ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

日本のテレビは変われるのか2025

 皆様こんにちは、ずばあんです。

 

 今日は、昨今の日本のテレビにおける事件から、これから望まれるテレビ局経営について考えたいと思います。

 

日本テレビ系列局の経営統合

 去年11月、日本テレビホールディングス(NTVHD)は、日本テレビの系列局、読売テレビ、中京テレビ、福岡放送、札幌テレビの4局が2025年4月に経営統合すると発表しました。

 この4局は、新しく作られる持株会社「読売中京FSホールディングス(読売中京FSHD)」の元で共に完全子会社(持株会社100%出資)となることで経営統合する予定です。さらに、読売中京FSHDの株式をNTVHDが20パーセント以上保有し、キー局の地方局経営への積極的関与を伺わせます。

 これは人口減少社会で、4局の経営に関わる設備や人材、企画、製作のコストを小さくし、局の持続性を強化するとともに、日本テレビが60年以上に渡り構築、維持してきた全国テレビ放送網のより主体的な保持と強化を企図していると思われます。

 

 これは数年前に私が語った「放送持株会社」によるテレビ局の経営合理化策です。キー局の持株会社による地方局の子会社化(例 : フジテレビHDによるフジテレビ系列の仙台放送ほか)の例はあれど、異なる土地の地方系列局間での例は初めてです。

 

 このような策は革新的なように思われますが、実は日本テレビの開局以来の野望の再来だと、私は考えております。

 日本テレビは、当初は読売新聞社主の正力松太郎氏らが全国でのテレビ放送を目的として作った放送局です (その名残で会社名は「日本テレビ放送網株式会社」となっております)。この目的は放送法制やマイクロ波回線整備を巡る政争を経て頓挫しました。代わりとして、関東地方のローカル局日本テレビ(1953年開局)が日本各地のローカル局とネットワークの協定を結び、日本テレビ系列を構築することで目的をひとまず実現しました。

 とはいえ、建前上は日本テレビ系列の地方局は、個々が独立して経営を行う放送局ですし、日本テレビ(または読売新聞)が株を持ち役員を送っている放送局でも当地の企業(地方紙など)の力が強い場合もありました。

 

 そこに日テレも傘下に入るNTVHDが、日テレ系主要基幹局を擁する(予定の)読売中京FSHDを傘下に収めることにより、日本テレビ系列の支配とコンテンツ製作機能、経営基盤の強化をはかり、全国放送「日本テレビ」を70年越しに実現させようとしているのです。

 今後は少子化や地域の衰退、新聞社の弱体化などで経営が苦境に立たされる、地方の日本テレビ系列局同士が経営統合し、ますます系列の強化が進むことでしょう。

 

②フジテレビの混乱

 今年1月、週刊文春などは、昨年から問題となっていたタレントの中居正広氏を巡る性加害疑惑について、フジテレビの社員が同氏に性接待を持ち掛けた可能性があると報じました。

 それについてフジテレビの港浩一社長(当時)は1月17日に会見を開くも、不明瞭かつ不誠実な答弁などが激しい批判を招き、フジテレビの番組にスポンサーとなっていた各社がCM放送の取りやめを決心し続々と各社CMはACジャパンの広告に置き換えられました。

 フジテレビはこの事態を打開すべく、23日の社内説明会、27日の完全公開の説明会(自社等での生中継あり)を実施しますが、いずれも混乱と疑惑、社内外からの不信感を強める結果となりました。

 それ以降、スポンサーへの広告料返還やスポンサー自体の引き上げも行われ、フジテレビ製作の番組ではACジャパンの広告以上に番組宣伝が増え始めております。

 (ACジャパンの広告は、スポンサーが契約を維持したまま一時的にCM放映中断する際の「暫定的」な処置として流されます。しかし、スポンサー契約自体が破棄されるとそれによる空き枠は放送局の番組や事業の宣伝で埋めざるを得なくなるのです。)

 

 この動きはフジテレビ系列局にも波及し、各社はこの騒動による謝罪とコンプライアンスを遵守する旨の声明を発表しております。特に福島県での系列局、FTV福島テレビは、同社とフジテレビは別々の放送局であることを強調し、フジテレビに対する強い反発の意思を示しました。

 

 さて、2月半ばに入った今でもフジの状況はほとんど変化はありません。スポンサーが戻らないどころか、27時間テレビやFNS歌謡祭などの恒例特別番組の製作の中止や、人気番組のロケ場所確保の難航が報じられております。

 フジテレビの親会社のフジ・メディアHDは不動産収益の割合が少なくなく、祖業の放送事業からそちらにリストラすれば、会社は存続します。しかし、フジテレビの放送事業はもちろん立ち行かず、フジテレビ系列局の経営も危機を迎えます。

 どこの系列局も全放送時間の過半数はフジテレビの全国ネットのコンテンツを流し、多額のネット保証金を貰っております。いくらフジとその系列局が別会社だとしても、ネットワーク自体が1つの企業のようなビジネススタイルのため、他人事ではありません。

 

 フジテレビの経営の刷新が立ち行かず(特に日枝久会長の処分について)、フジテレビ系列の「ネットワークの経営再建」が必要となったとき、私は日本のテレビ史で前例のないレベルの改革が必要と考えています。

