ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

全国ネットとローカル放送

こんにちはずばあんです。

 

今日は、全国ネットローカル放送について日本の実情を話します。

 

私はこれまでのテレビ放送に関わる記事を3つ書きまして今回がそのシリーズの4本目となります。

3本目の記事「地方のテレビ局はなぜ少ないのか」で既に地方局の存在意義について語らせていただきましたが、今回はそれと対応しつつ全国ネットについても話を広げていきます。

 

さて早速雑談ですが、最近のテレビ欄を見るとどこの放送局もニュースと情報番組が日中ほぼ切れ目なく放送されております。三時間もの尺の情報番組は珍しくなくなりました。

これが20・30年前ですともっと他のジャンルの番組もあったはずです。

 

ではなぜこうなったのでしょう。実はこれも今回の話題と関わりのあることです。この現象は昭和後期のAMラジオ放送で既に起こっていた現象でした。

 

この事を意識しつつ話をしていきたいと思います。

 

 

【全国ネット/ローカル放送とは?】

 

まず、全国ネットとは?ローカル放送とは?という話に入ります。

 

全国ネットは全国に張り巡らされてある放送ネットワークの系列局の全てに向けて放送される番組放送スタイルです。同じ内容の番組を全国で視聴できるのが全国ネット番組です。

なお、放送ネットワークとは全国ネットの番組を放送するための複数の放送局の協定です。民放の場合、このネットワークに加盟した放送局はネットワーク会員費を払い、ニュース番組の製作への協力などいたします。その一方で放送局は全国ネットの番組を追加費用なく流しかつその番組のスポンサー収入を得られるという恩恵を得られます。全国ネット番組における営業活動もネットワークのキー局が一括して行うので、営業の効率化・合理化にもなります。

NHKも中央から地方まで単一組織で受信料収入となり民放とは事情が変わりますが、ネットワークは全国にくまなく整備されております。

 

全国ネットに対しローカル放送とは、全国ネットではない放送全般を差します。具体的に言えば、自局が製作した番組を自局あるいはごく限られた地域で放送する形態を差します。この場合自局で製作した番組のスポンサー収入を自局のみが受けとることとなります。

なお実際には全国ネットではないものの限られた地域内の複数の放送局(九州地方限定など)で同じ番組を同じスポンサーでネットするという放送の仕方もあります。これは全国ネットのやり方を特定の地方限定でしており、地域ネットと呼ばれることがあります。ローカル放送にはこの地域ネットも含まれます。

 

ここまでは全国ネット/ローカル放送の原則的な話でしたが、全国で放送される番組の中には全国ネット番組ではないのにも関わらず全国で放送される番組があります。

それは全国ネットとは異なり各放送局が製作局に放映権料などのお金を支払い放送することとなります。これは放送局間での番組の売り買いになるので「番販ネット」と呼びます。番販ネットでは、他局製作の番組のスポンサーを自局で募ります。これはネットワークのシステムが生まれる前の放送局の基本的な経営スタイルです。

この番販ネットが行われるのは基本的に自局のネットワークに加盟していない他の放送局の番組を流すときです。自局がどこのネットワークにも属していない独立局の場合でも同じです。

例えばアニメ「ポケモン」は全国で放送されておりますが、放送するテレビ局の大多数は製作局のテレビ東京の系列では無い放送局です。ポケモンは日本はおろか世界で有名なコンテンツで、ポケモンのアニメはどこの放送局も欲しい人気番組です。そのためテレビ東京系列ではない沢山の放送局もお金を払って放送するのです。

 

 

 

【日本の全国ネットの歩み】

 

日本で初めて全国ネットの放送網を作ったのはNHK日本放送協会です。NHKは1926年に東京、名古屋、大阪にあった一般法人のラジオ局を統合して発足しました。この後から日本全国にNHKの支局が作られていきました。それとあわせて1928年(昭和3年)から全国ネット用の中継回線が整備され始めました。

 

全国ネット中継回線が整備された理由はこの当時は昭和天皇が即位されたばかりで、ラジオでも新聞同様のニュース速報を全国で一斉放送する必要性が叫ばれたからです。この当時のNHKはニュースは朝日新聞毎日新聞など大手新聞社から配給を受け、自局製作のニュースは製作しておりませんでした。全国ネット回線が作られると1930年にNHK局内に正式な報道部門が整備されました。

