こんにちは、ずばあんです。
私はついこの前「風の谷のナウシカ」の原作漫画を読破致しました。全7巻です。
映画版のナウシカは有名ですが、それに宮崎駿氏による原作漫画が存在したことはご存じ無い方は多いと思われます。更に、存在を知っていても漫画をお読みになられていない方はもっと多いと思われます。
映画ナウシカは、この漫画を元に1984年に制作・上映されました。自然を愛するナウシカにより悲惨な世界に奇跡を起こすというストーリーは感動作となり、以降長きにわたり愛される宮崎駿監督らのジブリ映画の始まりとなりました。
しかし、この漫画は映画公開後も10年近くに渡り雑誌アニメージュで連載され続けました。その内容は映画ナウシカとは大きく異なります。
こうした映画ナウシカと漫画ナウシカの違いを比べつつ、この漫画の感想を述べていきます。
【漫画ナウシカ(前編) 〈映画の始まりから終わりまで〉】
この漫画ナウシカは、映画の原作になった事実から分かる通り、一巻から途中まではほぼ同一のエピソードをたどります。そこまでの流れは次の通りです。
・・・・・・1000年前、栄華を誇った高度産業文明は「火の7日間」により滅んだ。そして「大海嘯」で「腐海」が地上を覆い始めた。腐海は有毒の「瘴気」を発し人々は腐海を恐れた。その腐海には「蟲」という生態系が生息している。
主人公ナウシカは村落・風の谷の首長の娘。生物を愛する優しい少女である。ある日、都市ペジテからの輸送船が風の谷付近に墜落し、ナウシカは船に乗っていた瀕死のペジテ王女ラステルから「秘石」を渡され兄に渡してほしいと託される。
やがてその情報を聞き付けた大国トルメキアの第4皇女・クシャナ らが風の谷を訪れる。クシャナは巨神兵を手に入れるためペジテの街を襲撃した後だった。ナウシカは兵団と戦闘になるも、剣士ユパの仲裁により停戦。
その後トルメキアはもう一つの大国・土鬼(ドルク)との戦闘のために盟約に基づき周辺部族へ出征をかける。ナウシカらもクシャナ隊へ参加。
いざ土鬼へ進むクシャナらの飛行艇は途中、ペジテ王子・アスベルの報復により襲撃される。アスベルは撃墜されるも、風の谷の飛行艇は戦闘のさなかクシャナ隊からはぐれる。
ナウシカは捜索に向かう途中、アスベルを発見し救助しようとするも2人は腐海の地下へと落ちる。そこでナウシカは腐海が空気や水を浄化するシステムであることを確認。
そしてナウシカはアスベルにラステルから託された秘石を返す。
2人は腐海を脱出すると土鬼のマニ族の旅団と邂逅し同行。ここでナウシカは族の僧正とテレパシーで心を交わす。その後捜索に来た風の谷の従者と合流。
その後ナウシカは土鬼の飛行甕が怪我した王蟲の子を提げているのを発見。王蟲の群れを誘導しトルメキア軍を壊滅させる目論見であった。ナウシカは飛行甕を落とし王蟲の子を酸の湖の中洲に落とす。
一方トルメキア軍は王蟲の群れに襲われ壊滅。クシャナは飛行艇で退却。
ナウシカは王蟲の子の介錯を躊躇い、王蟲の群れへ返すことを決意。クシャナの飛行艇へ向かい、飛行艇を中洲に着陸させ王蟲の子を乗せ群れへ返した。
すると王蟲らは触手でナウシカを囲み浮遊させる。それにマニ族の旅団も立ち会う。その姿は伝説の「金色の野に降り立つ青き衣を纏いし娘」の姿であった・・・・・・
ここまでが映画ナウシカの元となったエピソードです。
映画と全然違うじゃん!!と思われる方もいらっしゃるでしょう。最後似たようなシーンはありましたが、せいぜい見てくれ程度です。
ここまでで映画に出なかったのは、土鬼(ドルク)の存在です。土鬼はトルメキアとは敵国同士であり、ナウシカの漫画版ではこの2国間の戦いがひたすら描写されております。ナウシカらの風の谷やアスベルらのペジテはそれに巻き込まれる形となるのです。
映画では土鬼が出てこないために2国間の戦いは描写されず、その代わりにトルメキアの風の谷への侵略やその他非道な蛮行へと置き換えられています。王蟲の子への残虐な所業は土鬼からペジテの仕業へと変えられています。何か映画化にあたりトルメキアやペジテはとんでもない責任転嫁をされてる気がします。