 その一つがキー局の入れ換えです。フジテレビが系列を締めている現状を改め、別の有力な系列局(関西テレビ東海テレビなど)がキー局の座に立つことです。その際本社はその地域に位置しつつも、東京に製作拠点(ドラマ、バラエティ、全国ニュース…)を支社として置き、フジテレビは地方局とまではいかずも準キー局のレベルの位置に着くと思われます。

 

 別の案としては、ネットワーク元締め会社の設立が考えられます。これはフジテレビと別個の組織で全国ネットコンテンツのプログラム作成と、系列局への配信を担うものです。この場合フジテレビは他の地方局と同じくローカル局として、番組製作を行い、元締め会社を通して全国に番組を配信します。系列局の関西テレビ東海テレビテレビ西日本も同じ立場です。

 そしてこの際、番組製作会社もコンテンツ製作でテレビ局と同じ立場に立ちます。現在フジテレビが製作する全国ニュースも番組製作会社(※)によるものでもよいかと思います。

(※これは日本でも前例のあることです。かつてフジテレビ系列の全国ニュースは番組製作会社の共同テレビジョンが作ってました。テレビ朝日系列の全国ニュースも70年代まで(株)朝日テレビニュース社(後のテレビ朝日映像株式会社)が製作しておりました)

 

○おわりに

 

 この日本テレビ系列とフジテレビ系列の動きは、今後の日本のテレビ局の直面する困難や試練、そして解決策を表していると思いました。

 

 日本の放送は基本的にローカル放送の建前を維持しつつ、全国放送の目的を志向しながら発展してきました。

 しかし近年は、ローカル放送を各局の体力のみで維持する事が限界が近づいております。人口減少とテレビ離れ、業界の新陳代謝の問題でローカル放送は危機に立たされてます。群馬テレビ(独立局)での2023年12月の社長解任騒動も、背景にはローカル放送局経営の決して明るくない見通しもあったと思います。

 故に今後はネットワーク全体での経営改革が求められると思います。日本テレビ系列の基幹局の経営統合も、系列の経営基盤強化(と全国放送の野望の実現)を図るものです。

 

 かたや、そのネットワーク自体が経営危機に陥ることも現在(2025年2月)のフジテレビ系列が表しております。本来はフジテレビとフジ・メディアHDが変わるべきでしょうが、本当に変われるかは不安です。

 そのためネットワークの再建において、必ずしもキー局をトップに置く必要はなく、アメリカ等の民放のように、ネットワーク統括会社のもと、全ての放送局がローカル局で、製作会社と並んでコンテンツを作成、配給するシステムでもよいのではと思うのです。日本初の全国放送、NHKを模範として現状のネットワークを築いたのでしょうが、そこはもう現状に応じてアレンジしなくてはと、正直思うのです。

 

 テレビ局の経営について、今までの個々のローカル放送局の経営改革から、テレビネットワークの経営改革という時代の転換点をこの2件から見た2024年度末でした。

 

 放送業界とは何ら関わりの無い素人の一人言でしたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

2025年2月16日

 

 

 

 

映画「セッション」の面白いところ

 こんにちは。ずばあんです。

 

 本日はデミアン・チャゼル監督の映画「セッション(原題:Whiplash)」(2014)の感想です。

 先日たまたまこの映画を見る機会がありましたのでその時の感想や気付きを書きたいと思います。

 

 この映画は、広告ポスターに描かれる通り、若いドラマーと厳格な鬼指揮者の人間ドラマを描いております。

 


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○内容

 (ここからはネタバレ含みます)

 

 若きドラマーであるアンドリューは偉大なるジャズドラマーを志し名門音楽院に入ります。

 アンドリューは音楽院でレベルの高い指導者であるフレッチャにスカウトされ、彼のジャズ楽団に入団します。そこで待ち受けてたのは主宰のフレッチャ-による団員への怒声、体罰を伴う苛烈な指導でした。アンドリューにもそれを向けられ、彼は1人泣きつつも悔しさをバネに努力します。

 そうして彼はドラムスの腕を上げ、他の団員たちとの(本当に)血みどろの競争を勝ち抜け、フレッチャ-の楽団の1軍となります。彼は更にドラムスに熱中となり彼女にも別れを告げます。

 楽団は重要なコンペティションに参加しますが、アンドリューはトラブルが重なり、最悪のコンディションで入場します。フレッチャ-はアンドリューを途中で下ろしますが、アンドリューは激昂しフレッチャ-を殴りかかり退場させられます。

 アンドリューは退学となり、ドラマーの夢も捨て去りました。その後アンドリューは、フレッチャ-の元教え子で、交通事故死したショーン代理人を勤める弁護士と面会します。そこで、ショーンは自殺し、フレッチャ-の苛烈な指導による鬱元であることを告げられます。そしてアンドリューは、代理人と父からフレッチャ-の行いについて匿名証言をするよう説得され、初めは躊躇うも証言します。

 

 数ヵ月後、アンドリューは街のジャズクラブでピアノを弾くフレッチャ-と偶然会います。フレッチャ-は告発により音楽院を追放されたといいます。

 フレッチャ-はアンドリューと飲みながら「自分の使命は偉大なミュージシャンを育てることだ」と述べ、これまでの行いはその使命によるものだと語りました。

 そして最後にフレッチャ-のバンドが音楽祭に出ると伝え、演目を伝えアンドリューをドラムスに誘いました。アンドリューはそれを受け入れます。アンドリューは再びスティックを握り、必死にドラムを叩きます。

