ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

日本のテレビは何故つまらないのか

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は日本のテレビ放送について意見を述べます。

 

ふだん私はテレビをよく見ています。バラエティや映画、ワイドショー、ニュースはよく見ます。テレビを見るときの気分の高揚感は生活の花です。しかしながら、そんなテレビに対する昨今のネット上の評価はあまりよろしくありません。「テレビは見ない」「つまらない」「見たい番組が無い」「頭が悪くなる」・・・

このような評価に対して、インターネットの普及などのマルチメディア化によりテレビの重要性が低下したからという意見もあります。確かに過去のような黄金のテレビの時代の終焉したことは否定できません。これからは数多くあるメディアの一部として存続するしかないのでしょう。

しかしながら、その一方でテレビの今後の存在意義が中々示されないのも気になります。たまにあるとすれば、かつてのテレビの時代の再来を夢見る復古主義のようなものばかりが目立ちます。

 

私はこの事が気にかかりこの現象をどのように捉えるべきなのかを過去のテレビや海外のテレビと比較して調べてみました。すると今の日本のテレビの抱えている特徴がはっきり見えてきました。

 

【日本は地上波テレビ天国だ】

 

日本でテレビ放送を語る上で、一般人や業界人問わず、まず意識されるのは「地上波テレビ放送」です。地上波テレビは名前の通り、地上のテレビ塔から電波を発信して放送されるテレビ放送のことです。日本テレビやTBSなどの民放やNHKの総合とEテレは地上波(地デジ)です。

 

一方でBSやCS、ケーブルテレビといった地上波以外のテレビ放送は陰が薄い存在になっております。良くも悪くも、日本で単にテレビと言えばそれは地上波、すなわち地デジのことを指すのです。

 

このようなことになった理由は、国や放送業界が長年に渡り地上波放送中心の政策をとってきたことにあります。

 

日本では1950年代に世界でも早く、テレビ放送やテレビビジネスが興りました。もちろんこの当時のテレビ放送は地上波(アナログ)のみです。1960年代になるとそれはより成熟し、全国各地でテレビが見れるようになりました。それと同時に当時の政府はテレビを重要なインフラと考え、テレビ産業の推進とサービスの充実を促進しました。

これによって現在、日本のほとんどの地域でテレビが映り、民放も現在5系列存在しております。日本のテレビサービスはある意味完成形を保っていると思われます。

 

翻って世界の事情はどうでしょうか。

 

アメリカではテレビ業界に商業主義が古くより浸透しているので、地上波テレビ局が多数存在します。しかし国土が広大で人口密度が希薄な地域も多いことから国内にはその地上波テレビを直接受信できない地域が多く存在します。

そのためアメリカでは早い時期から難視聴対策のケーブルテレビが普及しておりました。アメリカでは日本以上にケーブルテレビは身近な存在だったのです。

そしてそのケーブルテレビは1970年代になるとCS放送を始め、後のBSも含め数百ものチャンネルの視聴を可能にしました。故にチャンネル間の競争も激しく日々切磋琢磨しております。

 

こうしたことからアメリカでは早くより地上波以外のテレビメディアも存在感を発揮し、その活力も今に至るまで衰えを見せないものとなっています。

 

ヨーロッパではヨーロッパ統合の進展により、新たなヨーロッパ市場向けの新しい衛星放送が参入し、既存の保守的な地上波放送の在り方を変えるほどになっています。

 

途上国においては、元々近年までテレビ放送やテレビビジネスが未発達だったのもあり、地上波よりも衛星放送が主流な国もあります。

 

こうしてみても日本の地上波テレビ中心主義は世界的に特異なものであるといえます。

 

【新陳代謝の少ない日本のテレビ】

 

地上波(地デジ)中心である日本のテレビ放送ですが、ここ20年近くの日本のテレビ業界は新陳代謝が滞ってると言えます。

 

その根拠は、今日まで日本の地上波テレビで消えたチャンネルが存在しないことと、21世紀に入り新たなチャンネルが開局していないことです。

1953年に日本初のテレビ放送が始まって以来、1999年に日本で一番新しい地上波テレビ局が開局するまでに129局の地上波テレビ局が開かれました。そのいずれも閉局にならずに今日まで存続しております。

 