また、漫画ではナウシカと僧正が出会うシーンでテレパシーの能力が明示されます。映画ではナウシカは蟲などの意思を感知する描写がされておりますが、漫画では能力者や蟲同士で台詞をやり取りしております。トルメキア(及び風の谷などの周縁)と土鬼は言語が異なりますが、言語を異にしていてもテレパシー会話は可能です。
ここまでの感想として、ナウシカもクシャナもどちらも愛するものへの深い優しさがあることが印象的でした。
クシャナは映画では冷酷無血で感情の読めない将軍という印象が強いですが、漫画では兵士の命を気にかける描写が多くなっております。先のトルメキア軍への王蟲襲撃ではクシャナは陣地を去り際に犠牲になったトルメキア兵士に自分の長髪を断髪し捧げます。これはとても印象的なシーンでした。
また、ナウシカは風の谷の首長(の代理)として侵入者や敵対者に対して、威厳や畏怖を醸し出すような武人らしい態度を見せる側面もあります。これはクシャナの代王としての態度に近いものです。
このようにクシャナとナウシカは社会的立場による態度と内心における他者への愛情の面で分身といえる程似通ったキャラクターをしているのです。
あと、ここで感動的なのが王蟲の暖かな優しさでした。王蟲たちは傷ついた王蟲の子を触手で癒し、一緒に帰ろうと言います。これは母親が幼児と家に一緒に帰る時の姿に近いです。大変暖かい涙ぐましいシーンでございます。
また、この直後には王蟲は「我々は南へ向かう。助けを求める者がいる」とナウシカに伝えます。これから王蟲は救済の旅に発つのです。これは我々が普段願う存在であり、それが目の前に現れたときの頼もしさはこの上ありません。
王蟲は人間の姿とはかけ離れた明らかに異形の生物ですが、その内面はどの人間よりも人格者であり、優しい生き物なのです。ナウシカが王蟲を愛するのにも納得がいきます。
【漫画ナウシカ(中編)〈悲惨な戦禍から世界の浄化まで〉】
さて映画の内容までの部分はここまででした。ここまでは2巻の前半部分までの内容です。漫画は全7巻なので実はあと話は11/14残っているのです。この中編では2巻の途中から5巻末まで述べます。
そして話は新たな方向へと向かっていき、内容はますますボリューミーになっていきます。できるだけ簡潔に説明します。
・・・・・・剣士ユパはアスベルと僧正らと共に蟲の人工培養施設を発見しそれを破壊。3人は土鬼への反逆者と見なされ、僧正は土鬼の神聖皇弟ミラルパと対峙し覚悟を決め惨殺される。
その後アスベルはユパに、ペジテの地下に埋まっていた巨神兵が「秘石」により蘇生しかけ、それがクシャナに知られ襲撃されたことを告げる。そしてラステルの持ってた秘石はその起動装置の一部だと告げる。
一方でクシャナらは各地の惨状を目の当たりにしつつ自分の部下の部隊と合流し、土鬼軍の制圧を図る。
その中でナウシカは民間人捕虜の解放をクシャナに要請し、ナウシカが上の制圧作戦に参加することで受諾。この制圧作戦ではトルメキア・土鬼双方に多くの犠牲が出た。ナウシカも敵方の土鬼兵を倒し、味方の兵や馬も自分のために臥せる。直後にナウシカは単身で南へ向かう。
ナウシカと別れたクシャナ隊は第三皇帝の兄の拠点の奪取を図るも、道中で蟲の大群に襲われる。第三皇帝も蟲に襲われ死亡。クシャナは父と兄らにより廃人に追い込まれた自分の母を回顧し、自分の最期を覚悟し子守唄を歌う。
他方、土鬼のミラルパ皇弟は品種改良した粘菌を利用し瘴気を生物兵器として使用することを決意。これにより土鬼の国土荒廃は必至となった。土鬼の僧官チヤルカは国土荒廃を憂慮しミラルパを説得するも聞き入れられることはなかった。
その頃ユパらは腐海の中で「森の人」なる種族のセルムという人物に救われた。森の人は腐海や蟲と共生し、腐海のことを熟知している。ユパらは森の人の案内で腐海の外へ出た。
この頃風の谷の従者らは土鬼の飛行船が巨神兵を輸送するのを目撃、直後にユパらと落ち合う。
