ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

【読書感想】「何者」(朝井リョウ)

こんにちは、ずばあんです。

 

前回は朝井リョウさんの「桐島、部活やめるってよ」の感想を述べさせていただきました。そして今回は同じく朝井リョウさんの「何者」を読ませていただきましたので、その感想を述べていきます。

 

なおこの記事では全体的にネタバレがありますので、ここから先の記事を読まれるか読まれないかは各自ご判断下さい。

 

【内容】

 

この話の内容を簡潔に説明させていただきます。

 

この話は就活を迎えた大学生5人の話です。

主人公は拓人、元々演劇サークルに所属し、人間観察と分析が得意な男子学生です。そして拓人の友人で拓人とルームシェアする光太郎と、光太郎の彼女の瑞月、瑞月の友人の理香、そして理香と同棲している隆良が出てきます。いずれも大学生でそれぞれタイプが異なる性格ながらも、就職に際し5人は顔を合わせることとなります。

就活が進むにつれ5人の考えや本音が分かってきますが、それは現実での発言や素振りのほかにもSNSというネット空間でも現れます。FacebookTwitterなどでの彼らの言動も5人の人格を語るツールとなります。

話が進むにつれて5人の過去が明らかになり、5人のそれぞれ抱える事情も明らかになります。そして、それは拓人も同じでした。

拓人Twitterの裏アカウントで他人の批判や陰口を書いていたのです。自分の元友人や上の5人の自分以外の人のことも。加えて拓人が就職浪人で就活2年目でもあったことも明らかになります。この事は理香にばれて、彼女はこれまでの拓人の発言や彼の性格などを痛烈に批判するのでした。そして、このシーンに続き拓人のTwitterの裏アカウント「何者」の投稿履歴が載せられております。

その後拓人は就活で面接を受け、自分の本当の気持ちをさらけ出し、感触の悪さを覚えつつも、「だけど、落ちても、たぶん、大丈夫だ。不思議と、そう思えた。」と心の中で呟くのでした。

 

この話では、これまで傍観者であった主人公の拓人がいきなり他人から痛烈な指摘や批判を受けるという、ものすごいどんでん返しが待っていたのです。

 

そこまでは拓人の素性は(拓人本人の意思で)隠されてきましたが、途中で「誰かの」陰口とおぼしき文章が出てきたり、また劇中人物の発言もその事を示唆しており(というより拓人の異変に気付いていたか)、それらがこのどんでん返しの伏線になっていたのです。

 

この話は、主人公が物語を俯瞰するメタ視点にも立つという通常の小説のレトリックを逆手にとり、最後に主人公をメタ視点すなわち傍観者の立場から引きずり落とすという仕掛けになっていたのです。

主人公の視点でこれを読む読者も同じく、拓人と同じ痛みを味わうことで、臨場感のあり強い印象を残すものとなっております。

 

【感想】

 

さてこの話の感想ですが、拓人のやってしまったことは非建設的で自分や他人を害し、悪いことであると思っております。そのようなことは望まれない行動ですし、やってしまったからには内省しなければならないと思っております。

 

しかし一方で、内省の仕方においてもまた罠があり、明確な答えが示されない辺りにも内省の難しさを感じました。そのためこれは教訓譚や説教というよりも、「人の心の闇を描いたドキュメンタリー」に近いと思いました。誰もが虫歯になるように(日本人の95%は人生で少なくとも一度は虫歯になると言われております)誰もが拓人になってしまう可能性を持つのです。

 

拓人がこの失態を犯した切っ掛けは、友人とのいさかいや一度目の就活の失敗などが考えられます。ただ、これは「拓人の場合」であり、他の人が別の理由で「拓人」になるケースは沢山あるのです。作中に出てきた隆良はまさしくそうですし、理香や瑞月もその一端が滲み出るシーンがあります。

しかも、その部分は何かのきっかけで生まれたものではなく、最初から誰の心にも住んでいるのです。もちろん私の心にもいます。それは消えることはなくいつまでも残り続けます。

「何者」では拓人はそれが押さえきれず歪みが露出しております。それは裏アカウントでの攻撃的な批判もそうですが、「反省したつもり」の態度もまたそうです。拓人はSNSでの短文について語っているときに、懇意にしているサワ先輩から「人があえて言わなかったことにも関心を向けろ」と忠告されます。そして拓人はその言葉をそのまま「何者」アカウントで、友人への批判や陰口に使いました。拓人本人はそれで反省したつもりでしょうが、実は何も反省できてなかったのです。

 

この物語の終盤では、拓人の裏アカウントを理香に知られ、そこで理香から拓人の素性について痛罵されるという形になっています。一見すると拓人は理香からようやく自分の素性について痛い指摘を受け反省した・・・ように見えます。ですが、私はそれは違うと思います。なぜなら、理香の言葉にはそれほどの重みはないと思うからです

理香のいうことは確かに的を射て正しいですが、その言葉が直接拓人を反省させることは無いと思います。なぜなら反省とは他人からの言葉ではなく自分から自分の内面を覗いて出来ることだからです。もちろん反省する契機にはなるでしょうが、理香の言葉自体が拓人を反省させることはないですし、理香の言葉も「何者」アカウントでの拓人の言動と大差ないのです。

そして理香もその事は自覚しています。自覚しているからこそ理香は拓人の痛いところを今まで指摘せず、今ここで言う痛烈な言葉は説教というよりも心の中から沸き出る、無力ながらも嘘偽りのない思いなのです。よもや理香は自分の言葉そのものに力があるとは思っていません。自分の言葉が通ずるとすれば、それは言葉の外から漏れ出るメッセージのお陰であると思っているのです。理香は自分の弱さを受け入れているからこそ素晴らしいのです。

言葉と言えば話すときの言葉や書くときの言葉のことを考えがちですが、実際にはその外の本人の人柄や素振り、態度ということを含めた「非言語的」なメッセージも言葉として考えられるのです。拓人はそのことを、わざとか無意識か分かりませんが、無視してきたのです。サワ先輩の忠告もそこを突いたものなのです。

 

さて、ここで拓人のことをまさしくカッコ悪いヤツだとか、ああいう風になりたくないと思う気持ちが私も強く自覚されますが、そう思う気持ちが拓人の失敗の原因であったと私は思います。何でそうなりたくないのか、ならば何をするべきなのか、何を語り語らざるべきなのか、そこまで考えが及ぶことが内省なのかもしれないと思いました。すぐには言葉にできないかもしれませんし、正解はつかめないかもしれません。ただ、正解を握った気にならず、間違いを恐れずに認め挑むこと、それが大事なのかもしれないと思いました。

 

【おしまいに】

 

感想を語ってて本当に緊張しました(汗)

 

これほどまで何かを言うことを許さない作品はないと思いました。どんな言葉を言っても唾棄されるようなそんな恐ろしさがありました。何を語っても許さない神か悪魔が取り憑いてますこの作品には(笑)

 

ただ、この作品が人々のそうした感想を見下しているわけではないとも思いました。この作品は心の中に「拓人」を抱える人々が、明日からも「拓人」を持ちながらも自信を持って生きるための福音書でもあると思いました。

 

この本は自分が「拓人」にならないための答えは示されませんが、それは殺意では無いと思います。心に「拓人」を持つ人が「拓人」を持つ事実を受け入れながら生きる可能性を示しているのです。自分が綺麗になる答えが示されないことは死刑宣告では無いのです。

 

私も失敗を恐れることなく、わたしの正解を探し続けながら生きていきたいと思います。

 

それでは最後までありがとうございました。

 

2021年3月8日