ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

スーザン・フォワードの「毒になる親」

こんにちは、ずばあんです。

 

今日はネット上で有名になったある言葉に関する本の感想です。

 

【「毒親」ってなに?】

 

さてSNS上で有名な言葉のひとつで、子供にとって毒になる親という意味の、「毒親」という言葉がございます。毒親は自分の子供の健全な成長に対して害となる行動をとる親を指しますが、そのパターンは様々です。

 

家庭トラブルに関する記事を多数扱うまとめサイトを見てみますと、子離れできず子供に過干渉する親、兄弟姉妹間で差別する親、暴力・暴言を振るう親、育児放棄する親・・・など多種多様なパターンがあります。

ですが、総じて子供の今後の成長にマイナスの結果をもたらす行動をとることには間違いありません。

 

このような毒親ですが、この言葉がある著書から来ていることも有名です。それはアメリカの臨床心理学者のスーザン・フォワード氏の「毒になる親(Toxic Parents)」(1989, 訳:玉置 悟)です。この「毒になる親」を縮めて「毒親」と呼んでいます。

 

この「毒になる親」は、上のまとめサイトで扱われる「毒親」の特徴を正確に扱っており、その毒親による子への影響と、その影響からの脱し方を記しています。

 

【著書「毒になる親」の内容】

 

著書「毒になる親」は大きく分けて2つの部分で構成されています。まず前半部分では「毒になる親」とはどんな親のことを指すかを具体例と合わせて詳しく説明しています。後半では「毒になる親」により子供にどんな害があるか、そしてどのようにしたらその害から子供が脱け出せるかのガイドラインを示しています。

 

「はじめに」では子供に成人以後にも及ぶ悪影響を与える親を「毒になる親」と説明しています。

前半(第1章~第8章)では、「毒になる親」のパターンとして、神のように振る舞う親、義務を果たさない親、過干渉する親、アルコール中毒の親、暴言・暴力を行使する親、性的虐待をする親を示し、そうした親が生まれる原因として家系全体でその気質が継承されていることを明かしています。

後半(第9章~第15章)では、毒になる親による子への悪影響を確認し、そのような親を許すことは必要ないと説明します。続いて毒親の子がたどるべき道として、自分の本当の気持ちを確認し、その気持ちを発散して、親と対峙しつつ親との関係性の整理をつけるというガイドラインを示しております。それからそのガイドラインを実施する方法としての集団療法や個人面談などのセラピーを詳しく説明します。そして〆として自分が毒親にならないようにするべきことを説明しております。

エピローグでは毒親の子供がはまりやすい負の努力からの解脱を改めて説きます。訳者あとがきでは日本での毒親の実情(1998年当時)について述べられています。

 

著書の内容は以上です。

 

私がこの本で印象に残ったのは、毒になる親に対する子供の反応についての記述です。

子供の反応には親に従順になるか、親に反発するかの二通りの反応があり、後者は自分の意思で主体的に動いているつもりが逆に自主性を損ねた不幸な道を歩むことになると述べられていました。それにともない他者との人間関係も歪んだものになる恐れが強いと指摘されていました。

 

この部分は私がまとめサイトの記事で読んだ、「毒親」の影響で苦しむ子供の嵌っている語られざる罠を表していると思います。

親の意思とは真逆の行動をとることで自主性を得られるという誤解はかつて自分の中にもありました。自主性というのは親からの干渉を受けずに自分の本心から行動を選択することを指します。そのため、親の意思と一致するかしないかは自主性の有無に関わりません。

 

【「毒になる親」の感想】

 

最初から最後まで読んでみて、いわゆる毒親の子供のたどるべき道は親子関係の回復ではなく、子供の正しい自律を促すことだと強調されていました。

もちろん関係回復を全否定している訳ではありません。ただそれは子供の自律を尊重した上でのシナリオであり、それがないならば回復よりも疎遠が望ましいです。この本ではフォワード氏の臨床経験が多く語られ、そのなかで関係回復を諦めた例が沢山記されています。過去の虐待を反省したことについて子供に許しを強要する親の例がそれです。

 

私自身の考えとして、親が親として全うな行動と結果責任(著書のなかで詳しく述べられています)を果たしているならば、その親子関係は維持されるべきと考えています。

しかし、それらを果たさない内に自分の親の地位を無理矢理承認してもらおうとする人間は、親失格であるとも考えます。そんな親はいない方がましですし、彼らに最大限望まれることはこれまでの親子関係が偽者であることを認めることです。(それが出来るだけでも毒親の中ではかなり救いのある方でしょうが)

