ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

安倍晋三氏銃撃事件に関して思うこと

みなさまどうもお久しぶりです。ずばあんです。

 

今回は8日正午前に起きました安倍晋三氏銃撃事件について思ったことをつらつらと書いていきます。

 

安倍晋三氏は今月10日に投票、開票されます参議院選挙に際し、8日昼前奈良市近鉄大和西大寺駅前で演説中に41歳の男に銃撃されました。安倍氏重篤に陥り病院に緊急搬送され救命措置がとられましたが8日17時過ぎに逝去されました。

 

これは政界を中心に世間に衝撃を与えました。岸田文雄総理大臣は遊説先の山形から東京に即帰還し、涙ながらに遺憾の意を表しました。自民党のほか主要政党は8日当日の選挙活動を自粛し、各党党首は政治的立ち位置

に関係なくこの悲劇に強い批判と安倍氏の無事を祈る(当時)コメントを残しました。

 

この事件に対する感情や意見は人さまざまですが、私自身が感じたことを列挙していきたいと思います。

 

 

安倍晋三氏は殺されるべきではなかった

 

 

安倍晋三氏の死に対しては悲しみ悼む人や殺人という理不尽に憤る人など様々おられると思います。

 

私は安倍晋三氏については長らく国会議員を勤め、かつ戦後最長の8年近く総理大臣を勤められた人物としてこの人の特筆すべき点に関心を抱いてきました。経済政策や外交政策において積極的な政策を次々と打ち出し、強い存在感をアピールしてきました。

かたや森友学園事件や桜を見る会におけるスキャンダルなど様々な疑惑においても騒がれました。

とにもかくにも安倍晋三氏は支持者や非支持者問わず存在感を轟かせた人物であると思います。

 

こういう事を言うのは不謹慎でしょうが、安倍さんがこのような目にあうのは不思議なことでは無いと思いました。近年ネット文化の変容や多様な価値観の対立により他人に憎悪を剥き出しにする空気は膨れ上がり、それを「受容」「黙認」しようという動きもなんとなく感じてました。その中で漏れなく安倍晋三氏も憎悪の対象とされ、理不尽な暴力に倒れたのです。だから安倍氏を殺したのは我々日本国民でもあるとも思うのです。

 

そして安倍氏については死ぬべきではなかったと思います。それは安倍氏が一日本国民であり、日本国民として生を全うする権利と義務があったからです。変な話私は安倍氏は特別な人間だとは思っておりません。2度総理大臣を勤め、2回目は8年近く勤められ、「アベノミクス」という大きな経済政策を実施し成果を上げても、別にそれは安倍氏が日本国民として生きる権利に大きな影響を与えないと思うのです。それは政治家という国民全員の矢面に立ち、上で言ったようにいつ殺されてもおかしくない状況でもそうであると言えます。

それに別側面では、今の政治体制は中世まで戦争や紛争という殺し合いで決着をつけてきたことを、熱く激しい論戦に替えて命までは奪わないようにしてきたといえます。その点でも殺し合いで決着をつけようとした犯人の行為は許されませんし、安倍氏は殺されるべきではなかったと思います。

 

 

②銃による犯罪は許されない

 

 

今回犯人が犯行に利用したのはなんと自作の銃でした。構造は散弾銃に近く電気着火式で発射するようになっておりました。犯行は事前に試射をしており、用意周到に今回の事件を計画していたことが分かります。事件の前日からは安倍氏の行動を追跡し、警備の状況などを見て犯行の機を狙っておりました。

 

今回の事件ですが銃犯罪という点でもあってもならない事件であったといえます。私は学生時代に銃を使うスポーツをしており、銃の扱いにおけるルールや制限についても銃刀法に則りながら勉強しておりました。

 

まず日本においては銃を断り無く持つことが禁止されております。必ず警察署に登録しなくてはなりません。玩具の模造銃でも威力がある程度大きければそれは厳しく取り締まられます。安倍氏を撃った犯人は自作の殺傷能力のある銃を所持している時点で十分アウトです。

次に銃の取り扱い方です。銃は特別な用途(警察官が緊急喫緊な局面で拳銃を取り出す場合など)ではない限り銃口を人に向けることは許されません。弾を込めてなくてもこれは許されません。このことは銃を使う人間の常識であり、これを侵すことは銃の使い方が問われます。安倍氏の事件では銃の銃口をターゲットたる人物に向けておりその時点であり得ないのです。

 

上のような点だけでも正直犯人には憤りを覚えるのですが、銃で意図的に人を殺傷するのはもう外道の行いにしか思えません。

銃を使う趣味やスポーツ、仕事をする人のほとんどはルールを守りながらやっております。ただ、一人でもそれを侵すと他の善良な人も疑いや不信感を向けられるのです。それがあるからこそ私は犯人の外道を許せないのです。

 

 

③カルト宗教の害の大きさは?

