こんにちは、ずばあんです。
今日は短めの記事ですが、ライトノベル小説「キノの旅」の「人を殺すことができる国」について思うところがあり話したいと思います。
先日私は『「許しを請うこと」を止める生き方』(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2021/01/13/182054)の記事を発表しましたが、それを受けてこの話の感想を述べさせていただきます。
【キノの旅「人を殺すことができる国」】
さてこの「人を殺すことができる国」のあらすじは次の通りです。
(あらすじ ※ネタバレあり)
・・・主人公のキノは旅の途中で若い男と会う。話を聞くと彼はこの先の国に移住するそうだ。その国は人を殺しても罪にならず、それゆえに凶悪犯が逃げ込んでいるらしい。キノは先に行き国に入った。
その国は平穏で、人も穏和で親切で心地よい場所だった。ただ、ある店には「人を殺すため」の銃が常備されていた。充実した3日間を過ごしたキノは予定通り国を去ろうとする。
その時、先の道中で会った若い男に、殺されたくなければ荷物を置いていくように脅迫される。彼はこの国の国民になったという。それを拒否するキノに銃口を向ける男。すると男の腕に矢が刺さった。
男の回りに武器を持つ市民が寄ってくる。その中の老紳士が、この国では人を殺そうとするものは殺されると男に言った。男はこの国では殺人は禁止されていないと反論する。すると老紳士は、禁止されていないことは許されていることではないと返す。そして老紳士は自分が有名な連続殺人犯であることを明かすと男を殺した。事を終えると老紳士はキノを笑顔で見送った。
キノは国を出ると別の男に会った。彼は先ほどキノが出てきた「安全な」国に行くという。キノは男にきっと気に入ると告げ去っていった。
こちらが「人を殺すことができる国」の内容でした。
キノが訪れたこの国は確かに人を殺すことは禁止されていませんでした。しかしそれは人を殺す権利が認められたわけではありません。もしそれが認められるならば、その者を殺し返すことは禁止されるはずです。
実際のこの国では人を殺そうとする者を逆に殺しても罪にならないのです。人を殺すことが禁止されないという法秩序は人々に殺す自由と共に殺されるリスクも与えております。よって誰もが処刑人になるという環境から逆に人を殺せないという秩序を作っているのです。
これは権利・許しと自由の違いを如実に表した話であると思いました。
【理不尽は許さなくてもよい】
さて、世の中には理不尽で苦しいことは沢山あります。大人であれば理不尽なこととそうでないものの区別はつく方は多いと思われます。
そうした理不尽について、それは当たり前のこと、それに不平不満を言うことは情けないことなど、理不尽を放置しようとする人は多いと思われます。それは理不尽を禁止するのはそれこそ理不尽だからです。もしそれを禁止しようとすればあちらが立てばこちらが立たずという風に、理不尽がやむことは無いからです。理不尽を受ける人間が変わるだけです。そうなると理不尽の度合いが益々強くなるだけです。
しかし、ここで誤解してはいけないのは理不尽は禁止されていないだけで許されてはいないということです。理不尽を行う権利というのは誰も持ってないですし誰も与えていないのです。そのため、理不尽はなるべく最小限にする、もしくは理不尽を強めない努力が必要なのです。
ここで理不尽が禁止されてないことと許されることの差を、先の「人を殺すことができる国」の例に則り詳しく説明します。
理不尽が許されるというのは、人は誰しも理不尽を行う権利を持つということです。そのため、人が理不尽なことを積極的にしようとする場合、それを止める人間は人権侵害に対するペナルティとして理不尽を公正に受ける義務を負うこととなります。
お気づきの方もいらっしゃるでしょうがこれは現実的ではありません。そんな権利を大っぴらに主張すればとんでもない社会的制裁を受けることはお分かりでしょう。自分が理不尽な目に会ったから、それが裁かれなかったからといってそれが正しいのだ、人にしていいのだ、ともならないのです。
「人を殺すことができる国」では、人を殺す権利は誰も持っていません。そんなものがあれば先ほどの老紳士や矢を放った者こそが殺されるべきなのですから。
一方で理不尽を禁止されてないとなるとどうなるでしょうか。こちらでは理不尽なことをする者はいますが、彼らは同時にされ返すリスクもあるためにある程度抑止力が働き理不尽が暴走することは避けられます。理不尽を行うにせよ利に叶う方へと動こうとするのです。
「人を殺すことができる国」でも人を殺すことは禁止されていません。しかし誰もがそうであることから、かえって相互抑止力になっています。自分のやろうとする悪意は、相手からも仕返しされるのですから。
こう申し上げますと、世の中はそう理屈どおりにいかないとおっしゃる方もいるでしょう。確かに理不尽の度合いは千差万別で、場合によっては「神も仏も無い」と思われるパターンもあるでしょう。
そのような方に私が重ねて申し上げたいのは「神も仏も無いのであれば、もう理不尽を許している者はいないのでは」ということです。理不尽を行う人は勝手に許しもなくやっているのであって、あなたがその「権利」を守る理由は無いのです。少なくともあなたの心が楽になるように考えても罰は当たらないのです。そんなものに罰を与える神も仏もいないのですから。
もっと言えば、やめてくださいと許しを請うこともないのです。別に理不尽をしている人は許可を得てやっているのではないのですから。神様に対しても何も許しを請うことはないのです。
【おしまいに】
今回は「キノの旅」の「人を殺すことができる国」の感想と理不尽を許さなくてもいい理由を述べました。
これは何かを煽動する意図はなく、あくまで内心の問題として主に語ったつもりです。
いつもよりあっさりめの記事でしたが、ご覧いただきありがとうございました。
2021年1月24日