 

また、子供に対して悪影響を与える親の振る舞いが案外と広いことや、それをどうやっても言い訳出来ないというエグさも伝わってきました。

性的暴行やアルコール中毒、暴言暴行などはともかく、過干渉や絶対者としての振る舞いも毒親として認められるパターンは意外だと思われる方もいらっしゃるでしょう。

ですが、親というのが子供の将来に大きな影響を与える立場である以上、そのような責任追求や事後処理は不可避となります。

私はよくネットで「衝撃体験アンビリバボー」や「修羅場まとめ速報」などの家庭内トラブルに関わるまとめサイトを閲覧します。その中の記事で親が過去の毒親としての行いを反省したり弁解する素振りを見せながらも、それを子である報告主が一蹴するというものが数多く見られます。

正直親にとっては悪意のない場合があるので残酷かもしれませんが、結果に責任を持つという人間関係の基本を考えれば、ある意味礼儀に習った人道的な行為であるとも考えられます。

 

一方でこの「毒になる親」は本来はアメリカの家庭を想定して書いていることも留意しなくてはならないとも思いました。

アメリカは日本と異なり、子供が成人すると親とは別居するのが昔から当たり前ですし、子育てや家事においてベビーシッターや家政婦を雇うのはおかしな話ではありません。わが国とは家族観や育児観が異なるのです。

また、日本人には日本特有の気候風土により生じた「甘え」という気質があります。日本人は古来からそれを自覚し言語や文化にそれらを反映させてきました。一方でアメリカ人には開拓時代からのフロンティア精神から始まる高い自律意識や、個性の尊重、実用主義が根強く、社会道徳や制度にもそれらが反映されています。

このような日本とアメリカの気質の差は家庭の理念の違いに出てきます。当然ながら日本の「いえ」はアメリカの「ホーム」に比べて親密で粘着的で、それが機能不全になったり崩壊するインパクトはより大きいです。

実は私は「毒になる親」の第2部を読んで晴れ晴れとした気分になる一方で、違和感も感じました。それは毒親を棄てて真の自律を獲得する過程で、(少なくとも普通の日本人が思い当たる程度の)家族を喪失する影響が描かれていないことです。一見すると都合が悪いから書かなかったのかと私は思いました。しかしそうではなくそもそも「彼ら」はそんな「余計なこと」は気にしないのだと気付かされました。アメリカ人は家族の外でも多種多様なコミュニティに属し、その中でメンバーとフレンドリーに接します。そのためアメリカ人は家族の外で孤立する心配は少ないのです。

 

またこの本を読んだ気付きとして、散々毒親の犠牲者を扱っているにもかかわらず、現在進行形で毒親に苦しむ未成年の話はほとんど出てきません。

それは未成年を見放しているのではなく、むしろそちらを構うのは当たり前として考えた上で、忘れられがちな成年後(中高年も含む)も毒親に苦しむ人へ積極的にフォーカスを当てたいという著者の意思の現れであると私は思いました。

この「毒になる親」は虐待などの悪影響が成年後も収まることなく続くという、忘れられがちな問題の存在から始まっています。

 

特に毒になる親を産み出す家系の呪いは注目されるべき問題です。これは環境汚染や放射能問題のごとく、一度始まれば積極的に手入れをしなくてはいつまでも続く問題なのです。そしてその手入れをすべきなのは、その家系に入る自分自身の人生なのです。

 

【おしまいに】

 

この著作の感想はこれで終わりですが、本当はこの本を読んで思ったことはこれ以外にも多くありました。

親との関係は人間関係全体でどう位置づけられるのか。周囲の人間関係の変化は親との関係をどう変容させるのか。周囲の人間はそれに対しどんな責任があるのか。そして、自分自身はそんな人たちとどう接するべきなのか・・・

しかしながら、これは著作の感想の域を越えておりますので、後日別の記事としてまとめたいと考えております。

 

この「毒になる親」は毒親というネットスラングになる程、現在の私たちの価値観に影響を与えております。この本を知らなかった人にとってもこの本の内容は他人事ではありません。

自分の親が毒親か否か、もしくは自分がそうなるか否かを問わず、これからの人生において無視してはいけないことが沢山書かれている気がしました。

 

こちらの本は全部で300ページ強となっております。

皆さまにとってこの「毒になる親」がどのような価値を持つかは、各自読まれた上でご判断されてください。

 

それではまた!

 

2020年10月25日