ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

技術と芸の違い

みなさまこんにちは。 ずばあんです。

 

本日は「技術」について話します。

 

技術といいますと資格や専門分野、教育などと関連付けられ、自分の進路や人生設計と深く関わりのある話のように思えます。

プログラミングの資格や簿記の資格、英語の能力判定や検定など大学生活や就職活動の時期にはそうした技術について強く意識しました。自動車の運転免許は言わずもがなです。

 

もちろんそれらを獲得するには勉強や訓練が不可欠です。そのために学校や教育課程、はたまた教材や勉強法指導法が開かれ開発されております。しかし残念ながらその甲斐もなく資格取得や能力向上が叶わないパターンがあります。私ずばあんもその例をいくらでも枚挙できます。

 

ではどうして上手く行かなかったのでしょうか。何が技術取得を妨げるのでしょうか。

 

今回はこの課題について、「技術と芸の違い」という論点で語らせていただきます。

 

 

どこでも通用する「技術」

 

 

まずは「技術」について語っていきます。技術は客観的に示すことの出来るものです。「言葉では言い表せない」ということはなく、言葉なりなんなり形として表現出来て、それ故に伝授教育が可能で、再現可能性をもつもの、それが「技術」です。

 

そこには個性による差は無いはずであり、真面目に勉強や訓練をやれば習得が可能なものなのです。いつでも誰もが同じようにプログラムを実行すれば同じように再現できます。

それが出来ないのであれば、その者が勉強や訓練を十分に行えていないからなのです。決して技術やプログラムそのものの欠陥ではないのです。

 

自動車教習所の教育や訓練をしっかり受け習得すれば、誰もが安全に車の運転は出来るようになります。それが出来ない時は本人の教育態度の問題であり、または本人の能力の偏りに問題が存在しているのです。

 

健全な社会の営みにも同じことが言え、社会性と呼ばれるものはひとつの技術であると言えます。礼儀作法、道徳倫理、文化教養、そうしたものは社会の構成員としてやっていく為の万人に対して教えられる技術です。もしそれが欠如しているならば、それは本人がその教育を受けてないことが問題なのです。

 

 

【天才しか持ちえない「芸」】

 

 

さて、技術とよく似た言葉に「」というものがあります。「芸」というと、工芸や芸術、芸能、芸当という言葉に入っております。それらを見て芸と技が同じようなものと考える人は少なくありません。

 

しかしながら「」というものは、その人の持ち合わせた天性というニュアンスがあります。人それぞれ個性がありますが、芸は個性に強く紐付けられ、他人に伝達・伝授できないものなのです。そのため、ある優れたどの人より抜きん出でている「芸」を持つものは天才なのです。

 

芸というのは本来教育が不可能なものです。そのため芸を引き出すためのトレーニングは実際は教育ではなく選別なのです。

例えば俳優などのオーディションは、沢山の人数を集め厳しい審査を経てそこから優れた逸材が選び出されます。

そんなことをするのは優れた芸は教育ではなく選別によってのみ見つけられるからです。

 

そして芸は再現不可能なものです。教育出来ないので当たり前です。そのため芸を持つ天才はそれ故に手厚く大切にされ、芸が光り続ける限り使い倒されるのです。

芸能人の仕事は日夜多忙を極め、大量の人員や物が芸を支え生かすために動員されます。これも芸が天才のみが持ち合わせるものだからです。スタッフに代役はいても各芸能人には代役はいないのです。

 

そのため、芸を極めようと志した人間が自分にその天才性が乏しいことを理解したとき、もうその芸の道を諦めるほか退路は無いのです。

 

 

【芸術教育なるおかしなモノ】

 

 

ここから最初に提示した「技術教育」が不振となる理由について主張します。

 

技術は教育を施せば伝授されるものであり、それが上手く行かないのは教育の実施の仕方が誤っているのです。すなわち伝えた内容に誤りがあったり、理解を誤ったりするところに技術教育の不振の原因があるのです。

 

そこから考えると技術習得が上手くいかないのは教育をやっていないからという所に繋がります。

教育をやってないといいますと、私が「天才しか持ちえない「芸」」の章で語ったことが思い出されます。芸のトレーニングは教育ではなく選別であると。

 

すなわち技術習得の勉強や訓練をしているつもりが、実は「芸」の選別のためのオーディションにかけられていたという可能性です。

 

このように、技術を伝授するように標榜しながらも実際は芸を社会のある一定の範囲で選別しているプログラムを、仮に「芸術教育」といたしましょう。

 

この芸術教育では、目標が奇才レベルの「超人芸」を習得することとされます。教育されるものはひたすらそのレベルに到達するまで時間や体力といったリソースを割かれます。そしてこの「教育」プログラムを経て選別された者は芸のある天才とそうでない凡才に分かれます。

 

凡才の場合もう芸術教育のもとで教育機会はゼロなので芸術教育から離脱、すなわち芸を諦めることとなります。

天才の場合はさらに絶え間なき競争に放り込まれ、芸の度合いを競い合います。そこでも脱落者がおり凡才と同じ道をたどるのです。

 

ここには教育もなく理由もありません。強いて言えば物言わぬ何物かがあらかじめ根源的なところで定めたものがあるのみです。何物かがひたすら存在だけをやかましく主張するものがあるのです。

 

これが芸術教育の実態とそこに潜む真の悪魔の正体なのです。

 

 

【教育なき日本は芸と共に死す?!】

 

 

いきなり仰々しいサブタイトルですが、ここからは著作「日本はなぜ敗れるのか-敗因21か条」(山本七平‚ 1975)からの引用が主となります。

 

この著作は太平洋戦争でフィリピンに派兵されたのち米軍の捕虜となった小松真一氏の当時の書記「虜人日記」の記述を元に、著者の山本七平が太平洋戦争で敗れた旧日本軍や日本社会の問題点を分析し記したものです。

 

その中で日本における芸と技術の問題が語られております。

 

まず本書において、日本軍の敗因として作戦の計画を「」や「天才」に依存したせいであると述べております。当時の日本軍の中には作戦遂行における物量の不足を天才による芸によりカバーできるという自信がありました。それは日本軍始まって以来の大勝利である日露戦争 (1904)での戦勝により肥大化したといわれております。

そして日中戦争(1937)から長い戦争が始まると、例のごとく天才を戦地に送り込みました。そして天才は戦地で文字通り使い潰され、優秀な人間は日本軍からいなくなりました。そして元より物量不足であった日本軍はその弱さが露呈し、それを連合諸国に突かれ敗北したといわれております。

 

また本書では「天才を教育すればもっと優れた兵士になる」という迷信についても論破しております。

芸のある天才がその能力を発揮するには物量が不足しているなど限定された条件が必要です。何か状況が変わると芸は壊れてしまいます。たとえそれが教育という状況であろうともです。

しかし日本人は芸を技術と勘違いをしてしまい、芸を技術教育しようとするチグハグなことを行ってきていると述べております。

 

 

 

 

ここまでが「日本はなぜ敗れるのか」の内容でした。

 

このように芸や天才に依存し教育観もそれに冒され、しまいには敗北した日本の姿が見えております。

そしてそれは今の日本にもまだあるのではないかと思われます。

 

今の日本ではいまだに芸を教育出来るものという勘違いがはびこり、芸や天才に頼りきる社会像を理想とする思想が少なからず見られます。そこには誰もが習得出来る技術を教育する考えや天才がおらずとも社会を回す思想がありません。

 

近年の日本を神聖視する言論でもこのきらいがあります。天才の出現を持て囃し、それ以外のものを穢れとして切り捨てるような傾向が見られます。教育すらも穢れとして切り捨てられているのではないのでしょうか。

 

そして天才は環境に依存します。芸は本人の個性と環境が結び付いて出現するものです。いかなる場面でも天才だという人はいませんし、いかなる場面でも通用する芸は無いのです。

それに気付いた人は天才が力を発揮できない環境の変化を誤りだとし、必死に天才のために環境を変えない努力にコストが割かれるのです。

天才を守るためか、あるいは自分や誰かが天才になるためか分かりませんが、日本で悪い意味で守旧的と称される人はこのような人達なのでしょう。

 

 

【凡人の私たちはどうする?】

 

 

ここで凡人の生き方について述べて〆とさせていただきます。

 

凡人とは芸に秀でていない天才ではない人達です。私もその一人だと思います。

私たち凡人は天才にはなれないので、芸ではなく技術を学ぶ必要があります。そのための教育が必要です。しかしながら先ほど申し上げたとおり「技術教育」の振りをした「芸術教育」が日本にはいまだあります。

その芸術教育で成果が見いだされない時には、すぐに技術教育に移る必要があると思います。

 

技術は必要な教練をこなせば誰でも習得できます。ですが芸は選ばれねばそこで終了です。長い人生において芸ばかりを追求して損失を出すことになればそれはもったいないことです。そのためまずは若い時には技術を追求してから、それから余裕が生まれれば芸術を追求する機会を経ても遅くはないと思われます。

 

【おしまいに】

 

天才の条件が何なのかは自分が天才にならない限りは分からないと思います。

何故か分からないけど天才になった。何故か分からないが凡才だったようだ。そこには教訓や教育的アプローチはなく、宝くじに当たるのと変わらないものがあると思います。

私が述べた「芸術教育」も教育ではなく博打でしかないと思います。柳の下のどじょうとはこの事です。

 

だからまずは「技術」が何かを意識して勉強しなくてはならないと思います。技術は芸のように天才の個性に依存するものでは無いのです。誰もが同じようにやれば同じような成果が出るものです。それを思えば技術を得るための勉強や教練をする上で気が楽になるかもしれません。

 

それでは最後までありがとうございました。

 

 

 

 

2022年5月18日

漫画「不死の楽園-13人の異能-」が面白い!