 

戦後1950年代からはNHKのテレビが開局し、民間放送のラジオやテレビも解禁され全国で開局しました。この当時テレビなどが使うマイクロ波回線が1954年から当時の電電公社(今のNTT)により整備され、テレビでも全国ネットの放送が可能となりました。

 

NHKのテレビ全国ネットワークは迅速に整備されました。東京の本局を中心にそこから全国の支局に一斉放送できる体制が出来ました。

 

民放テレビでも1950年代から60年代にかけて東京キー局を中心に全国ネットワークが整備されました。この時にTBS系列、日本テレビ系列、フジテレビ系列、NET(日本教育テレビ、今のテレビ朝日)系列が作られました。これは1964年の東京オリンピックの全国中継で大いに活躍しました。このネットワークは1960年代後半から各局でどんどん強化され全国ニュースの製作協定や番組の全国ネットの協定が正式に整備されました。

 

本来民間放送は東京キー局、準キー局、地方局に関わらず自社のみで全国放送することは出来ません。それぞれの放送局がローカル局なのです。そのため民放テレビが全国放送をするときにはネットワークを組むのは不可欠でした。

また、地方局はキー局や大都市の準キー局に比べて番組製作能力が弱く、ニュースや天気予報など簡単な生放送の番組以外は作っておりませんでした。特にテレビ放送開始時に人気であったドラマは俳優や機材、セットなどの調達・手配の関係で東京や大都市のテレビ局しか製作できませんでした。そのため地方局の一日のプログラムを組むときに全国ネットの番組を流せるのはありがたいことでした。

 

そして郵政省など行政当局も、当初は放送法にある通り一放送局が他の放送局に番組を一方的に配給する契約(*)を規制する方針でしたが続々と地方テレビ局の開局が進むなかで、1959年には放送を管轄する郵政大臣が「ネットワークは放送局の円滑な経営のために必要」とネットワークを肯定する立場に移りました。

(*この放送法の規定は現在の全国放送ネットワークについて、ニュースや情報番組、バラエティ番組など地方局発(近畿、東海含む)の番組発信の実態を鑑みて、「一方的な番組の供給」ではないとしております。)

 

なおAMラジオの全国ネットはテレビより一歩遅れました。ラジオのネットワークはニッポン放送文化放送系列の「ナショナルラジオネットワーク(NRN)」とTBSラジオ系列の「ジャパンラジオネットワーク(JRN)」の2系列存在します。そして両者はテレビで既に全国ネットが整備されていた1965年に共に成立しました。

ネットワーク形成が遅れた理由はラジオ番組は音だけなので地方局でも簡単に製作しやすく、かつ他局の番組はもっぱら録音テープでやり取りしておりそちらが安価ですむため、ラジオ番組をネットワークで中継する必要性が薄かったからです。

 

 

高度経済成長期以後はテレビの全国ネットの拡充がなされていきました。

テレビ放送黎明期から事実上の全国ネットを確立していたTBS系列や日本テレビ系列のほか、1968年~1970年に系列局を以前の3倍近く増やしたフジテレビ系列、昭和時代は大都市以外でのネットが弱くも1990年代に専属系列局を2倍増やしたテレビ朝日系列、そして元々独立局でしたが1982年に初めてネットワークを立ち上げ今では大都市圏を結ぶネットワークを築いたテレビ東京系列が形成されました。

 

また民放FMラジオでも1980~90年代にかけて全国で民放FM局が開局すると、JFN(ジャパンFMネットワーク)やJFL(ジャパンFMリーグ)などの全国ネットワークの本格的な整備がなされました。

 

 

【日本のローカル放送の歩み】

 

日本初のラジオ放送は東京、大阪、名古屋の三放送局で行われておりました。当初ラジオは中継回線が無く各放送局の番組は全てローカル番組でした。芸能番組を主としラジオ番組が組まれておりました。

 

1928年にNHKの全国中継回線が整備されると(今のNHKラジオ第1)、ローカル番組の割合は小さくなり東京からの全国ネットの番組がニュースを中心に増えました。

その後ローカル放送を希望する声が高まり1930年代半ばに地方のNHKでも各地の地方紙の協力によりローカルニュースの放送が始まりました。

1941年に太平洋戦争が始まるとNHKの放送も戦時体制となり全国ネットの番組が大半となります。しかし視聴者の希望からすぐにローカル番組の枠が増やされ、各地の放送局で芸能番組が作られました(時局ゆえに戦時色の強いものがほとんどでしたが)。