南へ向かったナウシカは石堂を発見。石堂にはチククという子供と土着宗教の老僧がいた。3人はテレパシーで対話し、老僧は一連の大海嘯と蟲の暴走は神罰と世界の浄化だと語り事切れる。王蟲などの生き物を愛するナウシカはこれに反発した。その直後ナウシカとチククは錯乱した蟲の大群を見つけ追う。その先には異質の瘴気を撒き散らす土鬼の船があった。
この時、土鬼の船では粘菌の暴走が起きていた。ミラルパを含め乗員は退避するもチヤルカだけは粘菌と共に自決しようとした。船内に侵入したナウシカは間一髪でチヤルカと脱出。その後土鬼の応援船がかけつけ、なおも暴走し続ける粘菌から逃れる。船内でナウシカはチヤルカに大海嘯の再来の予言を伝えた。そしてチヤルカらは土鬼の国民の救出へと向かった。
土鬼の王都シュワに帰還した皇弟ミラルパは肉体の衰弱が著しく緊急治療を受けるも、皇兄ナムリスにより暗殺される。ナムリスは非能力者だったがクローン技術で若い肉体を保っていた。ナムリスはクローンの兵士を引き連れトルメキア侵攻に向かう。
ユパらは各地を転々とし、蟲に襲われながらも生還したクシャナとクワトロに落ち合う。そしてクシャナとクワトロはユパ達と同行することになる。
その後ユパとクシャナらは土鬼に襲撃されたトルメキアの街に降り立ち、クローン兵と戦闘する。土鬼に優勢なこの戦いで風の谷の一向は退避、クシャナはナムリスらに捕縛されユパはナムリスらを追った。
ユパは皇兄ナムリスと邂逅し、ナムリスはミラルパと自身の政策について語る。その後ナムリスは目覚めたクシャナと対峙し彼女を自身の后として迎える意図を伝える。
難民となった土鬼国民のもとに救出のために降りたチヤルカらの船。この時王蟲の声を聴いたナウシカは単身で声の元へ向かう。王蟲は自身を屍とし粘菌の温床となろうとしていた。それは自身が粘菌と同化し憎しみや恐怖に支配された粘菌を慰めるためのものであった。やがてナウシカは自身も王蟲と共に粘菌と同化しようと考え、王蟲に飲み込まれる。この時チククはナウシカの消失を感知した・・・・・・
ここまでで話の性質が一気に変化します。当初は戦禍の残酷さが強調されていましたが、話が進むにつれ蟲や粘菌の暴走という大海嘯という出来事の解釈が問われてきました。大海嘯は天罰であり人類も含め全世界は浄化されるのであると。
この考えに生き物を愛するナウシカは反発するも、やがて彼女もその考え方に傾きつつあり、遂に自分の身を生け贄に捧げようと考えたのです。
ここでこの世界の生態系の本質やナウシカの行動原理が「生」から「死」を中心に語られるようになりました。2巻で王蟲の子の安楽死を断念し生きて王蟲たちに返したのとは対照的です。
また、土鬼の皇帝が出てきた辺りから高度なバイオテクノロジーの存在が伺い知れるようになります。クローン兵士や、延命医療、粘菌の品種改良・・・。ナムリスの発言により200年以上前からその技術は存在したことがわかります。映画ナウシカでもトルメキアにより巨神兵が使用されました(すぐに溶けましたが)がそれよりも完成された技術のようです。この辺りから土鬼の国家機密に近い扱いであろう高度バイオテクノロジーや、その他のハイテクの臭いが強くなってきました。
そして、その技術に対するナムリス・ミラルパ神聖皇帝兄弟での考え方の違いも明らかになりました。ナムリスは自身もクローン技術で延命していることからバイオテクノロジーの積極的活用に賛成の立場です。
片やミラルパはバイオテクノロジーの利用には実は慎重であり、その技術の多くは王宮内で秘匿してきました。 クローン技術で延命した父の死のトラウマから、本来の肉体を維持することに固執しました。同時に宗教政策に力を入れ僧会の人員を増やし国家宗教を広め、マニ族僧正の粛清のように各地の土着宗教への弾圧を強めたのです。
さらに、「森の人」という新たな存在が出てきました。森の人は腐海の中で生活し、蟲たちとも共生して生きている民族です。それはある意味ナウシカに近い存在だといえます。
