ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

因果応報と予定説

こんにちは、ずばあんです。

 

本日は普段何となく信じ込んでいる「因果応報」とその対極にある考えについて語ります。

 

因果応報という言葉を聞かれた方は日本では沢山いると思います。物事には原因と結果が存在しており、原因が変われば結果も変えられるという思想です。転じて原因と結果には責任を持たなくてはならないと言う意味合いで使われます。

 

かたやその対極に「予定説」という考えがあります。予定説とは、物事の運命は全て予め決定されており、人間が変えることはできないという思想です。

予定説はヨーロッパや中東のユダヤ教キリスト教から来ている考えで、日本ではなじみの無い考えです。

 

この因果応報と予定説は相異なる考えですが、それを混同することは往々にしてあります。それが物事を語るときの壁となることもあります。

 

そこで今回は因果応報と予定説の考えとその区別について語ります。

 

 

【因果応報とは?仏教由来の思想】

 

因果応報は日本をはじめ東アジアではなじみの深い考えです。物事には全て原因と結果の因果関係が存在しているという考えです。

この考えはインドから伝播した仏教に色濃く出ており、中国の墨子思想にも存在しておりました。

 

因果応報説は自我の捉え方にも影響を与えております。仏教では、自我というのはこの世の無数の要因が束になった結果作られたというものです。そのため自分を束ねる要因が一つでも変化すれば自我は変化します。そのため自我をより良い方向に改変すべく人々は勤労勤勉にいそしみ、良い因果を導こうとするのです。

 

これは東アジアの文化や社会にも強い影響を与えました。大学などの入試試験は日本のほか中国や韓国などでも盛んであり、将来の出世のための通過点という要素がものすごく強いです。また、身分を超越した実力による立身出世の例も多く、古代以来の中国史などでは奴隷身分や狩人などからの将軍や高官への登用の逸話は少なくありません。

 

これは自分の今や過去の状況に関わらず能力の向上や研鑽により(因)社会的地位が変化する(果)という考えのあらわれでございます。勤勉勤労の思想はこの因果応報論から出ているのです。

 

 

 

【予定説とは? 唯一絶対神による思想】

 

予定説は因果応報に対する思想です。こちらは物事の道理を絶対者が定めた「運命」として考える思想です。予定説によれば、この世は何者も抗いがたい変えがたい運命によって動かされており、その運命はある1人の神により決定されているというのです。世界はその一人の神により動かされているのです。

これは中東・ヨーロッパに広まったユダヤ教キリスト教イスラム教といった一神教の宗教に色濃い思想です。一神教の神は世界を創造し、世界の秩序を定め、世界を改変し奇跡を起こす能力を持つのです。すなわち神は運命を創り、運命を保ち、運命の独占権を有する存在なのです。

 

予定説はこの地域の個人や社会の考え方に深く根付いております。個人の個性は神により与えられ、社会的立ち位置も神が与えたものとされます。そのため中東やヨーロッパの社会では階級が今なお存在し、就く職業や進路も「運命」として幼い頃に既に定められるのです。そこには日本のような職業選択・進路希望の幅はありません。

 

キリスト教では、予定説は特にプロテスタント新教)で強く意識されます。プロテスタント聖書主義と称され、各人が聖書を直に読み内容を知ることが重要視されます。その聖書には「ヨブ記」(*)と呼ばれるものがあり、ヨブという敬虔な信者の物語により試練に耐え抜く信仰の尊さとともに唯一絶対神が信者を必ず救うという姿勢を唱えております。(* ヨブ記は本来はヘブライ人の信仰するユダヤ教の教典の一つでしたが、ユダヤ教から派生・成立したキリスト教でも引き続き教典・聖書の一つとして読まれております。)

 

プロテスタントは、15世紀に活版印刷術が発明され聖書が大量に印刷されて、聖書を読む人が爆発的に増えたことが発端となり発生しました。当時初めて聖書を読んだキリスト教徒はかなり多く、そこで従来の教会中心の信仰と聖書との矛盾が問題になったのです。