 

 音楽祭本番、アンドリューはフレッチャ-のバンドのドラムスに上がります。幕が上がる直前フレッチャ-はアンドリューに「告発したのはお前だな?」と言います。

 そして幕が上がると、アンドリューが聞いてた曲と全く違う曲の演奏が始まり、アンドリューは無様な姿をステージ上でさらします。フレッチャ-は演奏を止め、アンドリューに「お前は無能だ」と告げます。

 

 偉大なドラマーの夢を再度叩き潰されたアンドリューを憤りながら退場します。バックヤードではアンドリューの父が温かく迎えます。「さあ、帰ろう」

 しかし、アンドリューは父の手を振り切り、再びステージに戻ります。そして、フレッチャ-の指揮を無視し「キャラバン」の演奏を突如始めます。ステージ上、客席上ともに驚愕するも、アンドリューの勢いに呑まれバンドは「キャラバン」の演奏を始めます。

 フレッチャ-はアンドリューを静止しようとするも、アンドリューの鬼気迫る絶妙なドラムスに次第に微笑を浮かべるのでした。

 

 

以上が「セッション」の内容です。

 

○感想

 

 この映画の感想について次のポイントから述べていきます。

 

①芸術に命を懸ける人達

②許されざる犠牲

③壊れるサクセスストーリー

④狂気と狂気の邂逅、そして

⑤芸術に本当に命を懸けるべきですか?

 

 

①芸術に命を懸ける人達

 

 今回の主人公アンドリューと苛烈な指導者フレッチャ-はともにジャズ演奏に粉骨砕身し、潰し潰されんとする中で偉大なるジャズミュージシャンを目指します。アンドリューは日夜手から血が滲み出るほど努力しドラムを叩きます。それは2人のみならず他のバンドメンバー(クビになったり潰れたりした者も含む)も同じです。

 指導者のフレッチャ-は楽団員に容赦なく罵詈雑言を浴びせ、椅子を投げつける、殴るという暴力も行使します。まるで映画「フルメタル・ジャケット」の鬼教官、ハートマン軍曹の姿と被ります。

 それは理想のジャズミュージックを実現するためであり、「偉大なミュージシャンを育てる」ことを使命とも語ります。狂気じみた行為も伝説のジャズミュージシャン、チャーリー・パーカーがジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられた話(※)を引き合いに、目的に裏付けられた行為であったと明かされます。

 (※この話については事実とは異なるという批判もございますが、フレッチャーの人物像を語るエピソードとしてこのまま扱います)

 

 このように音楽も含め芸術に心身ともに砕き捧げるという人生を送る人は少なからずおります。そういう人々は、この世のほとんどの人のように普通の労働者のように日常の世界に埋没し、名前や功績を市井に知られることなく一生を終える人生に満足しません。他人の作品に魅惑され、取り憑かれ、妬み恨みも混じりつつ、自分も「やつ」に成り代わりたいという衝動に駆られ、心も身体も作品に捧げる(時には本当に致命的なレベルで)という人生に突っ込んでいくのです。

 私もかつて中学時代美術部でしたが、今でも寝る間を惜しみ絵を描き、自分の脳内で組成、構築、増幅したイメージを現実に顕現させようと夢中になることがあります。他人が描いた見事で心打つ「かたち」には、憧れ、嫉妬、執着といった強い気持ちが沸き立ちます。あくまで趣味なので、プロの方の偉業と並ぶべくもないですが。

 

 「セッション」のようなジャズに限らず、音楽に人生を捧げる芸術家の例は数多く存在します。中でも、50年以上プロ音楽活動しているミュージシャンの平沢進さんは、寝る間も惜しみ多くの曲の作曲を行い、ロックをはじめとした様々なジャンルに手を出し、表現方法、形式を絶えず改良、そして音楽業界との対立をも辞さない姿勢で音楽活動を続けてきました。

 プロ以外の世界でも、学校の吹奏楽部は特に名門とされるところほど、厳しい指導者、軍隊的な先輩後輩関係、ストイックな練習はつきものです。あそこに入部し最後までやり遂げる人は尊敬します。

 

②許されざる犠牲

 

 芸術に心身ともに捧げる芸術家は沢山いますが、それが致命的なところまで行く例もあります。その事をやむを得ない犠牲とする考えもあるでしょうが、かたやそれを許す訳にはいかないという考えもあります。

 

 「セッション」では、アンドリューを愛しフレッチャーの楽団での苛烈な環境から救おうとする父親の姿が描かれます。また、アンドリューの前に苛烈な指導を受け、悲劇的な死を遂げたショーンとそれを許さない遺族の存在が明かされ、それによりフレッチャーの目的は潰され、アンドリューも手を貸すことになります。これは目的のための犠牲をよしとする姿勢とは画しているものてす。

 

 通常このようなスポ根もの(この映画はスポーツではありませんが)というのは一度目的が定まるとその目的達成のために登場人物が何の形であれ一挙して尽力し、それで潰れたり、退場したりするメンバーがいれば、残るメンバーがその分の意志を受け継ぎ戦うというのが定石になっております。(私も好きだった「イナズマイレブン」はそのようなスポ根的な温かいストーリー展開が多かったです。) 

 

 しかし、そういうストーリーはあくまで奇跡であり、芸に身を注ぐ人間には家族や友達、知人がおり、そうした人々が皆その生き様や最期をよしと考えている訳ではないのです。むしろよしとしない人の方が多いのではないでしょうか?