森の人が普段外部の人間と接触することは少なく、世界中を旅するユパさえも3巻で初めて対面します。森の人と対峙したトルメキア兵士が畏れ多い素振りを示し退散する描写も見られます。
この森の人は普段は蟲の腸から作った武骨な防護服で身を包み活動しますが、それを外した時の姿は美男美女として描写されております。ナウシカも美女として描写されており、森の人はそれと同等の扱いを受けております。これはナウシカの「筋」を代弁している立場と考えていいでしょう。
そして土鬼の僧官チヤルカが直面する立場も注目です。
チヤルカはミラルパ皇弟の下で、僧官として「僧会」の宗教で土鬼国民を統べる立場であります。故に土鬼国民にナウシカ及び「青き衣を纏いし天使」に対する帰依心が根付くことやマニ族僧正の僧会への反逆を懸念材料と考えていました。
一方で、国土を荒廃させ民に困窮を強いる瘴気作戦には終始疑問を抱いており、ミラルパに作戦決行の是非の再考を忠告する場面もありました。また、土鬼国民の僧会門徒の中に延命よりも臨終を望む者がいることを知った時にはショックを受け、僧会のこれまでの行いを懺悔する所もありました。
このようにチヤルカは単なる権威主義者ではなく、土鬼国民の幸福を考える善意に満ちた人物でもあるのです。そして、それゆえにナウシカともある程度被る部分もあるのです。
最後にチヤルカが国民の起死願望に愕然とすると同じときにナウシカは蟲と共に自己犠牲に身を投じことを企図するのです。これはある種強いメッセージかもしれません。
【漫画ナウシカ(後編)〈この世界の創造主あらわる!〉】
この後編は6巻から最終巻の7巻までを紹介します。遂にこの世界の真実が明らかになります。そしてナウシカとその他の人々はどの様な結末を迎えるのでしょうか。
・・・・・・消えたナウシカを探しに出たチククとチヤルカ。地上には蟲の亡骸と粘菌が覆い、そこに森が形成される。彼らの前にセルムら森の人が現れチヤルカらを案内する。森の中で彼らは眠ったままのナウシカを発見し引き連れ森を発つ。やがて彼らは皇兄ナムリスの旗艦を発見。だがナムリスは僧会の船団に武力行使する。チヤルカらは山頂に降り、チヤルカのみが土鬼の地に戻る。
この頃ナウシカは暗い「精神世界」をさまよっていた。するとナウシカを皇弟ミラルパの霊体が襲う。ミラルパはみすぼらしい老体を晒した。ナウシカはミラルパと共に暗い世界を歩く。
すると明るい森にたどり着き、そこでセルムと初対面。ナウシカはミラルパを引き連れセルムと森に入る。森の中は平和に満ち王蟲が元気に暮らしていた。ミラルパも笑顔を取り戻す。3人は更に奥へ行き世界を浄化しつくして石化した森があり、更に奥には甦った自然があった。そこでミラルパは満ちた心で成仏した。ナウシカはその精神世界から現実世界へ帰ってきた。そしてナウシカの下にナウシカを慕う者たちが集まる。
一方でトルメキアの国王ヴ王は皇子兄弟に土鬼の首都シュワの攻略を命じ、自身も現地に赴く。
ナウシカは土鬼のトルメキア進攻を止めにチククと共に発つ。するとチヤルカがナムリスに粛清されかけていることを察知し救出へ。
ナウシカは土鬼の人々に戦争をやめ安住の地で落ち着くことを説く。ナムリスはクローン兵士でナウシカを襲う。ここでアスベルはナウシカに秘石を渡す。ナウシカはナムリスと対峙するが、直後に土鬼がトルメキアから奪った巨神兵が復活する。巨神兵は秘石を持つナウシカを母親と認識する。巨神兵は暴走し、その巻き添えでナムリスは命尽きかける。ナムリスはクシャナに「墓所の主」なる存在を明かす。
ナウシカはクシャナらに土鬼の王都シュワの墓所へ共に行くことを告げ、巨神兵は神々しい「毒の光」を放ち発つ。
やがて巨神兵は力尽きて地に伏せる。弱々しい巨神兵を見て愛慕の心の沸いたナウシカは巨神兵と親子の誓いをし、巨神兵にオーマの名を与えた。するとオーマは知能が発達し自らを調停者と名乗った。