戦後のNHKは全国・ローカルの放送もGHQの管理下に置かれ「民主主義」をアピールすべく視聴者参加型の番組が作られました。

 

そして1950年に放送三法(放送法、電波法、電波管理委員会設置法*)が整備され、放送の「民主化」が行われました(*電波管理委員会設置法は1952年に廃止)。具体的にはNHKの公共放送化民間放送の解禁がなされ、日本の放送・表現の自由が正式に保証されたのです。

この時期からNHKは報道部門を自社で完結させ、独自の報道機関となりました。そして全国ネットの番組を東京から放送し、それ以外の時間は各地の放送局でローカル番組を放送するという今のような製作、編成体制になりました。

 

一方各地に開局した民放ラジオ・テレビは不思議な発展をしました。日本の民間放送は、放送法では各地域のみの放送免許(1960年代後半までは都市単位、1960年代後半以降は都道府県単位)を付与されローカル番組の製作を義務付けるなど、法制度上はローカル放送を強化することになっておりました。

 

しかし現実には民放ラジオ黎明期は大都市の放送局同士、あるいは各地方のラジオ局同士でネットワークを締結する例が見られました。ラジオ東京(今のTBS)とその他大都市の4局を結んだ5社協定や四国の4局を結ぶ四国放送同盟、福岡のRKB毎日放送と長崎のNBC長崎放送を結ぶKNS協定等が作られました。ネットワークは番組製作能力の小さい放送局がお互いにプログラムの充実を図れる有効な方法だったのです。やがてそれは全国ネットワークにも及ぶのです。

 

テレビの場合は特に顕著で、テレビ放送初期は東京キー局や大都市のテレビ局以外の地方テレビ局はローカル番組の製作をニュースや天気などの生放送番組に限っておりました。テレビ番組の製作にはセットや設備など多大なお金がかかり、俳優の手配などで地方は圧倒的に不利だったからです。当時人気のテレビ番組はドラマやスポーツ中継でしたが、これらは東京や大阪などの大都市が製作において圧倒的に有利でした。そのため地方局は人気コンテンツの確保のためローカル番組よりも全国ネットの番組を放送したがったのです。

 

しかしその後1950年代後半より高度経済成長期に入ると地方から東京など大都市への激しい人口移動が起こりました。地方の過疎化問題は顕著になったのです。そのため各地方で自分の地域の情報へのニーズが高まったのです。また公害も各地で発生し四大公害水質汚染、大気汚染、騒音などが日本各地で起きました。そこで一国経済や企業の利益追求とは異なる住民の視点への関心が高まりました。

 

これがラジオやテレビのプログラムに反映され、各地の放送局では地域の情報番組や報道番組を拡充する動きが多く見られました。一例として、青森のRAB青森放送では1970年より朝にローカルニュース「ニュースレーダー」の放送が始まりました。当番組では地域のニュースや情報、天気予報を幅広く放送しました。そして番組内では他県に住む青森県出身者へのインタビューコーナーも存在しました。当時の青森県は大都市への人口流出や冬の出稼ぎが多かったのです。そんな県外の青森県人の声をローカルのプログラムで採用したのがこの番組でした。

この番組は地域の人々のためのローカル番組として放送業界にインパクトを与え、福島や千葉、富山、徳島、高知などで同種の番組が製作されました。

(*この「ニュースレーダー」はその後1977年より夕方の枠に移動し現在も放送されております。)

 

その後1973年の第一次石油危機後は急速にその動きが強まり、ローカルテレビ局ではローカルのワイドニュースやドキュメンタリー番組NHK民放共にどこの局でも製作が始まりました。特に夕方のローカルニュースはこれまで5分程度だったものが一気に20分や30分に拡大しました。

 

民放ラジオでは1960年代後半よりテレビに聴取者を取られました。そのためラジオはテレビとの差別化のため、これまで短時間の番組を多彩な種類で多数放送していたのを、長時間のローカルの生放送の情報番組に変えました。その際には各放送時間帯のコアとなる聴取者層(例:昼→主婦、深夜→若者)に焦点を当てた番組製作(これをセグメント戦略と呼びます)がされました。全国ネットでも「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の製作が始まったのもこの時期でした。