こんにちは、ずばあんです。

 

私はインターネットの漫画アプリで漫画をよく読みます。最近その作品でとても面白い作品を見つけました。それは漫画アプリ「サイコミ」で連載されている「不死の楽園-13人の異能-」(冬坂あゆる)です。

 

 

話の内容は、超能力者の能力を科学的に利用できるようになった日本で、超能力者が一つの施設に集められ、そこで行われる超能力者らの集団生活やクーデターを描いた作品です。

 

主人公の男子高校生・神代理久は超能力検査を受けた後日突然何者かに拉致され、愛する妹の楓と別れます。そして理久は超能力を持っていることが判明し政府の施設「パライソ」で2年間研究に協力しながら暮らしていくことが伝えられます。

「パライソ」は一見すると普通の街のようで理久を含めた13人の超能力者とその他多数の政府関係者が暮らしております。「パライソ」で理久は施設で平和に暮らしていく筈でした。

しかしその日の夜に激しい戦闘が発生し理久はそこへ向かいます。多数の死傷者が出ているようです。すると理久は何者かに襲われ殺されかけますが、理久が「殺さないでくれ」と叫んだ時相手は身動きがとれなくなりました。理久は初めて超能力を発動したのです。

理久は直後武力部隊に捕縛され、超能力者らが「クーデター」を起こしたと伝えられます。しばらくして部隊は超能力者に壊滅させられ、何故か理久も殺害されました。

しかし死んだと思った理久は無傷の状態で目覚めました。理久はそこでクーデターを起こした超能力者らと出会います。リーダーの立石凛完全蘇生能力の持ち主で、かつて一度事故死した理久の妹を蘇生した超能力者で理久の恩人でした。凛は理久の能力が「強制禁止」(理久の発した禁止事項の言葉が具現化する能力)であることを告げます。そして凛は、クーデターは超能力者を拘束し残虐な実験を強いる政府への叛逆であるとし、理久にクーデターへの参加を求めました・・・・・・

 

このように始まる作品ですが、このあと超能力者たちの政府への反逆と共に超能力者たちの人間関係や過去、思惑についても詳しく描かれ話は展開されます。

 

今回はなぜ私がこの話を面白いと思ったのかを語りたいと思います。

 

 

【「不死の楽園」のキャラクター&ストーリー】

 

不死の楽園にはいくつものキャラクターが出ております。その中でもキーパーソンを紹介します。

 

まず13人の超能力者は・・・・・・

○神代理久(16)

能力:強制禁止(「禁止」を意味する言葉で対象の物理的行動を抑える)

主人公。神奈川県に住む男子高校生。思いやりのある優しい性格。兄妹に妹の楓がいる。8年前に楓が転落死したときに凛に妹を蘇生してもらい、理久は凛を恩人として尊敬する。人の死に敏感で、超能力を持ってもなお殺人を厭う。

 

○立石凛(?歳)

能力:蘇生(死んだ人間を遺体から蘇生出来る)

容姿端麗な美少年。理知的で温厚で優しいキャラクター。パライソの超能力者のリーダーであり、超能力者に残虐な拷問や実験を加えた政府にクーデターを起こす。

「姉さん」なる人物に思いを馳せる時がある。

 

○遠藤紗希(16)

能力:重力操作(対象物にかかる重力を増減させる)

思春期の女子であり、心優しい性格。パライソの超能力者と仲良くしたいという気持ちが強く、仲間の危機に激しい感情を露にすることが多い。理久がパライソで最初に出会う超能力者。

 

○加藤美羽(28)

能力:複製(物を複製する能力)

成人女性。露出の多く妖艶さが強い身なりをしている。優しい性格でありかつ成人として未成年者の多い仲間を守ろうとする気持ちが強い。

パライソの超能力者では、凛を除くと最年長である。

 

○長村香苗(14)

能力:自然発火(感情の高ぶりや肉体的苦痛により発火する能力)

思春期の女子。普段は感情に乏しいが、凛には強い恋愛感情を抱く。凛を侮辱・攻撃されると激昂する。

幼い時に父親から虐待を受けており、激しい暴行を受け死亡するも凛に蘇生された過去がある。

 

○萩原学(14)

能力:異種合成(異なるものを合体させる能力)

男子。おかっぱの髪型で丸メガネをかけており、実験用の服を羽織る。頭脳明晰であるが、人を見下しインテリ風の態度をとる。

実家では「落ちこぼれ」として冷遇され度々折檻を受けてきた過去がある。

 

○真田匠真(13)

能力:液体置換(人工の容器に入った液体を別の液体に変化させる)

男子。ややボサボサの髪で角縁メガネをかけており、ジャケットは肩にかけている。学同様に頭脳明晰で聡明。落ち着いた性格で普段は感情に乏しい。

 

木村翔太(24)

能力:圧縮(空間の内側を全て圧縮する能力)

成人男性。若者の男らしい風貌をしている。兄貴分として頼りがいのある性格。

 

○矢島芽衣(13)

能力:テレポート(自身と触れたものを瞬間移動させる)

女子。カチューシャと長いスカートを着け、ウサギのぬいぐるみを手離さない。大人しく内気な性格。

 

○高橋湊(17)

能力:電撃発射(マイナス極を着けた場所に自分の手元のプラス極から電撃を発射する能力)

思春期の男子。長髪を後ろ結びにしている。開放的であり仲間思いな性格。仲間を傷つけられると激昂する。

 

○桜井向日葵(ひまり)(11)

能力:絶対防御(バリアーを張りいかなる外部攻撃から防御する能力)

小学生の女子。利口な性格であり礼儀正しく世話焼き。福田遼とは同郷の友人。遼とともにパライソ最年少。

 

○福田遼(11)

能力:等速狙撃(投げた物を狙ったところに等速で当てる能力)

小学生の男子。髪をツンツンに立てている。喧嘩早いが根は優しく素直な性格。向日葵とは同郷の友人。攻撃にはナイフ投げを使う。

向日葵とともにパライソ最年少。

 

○西塚廉(17)

能力:不詳

男子。細目でボブヘアーであり、ジャケットは腰に巻いている。飄々とした性格。普段は戦闘に加わらず凛らと裏方の仕事をする。能力は不詳。

 

ここまでは超能力者ですが、続いては傭兵側の紹介です。

 

○鐵丈二(36)

男性。ADAM(対使徒特務部隊)隊長。

超能力者のクーデターに際し、政府の依頼で超能力者の捕縛の任務を遂行する傭兵。理久や凛の策にかかり捕虜となり、総司令官のフィニアスに捨て駒として捨てられた身分から超能力者らに協力することになる。

頭が回り記憶力もよくそれらを様々な局面で発揮する。

またパライソの外部の人間としてパライソの異常性に気付く立場でもある。

 

○フィニアス・E・バーンシュタイン(63)

男性。通称「教授(フロフェッサー)」。PMC「シルバーコイン」トップ。目的達成を旨とし、そのためには手段や経緯を選ばない。アメリカ軍作戦担当出身。

 

○ブライアン・マーティン(64)

男性。

ナイフ使いに長けた熟練の傭兵。フィニアスとは同期で長年の相棒に等しい。過去に鐵と活動したことがある。

 

○リチャード・ジョーンズ(38)

男性。衛生兵。

とある宗教の教祖をしている。元医師であり、パラジャンパー(戦地で救護任務に当たる要員)の経験がある。凛とは面識があり「悪魔」と罵る。

 

○エミリ・ロビンソン(23)

女性。狙撃手。

男勝りな性格。狙撃手としての腕に長けている。長村との対戦のさなか理久に捕縛される。そして司令官との関係が切れ敵意がないことを確認されると理久らに協力する。

彼女もまた外部の人間としてパライソの異常性に気付く立場である。

 

ここまでがキーパーソンの紹介でした。

 

 

不死の楽園は2018年から週ごとに連載される作品ですが、ここまでのストーリーは時系列により次のように分けられます。

 

(1)超能力者による政府へのクーデターと戦闘

(2)凛の死後、外部からのスパイ侵入の疑惑と、理久への嫌疑

(3)凛の復活と凛の思惑・目的

 

(1)は超能力者に対する残虐な実験と拘束を理由に、凛をリーダーとして超能力者が政府に対し武力蜂起をする部分です。やがてそれはパライソのスタッフのみならず、政府側が派遣した傭兵部隊との戦いにも及びます。超能力者らは傭兵側から人質や協力者を得ながら戦闘を繰り広げます。

そこでは政府側のスパイ「ユダ」の存在や、凛の過去を知るものの存在とその因縁、超能力者らの価値観や思想について描かれます。

この部分の結末は凛が殺害され、「ユダ」が政府側を裏切り傭兵部隊を壊滅させるところで終わります。

 

(※以下一部要網掛け)

(2)は凛の死後、政府側のスパイの存在が問われ超能力者内で理久にその疑いをかけられるところから始まります。理久はその後疑いを張らすべく理久に賛同する者と協力し知恵を巡らせ行動します。

やがて理久の疑いが解かれ、スパイの正体がパライソの超能力者・西塚であることが分かります。西塚はパライソに来る前は連続殺人犯の過去を持ち「変身」能力で行方を眩ませておりました。ある時凛を殺害し、「凛が能力で復活したこと」をきっかけに逮捕されるも、非公式の政府との取引でパライソにスパイとして侵入しました。かたや政府を独断で裏切り、理久を利用する計画を巡らせたのです。

西塚は理久らと戦闘しましたが、理久の仕掛けた策に嵌まり再起不能にされました。

 

(3)は凛が能力で復活したところから始まります。凛は死亡した超能力者らを蘇生させ再び13人での生活が始まりました。

一方で学は、精神的な焦りで暴走し他の超能力者らに危害を加えはじめました。匠真はそれを止めるべく能力で学を制圧し対談、和解しました。

しかし学は突如凛に「完全蘇生」解除で絶命されます・・・・・・

 

この先は「サイコミ」でご覧になっていただければと思います。

 

 

【「不死の楽園」を見る観点】

 

この話は超能力者たちによる超能力バトルが主な軸となっております。故にこの話は「超能力」「戦うこと」に主眼がおかれるのです。

なおそのような要素を持つ話は他に沢山あります。「ジョジョの奇妙な冒険」「北斗の拳」「ドラゴンボール」・・・・・・人気作品の王道のようなものです。(特に本作品はDBの影響を受けております)

ですがこの「不死の楽園」はそうした物語とはまた異なるメッセージがあります。

 

それは

①超能力や生き返るチャンスを持つと人間の価値観はどうなるのか

②超能力者のトラウマと能力の発露は何をもたらすか

③戦いに酔い、慣れた人間にどのような末路が待っているのか

ということです。

 

 

まず①はパライソの13名の能力者の置かれている立場です。個々の能力者はそれぞれ強力な能力を持ち、中には(理久の能力も含め)人を殺害できるものもあります。そして生き返るチャンスは立石凛の「蘇生」能力です。これは遺体が残っていることを条件に何度でも死者を生き返らせる事が可能です。

この環境はクーデター前までは、能力者が死を伴う実験を何度も味わうことに繋がりました。クーデター以降は立石凛がリーダーの組織のもと、非道な人体実験による精神の異常とも相まって、能力者は死を伴う特攻や大量殺人を厭わなくなりました。この異常性はグループの新米メンバーの理久や、外部からの非能力者の鐵やエミリが強く感じたことです。

特に理久にとっては、自分や自分の妹を生き返らせてくれた凛への恩と、人を殺したくないという戒めとのジレンマになるのです。

 

 

②は作中設定の「超能力者はトラウマや大きなストレスを反映した能力を発露する」と関わるところです。超能力者が能力を身に付ける切っ掛けはその時に強く願った願望や深いトラウマであり、それを埋めるように能力が決定されます。

理久の能力「強制禁止」は一度楓が事故死したことに対するトラウマに呼応します。それにより不慮の死を招く要因を無くしたいという気持ちが理久に芽生えたのです。

このメカニズムは研究により明らかにされておりました。そしてトラウマやストレスを強めるごとに能力を強化できることが分かりました。故に政府は超能力者に肉体的・精神的な苦痛を与え能力の絶え間ない強化、抽出を行ったのです。そのために一部の能力者は一時正気や人間性を著しく失ったとされております。