この後巨神兵はトルメキア皇子兄弟の船団と対峙し、皇子らは巨神兵に従った。ナウシカは皇子にシュワ攻略を中止し引き返すことを伝えた。衰弱していたナウシカを皇子らは介抱し巨神兵もそれを受け入れた。そして巨神兵は自身を「裁定者」と名乗った。
その頃風の谷の従者とアスベルの飛行機はナウシカを追う蟲使いらと合流し、彼らを乗せる。
クシャナはナムリスの遺体を土鬼の民へと引き渡した。しかしこれまでの戦禍への怨念が各所で吹き出しマニ族の一部はトルメキアへの復讐計画を実行、クシャナの船内で爆弾を放つもユパはそれを止め左手を失う。その後ユパはクシャナを奇襲した土鬼の兵からクシャナを庇い刺され、マニ族僧正の姿を思わせながら息を引き取る。
同じ頃ナウシカと旅してきたキツネリスのテトの命も絶えた。ナウシカはオーマを呼び、飛行艇からオーマに乗り移り皇子兄弟も同行した。
ナウシカは廃墟の街へ降り立つ。テトを葬った後ナウシカはエフタル族の男性に会う。オーマは再び倒れ、ナウシカはオーマを置いてエフタルの男の家に行く。ナウシカは手厚いもてなしを受け、優しい動物に囲まれるも記憶を失う。
しかしふと記憶を取り戻し、ナウシカはこの地の「聖域」に入る。するとそこにはクローン人間がいた。そしてこの地は外部からは廃墟に見えるようになっていた。一方で風の谷の従者と蟲使いの一団もそれに気付きかけていた。
するとナウシカはある女と出会った。その女は急に愛情溢れるナウシカの母親に化けナウシカも子供の姿になった。しかしこれはナウシカの欲望や心の闇につけこんだ幻覚であることにナウシカは気づく。
女はナウシカを案内し、かつて土鬼の初代神聖皇帝がここを訪れたことを明かす。そして土鬼皇帝一族とナウシカに共通する人間の業を説きこの地へ止まるように誘惑する。
ここでナウシカはセルムのことを念じるとセルムが精神世界に現れる。すると女はナウシカ達人類やその回りの「自然」が、汚染された世界でしか生存できないことを言う。対してナウシカはそれらの生態系が人工物である説を述べる。セルムは生命が道具であったというナウシカの説に愕然する。ナウシカはその上で生命の偉大さを苦悩の深さだと述べ、シュワの墓所へ向かう決意をする。
ナウシカは改めて女に対峙し、なぜ核心の墓所にはナウシカ達に苦悩や絶望を与えるものしかないのかを問う。女は沈黙した。ナウシカは墓所へ旅立ちこの庭園を離れた。そして外に待機していた風の谷の従者と蟲使いと再会した。
ナウシカはオーマが王都シュワへ一人で行ったことを知り、彼らと共に王都へ向かった。
一方オーマは、王都に先行していたトルメキアのヴ王の兵団と裁定者として対面し攻撃していた。表れたヴ王は墓所の攻略が平和に繋がり裁定者の役割だと説き、オーマと同行した。オーマは墓所に武力制圧を宣告するも、墓所とオーマで戦闘が勃発、オーマは重傷を負い倒れ伏せた。
王都の近くで死の灰が降る中、ナウシカは蟲使いらに腐海や蟲の世界浄化の事実を伝え希望を持って生きるべきと説いた。だがナウシカ達人間の絶滅の運命は隠した。
生存していたヴ王は半壊した墓所へ。すると「博士」を名乗る教団が現れヴ王を迎えた。博士らは何百年も生存してきたらしい。
アスベルは墓所の破壊箇所から侵入。じきにナウシカらも正面から墓所へ入った。
なおこの時墓所は破壊箇所が自ずと塞がれようとしていた。墓所もまた一つのクリーチャーだったのだ。
ヴ王は「墓の主」に対面した。墓の主は肉塊に浮き出た文字だった。そして、ナウシカも同時にこれに対面した。この文字はかつての高度産業文明を伝えるもので「博士」らはその解読・研究を行うものであった。土鬼の高度なバイオテクノロジーもここから出ていたのだ。
すると「墓の主」は目覚め、ナウシカらに次のことを問いかける。
愚かに滅んだ旧人類は汚染された世界の浄化のために、世界の再建のために、ナウシカらの世界を作った。全ての文字が現れるとき再建の日が来る。どうか力を貸してほしい、と。
ナウシカはそれを一蹴した。旧人類が今の自分達生き物を利用しようとしていることや墓所は予定に基づいてしか存在できないことを痛罵した。