21世紀になって地上波テレビ局が開局しなかったのは、長きにわたる経済停滞のほか、東京のキー局が自社の系列局の開局からBS・CS放送への参入に関心を移したことと、アナログテレビからデジタルテレビへの移行政策があります。

 

ただ、これらだけが日本のテレビの新陳代謝の無さの原因ではありません。なぜなら、上の要因は経済的状況以外は概ねどこの国も同じだからです。

 

諸外国ではこの状況下でもテレビ局の新陳代謝は進んでおります。

例えば、香港では2010年代にこれまで40年近くに渡り続いてきた民放2波による地上波寡占体制が崩れ、新規の3局が参入し、1局が廃局となり、新たに4局体制となりました。

元々2局で香港のテレビを寡占していた内の1局、亜洲テレビは長年視聴率の低迷や経営悪化が続いておりました。これにより放送局間の競争が無くなることが懸念され、香港政府当局が地上波テレビへの新規参入を認めたのです。

後に亜洲テレビは経営が改善せず2016年に放送免許が失効し廃局しました。亜洲テレビの停波後空いたチャンネルは直ちにアナログ・デジタル共に新規局へ譲渡されました。

 

他にも東アジアでは、韓国と台湾で民主化を遂げた1990年代に民放テレビ局や全国ネットワークが新たに作られました。その中でも韓国はテレビ局の京仁放送が2004年に閉局しそれに代わって同じ地域で2008年にOBS京仁テレビが開局しました。

 

また、イギリスでは放送局の新陳代謝を目論んだ意図的な政策がとられたことがあります。

1991年にイギリスの民放テレビネットワークITVを管轄するITC(独立テレビ委員会)は、これまでITVネットワークを構築していた放送局の内、数局の放送免許を取り消しその分を新規参入局に付与する政策を実施しました。

 

これは、時のマーガレット・サッチャー政権がこれまで極めて保守的だったイギリスのテレビ界に商業主義を導入し、テレビビジネスの活性化を目指したものでした。

ITVネットワークは当時イギリスで唯一の民放テレビネットワークであり、ネットワーク各局はITC(1990年以前はIBA独立放送協会)から監督、免許の貸与などの管理を受け、厳しい制約の元で番組製作放送を行っていました。この保守的な状況を改めるために、ITCはネットワーク各局の「仕分け」を行いネットワークの新陳代謝を図ったのです。

その後ITVネットワークは新チャンネルを開設いたしました。ネットワーク各局もグループ化や統合、衛星放送への参入を行い、テレビビジネスの活性化やマルチメディア時代への対応は見事に成功しました。

 

さて、日本の地上波テレビではこのようなイノベーションは起きているでしょうか。

放送局の新規参入・撤退が必ずしもイノベーションに繋がるとは言えません。しかし、この地上波テレビの新陳代謝の無さはテレビの既得権益の現れであり、それが一種のテレビの旧態依然さを決定しているのではと思いました。

 

テレビはインフラですのでそのインフラを維持することは確かに大切です。しかし、そのインフラの更新が行われなければ、今度はインフラの存在意義への疑問が沸き上がります。

これは必ずしもテレビ業界だけの責任ではなく、国民全体が考える義務と権利があると思います。

 

【公共放送NHKは必要なのか】

 

前章では主に民放の話をしましたが、日本のテレビでもう一つ語るべきなのはNHKの話です。

NHKは国民から受信料を徴収してそれに元に放送を行う「公共放送」です。これはイギリスBBC等と同じ仕組みで、企業からスポンサーを募り放送を行う民放とは一線を画します。

 

なお「公共放送」と似たイメージの言葉で「国営放送」というものがあります。国営放送とは国民から集めた「税金」により、国庫により放送を行うものです。NHKは税金ではなく、国民から直接受け取る受信料による運営なので国営放送ではありません。

 

我が国はこの公共放送と多くの民間放送が共存する形になっております。この環境下でNHKが国民からの受信料負担で維持される理由とは何でしょうか。

 

その手がかりはNHKと同じく公共放送であるイギリスBBCイギリス放送協会にあると思われます。

BBCの歴代会長が1920年代の草創期より代々主張していた声明に次のようなものがあります。「我々には視聴者が欲しているものではなく、真に必要とするものを放送する使命がある。

 