つまり超能力者が能力を得るまでの物語が、文字通り「生産」「消費」されているのです。凛達のクーデターはそれに対するアンチテーゼなのです。

 

 

③はこの物語全体に貫かれている哲学です。

物語は超能力者の政府へのクーデターから始まり、大量に人が死ぬという残略な戦闘から幕が開けます。その中で理久は戦闘や殺人に否定的になりつつも、残虐な戦場に戦士として旅立つのです。

一方で超能力者の本当の異常性も明らかにされていきます。人が死ぬことについてトラウマやストレスを感じずさも当然な風に受け止めているのです。その違和感は理久のみならず、軍人の鐵やエミリも感じたことでした。戦場に出る兵士の視点でも殺人や死は本来は残酷で怖れることなのです。

 

超能力者が戦闘や殺人に慣れている理由は主に2つあります。

1つは立石凛の蘇生能力です。もし自分が死んだとしても遺体さえあれば凛の能力で蘇生できるのです。その為生き返る保証を持って超能力者は戦場に赴けるのです(まるでライフを無限にもつゲームのキャラクターのようです)。そこにクーデターの首謀者の凛への恩情があればなおのこと犠牲精神から聖戦を厭わなくなるでしょう。

2つ目は残酷な実験による人間性の破壊です。これは最大限の肉体的精神的苦痛を与えられるほか時にはストレス耐性をわざと下げるという、どこまでも痛みを超能力者に与えるものでした。これは一部の超能力者の人間性の崩壊を招き、道徳倫理観の歪みの一助となりました。

 

そうした現実を鐵やエミリらに突きつけられた超能力者は戸惑いの念を示しました。そして戦士としての奉公を誓った凛に対する感情もまた揺らぐのです。

 

 

 

この2つの点から導かれる本作の総合的なメッセージは、「過去に生命を救われた恩人のために超能力を以て残酷な戦いに奉じることや、恩人との関係には果たして疑わしいことはないのか」という点です。

 

私はこれは少年漫画というよりは青年や成人のためのメッセージに思えます。成人になると義務や責任が多くなります。その中でを主張する人間は少なくないですが、その中にはわざと恩着せがましいことをする人間もおります。そして、自分もその手口を想像する事が易くなり、他人との関係でそれを絶えず疑わざるを得なくなります。

 

戦うことの意義や戦士の生き様の素晴らしさを説かれる戦記は多くあります。

しかし戦闘に対する強い疑問を拭いきれないまま恩情や仲間意識から戦場に投げ出され、そして汚くグロテスクな姿を晒すリアルな戦記はあまり見たことはありません。

(戦争へのロマンを抱きつつも最終的に行路や戦地でそれらを打ち砕かれるという例ならばドイツ映画「Uボート(Das Boot)」(1981)が思い浮かばれますが)

 

 

現在本作の展開は裏から手を回す人間の手口に気づき、それに抗おうとしている段階です。この先物語はどのように展開するのでしょうか。

 

 

【私がこの作品を好きな理由】

 

私がこの作品を好きな理由は、激しい戦闘や恩義、忠誠を描きつつもそこに生まれる疑問や矛盾を拾い上げクローズアップしているからです。

 

「不死の楽園」の作品名を見ると、不死の保証をされた主人公らが凛への恩義恩恵の元に「楽園」作りのための激しい聖戦に身を投じる話のように最初は思えました。

しかし物語が進行するにつれ、第1話から理久が感じていた超能力者らの価値観や残虐性への違和感は解消するどころかどんどん大きくなり、遂には疑惑にまで至ります。

これは恩義のためならどんなことをしても良いのか恩恵を受けそれに報いる関係は手放しで喜べるのかという疑問を浮き彫りにしております。

香苗は虐待による絶命への危機から凛により救われ並々ならない恩義や愛情を感じております。しかしそれは凛に対する執着や依存心に至り、凛を侮辱した者を仲間でも殺害しようとする程の危うさを持ちます。

芽衣は凛の能力の元でクーデター成功のために生命を賭けて戦地に挑みますが、エミリらにその異常性を指摘された時に困惑しました。

 

(※以下要網掛け)

 

立石凛の復活後は特にその関係性への疑念が強くなりました。凛はクーデターで倒そうとしていた筈の政府の関係者と内通していることが分かりました。また凛は蘇生解除で萩原学を絶命させたり、その発動条件や理由などの説明が仲間に対して完全になされませんでした。そして凛と超能力者らの初めての出会いも偶然ではなく政府から情報を予め得ていた可能性を凛は匂わせました。

 

こうして凛の陰謀は、上の蘇生やクーデターによる恩義や恩恵に対する凛への奉公という構図を瓦解させました。そしてそれらを掌で操っていた凛の目論見に物語の焦点が当てられました。

 

ここまでの一連の話の流れは主人公らにとってはあって欲しくないこと、あっても言ってはいけないことの中に入ると思います。

しかしやはりここまでのことをやってのける姑息な人間がいることも事実です。人の人生の物語につけこみ、自分の思惑のために他人を生け贄にしようとする存在。その悪魔は一体どんな顔をしてどんな出会いをするのでしょうか。その悪だくみは本人の中でどのように考えられているのでしょうか。

そしてそんな存在と関係を持ってしまった人々はどのように立ち向かえばよいのでしょうか。

 

 

この問題提起は、実際にその地獄にはまらざるをえなかった人に響くと思います。こうならない方がましですが、まずそれが示される筈がなかったであろう人々に残されたのはそこから逃げ出すことでした。

だからこそ理久はこの美しく甘く香り輝いている「地獄」に送り込まれ、そこからみんなと一緒に抜け出す使命を帯びているのでしょう。

 

 

【おしまいに】

 

 

今日は漫画「不死の楽園」の紹介をさせていただきました。この作品は私が昔から今まで感じてきたことや疑問に思ってきたことが盛り込まれ、久々に深くのめり込んで読んだ作品でした。

 

単なる能力バトルではなく、各キャラクターや集団の道徳、倫理観について緻密に拾い上げる人間ドラマ・成長ストーリーを描いております。それも超能力を持って異種の人間になるという流れよりは、普通の人間として大切なものを超能力者らによるクーデターで見つけていくストーリーになっております。

 

「不死の楽園」というタイトルをここで改めて見ると、その意味について考えさせられます。不死になる、楽園で暮らす、それは理想なのか皮肉なのか、皆さんはどう思われますでしょうか?

 

作者の冬坂あゆる先生は、今月自身のTwitterで本作の最終話の原稿を製作していることを発表しております。そのためこの「不死の楽園」はあと数話で結末を迎えることになりそうです。

 

最初にも申し上げましたが、現在(2022年3月)「不死の楽園」は漫画アプリ「サイコミ」で連載しており、無料で閲覧できます。単行本も現在10巻まで出されております。

 

 

それでは最後までありがとうございました。

 

2022年3月13日

 

 

(22/4/3追記)

 

「不死の楽園」最終回は3月27日に「サイコミ」にて先読み限定でアップロードされました。来週土曜日4/9には無料で閲覧可能となります。

また4/3からスペコンで3週連続でキャラクターのより詳しい設定に踏み込んだ漫画が発表されます。(要ポイント)

 

本連載、スペコン共に「不死の楽園」をお楽しみいただけたらと思います。

 

2022年4月3日

 

岡田斗司夫の「いい人戦略」

こんにちは、ずばあんです。

 

今回は「いい人戦略」について語ります。

 

いい人戦略」とは実業家の岡田斗司夫さんが唱えている処世術であり、今年に入ってから岡田さんのYouTubeニコニコ動画ではこのいい人戦略に関する配信が頻繁されております。

 

いい人戦略」は名前の通りいい人として見られるための戦略です。いい人になることにより様々なメリットがあります。いい人戦略はこれまでいい人ではなかった人も実践できるものです。

 

このいい人戦略について、具体的にどのようなものなのか、そして私がそれをどのように思うのかを説明したいと思います。

 

 

【いい人戦略とは?】

 

いい人戦略とは「いい人」を演じて、社会的に居場所を確保する戦略のことです。

社会生活では存在価値を示される場面が少なからずあります。その存在価値には実力や地位など様々なものがありますが、岡田さんはその内の「いい人」のキャラクターに徹することは簡単であると言われました。

「いい人」になるにはいい人として見られる「するべきこと/するべきでないこと」すなわち「いい人戦略」を実行するだけでいいとし、誰もがすぐに出来ることだと言われました。

 

いい人戦略については岡田斗司夫さんのYouTubeアカウントでアップロード(無料、一部有料)されております。(→リンクhttps://youtu.be/hB5ncWZvVbw )

 

これによりますといい人戦略はいい人の性格になるのではなく、いい人ではない人がいい人を演じるための戦略であると説明されます。

 

いい人戦略の内容は「4つのするべきこと」と「6つのするべきではないこと」から構成されます。

 

まず4つの「するべきこと」は

①共感すること

②誉めること

③応援する、手伝う、助けること

④忘れること

です。

 

続いて6つの「するべきでないこと」は、

(i)欠点を探して指摘する

(ii)改善点を提案する

(iii)陰で言う

(iv)悪口や批判で盛り上がる

(v)悲観的・否定的な態度を隠さない

(vi)面白い人、頭のいい人、気の合う人だけで集まる

です。

 

このいい人戦略を実行するべき理由は、ここ数年で一般社会での「クリーンさ」「清潔さ」に対する要求が急速に高まったからと岡田さんは説明します。乱暴な口振り、本音としての辛辣で差別的な発言、暴力的な行為・・・・・・そうした「汚れた」「粗野」な立ち振舞いが長い時間かけて忌避されてきた流れが近年はより急速になったとのことです。そして一昔前の「本音としての生々しく粗く薄汚れたものこそ素晴らしい」という価値観は最早時代遅れとなったと述べております。

そのなかで「いい人戦略」は誰もが実行できまた実行すべきものであると述べました。

 

そしてこのいい人戦略に対する懸念事項についても一つ一つ説明し、いい人戦略を実行する方が実行しないよりも得であることを強調しました。

 

 

【「いい人戦略」に思うこと】

 

私はこのいい人戦略は特にしない理由がなければした方がよいと思いました。

 

人間関係のトラブルというのは幸福感の減衰に影響する大きな要因です。社会生活において人と全く接しないことは不可能です。そのため人間関係で摩擦を起こさないための、何でもない他人との接し方としてはいい人戦略は理想的です。

今はネットなどを通じて多くの人と関わる時代となり、何でもない人との関係を無視できない時代となりました。何でもない人との関係が幸福感を左右するようになったのです。

この事は「幸福の資本論」(橘玲)でも述べられております。リアルでの人間関係に加え、物を通じた人間関係サプライチェーン)、インターネットを通じた人間関係で幸福感をコントロールする時代になったのです。

 

何よりもいいポイントは、「いい人を演じる戦略」であるということです。

人間の性格は個々人で別々でありそれを改めることは難しいです。そのため「いい人になる」のは大変なことなのです。

一方で「いい人のフリをする」のは簡単です。内面を大きく改造することを要しないからです。外面のファッションとしてのいい人戦略は適切な方法であり、寧ろその自覚がある方がうまく機能するのではと思いました。