その問題の有名なものは贖宥状でした。これは、買った者の罪を贖うことができるとして教会が売り出したものです。贖宥状について、これは他ならぬ神にしか裁けない人間の罪を人間が勝手に白黒つけるもので、すなわち予定説に反するものと考える人がいました。その論争で聖書側に立ったのがプロテスタントで、教会側に立ったのはカトリックでした。

 

その後プロテスタントは予定説を重んじ、既に神イエス・キリストにより救われる事が予定されているとしました。そしてその証明として自分達は天命てある職業を果たし、よく働き禁欲的な生活をするべきだという倫理観が発達したのです。これは社会全体の所得向上と貯蓄・投資の増加という効果をもたらし、ゆくゆくはイギリスを発端とする産業革命を起こしたと言われます。この一連の流れは経済学者のマックス・ウェーバーにより分析されております。

つまり予定説と産業革命、今に至る近代社会は密接な関係があるのです。

 

 

【因果応報論と予定説の由来】

 

相矛盾する因果応報論と予定説、この2つがそれぞれ出現するに至った理由は何でしょうか。

 

その手がかりとなるのは「風土」と呼ばれるものです。風土とは気候や地形などの地理的条件が土地に住む人間の文化や気質に与える働きを指します。宗教も風土の影響を受けております。そのため宗教と密接な関わりのある因果応報論と予定説も風土に由来するものと考えられます。

風土については哲学者・和辻哲郎の著書『風土』(1935)で詳しく語られ、以下の記事内容も『風土』を基に述べていきます。

 

 

〈i. 因果応報論と風土〉

因果応報論は仏教由来の思想ですが、仏教はインドで誕生しました。元は釈迦族の王子ブッダゴータマ・シッダールタ)が紀元前5世紀頃に始めたとされております。

仏教は紀元前7世紀ごろから興ったウパニシャッド哲学を下敷きにしており、悟りの思想はその時点で既にありました。そしてその悟りとは、宇宙の真理・ブラフマン(梵)が自己・アートマン(我)を形作っていることに気付くというものです。これはいわゆる因果応報説の肯定です。つまり因果応報説はインドで生まれた思想なのです。

 

ではインドで因果応報説が生まれたのはなぜでしょうか。

古代インドには元々バラモン教という多神教がありました。この宗教は上流階級の人々を中心に進行されておりました。しかしバラモン教形式主義に陥り、現状の階級社会を肯定していることが批判されるようになりました。

このバラモン教への反発が、物事の真理を追求する流れを起こしウパニシャッド哲学へと繋がるのです。

 

よって因果応報説の成立にはバラモン教という多神教の存在が先立つのです。インドの土地でこの多神教が生まれた理由は何でしょうか。

和辻哲郎は「風土」でインドの風土について「温帯湿潤的であり季節の大きな規則的な変動があり、生物の多様性に富んでいる。」と述べております。まるでこれは日本に近いものを感じます。そしてこの風土はインドの多神教的な宗教を誕生させ、人間味のあり感情が豊かな神々への信仰を生み出したとされます。その神々がいる世界は自然の流れに従い区別や差別の有るなかで生き物や人間が共存する世界観になっているのです。

バラモン教を生み出した風土は温帯湿潤気候生物多様性に富む世界でした。そこでバラモン教の元での差別や形式主義に反発する動きの中で物事の因果を科学的に分析する思想が生まれたのです。因果応報説とは元々この流れから生まれており、本来は恣意的な脚色の余地を挟まない科学的な考えなのです。

したがって因果応報説とは温帯湿潤的で生物の多様性に富む風土から生まれた多神教に反発する思想だったのです。

 

 

〈ii. 予定説と風土〉

 

予定説は欧米などのキリスト教圏で根強い思想です。予定説が確立したのは中世の宗教改革の時であり、プロテスタントカルヴァン派が唱えました。

プロテスタントの予定説は聖書が由来です。プロテスタントおよび予定説の成立は、活版印刷術の普及で聖書が大量に出回り多くの人々が聖書を読めるようになったことが発端だからです。