すると墓の主がヴ王の道化に取りつき語りだした。存続の危機にあった旧人類はこの墓所を作り旧人類の墓碑銘とし同時に今の人類に未来に託したと。
ナウシカは墓の主を神の一人ととらえた上で、清浄と汚濁両方とも生命の本質だと分からない最も醜い存在だと非難した。
主はナウシカを淫らな闇であり人類を亡びにまかせようとしていると罵り、自分という光無しでは人類は滅ぶと呪いの言葉をかける。それに対しナウシカは、自分達は亡びと共に生きてきた、自分達の行く末は地球が決める、生命は闇から生まれる光だと反論した。
すると墓の主はナウシカらを敵とみなし殺そうとする。するとセルムがナウシカを守り、ナウシカはオーマに墓所の破壊を命じた。
オーマは墓所を破壊し墓所は崩れた。同時に再建後の人類の卵と「博士」らも墓所と共に滅した。
ナウシカはオーマの最期を看取り、外に出てきた。その時のナウシカの姿は(墓所の体液で染まった)青色であった。これこそが「金色の野に降り立つ青き衣を纏いし娘」の姿なのだ。
そしてナウシカはこう思う
「・・・生きねば」と。・・・・・・
これが漫画ナウシカの結末でした。
これまでに無いほど情報量の多い展開でした。ナウシカの精神世界、巨神兵オーマ、墓所の庭園、墓所と墓の主、そしてナウシカの答え。これらは一つ一つが濃密なメッセージでした。
まずナウシカの精神世界は広大な闇が広がっていました。これは蟲たちと共に世界の浄化に与した引き換えに光を失ったのです。そこにセルムが現れ、ナウシカの心と融け合いながらセルムはこの世界のあり方を示します。それは涙が出るほど美しく壮大な神話のようでした。
一方で墓所の庭園の女や墓の主が示すこの世界の成立の事実と「目的」はそれをうち壊すものでした。これはナウシカ達生物が「生き物」から目的のある「道具」にされた瞬間でした。創造主である旧人類から強制的に与えられた目的や罪、それらが自分達をあらしめているのだと。
1巻からナウシカは幸せも苦しみも共に噛みしめながら生きてきました。ナウシカはその中で希望を紡ぎながら生きてきました。しかしそれが旧人類の都合やエゴにより振り回され、そこから離れられない因縁が明らかになりました。
ナウシカはその因縁を断ち切り、自分たちの人生の希望や物語を守るために、先程の墓の主からの要請を一蹴したのです。今更自分達の生をあらしめようとする図々しい創造主に反旗を翻したのです。
もっと言えば墓の主の神としての存在意義を否定したのです。
それに対して怒り「制裁」を加えようとした墓所をナウシカは破壊し、創造主を殺してしまいました。見事な神殺しの現場です。
劇中で何度も出てきた「金色の野に降り立つ青き衣を纏いし娘」の伝説は、実はこの創造主殺しの結末だったのです。
巨神兵オーマの存在も印象的です。巨神兵は裁定者として旧人類を裁く者として、旧人類が当時人種差別、利害関係、病気などの諸問題を解決するために作ったものです。
しかし、巨神兵が与えた裁きは旧人類の滅亡でした。旧人類は人間の業罪により滅亡したのです。巨神兵を作ったのもひとつの業かもしれません。
墓の主は死に間際に、裁定者だったはずの巨神兵を「あの悪魔」と呼びました。それは自分達が裁かれる程汚い業にまみれた存在だと自覚したくない強固な意思を表しています。
ナウシカは清濁ともに人間の本質であると語り旧人類も自分達も同じだと語りました。「中編」では人生観においてナウシカは暗い「死」に囚われていましたが、それは清浄と潔白さに紐づけられていた物なのです。そして心の暗い闇から這い出る過程と、この世界の本質の判明により、ナウシカは清濁ともに生命の本質であったと認めるのです。
故にナウシカは墓の主の世界浄化の意思を「殺意」とみなし、墓の主に反撃したのです。
そしてナウシカは巨神兵オーマに対して始めは滅ぼさなくてはと思いつつも、生まれながら周りから憎しみを集め憎しみ返す宿命の者への愛慕の心が沸き、オーマと母子の誓いを立てるのです。ナウシカはオーマを称えつつオーマの最期を涙ながらに看取りますが、オーマの誇りは裁定者としての役割ではなく、その生の事実、ナウシカの子という事実によるものでした。オーマは目的ではなく生物として讃えられたのです。