 

私もいい人戦略に似たことは新天地でやったことがあり、その効果は凄まじかったと思いました。私のことを「いい人」として見てくれる人は多く、それによりいい関係を築けた人は多かったと思います。

 

 

一方でいい人戦略の知っておくべき限界についても把握した方がいいと思いました。

 

まず、いい人戦略は親しい人付き合いをするための戦略ではありません。いい人戦略は親しくない何でもない人の前で上手く立ち振る舞う方法であり、それ自体に親しみを深める機能はありません。

 

ただ、いい人戦略は本来自分が親しくなってはいけない人を親しい関係から避ける機能はあります。6つのするべきでないことには、自分の幸福感を汚濁し搾取する人間を親密圏に持ち込まない働きがあります。

 

もし、自分と親しい関係になるべき人間がいるのならば「いい人戦略」をしていても自然に親しくなるはずです。いないならば別に構わないのです。

岡田さんは別の配信で「友達は作るな。友達は勝手に出来るもの。」とおっしゃっておりました。真の友達はいい人戦略をとり続ければ勝手に出来るというのが岡田さんの考えなのです。出来ないのはその場所のせいであり、違う場所に手を広げるべきということなのです。

 

 

【おしまいに】

 

これは一般で語られる人間関係の構築方とはかなり違うやり方です。最初から何の説明もなくこれをやらせたら色々と勘違いしやすいのではとも思いました。

孤立主義でも八方美人でも博愛主義でもない誰にでも今すぐ出来そうな処世術がこのいい人戦略なのです。

精神や身体が壊れるまで無理をさせる訳でもないこの「いい人戦略」はどの人にも勧められる方法かもしれないと思いました。

 

確かに親しい関係で生まれる幸福感は、もしそんな関係があるうちには望ましいと思います。しかしそれがない内は、何が親しい関係でその条件は何かという大いなる虚空に等しい問いが無尽蔵に出てきます。親しい関係を作るための賭けも同じく無限大に出てくると思います。

それよりは今ある関係性からスタート出来るこのいい人戦略がより現実的だと思いました。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

2022年2月15日

【読書感想】「日本教徒」イザヤ・ベンダサン&山本七平


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こんにちは、ずばあんです。

 

本日は読書感想で「日本教」(1976年)を紹介します。

 

著者はイザヤ・ベンダサンという神戸生まれの外国人で、訳は山本七平と本書で紹介されております。

 

日本教徒」では日本人の宗教観や精神性を「日本教」として説明します。

日本教とは著者のイザヤ・ベンダサンが分析し発見した、罪科血統主義自然主義の考えを下敷きにした日本人の信念のことです。いわばキリスト教イスラム教の信者が一神教の教えで満たしている精神部分に、日本人が埋めているものです。

 

この日本教は今から400年前の日本人である不干斎ハビアン(ふかんさいはびあん)〈1565-1621〉という人物の著作や遍歴から分析されました。ハビアンは若い頃にキリスト教徒となり、キリスト教を賛美しその他の儒教・仏教・神道を批判する著作を出しました。しかし40代の頃にハビアンはキリスト教を棄教し、一転キリスト教を批判し始めます。そしてその後はその他の宗教に帰依せずハビアンは生涯を終えます。

このハビアンの宗教的態度の変化の理由とその本質についてベンダサンはハビアンの「天草本平家物語」「妙貞問答」「破提宇子(はデウス)」の三著作などから分析しました。

 

それらが詳しく語られるのがこの「日本教徒」です。日本教とは一体何のことで、その信者は何を考え、それらがハビアンをどのように動かしたのでしょうか。

 

 

【内容】

 

まずはこの本の概略を説明してから、本書の内容を説明いたします。

 

この本はまず不干斎ハビアンの生涯を著作や宗旨、思想を紹介しつつ語ります。

続いてハビアンの著作「天草本平家物語」の登場人物の動きから、「施恩」の考えを下敷きに「」「」「世捨て」「謀叛」の思想を語ります。それとハビアンが述べた「十戒」(「モーセ十戒」とは異なります)と併せて、ハビアンの勝者/敗者観を語ります。

そこからハビアンの著作「破提宇子(はデウス)」からハビアンがキリスト教を棄教した理由としての「日本教自然法」の考えを述べます。

さらにキリスト教日本教での「殉教」と「告白」の考えの相違についてハビアンの著作の引用とともに語られます。

そしてハビアンがキリスト教をも捨てた後の宗教的態度について、それと類似する貝原益軒の「大和俗訓」を引用し語られ本書は〆られます。

 

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不干斎ハビアン禅宗の僧から母とともにクリスチャンに転身しました、クリスチャン時代のハビアンは「天草本平家物語」「妙貞問答」などの著作でキリスト教の賛美や日本古来の神道儒教・仏教を非難をしました。また林羅山などの儒学者と問答を受ける経験もしました。しかし後にハビアンはキリスト教を棄教します。その後はキリスト教弾圧に手を貸し、「破提宇子(はデウス)」ではキリスト教を批判いたしました。

 

このハビアンの宗旨の変化の理由についてベンダサンは「天草本平家物語」「妙貞問答」そして「破提宇子」から読み解きます。

なおベンダサンのハビアン分析は、日本人は物事の本質について具体的言葉に表さず、変わりに「○○ではない」という消去法で本質を表すという特徴のもとなされます。そしてハビアンの信仰態度は、自身の思っていることを宗旨に代弁させるという「グノーシス現象」であるとしました。

 

 

草本平家物語」から次のエピソードが引用されます。

平家の平清盛に寵愛された白拍子(歌舞芸人)・妓王(ぎおう)が、清盛を訪ねた白拍子・仏御前(ほとけごぜん)が門前払いにされるのを引き留めます。そこで清盛に舞を披露した仏御前は気に入られます。そして仏御前は恩のある妓王について声をかけてくれるように清盛に尋ねました。しかし仏御前に心移りした清盛は妓王を追放しました。妓王は忸怩たる思いで清盛から去り母と妹と出家します。

 

この妓王の話からベンダサンは「」の考えから日本人の関係性に恩を施す&受ける関係として「施恩/受恩」の関係性を見ました。それには人々は恩を受けたという「債務」を自覚しなくてはならず、施恩した側はそれを権利として認識してはならないとしました。

それにもかかわらず施恩をした側が受恩した側に見返りや代償を求め、誰かを不幸にすることを「」としました。また恩を拒むことを主張して誰かを不幸にすることを「」と呼びました。

平家物語について清盛が恩を売った過去を権利の主張の根拠としたことを「」としました。そして、妓王が清盛の恩着せがましさを指摘してそれで誰かに迷惑をかけるのを危惧することを「」としました。

 

日本人は罪科の感情から契約の概念を身に付けられませんでしたが、一方で「世捨て」という身分の転身は可能でした。ヨーロッパや中東では近代まで厳格な階級制度が続き、それらとは対照的でした。

平家物語では妓王は近江国の農家出身でそこから舞踊芸人となり権力者清盛の愛人になり、さらに出家して宗教人となります。この身分を越える度重なる転身は日本独特の「世捨て」を表します。

そんな浮動的な身分に対して日本人が帰属意識の根拠としたのが「血縁」でした。日本では絶対的な契約や身分がない代わりに「血縁」が絶対のものとされたのです。

 

さらにベンダサンは「謀叛」の話をします。平家物語の終盤の源頼朝源義経を「謀叛」を理由に暗殺するストーリーを引用します。

頼朝が義経を「謀叛人」と見なした理由は諸説ありますが、それは義経血縁を無視し裏切り先程の「」や「」に触れたからと述べられます。

かたや義経の例と異なり、豊臣秀吉明智光秀への謀叛は、光秀の織田信長への罪科たる謀叛を世を代表して断罪するものとして好意的にとられたと述べられます。

 

続いてベンダサンは「ハビアン十戒」「破提宇子」を引用し、日本人には「自然」の思想があるとしました。「自然」とは手を加えられざる物事の道理で、それに従うものは成功し逆らうものは罰せられるとしました。自然には先程の「罪科」「血縁」の思想が含まれ。それを守り犠牲になることが望まれるべき「殉教」としました。かたやキリスト教の教えに則る殉教は自然の考えに触れるものとし、ハビアンは「自然を代表した謀叛」を理由にキリスト教を棄てたと語られます。

 

キリスト教にはイエス・キリストに対して自分の罪を告白する「コンヒサン」、その罪を深く懺悔する「コンチリサン」という考えがあります。この儀礼についてベンダサンは、ハビアンは日本の自然の世界においてキリスト教という「謀叛人」に帰依した「罪科」とキリスト教に対しては懺悔の念が無いことを告白したとしております。

 

またキリスト教には世界宗教としての使命が当初よりあり拡大主義をとってきたものの、少なからぬ衝突や惨禍を経て後世に行くに従い穏健な手法に落ち着いたとベンダサンは述べます。かたや日本的な自然の考えに基づく普遍主義は拡大や外部との衝突の経験がないまま進んできたとも述べられます。そのため日本ではキリスト教は事実上仏教的思想を排せずに信じられたとされます。

 

最後に、ハビアンが仏教神道儒教を棄てキリスト教をも棄てた先に信じたものを、ベンダサンは貝原益軒の「大和俗訓」を引用して語ります。「大和俗訓」は日常生活の礼儀作法について儒教の視点から指南するものです。

(終)

 

************

ここまでがベンダサンの「日本教徒」の内容でした。

 

これは不寛斎ハビアンという人物の一生の遍歴の紹介ですが、それにより今と変わらない日本人一般の「信仰的態度」について説明しております。キリスト教の教えやその信者の態度と日本人の思想・信仰を対象比較することにより、日本人の中にあり日本人が自然培養した「日本教」そして「日本教」の本質を明らかにしているのです。

 

そして「日本教」はその後のベンダサンと山本七平の著作に出てくるキーワードとなり、その中での日本人論の根拠とされました。山本と対談した小室直樹の著作でもそれは引用されております。

 

 

なおこの本の著者であるベンダサンですが、実はこの本の編者の山本七平のことです。つまりこの本は山本七平の著作なのです。ベンダサンは「日本人とユダヤ人」の著者として初めて世に名前が出されますが、その姿を世に出したことはありませんでした

後に山本は、ベンダサンは自身のことであると明かしました。そして初出の「日本人とユダヤ人」については、実際は山本と複数人の外国人の会話から生まれたと述べております。

 

 

【感想】

 

この著作は日本人が本当は宗教信仰をどのように考えているのか、そしてそれにより何が起こるのかを表しております。

そしてそれは日本人である私自身の自己分析でもあると思いました。私にはある一定の宗教的思想がありますが、それが客観的に見てどんなものなのかを確かめるには有力なものがあると感じました。

 

ここでは私や周りの人々が宗教を語るときの場面を用いながら、本書の感想を述べます。

 

 

①宗教や信仰は「素晴らしい」のか

 