 私だって身の回りの人間が、芸に身を投じてそれ一本で食おうとしていれば、もう一度よく考えろと説得します。才能や経験があるならともかく、芸は努力でどうにも出来ない所があります。それに人生をなげうつものの、実を結ばずそのまま果てるということもあり、いやそのパターンが殆どと思えます。

 

③壊れるサクセスストーリー

 

 話の主人公が夢への犠牲をよしとしない人達にも目もくれずしゃにむに努力し、ライバルを蹴落とし競争に勝ち上っても、サクセスストーリーは壊れていきます。

 サクセスストーリーは過程が何であれ最後には観客を含めて全員をあっと言わせて、拍手喝采にせんとするほどの大勝利を勝ち取るものです。

 

 しかし、アンドリューの場合はどうでしょう。血の滲む努力の末、圧倒的ドラミングでライバルを破り楽団のトップドラマーとなりました。

 ここから一転、大事なコンペティションにトラブル続きで遅刻しかけ、交通事故にも遭い、コンペティションでは無様を晒し、ライバルにドラムスの座を奪われます。

 

 それだけではありません、終盤のフレッチャーによる意趣返しの音楽祭では、鬼才に目覚めたアンドリューとそれに対峙し圧倒されるフレッチャーの姿は描かれるも、それに拍手喝采を送る観客は描かれませんでした。むしろ、困惑を描いているようにも思えました。

 

 これは脚本がしくじったわけではなく、本作品はサクセスストーリーではないという表明にもとれました。もし、ここで観客一同からの拍手喝采が起これば、フレッチャーの鬼畜なまでの行いと、アンドリューの狂気ともいえる偉大なドラマーへの執着への賞賛がクライマックスで起きたはずです。

 それを意図的に「壊した」というのは、この映画の真のメッセージは別にあるのです。

 

④狂気と狂気の邂逅、そして

 

 終盤の鬼気迫るドラマーのアンドリューと、音楽祭そっちのけでアンドリューに対峙し、歓びを浮かべるフレッチャー、これは、当人たちにしか分からない至福の瞬間であることには間違いありません。

 

 夢を将来を幾度も潰され鬼と化したアンドリュー、潰してきた秀才の数は多くも待望の「偉大なミュージシャン」に遭えてないフレッチャー、絶望的な関係のこの二者はこの映画の邦題の通り奇跡の「セッション」で今までにない程、音楽で通じ合えたのです。この映画で特にこだわったとされる絶妙でハイクオリティな音響からもそれは伝わってきます。それは狂気と狂気が遭い、気持ちを交わせたことで初めて生まれたものです。

 

 しかし、先に述べた通りこれに賞賛はありません。なぜなら賞賛の先には、共に狂わないと見えない光景があり、それは「疑い無く」素晴らしいものだ、それを認められないのは悪いことだ、というところに行き着くからです。天才や鬼才にのみ正義があり、ついてこれない凡才に正義はない…… 

 映画「セッション」が対立するのはこういう考えだと思います。音楽の魅力に取り憑かれ、狂気なまでにそれを追求し、至高の境地に達する人がいる一方で、そこから脱落したりそもそも這い上がれない人も沢山いるのです。むしろ市井ではそちらの方が多く、俺についてこい、と言われても正直ついていきたくない人が普通なのではないでしょうか。その境地でしか見れない、分からないものがある……私は正直知らんよ、と思います。私に芸なんて無いからです。

 本映画の監督のデミアン・チャゼルは、「セッション」は自身が高校時代のジャズバンドで厳しい指導を受けた経験が元にあると語り、なおかつ自身はアンドリューと異なり、偉大なるジャズミュージシャンにはなれないと感じたとも語ります。チャゼルもまた、「選ばれない」側の立場で鬼才や狂気を見ているのです。

 

 

 しかし、アンドリューとフレッチャーはそれでも芸術家として偉大な存在です。観客、そして我々映画の視聴者に魂が震えるほどの見事なジャズミュージックを送る、それは確実にあるのです。絶望的なアンドリューとフレッチャーの関係にも奇跡のジャズミュージックである種の絆が生まれたのではと思います。

 狂気と狂気の邂逅がもたらしたのは、凡才に到達理解できない天才鬼才の境地のみではなく、聞く人々皆が感動する味わうべき芸術作品もまたそうなのです。

 

⑤芸術に本当に命を懸けるべきですか?

 

 ドラマや映画というのは、特定のスポーツや芸術を取り扱う上で、見る人にそれを始めるきっかけを与えるのが普通です。主人公が努力を重ね成長し、時に敗北や挫折に少なからず直面し、それを乗り越えるというストーリーに惹かれ、読者や視聴者はそれに付いていきたいとスポーツや芸能を始めるのです。

 例えば、漫画「キャプテン翼」はサッカーに、漫画「SLAM DUNK」はバスケットボールに興味を持たせ始める人を多く生み出してきております。落語を扱った漫画「昭和元禄落語心中」も、落語に興味を持つ若者を増やし、アニメ化の後、学校の落語研究会に入る人も少なからずいました。

 このようにして本当に好きでそのスポーツや芸術を始め、それを極めることを楽しめることは人生における宝であると思います。その可能性がある限り私はその道を極めることは大事だと思います。

 