 

 

 この事件の犯人は安倍氏を殺害した理由を「母が信仰し一家破産まで貢いだ統一教会を許せなかった。安倍氏統一教会とコネクションがあり日本において影響力が強い。だから安倍氏を殺せば統一教会にダメージを与えられると思った」と語ります。

 

犯人の母親は30年ほど前から統一教会に入信し、家財や親族からの支援を含めて数千万円の寄付を行ってきました。これにより家族は破産し家庭内の軋轢を招き、犯人は進学していた大学を中退せざるを得なくなりました。犯人はそれ以来統一教会に対して強い憎悪を抱き続けました。

 

一方で安倍晋三氏は祖父の岸信介元総理の頃から家族ぐるみで50年近く統一教会とコネクションを持ち、本人も近年は統一教会の会合に参加したりビデオメッセージを送ったりと統一教会と懇意な関係が表れておりました。

安倍氏の一族が統一教会とコネクションを持ったのは、半世紀ほど前に東西間の冷戦が深刻な時代に安倍一族が保守系の政治家一族として、反共産主義を標榜する統一教会と政策面での協力を求めていたからという経緯があるからです。その経緯から安倍一族のみならず自民党の党員も統一教会との繋がりのある人物が多いです。

 

上のような安倍一族と統一教会との関係から犯人は自分の家庭や人生を歪めたと考える統一教会に対してダメージを与えるべく安倍晋三氏を殺害したのです。

 

この部分は別の記事で詳しく語りたいと思いますが、もし犯人の言う発言が本当ならば日本においては「カルト宗教」の害について再考し、それに対して沈黙することがもはや許されない局面に来ていると思います。

 

「カルト宗教」の害とは単に信者から多額の金を集めることではなく、信者やその縁者の人生に歪みを与え、それに宗教団体として責任を持たず頑として沈黙することを指します。それはカルト宗教の底の浅さや器の小ささ、俗物ぶりから端を発し、そのくせ世界宗教と同じ地位や荘厳さによる便益だけを求める営みにより起こると思います。

 

もし国会議員や官僚という有力な立場がカルト宗教の便益のみを注目し、カルト宗教の器の小ささによる害を無視してよい犠牲と考えるのならば、これは一種の公害といえるでしょう。国民が安心して暮らすために必要な権利のひとつである信教の自由を破壊されているのですから。

信教の自由は日本国憲法に示された国民の権利ですが、それは宗教を信じたり「信じなかったり」する権利です。これは宗教団体への加入、脱退の権利も含まれます。それを保証すべく「政教分離の原則」という政治権力と宗教団体の一定の分離が求められております(これは政治と宗教の完全な分離を求めるものではなく、国民の信教の自由を侵さない程度の分離を求めております)。しかし今回のように信教の自由をキャンセルされる人々がいるならばどうでしょう。政治的配慮によりそれが成されるとすれば、それは信教の自由の理念や制度運営に至るまでただのハリボテであったことになります。

 

今回の襲撃事件で安倍氏は殺されるべきではなかったですし犯人の行為は誤りだと思います。ただ、安倍氏と犯人の間の根深い相剋は間違いなくあったと思います。今回明かになった信教の自由とカルト宗教の問題を再考しない限り、もっと凄惨な事案が発生すると思います。

 

 

④選挙の意味

 

 

ここまで強烈な事件を起こす意志というのはどのように処理すればいいのでしょうか。

ここで私は選挙の意味について考えました。民主選挙というのは国民の意見を国政に反映させる制度ですが、やはり多勢を擁する勢力が勝つことになっております。もし自分の票で国政に影響を確実に与えたいのであれば、有力な政党に票を投じたりすることを考えることになるでしょう。白票も最大勢力政党への「黙認」票と考えられるでしょう。

ただ、この選挙という制度はかつて民主政治の制度が不十分な時代に頻発していた戦乱や謀殺、暴動などの代替と考えることもできます。フランス革命の初期を見ても政権が変わる度に処刑が頻発しており、今回の安倍晋三氏銃撃事件の比ではない程の血生臭い事案を経ないと政権交代も出来ないのです。

そんな政治の場から血生臭さを除く役目を選挙は持っていると私は思います。私は正直言えば頑固な質なので自分の考えと合わない候補者政党には絶対に票を投じたくありません。とはいえ、無言や沈黙も他人のそれを許しているような気分がするので無投票も嫌なのです。

そんな尖った私の意志を今回の銃撃事件のような形で毎回発散していったらどうなるでしょう。恐ろしい話です。それこそ国の歪みで自分の人生を歪めているようなものです。だから私は選挙には必ず行って票を投じているのです。

だから社会に不満のある人こそ有力候補とか泡沫候補とか面倒なことを考えず素直に投票すればいいのではと正直思うのです。

 

 

 

 

 

今回の記事はここまでです。

ご覧いただいた皆さま誠にありがとうございました。

 

 

 

2022年7月30日