本書に出てくるハビアンは禅宗門徒からクリスチャンに転向し、クリスチャンである時期にはキリスト教を「素晴らしいもの」として信仰しておりました。かたや従来の日本での神道や仏教、儒教を非難しました。それは「妙貞問答」などの著作でも記されております。

 

しかしハビアンは一転してキリスト教を棄教すると、「破提宇子」などでキリスト教を非難し激しい批判をします。その理由はキリスト教がハビアンの「自然の理」に従う生き方や血族を守らずむしろ犠牲を強いてきたからというのは先程述べた通りです。

これによりキリスト教はハビアンにとって「素晴らしいもの」ではなくなったのです。

 

すなわちハビアンや日本人にとって宗教や信仰は「素晴らしい」ものという前提があるのです。そのため素晴らしくなくなった時からそれは宗教や信仰ではなくなるのです。

 

これはキリスト教圏やイスラム教圏での宗教の考えとは異なります。それらの信仰の強い地域では宗教とは始めから生活や社会全体にあるものであり、素晴らしい素晴らしくないで信仰を選べるものではないのです。

近年ヨーロッパを中心に神や宗教を否定する無神論者の割合が増えております。それは神や宗教が覆い尽くす世界からの脱出を企図したものです。そのためその地域の無神論者はキリスト教に対してどうしても全力で対抗する姿勢になるのです。そして無神論者の転向理由も「素晴らしい生き方をしたい」というよりは「自分が納得のいく苦楽を背負いたい」という覚悟によるものです。

 

 

「素晴らしい」ものを選びとる日本人の信仰態度ですが、私はその宗教的態度について疑問を覚えるところがあります。

 

日本教における「宗教」あるいは「信仰の自由」というものは、現世で苦しいことが少なく幸せの方が多い生き方をすること、あるいはそちらに流れることとされます。そして、そこには大いなる不幸や不平不満などそれに背くものはあってはならないという考えが暗に含まれます。

 

しかし現実の世界には止めどなく襲う不幸や理不尽は多くあり、それを何でも解決することは出来ません。コロナ禍のような病気や戦争、環境汚染など人間に善悪の分なく襲う不幸はあまたあります。それを素晴らしいということや自然にありがたがることは難しいです。どんなに擁護しても擁護できないものです。

 

とはいえそんな世界に直面せず逃げ回りすぎても人々は不幸から離れたと勘違いするだけです。本当は不幸な世界に直面し、適切な対策や処置が必要なのです。その覚悟が本来の「宗教」であり、人々が直面すべき精神次元であると思います。

信仰の自由も、自分の心の中のその次元に直面し個々人の生き方を決定することを誰にでもどんなものでも許すことであると思います。

 

したがって日本教や宗教の話は「素晴らしいお考え」を選びとる次元の話ではなく、グロテスクで陰惨なものを誤魔化さず受け止めるところの話なのです。

 

 

②「日本教」の意義は?

 

日本教とは、日本人の処世術的・現世利益的な宗教観に対してベンダサン(山本七平)が示した、日本人の心の奥深いところにある心理を表した概念です。

 

私はこの日本教を「日本人が背負った原罪の一側面」と考えております。

原罪」とはキリスト教での概念であり、人間が人間として生まれたときに当初より持っている罪とされます。人間は原罪により悪や罪を成すものであり、それを贖い善い人間になることがキリスト教を信じる意義であるとされます。

私は日本人でクリスチャンではありませんが、この原罪というものが私の中に無いとは言い切れないのです。

 

これまで生きてきた中で自分の潔白無罪を信じられなかった場面は数多くありますが、その理由はいわゆる原罪にあると思いました。

「自分は人の見えるところで罪は犯さなかったが、真実の善に対しては罪を犯したかもしれない」「不幸に遭うのは真実の善に背いたからであり、不幸は自分の悪の証明だ」「幸せになるには真実の善と悪を見極め従わなくてはならない」「真実の善が分からない内は見捨てられて当然だ」

そんな考えが度々思い浮かびました。これは本来の原罪とは異なりますが、日本人の精神の構造においてキリスト教の精神の構造の「原罪」の部分に相当するものであると思います。

 

この日本教は日本人が処世術的・現世利益的な物のみを宗教と呼び、それで誤魔化したの部分であると私は考えます。

私もこの部分を誤魔化してきた自覚はあり、それにより自分の心の健康や社会的生活を破壊してきた部分があると思います。ただ自分が傷つくだけならともかく、苦しむ人を救えなかったり見捨ててしまったりという弱さに繋がったと思います。

 

とはいえこれをすぐに消せるものではないと思います。日本教は日本の温帯湿潤気候や変化に富む季節などの風土の影響を受けており、個人の意識で消せるものではないのです。

そのため日本教は日本人に残された「試練」や「原罪」の権化であると私は考えます。ブログ記事「因果応報と予定説」で述べましたが、日本人は包摂し守られるだけではなく放埒に人生を破壊され見捨てられている現状があるのです。それを自己防衛や共助により守るにせよ、脅威として認識し対策をとるべきものとして常々考えなくてはならないと私は思います。

 

 

③処世術と宗教の違い

 

先程私は処世術や現世利益的なもののみを宗教と呼ぶことを批判しました。しかしそれは処世術や現世利益的なものを得ることを批判しているのではありません。むしろそれはそれで無くてはならないものなのです。

 

この本の最後で紹介された貝原益軒の「大和俗訓」は日常生活の作法や礼儀、精神の具体的方法を示す著作です。これは儒教の視点から書いたものです。儒教とは中国で誕生したもので、円滑な社会生活の送り方について具体的形式的な方法を示したものです。日本でも古代に流入し今なお日本人の生活に影響を与えております。「大和俗訓」も現実の生活が上手くいくための具体的な知恵を授けるものなのです。

 

それでは、最早それ以外のことを考えなくていいのかというとそれもまた問題があると思われます。人間の心の奥深い部分で流れる感情は時に大きなうねりを見せます。それは体調不良や精神疾患、社会生活の不全という形で現れるのです。

どんなに日常生活を綺麗に取り繕っても、最後に残り続ける不幸脅威はあるものです。それを誤魔化せば誤魔化すほど不幸は増大化します。それに目を向ける営みが宗教なのです。

 

しかし、そこで処世術と宗教的営みがバッティングすることがあります。それはお互いがそれぞれの領分を侵略しようとしているからです。宗教は現実生活に食い込もうとしますし、処世術は精神の奥深い所に入り込もうとするのです。

それぞれ自然に任せて勝ったところを接収するのが日本人的には聞こえがいいですが、衝突する時点でもう「詰み」なのです。

 

私が思うに上のような衝突を避けるためにまずは処世術の方が先立ち、それで解決できない部分は宗教的な営みで解決するのが一番と思いました。これはハビアンの晩年の生活とまだクリスチャンだった頃とを両立させたものです。

 

日本と中東、ヨーロッパの風土を鑑みるに、キリスト教イスラム教をそのまま処世術として持ち込むのは難しいと思われます。しかし日本人の生活が近代化して初めて噴出した問題に対応するために学ぶべき概念は少なからずあると思います。キリシタン文学で有名な遠藤周作の著作にはこうした相克に立たされる日本人の姿が描かれ、現代日本人の心の闇や現実の生活が細かく記されます。

 

そのため生活を優先しつつ人生をも大切にする生き方がどの人にも大切であると思いました。

 

 

【おしまいに】

 

私が初めて「日本教」という言葉を見たのは山本七平小室直樹の「日本教社会学」(1981)を読んだときでした。

その時の感想はすでに記事にしましたが、今回はこの「日本教」について遡って調べようと思いこの本を読みました。

 

日本教」についての考えについて私は述べて参りましたが、私は「日本教」を敵視しているわけでも諸悪の根元と言いたいわけではありません。私の中にもある日本人の心というものを分析する上で避けがたいもの、絶対に逃げてはいけないもの、それが私にとっての「日本教」なのです。

 

そこから逃げた先には、「自分が信じているものが汚いなんてあり得ない」「自分が汚い存在なんてあり得ない」「自分が反省するいわれはない」という倒錯が待っております。

かつてオウム真理教の各種事件がありました。オウムは仏教などの各宗教の良いところだけを集めそこに教祖・松本智津夫麻原彰晃)への個人崇拝を織り混ぜ、見かけ上「素晴らしい宗教」に仕立てたものでした。

オウムには高学歴の学生を含め多くの人々が入信しましたが、その人々の奥底には「日本教」の呪いがあったのではと思います。

ハビアンの場合は世界宗教の歴史を持つキリスト教でしたが、それを求めた心はオウム信者の例と変わらないと思います。それゆえにオウムにより後悔させられた信者が不憫に思われるのです。

 

私はそうした「カルト宗教」には物心ついてサリン事件を知ってからはずっと警戒してきました。ですがそれを渇望する精神が全く無かったわけではなく、それを埋めるために今まで苦労してきました。「日本教」は私の中にもありますし、それを無視して自分や身を滅ぼしたくないと思います。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2022年2月13日

因果応報と予定説

こんにちは、ずばあんです。

 

本日は普段何となく信じ込んでいる「因果応報」とその対極にある考えについて語ります。

 

因果応報という言葉を聞かれた方は日本では沢山いると思います。物事には原因と結果が存在しており、原因が変われば結果も変えられるという思想です。転じて原因と結果には責任を持たなくてはならないと言う意味合いで使われます。

 

かたやその対極に「予定説」という考えがあります。予定説とは、物事の運命は全て予め決定されており、人間が変えることはできないという思想です。

予定説はヨーロッパや中東のユダヤ教キリスト教から来ている考えで、日本ではなじみの無い考えです。

 

この因果応報と予定説は相異なる考えですが、それを混同することは往々にしてあります。それが物事を語るときの壁となることもあります。

 

そこで今回は因果応報と予定説の考えとその区別について語ります。

 

 

【因果応報とは?仏教由来の思想】

 

因果応報は日本をはじめ東アジアではなじみの深い考えです。物事には全て原因と結果の因果関係が存在しているという考えです。

この考えはインドから伝播した仏教に色濃く出ており、中国の墨子思想にも存在しておりました。

 

因果応報説は自我の捉え方にも影響を与えております。仏教では、自我というのはこの世の無数の要因が束になった結果作られたというものです。そのため自分を束ねる要因が一つでも変化すれば自我は変化します。そのため自我をより良い方向に改変すべく人々は勤労勤勉にいそしみ、良い因果を導こうとするのです。

 

これは東アジアの文化や社会にも強い影響を与えました。大学などの入試試験は日本のほか中国や韓国などでも盛んであり、将来の出世のための通過点という要素がものすごく強いです。また、身分を超越した実力による立身出世の例も多く、古代以来の中国史などでは奴隷身分や狩人などからの将軍や高官への登用の逸話は少なくありません。

 

これは自分の今や過去の状況に関わらず能力の向上や研鑽により(因)社会的地位が変化する(果)という考えのあらわれでございます。勤勉勤労の思想はこの因果応報論から出ているのです。

 

 

 

【予定説とは? 唯一絶対神による思想】

 