【全巻通しての感想】
この作品は人間にはどうしても逃れられない業があり、これまでの方法論ではもう人類の希望を紡げないという現状を浮き彫りにしました。片や、法則や現実にしたがって生きれば絶望から抜け出せるという訳では無いことも明らかにしました。
この上で、ナウシカが最終的に示したのは生という事実を讃え、それを人類の希望とすることです。
私はこの話は深く心に響き、そして感動的な話であったと思います。
私は今まで多くの苦難や困難を経験してきました。それは神様の思し召しだと何となく感じていましたが、後からそれらは人間の業であると気付きました。私は、それならばもう自分は業という檻から出られないではないかと破滅的な思考に陥っていました。
私は少年期に過去に自分に原因の無いことで激しい非難を受けたことで、業罪には非常に敏感になりました。自分に原因がなくとも何かしら因縁があれば当然罪を背負うもので、そこから逃れるのは悪だと本気で思っていました。そのため私はナウシカの人間の業罪というテーマに興味を強く牽かれたのです。
業罪から綺麗になろうとする段階で差別や戦争などの悲劇が起こるのも納得できました。自分も同じことをやって来ましたが、達成感よりも後悔や歪みの方が意識されました。そしてそれでも正義を強要する人間にも不信感を抱いていました。
ナウシカの最終的に至った考えはその感情を具現化したものに思えました。何者かに規定された、正義の生け贄として殺される宿命への怒り、そして決別を描いたのです。これを描こうとする宮崎駿氏の頭脳明晰さと精神パワーは尋常ならないものがあります。
さて話はそれますが、漫画「鬼滅の刃」の中で鬼殺隊の冨岡義勇が発した「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という言葉もこの漫画ナウシカの結末に通ずるものがあります。
これは鬼に家族を殺され妹・禰豆子を鬼にされた主人公・炭治郎への叱咤激励の言葉です。炭治郎の生き方を決めるのは炭治郎本人しかいませんし、それ以外に決められる存在はいないのです。
漫画ナウシカでは墓の主ら旧人類はナウシカらの生殺与奪の権どころか実存与奪の権を主張し、逆にナウシカに生命ごと抹殺されました。
その姿は汚いのかもしれませんし悪かもしれませんが、その敵が「殉職を強いる正義家」であると考えると人間の業を考えさせられます。それを放置したまま人々を統べようとする自称「神」とやらも仮想敵と思われても仕方ないのかもしれません。
新型コロナウィルスなど予想外の事態が絶えず起こる人生では、いつでもこの考えが大切なのかもしれません。
【おしまいに】
長々とした記事でしたが、実は私は「風の谷のナウシカ」は映画も漫画も最近までしっかり見たことは無かったのです。
映画をテレビで視る機会はあったのでしょうが、少年期にファンタジー作品に興味が薄かった私は途中で観るのを止めていたのです。
ですが、成人になりナウシカのファンの方に会うことが増えるにつれこの作品への興味が強くなったのです。漫画の存在もこの頃に知りました。
映画は、ナウシカらの優しさや強さが人々を救うエピソードが非常に感動的でした。一方で漫画は、ナウシカが多くの困難や矛盾、真相解明の中で本当の優しさを求めるストーリーがより哲学的で私達に直に話しかけるようで最後まで飽きが来ませんでした。
そして何よりもすごいのは両作を作った宮崎駿氏その方です。宮崎監督が一つの作品を作るときの知識や経験、熱量はものすごいものであったと確認させられました。
映画ナウシカはテレビ放送やレンタルDVDでも見れますし、漫画ナウシカも図書館で借りれますので、皆さまお時間があればお楽しみ下さい。
最後までありがとうございました。
2020年12月26日