 しかし、「セッション」は上のような作品とはまた違うメッセージを送っております。偉大なるジャズミュージックを目指す道は確かにあるが、その道を進まず別の道を行く選択肢もあるということを。    

 スポーツや芸術において、努力で伸びる部分はありますが、その先の才能に左右される部分も確かにあります。そこでアンドリューや他のライバルのように苦しみあがき、時には極めて理不尽な状況で才能が開花することもあります。そして、得るものよりも損失の方が大きく、自殺したショーンのような末路を辿ることもあります。

 

 私は才能ある人が、人々を魅了する芸を磨くのは喜ばしいことだと思いますし、否定しません。しかし、皆が皆そうではないですし、才能の無い人が本当に病み最悪死ぬまでやることではないと思うのです。もし日本社会や国際社会が国民総芸術家なるものを目指し始めたら、徹底的に否定し叩き潰したいとすら考えております。

 芸術に命を懸けたいという人には、この「セッション」をご覧になっていただき、芸術に命を懸けないという生き方があること、芸術に殺される人がいるということ、そしてアンドリューやフレッチャーのようなキャラクターが芸術に命を懸ける生き方をしていることを学んでいただき、映画を見終わってから改めて自分の生き方を考えてほしいと思います。

 

 

○おしまいに

 

 私は当作品の存在を数年前に知りました。トレイラーでの苛烈な練習シーンが印象に残り、一度全部見てみたいと思っていました。

 そして数日前、偶然にこの映画を観る機会があり、全部観させていただきました。それは期待以上の出来で、上で述べたような多くの学びや気付きをもたらしてくれました。

 

 私はそもそも昔から音楽を聞くのが好きな人間で、ジャズならば大野雄二、ハーブ・アルパート、メイナード・ファーガソンアル・ディ・メオラなど、フュージョンも含めたらCASIOPEAT-SQUARE(元THE SQUARE)、SKYなどよく聞きます。

 

 音楽の魅力というのは、ミュージシャンの膨大な熱意、圧倒的練習量、日々の器材や身体のメンテナンス……という生半可ではないプロの態度から生まれるものと思います。それに併せて、本人の個性(才能、感性、志向)も不可欠かつ重大なファクターです。それが厄介なのはそれが天才として花が咲くのは日常の中とは限らず、破滅的な状況である場合もあり、とてもとても喜べるものでは無いときもあります。

 

 それを見事に表現してくれたのが映画「セッション」であり、芸術の道に進むことの重大さをありありと伝えていると思います。自分はアンドリューになるのかショーンになるのか、それともフレッチャーになるのか……そういうことを考えながら観ると面白い映画だと思います。

 

 ただ、この映画は前述の通り、暴言や暴力シーンが随所に見られ、自殺のエピソードも語られるので、そうしたものが苦手だったり健康上の問題のある方は、ご視聴を控えられた方がよろしいかもしれません。

 

本日も最後までご覧いただきありがとうございます。

 

2025年2月12日

 

 

漫画「今どきの若いモンは」が面白い!

こんにちは、ずばあんです。

 

今回は漫画の感想を述べさせていただきます。

 

「今どきの若いモンは」は吉谷光平先生が2018年からTwitter(現 : X)、のちにサイコミで連載を始めた作品です。

2022年には反町隆史さん主演で、ドラマ化されました。

 

内容は仕事もの、特に営業職についての作品です。「島耕作」シリーズや、「美味しんぼ」のようなカテゴリーに入ります。

主人公は総合商社の若手女性社員・麦田(むぎた あゆみ)で、その上司で営業課長である石沢一(いしざわ はじめ)は「今どきの若いモンは」が口癖の面倒見がいい優しい理想的な上司です。

 

この作品は一貫して、麦田が新入社員として総合商社・三ッ橋商事に入社し、営業部に配属されてからの、仕事での彼女の苦難と成果、挫折、成長を描いた作品です。

 

私はこの漫画がTwitterで連載されていた時から読んでおり、特に今のシリーズはこれ迄になく関心を持って読み、いつも次の話を楽しみにして読んでおります。

 

今日はこの作品の詳細と、そこからずばあんが読み取った意味と感想を語りたいと思います。

 

【内容】

ここでは、話の流れをシリーズごとにまとめて説明したいと思います。

 

(麦田1年目)

大学卒業後、大企業の三ッ橋商事に営業職で新卒入社した麦田歩は要領が悪く失敗しつつも、上司で第一営業課長の石沢一や、先輩の舟木、犬飼、営業部長の風間、第二営業課長の恵比寿などに見守られサポートされながら、営業職として契約締結にむけ努力する。

 

(麦田2年目)

入社2年目の麦田、そして第一営業課に新入社員が配属される。勤勉で誠実な金松、そしてギャルでメンタルが強いみーよんの2人だ。麦田はこの2人の先輩として面倒を見ていく。

方や、石沢、風間の数十年来の宿敵である、ヨツバ商事の鬼戸の攻勢が麦田らを襲う。

 

(不動産編)

麦田と金松は突如、系列の不動産会社・三ッ橋不動産への出向を命じられる。本社肝いりのプロジェクトを進めるためだという。麦田らは石沢らの元を離れ、三ッ橋不動産のユージ、ノブ、前田らと客に家を売り、夢を売っていく。

一方でヨツバの鬼戸も三ッ橋のプロジェクトに牙を向き、本社の石沢らも動く。

 