 

この聖書の成り立ちはユダヤ教を信仰する古代ヘブライ人の歴史に遡ります。聖書(新約聖書*)とは一つの書物の名前ではなく、キリスト教の教えに関わる重要な複数の書物の総称となっております。聖書にはイエス・キリストの教団によるものも含まれますが、イエスキリスト教徒が元々信じていたユダヤ教の諸経典も含まれます。

(* 「新約」とは神との「新」しい契「約」という意味であり、キリスト教徒が元のユダヤ教から改宗したことを表しております。改宗する前のユダヤ教の神との契約は「旧約(旧い契約)」と呼ばれます。)

ユダヤ教の経典には「ヨブ記」など予定説に関わる書物もあり、予定説の思想はユダヤ教の成立時に遡るのです。

 

このユダヤ教が成立したのは紀元前6~5世紀頃です。そのユダヤ教が誕生したのは中東の砂漠地帯でした。

砂漠は見渡す限り岩石や砂礫を晒す茶色の土地で、生命の営みの乏しい地です。もちろん人間がそのまま生存出来る環境ではありません。砂漠で生きる人間は部族でまとまり、厳格な戒律に従いながら生存戦略を取っていったのです。ユダヤ教を生み出した部族もまた同じであり、砂漠という厳しい環境で生き残るための戒律を産み出しました。

その戒律は部族全員に確実に従わせるために細かく明文化されました。そこに自分勝手な解釈は挟まれません。

その戒律から神託を受けたものとされ、その神は全知全能の唯一絶対者とされました。世界を作り、規律を敷き、奇蹟を起こす強い存在です。それは物事の行く末を「予」め「定」める程のものでした。これが「予定説」の神の起こりでした。

 

その後形式主義的なユダヤ教に反発し、隣人愛を説くキリスト教が起こりました。そのキリスト教ユダヤ教の「ヨブ記」等の経典を引用し、予定説も同様にキリスト教に伝えられたのです。キリスト教は「世界の終末」における神からの救済の運命を説いております。

 

なお現在のキリスト教はヨーロッパを中心に信仰されております。ヨーロッパにキリスト教が伝わると、ヨーロッパ人の規則に従順な性格と馴染み定着しました。

このヨーロッパ人の気質について風土を絡めて説明します。ヨーロッパは中東ほどではありませんが生物種に乏しい地域です。草木が人間や動物に利用し尽くされ食べ尽くされ、岩肌が露出する光景を生み出すほどです。そうなると生活の知恵や知識は、自然の中の限定され目に見える法則から得ることになるのです。

法則に慣れ親しんだヨーロッパ人は、古代ローマ帝国時代に中東から入ってきたユダヤ教キリスト教といった唯一絶対神の宗教を受け入れました。そしてヨーロッパで今に至るまでキリスト教は続いているのです。

予定説」もヨーロッパでは根強く、社会や歴史への影響は強いです。ドイツなどで興ったプロテスタント(キリスト新教)はこれを理論化しました。

 

したがって、予定説砂漠という死の大地での人間の生存戦略のための道徳律として出発し、それが生物多様性に乏しい地域での限定された法則の一部にも包摂されたものなのです。

 

 

【因果応報と予定説の衝突】

 

因果応報予定説はそれぞれ異なるバックグラウンドを持ち、それぞれ確固たる根拠があります。両者は関わりの深い宗教や風土が異なります。そのため両者はしばしば衝突を起こしてきました。

 

因果応報説はバックグラウンドとして仏教の考えがあります。それは「究極の唯一絶対神の不在(空の思想)」や「諸行無常」、「苦としての現世」といったものです。風土としては生物多様性季節の変化に富む気候が上げられます。

方や予定説はバックグラウンドにキリスト教等の一神教の考えがあります。「運命・宿命論」や「絶対の真理」、「死への畏れ」といったものです。風土としては生物種の少ないまたはごく限られた生態系変化の乏しい気候が上げられます。