これは初代会長のジョン・リースの頃から述べられ、1980年代までは歴代BBC会長はこのようなことを声明として述べていました。

これはプログラムの製作において視聴者の要求に答えるばかりではなく、健全な社会づくりにおいて必要なものを理解し作るという意志を表しています。

例えば教育番組はその一例です。教育番組は視聴者が自ら強く欲するものではなく視聴率も低いですが、公益の観点からは必要なものです。

 

このBBCのスタンスの重みはイギリス社会の特徴を見ると明らかです。イギリスは公私ともに階級社会であり、各社から発行される新聞も階級ごとにターゲットが異なります。しかしBBCの電波は階級を選びません。どの階級もBBCの放送を同じだけ視聴出来るのです。

BBCはイギリス初の放送業者であり、上の問題に初めて直面する立場でした。その為開局当初よりBBC階級を越えて社会全体にとっての利益を意識してプログラムを作ることが強く要求されたのです。また、当時勃興していた民主主義への熱い活力もそれを後押ししていったと思われます。

 

こうしたBBCのモデルは1920~30年代に開局した世界各国の放送局にも受け継がれました。NHKもその一つで1926年に日本初の放送業者として発足しました。受信料のシステムや総合チャンネル(一つのチャンネルで多種類の番組を流すプログラム形式。対義語は専門チャンネル)などBBCの作った雛型が至るところに見られます。そして、NHKのレゾンデートル(存在意味)もその一つといえます。

 

公共放送NHKは、視聴者やスポンサーに寄り添い耳を傾ける民間放送と一線を画し、国民からの受信料を元に日本社会を俯瞰し公益において真に必要とされる番組作りを行う役割を担っているのです。

 

近年でも「バリバラ」など、民間放送とは異なる視点から公益に叶う番組作りがなされています。また、各地で増加している災害に関する報道や情報提供には民放の比ではないほど力を入れております。日本の国技である相撲の中継も日本の伝統文化の保護という公益に応える動きともいえます。

 

こうしたことから公共放送は民放とはまた異なり、替えの効かない役割があるといえます。しかし、昨今ではNHKの解体を強く主張する政党が登場し、NHKの存在意義が政治の場においてこれまでにないほど強く問われております。また、テレビ保有者に対する強制的な受信料の徴収についても社会問題となっており、その是非が裁判で何度も争われてきました。また、NHK会長の公共性や中立性を疑われる発言も問題となりました。

 

NHKは日本唯一の公共放送ですが、その立場をNHKという組織が担うべきかという問いは絶えず行われています。その為、NHKには番組製作や組織運営において公共性を保ちつつ、その存在意義を絶えず確認し国民に宣言する努力がこれからも必要であると思います。

 

【日本のテレビには残ってて欲しい】

 

私は今まで日本のテレビの悪口を言いましたが、本音を言えばテレビには残って欲しいと思います。

 

テレビは僕たちに情報や娯楽はもちろん、「コミュニケーション」を提供してきました。テレビは誰もが同じときに見ることが出来るので、共通の話題となりやすいのです。

それはネット全盛時代の今でも変わりありません。テレビで「天空の城ラピュタ」が放送されたときのTwitter での「バルス祭り」はその最たる好例です。

 

それに現在YouTubeでは有名人や芸能人が配信することが増え、高い再生数や高評価などこれまでに無い盛り上がりがあります。これは出演されるご本人の実力もあるでしょうが、テレビ番組から引き続き制作に関わるスタッフの協力も欠かせません。これは「テレビの力」がYouTubeまでも席巻している現状を表しています。

 

このようにテレビの存在はネットにおいても発揮されております。これはテレビが実は秘めていた可能性を表していると思います。

ただ、その可能性を活かすにはこれまでに挙げたような問題があると思ったのです。

 

すぐにテレビ放送が全廃されることは無いでしょうが、いずれはテレビの存在意義が大きく問われる機会は訪れることでしょう。

 

【おしまいに】

 

私は少年時代から日本のテレビ文化に興味を持っていました。テレビを見ること自体好きで、昔の番組や他地域の放送をみる機会を経てテレビ放送の仕組み自体にも興味を抱いてきました。

 

といっても、私はテレビ業界とはほとんど関わりはありません。あくまで一視聴者の立場です。そのため、今日の記事の内容は本やネットで調べてまとめた「趣味」の域を出ません。

 

今後このような「趣味」的な記事を発表することがまたあるかもしれません。

 

本日は最後までありがとうございました。

 

2020年12月1日