(スーパー編)

三ッ橋不動産から本社に戻ってきた麦田は、早速系列のスーパーマーケット・みつはしスーパーに出向を命じられる。経営が傾いているみつはしスーパーの経営コンサルタントとして麦田が選ばれたという。

スーパーには社員の松岡、清澄、古株の草井、そして本社からの出向組の沢、ゲン、赤巻専務がいた。社内のムードはちぐはぐで中々一丸になれない。その中で麦田は同志を集めながら責務に取り組んでいく。

一方でこのスーパー再建の裏には本社内の派閥争いが深く関わり、麦田の挑戦は社内外を巻き込む大騒動となる……

 

(麦田アラサー編)

みつはしスーパーから本社営業に戻った麦田は、社内環境の変化、石沢の部内異動、結婚を考える同期・後輩、そしていつの間にかアラサーとなった自身という状況に浦島太郎状態であった。

麦田は新しい上司・吾妻課長のもと、チームリーダーとして新入社員の朝比奈、遠矢を部下に率いて、石沢のような理想の上司を目指すも、現実を前に苦悩していく。その中で、同期の木村、そして久坊と久々に再会するも、それは麦田に新たな試練と変化をもたらす……

 

新章(就活編)

麦田は営業課から人事課に出向し、社員の採用に携わることとなる。就活生と向き合い悔いの無い仕事をしようと志す麦田であったが……

 

 

 

ここまでが、この漫画の今までの流れです。

どの話も登場人物の動きや表情が生き生きと描かれており、業務の詳細な情報についても一目で理解できるような画の構成が上手い作品です。

 

 

【ずばあんの感想】

 

ここからはずばあんによる感想です。各章ごとに述べていきたいと思います。

 

大変申し訳ございませんが一部ネタバレになる部分もございます。それを避けたい方は読み飛ばしてもらって構いません。

 

(麦田1年目)

理想的な上司・石沢、そして回りの営業部の人達

 

 これは石沢課長の魅力的な人柄が伝わる章です。仕事を覚えるのが遅く、失敗を重ねる麦田を、励まし助け、ハラスメントから守る頼もしい理想の上司です。これは麦田のみならず、同じく部下の舟木、犬飼、後輩の恵比寿やゲンにとっても同じであります。

 また、石沢以外の人物からの麦田への指導や教育の様子も描かれております。

 第二営業課長の恵比寿は麦田ら新人職員に厳しく指導する人物です。それはかつて自身が入社した時の驕りと挫折、そこからの努力と成功の経験から、どんな資質の人間にも努力と成長の機会を与えたいという熱い思いからの行動です。そしてそれは麦田にもいい影響を与えております。

 そのほか先輩の舟木や犬飼も、麦田の面倒を見てフォローをしていきます。特に麦田が営業の仕事でうまく行かなかった時の舟木の、「大人は何となくで物事を決めない。何かしら理由はある」「理由は何か簡単には分からないが、だからこそ仕事はやりがいがある」という励ましの言葉は私も好きです。

 そのほか営業部の人々は麦田を様々な形で助け、励まし、その中で麦田も日々成長していきます。

 

(麦田2年目)

 

見られる麦田の姿、麦田に付いてくる者達

 

 これは、麦田が持ち前の前向きさと行動力が発揮されはじめる章です。麦田は、新人の金松、みーよんという後輩を初めて持ち、先輩として指導していきます。麦田はタイプの違う後輩の世話に格闘しつつ、後輩は仕事に前向きな麦田を見て影響を受けていきます。

 先輩は後輩の姿を見て、先輩も後輩に自分の姿を見せるという良い先輩後輩関係を見せつけられました。自分にも仕事場に後輩はいますが、はたして私そういう関係を築けてるでしょうか……

 

悪役・鬼戸/人間・鬼戸

 

 話しは変わりますが、この章からヨツバ商事の鬼戸の存在が強くなります。実は鬼戸については前章で石沢らの宿敵としての因縁が語られております。鬼戸は冷酷でどんな卑怯な手を使い他人を蹴落としても自分は上に登り詰めるという悪役として描かれております。

 しかし、この章では麦田らに陰で牙を向ける悪役として描かれつつも、方や家庭では家族を愛する理想の父親像も示されます。そして、鬼戸の少年期のトラウマ(実父の破産、いじめ)について語られ、そこから残忍な悪役と理想的な父親という人格の二面性が説明されます。「本当に大切な人間さえ守れたらそれでいい、どんな手を使っても」...

 私はこの鬼戸のキャラクターに不思議と納得させられました。鬼戸にとっては妻や娘という「本当に大切にしたい人間」がいて、その家族を守るためには「どんな手を使っても」構わないという覚悟があるのです。

 これは理想的な社会人である石沢(そしてその部下である麦田)とは対照的です。別の漫画ですが「島耕作」シリーズの主人公・島耕作も石沢と同じタイプといえます。道徳的な話を抜きに、私は鬼戸の内面について強く批判できる自信は正直ありません。人見知りでコミュ障の私は、自分が命を削ってでも大切にしたい人間の幅がものすごく狭く、そして他人もそういうものだろうと思ってしまうのですから。鬼戸が表している人間像は私の中にもあるのです。

 だからこそ、色んな多くの人を大切にする麦田や石沢が何を語り、どう動くのかがいつも楽しみなのです。私もそういう人間に近づきたいのですから...。

 