 

日本はもちろん因果応報説の地域です。生物種に富み季節や天気の変化が顕著な気候です。宗教も長らく神道仏教の影響が強く、文化や価値観は今なおその影響を受けております。

 

その日本に現代では西洋の思想や知識が導入され、「良いところ取り」をしてきました。資本主義や民主主義のシステムは西洋からの刺激を受け導入されたものでした。

一方で「予定説」の考えは未だに日本では理解されておりません。予定説は西洋由来の宗教観や思想、社会制度と密接な関係があります。そのため日本の近代社会ではそれらも受け継がれるはずでしたが、先に述べた日本の風土に馴染まずそれらは根付きませんでした。このことはイザヤ・ベンダサン山本七平の「日本教徒」(1976)や小室直樹の「日本人のための宗教原論」(2000)、そしてキリシタン文学で有名な遠藤周作の各著作(「沈黙」「侍」など)でも述べられております。日本人にとって「予定説」や「殉教」、「試練」の思想は忌避されてきたのです。

 

現代の日本社会は西洋社会の仕組みを形式面で導入しております。特に契約人権の概念は先進国ではほぼ共通に存在しております。

しかし今の日本ではそれらの機能が不全な場面が往々にしてあります。契約や公式合意よりも関係者間の密談恩情が優先されます。数年前から有名になった「忖度」もそうです。契約の重さが軽いのです。

また人権権利を主張する側に社会で当たりの強い風潮があり、それを糾弾する動きは小さくありません。人権以上に潔白が重視される傾向があるように思えます。外国人差別や日本に帰化した人への差別、困窮した人への冷淡さ、セクハラ、パワハラ・・・・・・これらがニュースになることは珍しくありません。そしてそれらを悪い意味で茶化し風化させる動きも大きいです。

 

そもそも契約権利は一体のものであり、抗いがたい契約を行使もしくは取り消しをするには広い意味での権利を行使することが絶えず要求されます。逆に権利を行使するにもまた契約が必要なのです。契約と権利はどちらも堅固でないと健全に働かないのです。

 

そのためには「予定説」を理解しなくては契約も権利も上手く利用できないのです。契約権利から派生した概念も同じくです。

 

 

【おしまいに】

 

今回は因果応報予定説を宗教と風土に絡めて解説いたしました。

 

この二つの考えは「都合よく」利用することも可能ですが、使う場面を誤るととんでもないしっぺ返しを食らいます。ではその使う場面とは何でしょうか?正しく使うとはどういうことなのでしょうか?そのヒントは因果応報と予定説がどこで生まれ、どこで根付き根付かなかったかにあると思いました。

 

因果応報」は温帯湿潤気候農耕社会に根付き、一方で「予定説」は死の大地の砂漠で根付きました。しかし現代では社会や経済の実態が変化し、日本でも「砂漠」が生まれつつあります。

ここで言う「砂漠」とは人生で必要な何かが枯渇し死亡可能性が高くなる状況です。精神疾患の診断数は増加し、いじめやハラスメントの報告件数も増加、自殺者数もここ50年で増加してきました。また少子高齢化も著しく労働力人口率の下がる人口オーナス期に入り、経済成長率も低迷しております。社会を支える余力は下がり、コロナ禍もそれに拍車をかけております。

この現況に変革・改革を唱える声もありますが、その中には人にやらせ自分は甘い汁を吸おうとするスタンスの人は少なくありません。最近では日本人の寄付の少なさや人助けの意識の低さを伝えるニュースが聞かれました。「砂漠」があるはずの日本でそのような現状があることは残念です。

私はそれを無視しないために、他人と良好な関係を築くためには因果応報予定説の知識は大事だと思いました。

今なお続くコロナ禍は苦しい戦いですが、今回述べたことを武器に強く生きていきたいと思います。この記事をご覧になった方々にもパワーを分け与えられたらと思います。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2022年2月11日