予定説は因果応報に対する思想です。こちらは物事の道理を絶対者が定めた「運命」として考える思想です。予定説によれば、この世は何者も抗いがたい変えがたい運命によって動かされており、その運命はある1人の神により決定されているというのです。世界はその一人の神により動かされているのです。

これは中東・ヨーロッパに広まったユダヤ教キリスト教イスラム教といった一神教の宗教に色濃い思想です。一神教の神は世界を創造し、世界の秩序を定め、世界を改変し奇跡を起こす能力を持つのです。すなわち神は運命を創り、運命を保ち、運命の独占権を有する存在なのです。

 

予定説はこの地域の個人や社会の考え方に深く根付いております。個人の個性は神により与えられ、社会的立ち位置も神が与えたものとされます。そのため中東やヨーロッパの社会では階級が今なお存在し、就く職業や進路も「運命」として幼い頃に既に定められるのです。そこには日本のような職業選択・進路希望の幅はありません。

 

キリスト教では、予定説は特にプロテスタント新教)で強く意識されます。プロテスタント聖書主義と称され、各人が聖書を直に読み内容を知ることが重要視されます。その聖書には「ヨブ記」(*)と呼ばれるものがあり、ヨブという敬虔な信者の物語により試練に耐え抜く信仰の尊さとともに唯一絶対神が信者を必ず救うという姿勢を唱えております。(* ヨブ記は本来はヘブライ人の信仰するユダヤ教の教典の一つでしたが、ユダヤ教から派生・成立したキリスト教でも引き続き教典・聖書の一つとして読まれております。)

 

プロテスタントは、15世紀に活版印刷術が発明され聖書が大量に印刷されて、聖書を読む人が爆発的に増えたことが発端となり発生しました。当時初めて聖書を読んだキリスト教徒はかなり多く、そこで従来の教会中心の信仰と聖書との矛盾が問題になったのです。

その問題の有名なものは贖宥状でした。これは、買った者の罪を贖うことができるとして教会が売り出したものです。贖宥状について、これは他ならぬ神にしか裁けない人間の罪を人間が勝手に白黒つけるもので、すなわち予定説に反するものと考える人がいました。その論争で聖書側に立ったのがプロテスタントで、教会側に立ったのはカトリックでした。

 

その後プロテスタントは予定説を重んじ、既に神イエス・キリストにより救われる事が予定されているとしました。そしてその証明として自分達は天命てある職業を果たし、よく働き禁欲的な生活をするべきだという倫理観が発達したのです。これは社会全体の所得向上と貯蓄・投資の増加という効果をもたらし、ゆくゆくはイギリスを発端とする産業革命を起こしたと言われます。この一連の流れは経済学者のマックス・ウェーバーにより分析されております。

つまり予定説と産業革命、今に至る近代社会は密接な関係があるのです。

 

 

【因果応報論と予定説の由来】

 

相矛盾する因果応報論と予定説、この2つがそれぞれ出現するに至った理由は何でしょうか。

 

その手がかりとなるのは「風土」と呼ばれるものです。風土とは気候や地形などの地理的条件が土地に住む人間の文化や気質に与える働きを指します。宗教も風土の影響を受けております。そのため宗教と密接な関わりのある因果応報論と予定説も風土に由来するものと考えられます。

風土については哲学者・和辻哲郎の著書『風土』(1935)で詳しく語られ、以下の記事内容も『風土』を基に述べていきます。

 

 

〈i. 因果応報論と風土〉

因果応報論は仏教由来の思想ですが、仏教はインドで誕生しました。元は釈迦族の王子ブッダゴータマ・シッダールタ)が紀元前5世紀頃に始めたとされております。

仏教は紀元前7世紀ごろから興ったウパニシャッド哲学を下敷きにしており、悟りの思想はその時点で既にありました。そしてその悟りとは、宇宙の真理・ブラフマン(梵)が自己・アートマン(我)を形作っていることに気付くというものです。これはいわゆる因果応報説の肯定です。つまり因果応報説はインドで生まれた思想なのです。

 

ではインドで因果応報説が生まれたのはなぜでしょうか。

古代インドには元々バラモン教という多神教がありました。この宗教は上流階級の人々を中心に進行されておりました。しかしバラモン教形式主義に陥り、現状の階級社会を肯定していることが批判されるようになりました。

このバラモン教への反発が、物事の真理を追求する流れを起こしウパニシャッド哲学へと繋がるのです。

 

よって因果応報説の成立にはバラモン教という多神教の存在が先立つのです。インドの土地でこの多神教が生まれた理由は何でしょうか。

和辻哲郎は「風土」でインドの風土について「温帯湿潤的であり季節の大きな規則的な変動があり、生物の多様性に富んでいる。」と述べております。まるでこれは日本に近いものを感じます。そしてこの風土はインドの多神教的な宗教を誕生させ、人間味のあり感情が豊かな神々への信仰を生み出したとされます。その神々がいる世界は自然の流れに従い区別や差別の有るなかで生き物や人間が共存する世界観になっているのです。

バラモン教を生み出した風土は温帯湿潤気候生物多様性に富む世界でした。そこでバラモン教の元での差別や形式主義に反発する動きの中で物事の因果を科学的に分析する思想が生まれたのです。因果応報説とは元々この流れから生まれており、本来は恣意的な脚色の余地を挟まない科学的な考えなのです。

したがって因果応報説とは温帯湿潤的で生物の多様性に富む風土から生まれた多神教に反発する思想だったのです。

 

 

〈ii. 予定説と風土〉

 

予定説は欧米などのキリスト教圏で根強い思想です。予定説が確立したのは中世の宗教改革の時であり、プロテスタントカルヴァン派が唱えました。

プロテスタントの予定説は聖書が由来です。プロテスタントおよび予定説の成立は、活版印刷術の普及で聖書が大量に出回り多くの人々が聖書を読めるようになったことが発端だからです。

 

この聖書の成り立ちはユダヤ教を信仰する古代ヘブライ人の歴史に遡ります。聖書(新約聖書*)とは一つの書物の名前ではなく、キリスト教の教えに関わる重要な複数の書物の総称となっております。聖書にはイエス・キリストの教団によるものも含まれますが、イエスキリスト教徒が元々信じていたユダヤ教の諸経典も含まれます。

(* 「新約」とは神との「新」しい契「約」という意味であり、キリスト教徒が元のユダヤ教から改宗したことを表しております。改宗する前のユダヤ教の神との契約は「旧約(旧い契約)」と呼ばれます。)

ユダヤ教の経典には「ヨブ記」など予定説に関わる書物もあり、予定説の思想はユダヤ教の成立時に遡るのです。

 

このユダヤ教が成立したのは紀元前6~5世紀頃です。そのユダヤ教が誕生したのは中東の砂漠地帯でした。

砂漠は見渡す限り岩石や砂礫を晒す茶色の土地で、生命の営みの乏しい地です。もちろん人間がそのまま生存出来る環境ではありません。砂漠で生きる人間は部族でまとまり、厳格な戒律に従いながら生存戦略を取っていったのです。ユダヤ教を生み出した部族もまた同じであり、砂漠という厳しい環境で生き残るための戒律を産み出しました。

その戒律は部族全員に確実に従わせるために細かく明文化されました。そこに自分勝手な解釈は挟まれません。

その戒律から神託を受けたものとされ、その神は全知全能の唯一絶対者とされました。世界を作り、規律を敷き、奇蹟を起こす強い存在です。それは物事の行く末を「予」め「定」める程のものでした。これが「予定説」の神の起こりでした。

 

その後形式主義的なユダヤ教に反発し、隣人愛を説くキリスト教が起こりました。そのキリスト教ユダヤ教の「ヨブ記」等の経典を引用し、予定説も同様にキリスト教に伝えられたのです。キリスト教は「世界の終末」における神からの救済の運命を説いております。

 

なお現在のキリスト教はヨーロッパを中心に信仰されております。ヨーロッパにキリスト教が伝わると、ヨーロッパ人の規則に従順な性格と馴染み定着しました。

このヨーロッパ人の気質について風土を絡めて説明します。ヨーロッパは中東ほどではありませんが生物種に乏しい地域です。草木が人間や動物に利用し尽くされ食べ尽くされ、岩肌が露出する光景を生み出すほどです。そうなると生活の知恵や知識は、自然の中の限定され目に見える法則から得ることになるのです。

法則に慣れ親しんだヨーロッパ人は、古代ローマ帝国時代に中東から入ってきたユダヤ教キリスト教といった唯一絶対神の宗教を受け入れました。そしてヨーロッパで今に至るまでキリスト教は続いているのです。

予定説」もヨーロッパでは根強く、社会や歴史への影響は強いです。ドイツなどで興ったプロテスタント(キリスト新教)はこれを理論化しました。

 

したがって、予定説砂漠という死の大地での人間の生存戦略のための道徳律として出発し、それが生物多様性に乏しい地域での限定された法則の一部にも包摂されたものなのです。

 

 

【因果応報と予定説の衝突】

 

因果応報予定説はそれぞれ異なるバックグラウンドを持ち、それぞれ確固たる根拠があります。両者は関わりの深い宗教や風土が異なります。そのため両者はしばしば衝突を起こしてきました。

 

因果応報説はバックグラウンドとして仏教の考えがあります。それは「究極の唯一絶対神の不在(空の思想)」や「諸行無常」、「苦としての現世」といったものです。風土としては生物多様性季節の変化に富む気候が上げられます。

方や予定説はバックグラウンドにキリスト教等の一神教の考えがあります。「運命・宿命論」や「絶対の真理」、「死への畏れ」といったものです。風土としては生物種の少ないまたはごく限られた生態系変化の乏しい気候が上げられます。

 

日本はもちろん因果応報説の地域です。生物種に富み季節や天気の変化が顕著な気候です。宗教も長らく神道仏教の影響が強く、文化や価値観は今なおその影響を受けております。

 

その日本に現代では西洋の思想や知識が導入され、「良いところ取り」をしてきました。資本主義や民主主義のシステムは西洋からの刺激を受け導入されたものでした。

一方で「予定説」の考えは未だに日本では理解されておりません。予定説は西洋由来の宗教観や思想、社会制度と密接な関係があります。そのため日本の近代社会ではそれらも受け継がれるはずでしたが、先に述べた日本の風土に馴染まずそれらは根付きませんでした。このことはイザヤ・ベンダサン山本七平の「日本教徒」(1976)や小室直樹の「日本人のための宗教原論」(2000)、そしてキリシタン文学で有名な遠藤周作の各著作(「沈黙」「侍」など)でも述べられております。日本人にとって「予定説」や「殉教」、「試練」の思想は忌避されてきたのです。

 

現代の日本社会は西洋社会の仕組みを形式面で導入しております。特に契約人権の概念は先進国ではほぼ共通に存在しております。

しかし今の日本ではそれらの機能が不全な場面が往々にしてあります。契約や公式合意よりも関係者間の密談恩情が優先されます。数年前から有名になった「忖度」もそうです。契約の重さが軽いのです。