(不動産編)

 

家を売る、夢も売る

 

 麦田は金松とともに三ッ橋不動産に出向し家を売ることになります。麦田は客に寄り添い希望を叶えようとしつつも、様々な制約や衝突と直面します。  

 家は一度買えば数十年あるいは一生ものの財産となりうるもので、どんなに安くとも数千万円という高額な買い物となります。一括払いの用意ができなければローンを組まなくてはなりませんし、ローンの資格を有さなければ、もちろん家は買えません。

 そのため住宅販売は理想を叶えるだけではなく、客の財力を慎重に判断し、営業マンが客を選ぶ必要もあるのです。

 

 その現実の中で麦田は、ユージやノブという先輩社員に教えを請い、住宅販売のノウハウを吸収します。入社2年目で未だ契約ゼロであった前田も麦田の熱意に触発され、麦田とともに勉強をします。

 家を売るというのは夢も売る仕事です。商品のスペックを見て購入するカタログの商品と異なり、その家でどんな生活を今後送るのかというビジョン、すなわち夢が商品なのです。これは麦田の客の希望に寄り添うという姿勢の発展形でもあります。そのためには客を見て、地域を見て、夢を描き示す能力が住宅販売には求められるのです。

 前田は絵画の才能がありましたが、先輩から教わった審美眼とともに、自身の才能を以て、更地の土地に客の夢をイラストで示しました。

 そして麦田は契約を取り、前田は入社初の契約を取ります。

 

 人に夢を売るのは本当に難しいものです。人に売るものである以上夢想的過ぎではいけないですし(これはもはや詐欺です)、逆に現実を突きつけすぎてもそれは売り物として価値のあるものではありません(これもまた詐欺です)。

 夢の価値は人間関係や社会でしか創造できないものですので、営業職の人の人間や社会を見る能力は不可欠と思います。特に住宅というあまりにも高額の買い物はそこにミスは許されないでしょう。そして、夢の価値を理解し、自分の描いた夢を客と語りあえる事はなおのこと重要だと思います。そこまで出来た人間が家を売り、夢も売るのです。

 

(スーパー編)

 

社内の不協和音と改革者

 

 麦田はみつはしスーパーで経営コンサルタントとして出向し、スーパーの経営改善を目指します。しかし、みつはしスーパーの面々は皆バラバラで、経営改善に向けて纏まることすらただなりません。

 麦田に賛同の姿勢を示すバイヤーの清澄や赤巻常務はともかく、そもそも仕事にやる気がないゲンや松岡、保身に走り事なかれ主義の沢、古株ながら社内で孤立している草井など、個々の社員の意識はバラバラです。

 

 経営改革が求められるほどの組織なのでそんなものかと思うべきか、この状況を何とかしなくてはと思うべきかと思うのかともかく、私にとっては見ていてとても苦しい局面です。組織が破滅に向かい突っ走り、今居る者は自分の身のみを案じて今日さえよければよい。そして、組織の将来を案ずれば、変人のように扱われる。トラウマか悪夢か、私には苦しみの権化です。

 

 しかしその中で麦田は尊敬する石沢の姿を思いつつ、出来ることを精一杯尽くし、社内外で協力者を集め、徐々に組織の改善を実現化していきます。それに反発したり妨害する動きがありつつも、その中で麦田の不屈の姿勢はさらに賛同者を集め、麦田はスーパーに欠かせない人間となります。

 麦田のその姿はまさしく戦士の姿でした。涙を流しつつもひたむきにスーパーを守るために果敢に戦う姿は、まるで「北斗の拳」のケンシロウのような英雄の姿に重なりました。これは私の心に刺さり、これから辛いことがあっても出来るところから頑張ろうと思えました。

 

 派閥争い

 

 さてこのみつはしスーパーの再建ですが、本社の派閥争いの代理戦争の側面もあります。再建派の武蔵野常務と整理派の小立川の対立が、それぞれの派閥を巻き込んだ抗争となっております。その対立はみつはしスーパーとのライバル社や麦田の社外の協力者にも及びます。そして、意外な人物が小立川派として暗躍し、麦田の敵として対峙します。

 私にとっても大変難しい話ですが、派閥というのは自分が生きる社会において強い力、もしくは暴力性を持つ集団として意識しなくてはいけないものです。そこから外れる無頼の生き方は、本当に個として強くないと出来ないものです。

 「島耕作」も自身の務める初芝電産(のちのテコット)で、特に派閥に属さない無派閥として生きてきましたが、結局は島に賛同してきた多くの者達での「島派」のような存在を作中で指摘されております。

 麦田はみつはしスーパーで孤軍奮闘するところから賛同者を多く集め強大な派閥を築きました。そしてスーパーが整理寸前となった時に、麦田はある人物を味方に付け危機を打開します。

 やはりこれを見て最後に危機的な状況を打開するのは、人を集めようとする力なのだと痛感させられました。

 

 

(麦田アラサー編)

 

 理想の上司と現実の上司

 

 本社に戻ってきた麦田は、新しい課長の吾妻の元で、チームリーダーとして新人の朝比奈、遠矢の上司となります。麦田は石沢のような理想の上司になろうと頑張るも日々疲弊しやさぐれていきます。

