医師としての役目を見たキリコは、不治の傷病でいつ終えるとも知れない苦痛に苦しむ患者に死による救いを与えるモグリの医師になったのです。キリコは安楽死を依頼された患者には幾つかの条件を審査し、それをクリアした患者に対して契約を結び安楽死を施します。それを一つでもクリアしなかった患者とは契約を結びません。

行為としてはBJとは真逆ですが、最終的な目標はBJとはさほど変わらないのです。その証拠として、キリコは生存可能性が少しでもある患者にはしっかり治療を施します。そこからキリコが快楽殺人を行う人間ではなく、医師としての本分をストイックに追求している人間であると分かるのです。

なお、このような深みのあるBJの敵はキリコ以外にも出てきました。

その一人は内科医の黒松という男です。黒松は患者から高額な料金を取る代わりに患者の延命にひたすら執念を示します。しかし患者は高齢で生きる屍のようになり、患者の家族にも理不尽な負担を与えていました。そして患者の孫を自殺へと駆り立てました。
BJは自殺を間一髪で阻止し、病気の患者である祖母と黒松の事情を知ります。BJは黒松の行為に反発するも、逆に黒松からBJの行為も同じことだと指摘され反論されます。

黒松の行為は一見して非人道的に思えますが、失われつつある人命を見捨てないという点においてはBJと同じとも言えます。そのために患者の家族に大きな負担を課す点も同じと言えます。

ですがBJは黒松とは違う点があると言い、孫の遺書を然るべきところに出すと訴えました。それを取り返そうとする黒松は事故に遭い昏睡状態に陥ります。BJは黒松の手術を執刀し、それと引き換えに患者を自宅療養から病院へ入院させることを黒松に要求しました。その後要求を飲み込んだ黒松は患者を入院させました。

黒松は患者の治療には熱心でしたが、それで犠牲になる家族らの存在は目に入っていませんでした。一方でBJは患者のみならずあらゆる人間の生を尊重していました。BJの法外な料金の意味はあくまでその生の救命への覚悟を示すものであり、黒松のように家族から患者への搾取ではありませんでした。
おそらく黒松もその意味を最終的には理解したものと思われます。

あと一人紹介したいのは、福禄医師です。
福禄は自身の病院の医師を流れ作業の要領で動かし、病院の効率経営と医療サービスの安価な提供を実現していました。しかし医師と患者のコミュニケーションの薄さが慢性的な経営不振を招いていました。BJもその点に気づいており福禄に指摘しました。
そして、福禄の愛娘が瀕死の重傷を負った時にシステムの混乱を覚悟で福禄自身が執刀し、自身のシステムに欠けていたものを再確認するのでした。

この福禄の方針は医療への需要過多に対する一つの対策、ひいては病院の経営の改革策としてある意味正しい道であったと私は考えます。この漫画の書かれた時代には医療へのニーズはますます高まりそれに応えるにはシステムの改革が不可欠でした。特に救急医療への対応では、本来は有効な改革であったと言えます。

実はこのキャラクターを見たときに、医療法人徳洲会徳田虎雄氏を連想しました。徳田氏は故郷の徳之島で医療が手薄であった故に病気の弟を失った経験から、全国一律での十分な医療インフラの整備を志していました。
自身の経営する徳洲会グループの病院では、24時間年中無休、差額ベッド無しなど万人がいつでも平等に医療サービスを受けれるようになっています。
この徳田氏のやり方は行政との摩擦等の問題も抱えていましたが、生命の価値の平等を認め医療活動に反映させるという熱い理念は本物であるといえます。

この福禄(=徳田虎雄)の理念とBJの理念は相反するものでしょうが、どちらも日本の医療の問題に立ち向かおうとする熱い気持ちには代わりありません。BJの福禄への批判は正しいですが、福禄の流れ作業システムも現実の医療現場でのプラスの効果は間違いなく存在していたと思われます。

自分の受け持つ患者の生を必死に救おうとするBJに対して、患者の苦痛を取り除く為には安楽死すらも厭わない闇医師、患者の病気完治に執着し患者一家が潰れることを顧みない内科医、そして病院に合理的経営法を導入するも患者と疎遠になる院長、これらは今頑張っていらっしゃる医療従事者の悩みの権化かもしれません。

〈凡人ずばあんがBJから学んだこと〉


私は、ブラックジャック人が他人に対して出来ることと、若者という時期かどのようなものなのかを示した作品であると思いました。

BJは天才外科医で、いわく付きながらも好評価を轟かせている名医です。ただ、そんなBJでも前述の通り、救おうとした患者の人生を救えなかったことがあります。それは手術の失敗によるものではなく、その外の問題でした。BJはその度に患者に対し強い負い目を感じます。しかしそれでもBJはそんな悲劇から逃れることは出来ないのです。なぜならBJは外科医であり、外科医の領分から外のことは出来ないからです。BJが心の中で患者の将来の幸福を願おうとも、BJに精一杯出来ることは患者の病巣や患部にメスを入れることだけなのです。

そして、これは若者と呼ばれる時期の人間の宿命に思われます。青年期は壮大な理想を原動力に成長を重ね社会で活躍していきます。しかし、それは自分の得手となる分野のみに限られ、理想に比してごく一部の役割しか出来ないのです。その現実と理想のギャップに苦しみながらも、理想を捨てず自分の得意分野を伸ばしながら自分の役目を果たしていく青年期をBJはありありと示しているのです。

20代の青年である私も内心では世界はかくあるべきという理想とも妄想ともつかないながらも理想像があります。そのために自分が出来ることは、ほんの一部でしかありません。自分は天才ではないし、一番よくて凡才といっていい人間です。

ただ、ここで理想を捨ててしまえば私は自分を「殺しに来る」悪に呑み込まれ、人生をすぐに壊されてしまうでしょう。いつかは理想は擦りきれてなくなるかもしれませんが、その時は今ではありません。青年期を生き延びるには「理想」が必要なのです。だから私は自分が生きるために理想を持ち続けるのです。

BJは、あるいは作者の手塚先生はそれを見事に漫画という言葉にしてくれたと思います。そのためブラックジャックは私にとってのバイブルなのです。

〈おしまいに〉


ここまで私の感想でございました。

ブラックジャックは名作ゆえに、その名前は世間に轟いています。ですが、この作品を見てどう感じるかは見る人にとって様々です。
何を当たり前のことをと思われるでしょうが、私は自分の好きな作品を好きな人の意見を知りたいのです。

私の感想を聞いて、いや違う自分はこう思って~という意見も聞きたいのです。私は自分の好きな作品を通じて人との結び付きを感じたいと思っています。

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私は好きなものでもっと多くの人と繋がれるようになりたいと願っています。


2020年9月17日