また人権権利を主張する側に社会で当たりの強い風潮があり、それを糾弾する動きは小さくありません。人権以上に潔白が重視される傾向があるように思えます。外国人差別や日本に帰化した人への差別、困窮した人への冷淡さ、セクハラ、パワハラ・・・・・・これらがニュースになることは珍しくありません。そしてそれらを悪い意味で茶化し風化させる動きも大きいです。

 

そもそも契約権利は一体のものであり、抗いがたい契約を行使もしくは取り消しをするには広い意味での権利を行使することが絶えず要求されます。逆に権利を行使するにもまた契約が必要なのです。契約と権利はどちらも堅固でないと健全に働かないのです。

 

そのためには「予定説」を理解しなくては契約も権利も上手く利用できないのです。契約権利から派生した概念も同じくです。

 

 

【おしまいに】

 

今回は因果応報予定説を宗教と風土に絡めて解説いたしました。

 

この二つの考えは「都合よく」利用することも可能ですが、使う場面を誤るととんでもないしっぺ返しを食らいます。ではその使う場面とは何でしょうか?正しく使うとはどういうことなのでしょうか?そのヒントは因果応報と予定説がどこで生まれ、どこで根付き根付かなかったかにあると思いました。

 

因果応報」は温帯湿潤気候農耕社会に根付き、一方で「予定説」は死の大地の砂漠で根付きました。しかし現代では社会や経済の実態が変化し、日本でも「砂漠」が生まれつつあります。

ここで言う「砂漠」とは人生で必要な何かが枯渇し死亡可能性が高くなる状況です。精神疾患の診断数は増加し、いじめやハラスメントの報告件数も増加、自殺者数もここ50年で増加してきました。また少子高齢化も著しく労働力人口率の下がる人口オーナス期に入り、経済成長率も低迷しております。社会を支える余力は下がり、コロナ禍もそれに拍車をかけております。

この現況に変革・改革を唱える声もありますが、その中には人にやらせ自分は甘い汁を吸おうとするスタンスの人は少なくありません。最近では日本人の寄付の少なさや人助けの意識の低さを伝えるニュースが聞かれました。「砂漠」があるはずの日本でそのような現状があることは残念です。

私はそれを無視しないために、他人と良好な関係を築くためには因果応報予定説の知識は大事だと思いました。

今なお続くコロナ禍は苦しい戦いですが、今回述べたことを武器に強く生きていきたいと思います。この記事をご覧になった方々にもパワーを分け与えられたらと思います。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2022年2月11日

日本の放送利権争奪戦争

こんにちは、ずばあんです。

 

今回はテレビの「放送利権」の取り合いについて話します。

 

「放送利権」とは、日本においてテレビのチャンネルを一企業が半永久的に占有し営業活動を行えるという現状を表現したものです。

 

かつてテレビ局が次々と新しく誕生していた時代にはこの放送利権を巡る争奪戦はし烈なものであり、行政当局や地域社会を巻き込んだものでした。

 

では日本の放送利権の争奪戦争がどうして起こるのか、そしてそれはどこまで激しかったのかについて語ります。

 

 

【チャンネルの椅子取り合戦】

 

日本の放送法制では、テレビは放送免許を与えられた者のみが許されます。その免許を与えるのは行政機関(郵政省→総務省)で、行政が定めた全国チャンネルプランに基づき各地域でのチャンネルが定められます。ゆえに実際に開局するチャンネル数には限りがあるのです(通常は1回につき1地区に1チャンネルでした)。

一方でテレビ放送に参入希望のある出願者の数には制限はありません。開局枠1つに対して、出願者が1名だけならば問題はありません。しかし2名以上ですと1つの枠を取り合うことになります。そのため複数の出願者のなかから放送局を実際に開局する1名を決めなくてはなりません。

複数の出願者から開局する1名を決める方法は2つあります。まず1つ目は出願辞退者を待つことです。もし1つの枠に2名の出願者がいればもう片方が辞退するのを待つのです。しかし出願者の間での競争が激しい場合は双方相引かずという状況になります。もしそうなればいつまでも開局する者は決まりません。

 

そこで実際にはもう1つの方法が主にとられました。それが「一本化作業」でした。一本化とは複数の出願者を「相乗り」させて1つの出願者にまとめるという作業でした。一本化では「調整役」と呼ばれる有力者が複数の出願者と交渉して作業を進めました。そこでは開局後の局の役員や資本の割合について交渉を重ねます。

一本化が終わるとその事業者に仮免許が与えられ、それから放送用施設が完成しそれが十分であることを行政当局が確認してから本免許が与えられ試験放送、本放送が始められるのです。

 

この一本化は1950年代の田中角栄郵政大臣が始めた作業でした。当初のテレビ開局の一本化作業では田中大臣が調整役となっておりました。後に1960年代から1980年代までのテレビ局の開局では都道府県知事地方議員、地方選出の国会議員が主に調整役となり、1990年代以降には郵政省(今の総務省)が主に調整役となっております。

 

この事を前提に日本のテレビ開局の出願について語ります。

 

 

【放送局開局の出願傾向】

 

日本で民放ラジオ放送局が全国各地で開局し始めた1950年代前半にはラジオ開局の出願者はほとんどが新聞社(全国・地方問わず)でした。これはメディア経営のノウハウの蓄積や強力な資本力という圧倒的な強みが新聞社にあったことが第一でした。それに民間放送という新しいメディアへの進出について、新聞社は前向きの姿勢を見せたのに対してその他の多くの企業が様子見の姿勢をとったという事情もありました。

 

その後ラジオ・テレビともに有力なビジネスの可能性が明らかになると、新聞社以外の多くの一般企業個人も出願に加わるようになりました。1つの開局枠への出願者数は次第に多くなり、1950年代には1名から5名未満がほとんどだったのが1960年代後半には10名以上も珍しくなくなりました。

 

(*ちなみに使用できるテレビのチャンネル数の増加も平行して行われました。

1950年代はじめは1~6チャンネルのみが使用可能でしたが、1950年代半ばに7チャンネル~11チャンネルが解禁され、1960年代前半に12チャンネルが解禁されました。

さらに1960年代後半にはUHF帯の電波がテレビ放送で使用可能となり、1968年に33~62チャンネルが解禁され、1970年に13~32チャンネルも解禁されました。

現在の地上波デジタルテレビ放送は物理13~52チャンネルのUHF帯を使用しております。)

 

1970年代になりますと、テレビ産業は巨大なものとなり、全国ネットワークも成熟した時期となっておりました。

さて、この時期になるとテレビネットワークとそのキー局ごとに全国紙が資本面で支配力を強めるようになりました。それまでは先の一本化の名残から、キー局などの資本に複数の全国紙が相乗りすることは珍しくありませんでした。しかし会社の資本とネットワークのズレが起きたことから、その整理が局を越えて行われました。

こうして1974年頃までに日本テレビは読売新聞が、TBSは毎日新聞が、フジテレビは産経新聞が、NETテレビ(今のテレビ朝日)は朝日新聞が、東京12チャンネル(今のテレビ東京)は日本経済新聞が独占支配することになりました。新聞社がテレビとテレビネットワークへの支配を強めたのです。

そしてこれがその後のテレビの開局出願競争を苛烈なものにする切っ掛けとなりました。

 

1970年代後半に静岡県で3番目のテレビ局の開局枠が設定されました。そこにはすぐに出願者が現れましたが、その数は前例の無い400名近くに及びました。

実はこの約400名のほとんどは全国紙である朝日新聞読売新聞のいずれかの関係者でした。それが分かったのは、異なる出願者の提出した書類の事業所の住所の欄に同じ住所が書かれている例が沢山あったこと(全出願者は事業所の住所によりたった11に分類できたとのことです)と、その中に朝日新聞や読売新聞の関係者がいたことからでした。

朝日新聞と読売新聞はそれぞれテレビ朝日日本テレビを支配しておりますが、当時の静岡県に両局の系列局はありませんでした。そして当時の静岡県の人口は400万人以上とテレビ市場として魅力的な土地でした。

何としても取り逃したくない市場を獲得するため朝日新聞と読売新聞はともに出願で人海戦術に手を出したのです。

電波監理局や政府は前代未聞の事態に直面しました。当時の政府は事態の収集をつけるため静岡県に割り当てられた開局枠を当初の1つから2つに増やし、朝日新聞(とテレビ朝日)と読売新聞(と日本テレビ)のテレビ局(*)をともに開局させました。

(*1978年に日本テレビ&テレビ朝日系列の静岡県民放送が開局。

1979年に静岡第一テレビの開局と同時に、静岡第一テレビ日本テレビ系列に、静岡県民放送はテレビ朝日系列となる。)

 

しかしこの前例によりそのあとのテレビ開局の出願で人海戦術が続発することとなりました。テレビネットワークを強めたい朝日新聞と読売新聞はもちろんその他にも「模倣犯」が沢山出て参りました。特に長野県第4局や鹿児島県第4局では出願者が1000名を越し、出願者の整理と一本化に甚だしい時間(1984年~1990年代前半)がかかり枠割り当てから開局までに10年近くかかりました。

 

その後政府が1986年に「全国4局化構想」を発表し全国に当時の民放4ネットワークを拡大する青写真を描いたときもこの問題に直面しました。そのためか1990年代以降の一本化調整では政府機関である郵政省が出てくることになりました。国策のためにこの出願者の人海戦術は無視できなくなったのです。

 

 

【各新聞社・ネットワークごとの開局戦争】

 

ここまでは日本のラジオ・テレビ史全体の視点で開局戦争を語りました。

 

ここからは各新聞社・テレビネットワークごとの大まかな開局戦争史を語ります。

 

日本テレビ系列・読売新聞

 

読売新聞傘下の日本テレビは開局当初から全国ネットワークを志向しておりました。1950年代の読売新聞のオーナーの正力松太郎氏は全国一円の放送事業を考えておりました。日本テレビは1953年に東京で開局しましたが、この時は日本テレビ一社で全国放送を行う計画でした。しかし当時の放送法制・政策や経済的制約からそれは叶いませんでした。

そのため日本テレビは1950年代に開局した地方のテレビ局を自社のネットワークに取り込むことにしました。東北地方や北陸地方中四国地方の地方局のほか、大阪・名古屋に読売新聞系のテレビ局(*)を設け日本テレビ系列に取り入れました。

(*名古屋では当初トヨタ・読売新聞資本の名古屋テレビ[1962年開局]が日本テレビ系列でしたが、1973年にネット関係を解消しました。それから今まで中京テレビが日本テレビ系列、名古屋テレビテレビ朝日系列となっております)

その後も九州地方などの日テレ系列の存在しなかった地域で読売新聞・日テレともに開局戦争に攻め入り、自社のネットワークを広げました。特に日テレ系列専属のテレビ局の確保には躍起になり、平成に入ってまで同じく専属局の確保に貪欲なテレビ朝日朝日新聞との競争を各地で行いました。

 

②TBS系列・毎日新聞

 