 

その後1980年代からはテレビのローカル放送のバラエティ番組の製作が始まりました。時間帯は主に深夜でした。毎週放送もあれば、平日毎日放送の番組もありました。福岡のKBC九州朝日放送の生放送バラエティ番組「Duomo(ドゥオーモ)」等がこの時期より放送が始まりました。

このローカルバラエティ番組には後に全国でも放送されたものがあります。北海道のHTB北海道テレビの「水曜どうでしょう」は、1996年から製作されましたが、出演者やスタッフによる自由な発想による企画をチープなスタイルでロケ・編集し放送しておりました。この番組は北海道ローカルでしたが後に全国の他局でも放送され全国的に人気になり、放送終了後も伝説的な番組として有名になりました。

 

その後テレビはネットとの競争に入りやがてマルチメディア時代に入りますが、その中で全国、ローカル共に長時間の情報番組の製作が始まりました。これはかつてのテレビ隆盛期のラジオ放送と同じ流れです。今や三時間以上の情報番組は珍しくありません。ローカル局によっては朝と夕方にそれぞれ三時間以上ローカル情報番組を放送することもあります。

 

またローカルのバラエティ番組を製作する動きも2010年代に入り再燃し、お笑い芸人などの芸能人を採用する番組が全国各地に見られます。これは2000年代後半までの激しいお笑いブームでデビューした沢山の芸人が、ブームの終了後全国ネット番組のみならず地方局のローカル放送にも営業をしているという背景もあります。

 

このように近年のローカルテレビ放送は地域情報番組の拡充ローカルバラエティ番組の製作というムーブメントが伺えます。

 

 

【日本と外国の全国ネット】

 

日本の全国ネット放送は、NHK東京放送局を中心に、民間放送は東京のキー局などを中心に行われております。

 

日本で初めて全国ネット放送を行ったのはNHKですが、当時より今のようなネット体制となっておりました。NHKの全国ネットのトップはNHK本部にある東京放送局ですが、さらにその下に各地方毎に地方内ネットの中心を務める「拠点放送局」があります。(関東甲信越地方は東京放送局の管轄です)そしてこの拠点放送局の下に各都道府県毎の個別の放送局があるのです。

 

このためNHKのネットワーク放送の区分には、「全国ネット」「地方ネット」「ローカル放送」の3区分があることが分かります。

 

このNHKのシステムを民間放送のネットワークも踏襲し、東京のキー局をトップにその次点に各地方の基幹局があり(*)、その下に個々のローカル局が存在します。

(*民放の基幹局とその管轄地域はそれぞれのネットワーク毎に割り振り方が異なります。そしてその時々の事情(ネットワークからの離脱や新局の開局など)で変更されることもあります。)

 

これはイギリスの公共放送BBCのネットワークのシステムによく似ております。イギリスもロンドンの放送センターによる全国ネットをトップに、様々な段階でのネットワークの区分けを想定し、一番基底の部分は各放送局のローカル放送となっております。

なおイギリスは日本と異なり海外領土や旧植民地(コモンウェルス各国)を擁し、そこでもBBCは放送を行いネットワークを結んでおります。そのためBBCは複数局ネット/ローカル放送の区分を日本の3つよりも多い6つ設けております。

 

一方でこのBBC型と異なるのがアメリカの放送ネットワークです。アメリカのネットワークは加盟局は全てローカル放送局であり、ネットワークの元締め業務に専念する会社はそれらと別に存在します。全国ネット番組は各加盟局や番組制作会社により製作され、ネットワークの元締めにより各局に配信されます。アメリカの民放ネットワーク(地上波放送)は主にNBC、ABC、CBS、FOX-TV、The CW TV network があり、公共放送ネットワークはPBSがあります。このシステムはイギリス初の民放テレビ・ITNネットワークも採用しております。

 

またヨーロッパの放送局は公共放送民間放送問わずほとんどが全国を放送エリアとしております。ローカル放送用のチャンネルを除けばそれ以外は全て全国ネットのチャンネルと言えます。(日本のNHK教育テレビみたいなものです。)

