こんにちは。ずばあんです。
日々皆さま頑張っておられると思います。謙遜抜きで言えば、私も日々頑張っております。さて今回は「失敗を気にする」ことについて語りたいと思います。
私は失敗を気にしがちな人間です。そういう性格なのは仕方ありませんが、それを引きずらないことは大切です。今回は私がどのようにこの苦しみを乗り越えたのかを語らせていただきます。
〈楽観主義と楽天主義〉
さて、失敗を引きずる傾向のある方が是非目指してほしいのは「楽観主義」です。楽観主義とは物事を希望的観測で考えることです。
例えば、水がコップの半分ほど入っている状態を「まだ半分も入っている」と捉えるのが楽観主義です。
その逆で、物事を絶望的観測で考えることを悲観主義といいます。先の水がコップの半分ほど入っているのを見て、「もう半分しか入っていない」と捉えるのが悲観主義です。
失敗を引きずる人は現在悲観主義に陥っています。悲観主義の人は人生を基本的に辛いものと考え、たまに訪れる幸福はすぐに消える物と捉えています。
楽観主義の人は人生を基本的に幸せなものと考えています。たまに不幸が訪れてもそれは必ず終わり再び幸せになると考えています。
失敗を引きずる人には楽観主義を目指していただきたいです。しかしここで間違って「楽天主義」に陥ることがあります。
「楽天主義」とは、自分にとって都合の悪いことを無視して、現実を歪曲して都合のいい解釈をすることを指します。これは楽観主義とは似て非なるものです。
楽観主義というのは現実の困難に対して適切な対応をとることが出来るという確証の上に立ちます。例えば、新型コロナウイルス感染症の蔓延に対して、マスクや消毒、ソーシャルディスタンス、免疫力向上など適切な予防策をとることが出来ると断言出来るのが「楽観主義」です。
一方で、新型コロナウイルスはただの風邪だとなめて予防策をとらず、無防備な生活を送るのは「楽天主義」です。この楽天主義を楽観主義と混同することが、楽観主義に対する誤解を招いています。
いわゆる悲観主義者はこの違いに気付き、楽天主義ではなく楽観主義を目指さなくてはなりません。
具体的にいえば、失敗したときに自分で策を調べたり人に相談したり躊躇い無く出来るのが楽観主義です。もしそれでも不十分ならば他人に任せたり、中止するのも楽観主義に含まれます。
〈目的なきところでの失敗〉
ここまで見て、他の人の見ている所で失敗したくない人もいらっしゃいます。
失敗したら責任を負わなければならないので、それから何としても逃れなければならないとお思いの人は多いと思われます。
ですが、ちょっとここで立ち止まって考えてみましょう。そもそもなぜその失敗をしてはいけないのでしょうか。失敗というのはすべからくいけないことなのでしょうか。
失敗というのは何かしらの目的に達するに能わない行為を指します。すなわち、失敗には目的意識の存在がまず先立つということです。その目的意識が無い所では失敗か否かを考えることがまずあり得ないのです。
例えば、江戸落語をやる上で多少の「なまり」が出るのは失敗ですが、日常の会話でなまりが出るのは失敗でもなんでもないのです。
このように、目的がある所では失敗か否かを問われるものの、それがない状態だとその是非すら問われません。我々が何かを失敗を気にするのは実は目的意識のある振りをしているだけで、目的意識が実は薄かったからといえます。犯す覚悟のない失敗をしたからに尽きます。
しかし、私はここで覚悟や目的意識のないあなたが悪いと説教をするつもりはありません。現実の行動では、何においても自分が最初から高尚な意識を持っているとは限らないですし、そんなものを持っているか否かもわからないからです。もしそれがあるとしても、それは偶然に過ぎないのです。
ではどうすればいいのかといいますと、目的意識の無いことをやめることを「すれ」ば良いのです。自分の中での優先順位の低いことはやめる選択をすればいいのです。たとえば、大学の講義で受ける理由のないものは受けないようにすればいいですし、維持する理由の無い人間関係は解消してもいいのです。
ここで何かを「しない」ことに抵抗感を覚える他人もいます。何かをしないことを無だと思い、これこそ失敗だと思われるでしょう。ですが、何かをしないことは無駄な時間ではありません。何故なら何かをするという選択と何かをしないという選択は等価だからです。
例えば司法書士試験に通りたい人が、サッカーのドリブルを極めても仕方無いですしむしろ無駄な行為です。それよりはドリブルの練習をやめ、勉強かリフレッシュの時間に回した方がいいかと思われます。
逆にサッカー選手やサッカーの講師になりたい人が司法書士試験の対策をする意義はありません。それよりはドリブルの練習をした方がよいでしょう。
また、何事にも目的意識のない場合は、目的のあるものを探すことや目的意識の無いなりに食い扶持を確保する方へ努力することに振り向くこともできます。
ですので、目的意識もなく成績も芳しくないものは「やめること」をするという選択も考えてもよろしいでしょう。
〈おわりに・失敗は成功のもと〉
結局失敗は誰でもあることですし、それを完璧にゼロにするのはそれこそ不可能であると思います。
ただ、同じ失敗を続けることは自分にとっても他人にとっても損になります。そのため、早いタイミングでその連鎖を打ち切る必要があります。本編の内容はそれを目的としたものでした。
何をもって成功と見なすか失敗と見なすかは分かりづらいものがありますが、取りあえず自分自身が明日よりも今日、今日よりも明日幸せになることが成功と考えれば分かりやすくなるでしょう。今までの失敗をこれからの成功の踏み台に出来るようにする、これが「失敗は成功のもと」の意味だと言えるでしょう。
自分はまだ失敗だらけですが、失敗の先に成功があることを確信して安心して日々歩んでいます。
どうか皆様も失敗に絶望せず、明るい未来を夢見て生きてくださればと思います。
2020年9月25日