TBS東京放送(1961年までKRTラジオ東京)は1952年にラジオが、1955年にテレビが開局しました。テレビでははじめTBSとその他の大都市の放送局で五社同盟(TBS・北海道放送中部日本放送朝日放送RKB毎日放送)を結び、1950年代のうちに東北・中部・中国地方・九州の地方局も巻き込みTBS系列を形成しました。

なおTBSは当初は毎日新聞のほか読売新聞、朝日新聞などの資本が入っておりましたが、1970年代に毎日新聞資本に統一されました。1975年には大阪で、これまで毎日新聞資本でありながらNET系列だったMBS毎日放送朝日新聞系でTBS系列だったABC朝日放送のネットワークを入れ替え、MBSをTBSの系列に迎え入れました。

1970年代からはTBS系列の無かった県にも系列局を開局しました。なおTBS系列の開局に当たってはネットワークの協定により各局の各地域の地方紙の資本への参入が義務付けられております。またUHF波で開局したテレビ局の社名に「テレビユー」と名付けられた時期もあります(福島、山形、富山の3局)。

 

③フジテレビ系列・産経新聞ほか

 

フジテレビ産経新聞資本のテレビ局として1959年に開局しました。なおフジテレビ系列の関西テレビ産経新聞資本として1958年に開局しました。

この系列の特徴としては、産経新聞資本の系列局が少ない点です。産経新聞自体は全国紙でありながら発行部数やシェアなどの規模が小さく、系列に対する影響力は小さいです。

その代わりに産経新聞と業務提携している地方紙の資本が入るテレビ局は多く存在します。産経新聞は北海道の北海道新聞中部地方中日新聞、九州地方の西日本新聞と業務提携をしております。フジテレビ系列にはこれらの新聞社の資本が入ったテレビ局が少なからずあります。

ネットワーク初期(1959~1968)からの系列局を見ても名古屋の東海テレビ中日新聞資本であり、福岡のTNCテレビ西日本西日本新聞資本です。その後開局したフジテレビ系列の放送局を見ると中日新聞資本(一部は産経新聞資本との相乗り)の局は北陸地方や長野・静岡に、西日本新聞資本の局は九州地方一円に存在します。北海道新聞資本もUHB北海道文化放送(1972年開局)が存在し基幹局として重要な役目を担っております。

こうしてフジテレビ系列の各局は1960年代後半から1970年代半ばにかけてほとんどが開局しました。そしてこの時期開局の放送局の特徴でもありますが、地元の財界や政界などの有力者や有力企業が関わる放送局が多く含まれます。

そして平成に入り新たに3局開局しましたが、当時のフジテレビのポップ路線が反映され「岩手めんこいテレビ」「さくらんぼテレビ山形県)」「高知さんさんテレビ」という可愛らしい名前がつけられました。

 

テレビ朝日系列・朝日新聞

 

テレビ朝日はNET日本教育テレビとして、出版社の旺文社などの共同出資により1959年に開局しました。NETは同年開局のフジテレビと比べネットワークの拡大増強が大幅に遅れました。特に専属契約局やメインネット局は平成はじめまで10局前後でした。

それは開局から14年間は普通のテレビ局ではなく、教育番組の放送を一定以上義務付けられた「教育局」として放送を行っていたことが挙げられます。普通のテレビ局よりも視聴率競争などで苦境に置かれておりました。

1973年からNETは教育局から普通の放送局となりましたが、その後しばらくは本局や系列が弱い状況が続きました。

 

一方で朝日新聞は1970年代前半までNETのほか日テレ、TBS、東京12チャンネル(今のテレビ東京)の資本にも参加しており報道番組の製作にも協力しておりました。その後各局の資本を整理する段階で、朝日新聞は元々日本経済新聞の資本も入っていたNETを単独支配しその他の在京局から手を引きました。

「②TBS系列・毎日新聞」でも語った通り、1975年には大阪にて、朝日新聞資本でTBS系列だったABC朝日放送と、毎日新聞資本でNET系列だったMBS毎日放送のネットワークを入れ替え、ABCを自社のネットワークに組み入れました。

そしてNETの局名も1977年にテレビ朝日へ変更しました。

その後は静岡、長野、福島、新潟に自社の系列のテレビ局を開局させ、先述の通り読売新聞との激しい競争を始めました。そして政府が1986年に全国4局化構想を発表すると、1987年にテレビ朝日は専属系列局の倍増を宣言しました。1989年から1996年にかけて朝日新聞と協力しながら全国に系列局を開局させ、専属系列局を12から24まで増やし公約を実現させたのです。ちなみにこの時に開局した系列局は長崎文化放送(1990年開局)を除き全て「○○朝日放送(テレビ)」と名付けられております。静岡県での系列局の元・静岡県民放送(通称:けんみんテレビ)も1993年に「静岡朝日テレビ(SATV)」に改称しました。 

 

 

テレビ東京系列・日本経済新聞

 

テレビ東京は1964年に東京12チャンネルとして開局しました。当初の設立者は財団法人日本科学技術振興財団でした。開局時は教育局として当法人の授業放送が行われました。しかし開局から2年で放送規模の縮小や経営危機が訪れます。

それに伴い1968年に株式会社の東京12チャンネルの経営となり朝日新聞日本経済新聞(日経)の資本が入り、1972年に日経単独資本に、1973年には教育局から普通の放送局となりました。そして局名も1981年にテレビ東京となりました。

 

さてこの放送局は長らく関東ローカルの独立局(どこのネットワークにも属さない放送局)でした。それが変わったのは1982年のことで、大阪府の日経資本のテレビ大阪を自社初のネットワークに組み入れたのです。

そこから日経と協力し全国の大都市に着々と系列局を開局させ、現在は全6局系列となっております。

なお系列6局の本社のビルはテレビ東京を除き全て「(都市名)日経電波会館」と名付けられております。テレビ東京も2016年に虎ノ門ヒルズに移転する前の本社は「日経電波会館」に入居しておりました。

 

 

【地方紙の開局戦争】

 

 

これはネットワークの話題からは外れますが、放送利権戦争において手強い戦士として地方紙の縦横無尽ぶりを紹介します。

 

各地域の地方紙はその地域の最古参の放送局に出資主要株主になるなど強い影響力を持つほか、その地域の複数の放送局に大きな支配力(*)を持つことがあります。また放送局と業務提携契約を結ぶなどして報道などで強い影響を与えることがあります。

(*複数局への資本面での支配は省令の「マスメディア集中排除原則」で規制されております。そのため資本占有の大きさはどこでも大きいという訳ではありません。)

 

先ほどの章の 「③フジテレビ系列・産経新聞ほか 」でも有力地方紙の西日本新聞中日新聞などの力について紹介しましたが、それらの地方紙の力についてまだ語っていない部分を説明いたします。

 

(1)西日本新聞の場合

西日本新聞TNCテレビ西日本など九州のフジテレビ系列7局に資本参加するほか、福岡県のTVQ九州放送やFBS福岡放送にも主要株主として資本参加しております。このほか出資割合が小さい放送局も含めるともっと多くなります。西日本新聞の影響力が一番大きいのはTNCであり報道番組などで番組製作協力をしております。そして放送事業以外にも九州のフジテレビ系列のテレビ局で西日本新聞関連の文化事業を共同で行う例もあります。

 

(2)中日新聞の場合

中日新聞は愛知県(東海地方向け含む)に本拠地を置く放送局のうちCBC中部日本放送東海テレビテレビ愛知、ラジオ単営の東海ラジオに資本参加、番組製作協力しております。このほか三重県三重テレビ(独立局)とも資本・報道で関わりが深く、東海テレビと同じフジテレビ系列の富山テレビ石川テレビ福井テレビ(いずれも北陸地方)とも中日新聞北陸本社(北陸中日新聞)などを通じて中日新聞との関わりが深いです。長野放送テレビ静岡も同じ系列ですが、こちらは産経新聞と共同出資しております。これらの放送局のニュース番組には中日新聞が製作協力しております。

また東京都の独立局・東京MXテレビには中日新聞東京本社(東京新聞)が第2株主として出資しております。

 

(3)北海道新聞の場合

北海道新聞は民放解禁時にHBC北海道放送の設立に関わりました。その後1972年にUHB北海道文化放送を開局させると、UHBとの関係を密にしていきました。UHBの圧倒的な第一株主であり続けるとともに報道番組の製作で協力してきました。

その後1982年にFM北海道を開局させ、1989年にTVhテレビ北海道(第3株主)が開局するとそれらに資本のほか番組製作で協力することになりました。

 

(4)宮崎日日新聞の場合

宮崎日日新聞(宮日)は宮崎県で1954年にラジオ宮崎(今のMRT宮崎放送)を開局させ、資本参加のほか報道番組製作に大いに関わりました。その後1970年にUMKテレビ宮崎を開局させると、マスメディア集中排除原則を理由にMRTの資本の多くを手離します。UMKの開局から数年は宮日は当局の筆頭株主でありつつニュース番組の製作に全面的に関わりました。今でも宮日はUMKの資本に参画しております。

1984年にはFM宮崎の設立にも関わり、宮日と関係の深いテレビ宮崎の敷地に本社が作られました。それ以来宮日はFM宮崎の第1株主であり報道番組の製作協力をしております。

このように宮崎日日新聞は宮崎県の県域民間放送局の全てに参画し、地元メディア界の形成に並々ならない存在感を示してきました。

 

 

(1)~(4)の例を挙げましたが、これらの他に一新聞社や企業が複数放送局を支配、所有する例はあります。株式にせよ実務にせよ放送局と深いコネクションを持つ例は日本において少なくありません。

 

 

【おしまいに】

 

ラジオやテレビの開局にあたり、どの会社が実際に放送を行うのかを競う出願競争は聞いたことがある話でした。しかし詳しく調べるとそれが物凄く過激な争いに至ったことが分かりました。

 

日本の放送法制では開局枠があらかじめ決められておりますが、そこに出願するのは無制限です。テレビが有力産業となった1960年代以降はテレビ開局枠に多数の出願者が群がりました。そしてさらに時代が下ると大手新聞社などが多数のコネクションを利用し人海戦術を展開し代理戦争を繰り広げました。

 

今となってはネットに広告費でテレビが負ける時代となっており、テレビがかつて有力産業だったと言われても正直疑問符がつきます。

ただテレビが花形産業だった時代を生きてきた人々が何をもってテレビに希望を抱いてきたのかを調べるのはとても面白いことでした。テレビは昔からある層からは「虚業」として揶揄されることもありました。ですがそのテレビがどのように有力産業となりどれだけの競争を招いたのかを見ると、テレビの力や放送の力は侮れないと思いました。今回はそれを歴史から調べて確認する試みでした。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2022年1月11日

 

あけましておめでとうございます。~2022年~

皆さまあけましておめでとうございます。

ずばあんです。

 

今年は2022年令和4年です。

 

今年でこのブログは3年目となります。今年も面白い興味をひく記事を出していきます。

 

現在も今後出す予定の記事をいくつか編集中です。近日中には今年一発目の記事の発表を予定しております。

 

今年も私のブログ「ずばあん物語集」をよろしくお願いいたします。


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2022年1月1日