ドイツのARDドイツ公共放送同盟は、ヨーロッパでは珍しく、各州毎に公共放送局が別個に作られそれをネットワークで結ぶ形がとられます。これはかつてのナチスが全国放送でプロパガンダ放送を行ったことへの反省から、ドイツ連邦政府が放送に介入しないこのシステムがとられているのです。

 

 

 

【日本とアメリカのローカル放送】

 

日本で公式にローカル放送局の考えが示されたのは1951年の民間放送解禁の時でした。

それ以前はNHKが日本唯一の放送局であり、日本全国の放送を一元的に行い電波という有限の資源を有効活用する方針でした(この方針は1926年に当時の犬養毅逓信大臣により定められたものでした)。

ですが第二次大戦後のGHQ占領下の日本で「放送の民主化」を行うにあたり、民間放送の解禁が唱えられ、それはアメリカ的な民放のローカル放送のやり方を踏襲することになりました。そしてそれは放送法に盛り込まれることとなりました。

 

このことから日本のローカル放送の考えが民間放送の指針として示され、それはアメリのローカル放送の考えから来ているのです。

 

ではアメリカのローカル放送の実態はどうだったのでしょうか。

 

アメリ1920年代にラジオ放送が始まりました。当初ラジオは誰もが参入可能でしたが混信や番組の低俗化をまねき、政府による調整や規制が本格的にしかれました。

その規制内容は様々ですが、その中に地域のローカル放送を行うことも盛り込まれておりました。地域のニュースや情報、文化を扱う番組の製作が求められました。

そしてそれを行うローカル局は放送エリアが概ね都市圏や郡単位に近いものとなっておりました。すなわちアメリカは事実上の一まとまりの地域をローカル放送の単位としたのです。

これは今の日本の放送局の実態と異なります。日本のテレビ局やラジオ局は、コミュミティ放送局やケーブルテレビを除き、都道府県をベースに放送エリアを定めております。元々政府では日本の放送局は「都市とその周囲の地域」のエリアで放送を行うことを想定しておりましたが、1960年代までに「都道府県」をベースに放送局のエリアを決める方針に切り替わりました。

 

そのため日本のローカル放送はアメリカの放送をベースにしつつ地域コミュニティを志向する一方で、その地域コミュニティが行政の区割りに当てはめられるという矛盾を抱えているのです。

 

それに日本とアメリカでは全国ネットのやり方が異なります。日本では全国ネットの元締めを東京のキー局が行うことが事実上決まっております。そして全国ネット番組の大半はキー局製作で、全国ニュースもキー局製作です。

一方でアメリの全国ネット(NBC、ABCなど)は元締めを行う会社が放送局とは別に存在しております。全国ネットの系列局はすべてこの全国ネットの元締め会社の元にあるローカル局です。これはニューヨークやワシントンD.C.、シカゴ、サンフランシスコなどの重要都市にある放送局も同じです。全国ネットの番組は各系列局や番組制作会社の製作したものを元締めが全国に流します。(全国ニュースはニュース番組製作会社が作ります)

 

このため全国ネットにおける日本のキー局地方局のシステムは、アメリカの全ての系列局がネットワーク会社の元でローカル局であるシステムと異なるのです。(余談ですがアメリカのネットワークのシステムは日本でも1969年にTBSがネットワーク統括会社を設ける案で検討されたこともありました。)

 

 

したがって日本のローカル放送はアメリカの放送を元に指針が定められた一方で、ローカル放送のエリアが地域のコミュニティから行政的な都道府県単位へと変化し、ネットワークの整備のもとで系列下のローカル局がキー局と地方局に分化するという現象が発生したのです。

 

 

【おしまいに】

 

今回のテーマも長い記事となりました。日本の全国ネットとローカル放送を見ていくなかでイギリスやアメリカの影響が強いのが分かりました。またはそこから日本独自の事情が生まれていくのが分かりました。

 

特にローカル放送の制度や思想はアメリカの地域コミュニティに向けての放送が由来なことは面白い事実でした。

今回は都道府県・地方を単位とした放送にクローズアップしましたが、実際は都道府県・地方の単位より小さな範囲の放送はケーブルテレビやコミュニティラジオなどがあります。そちらの役割も本来は詳しく語るべきなのでしょうが、それぞれ膨大な内容となり本題の外の内容も入るので今回は割愛いたしました。いつかそちらも時間があれば語りたいと思います。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2021年12月17日