 その中で年に1度のBBQ大会の企画を任され、それを機に同期の木村、そして関西支社営業を経て人事部にいる久坊と再会しますが、入社当時は温和な性格であった久坊は攻撃的な性格に変貌しておりました。そして、久坊は麦田のチームの現状について語り、「ダメな新人」は見捨てて構わないという発言をします。麦田は自身は元々「ダメな新人」だったが石沢のお陰で成長できたと反論しますが、それに対し久坊は「俺は誰にも教わってない」と一蹴します。

 久坊は初任地の関西支社営業で先輩に早々と身限られ干されていたのです。そこから木村ら同期に助けを求め、自分の力のみで仕事を覚え、成果を上げたのです。ちなみにこの当時の営業課長は吾妻でした。

 

 この麦田と久坊の対照は、悲しいかなどこでもあると思います。麦田は石沢という理想の上司に出会い目標としておりますが、久坊はそもそもそのような存在が無いのです。久坊はその代わりに復讐心とも執着心とも分かちがたい攻撃性を芽生えさせエネルギーとし自分で育ち乗り越えてきたのです。

 この久坊の例は復活を果たしたことで、それはそれとして立派な功績ですが、同じく吾妻の部下で成績不良を理由に退職した社員が少なくないことも作中で語られます。吾妻は自身が直接ハラスメントを行うことはありませんが、成績がふるわない見込みなしの社員に静養を理由に仕事を与えないという処置をとってきました。

 

 しかし、その吾妻のやり方は間違っていると批判できるものなのかも疑問に思います。成績不良の者の変わりに成績良好の者にリソースを割くのはおかしなことではないですし、それだけで吾妻を叩くのは感情的すぎると思います。

 吾妻に問題があるとすれば、長期的に組織を強くするビジョンがない事です。旧来のマネジメントの改変を怠り、自身が生き残るのみに腐心し、組織が荒れるに任せているのてす。

 とはいえ、それを見て見ぬふりして触りたくないのは人の性かもと私も思います。久坊は吾妻の所業を知りつつも「(新人育成は)どうせみんな面倒臭いと思うとるやろ」と言っており、周囲への絶望の念が滲み出ているように思えました。

 

 一方で石沢は久しぶりに会った麦田にこのようなことを言いました。「マネジメントに成功も正解もないからな」と。これは結局、マネジメントは試行錯誤の連続であり、真の正解はまだ分からないということなのです。理想の上司像が本当に理想なのかまだ分からないのです。

 日本社会におけるハラスメント対策もまだ道半ばですし、これは失敗ではなく挑戦の途中なのかもしれません。

 

 

 結婚しなくては?

 

 話は変わりますが、麦田が本社に戻るとみーよんは婚活に精を出していました。みーよんは結婚適齢期で玉の輿に乗ることを目指しており、麦田はその意識の高さに圧倒されてました。麦田はこれまで仕事に一生懸命になり、結婚のことは微塵も考えてなかったのですから。

 そして先輩である舟木と犬飼が結婚することが明かされ、麦田らも結婚式に縁者として参列しました。

 

 実は私もアラサーでもうそろそろ若さという価値を滅失して、結婚が厳しくなる年齢に差し掛かっております。結婚するなら、異性にアタックして相手を見つけ、しっかりライフプランを立てて、これからの生活の準備を進めねばなりません。

 私の知人が言うことには、結婚相手には自分の希望を100%要求することは出来ないので、何かしらは諦めないといけないと言われてますので、結婚相手は結婚相手として付き合う必要があると思います。また結婚を諦め独身で生きるにせよ、それはそれでしっかりライフプランを考えなくてはなりません。自分の生活を助けてくれる他人は、自分の世帯にはいませんので。仕事への姿勢もそれに伴い影響してくると思います。

 

 やはりアラサーにとって結婚は避けがたい話題だと思います。

 

 

おしまいに

 

今日は漫画「今どきの若いモンは」(吉谷公平)の感想でした。この漫画は読むごとに面白いと思える作品です。

 

この漫画は主に営業職を中心に描いた作品ですが、営業職ではない仕事の方(私もそうですが)にも参考になることが詰まった作品だと思います。

 

これからの麦田の動きには益々目が離せません。

皆さまぜひサイコミや単行本などで「今どきの若いモンは」をお読みください。

 

今回もありがとうございました。

 

2025年1月20日

 

2025年新年の挨拶

新年明けましておめでとうございます。

 

今年は、前年の反省から、短くともブログの更新をしていきたいと思います。緩い内容から真面目な内容まで多様なネタをあげたいと思います。

 

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。


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2025年1月5日

2024年〆の挨拶

 皆様お久し振りです。ずばあんです。

 

 今年はブログの更新がほとんど無く、申し訳ございませんでした。

 

 今年は私にとって色々変化の大きい年でした。

 今年から初めて佐賀県に住み始めました。これまで暮らしてた所とは環境が大きく変わりましたが、大変過ごしやすく、楽しい日々を過ごしております。初めて自分の車を買い、休日はドライブに行き、佐賀県内外の色んな場所に行っておりました(そしてブログの更新を忘れておりました)。

 

 一年を振り返ると、国内外共に大きく動いた年でした。今年の正月には石川県能登半島を中心に巨大地震が発生し、夏の豪雨と併せて甚大な被害に見舞われ、今でも復旧活動が続いてます。闇バイトについては、強盗殺傷の被害や犯罪集団の暗躍へどう立ち向かうかが問題となりました。岸田文雄・元自民党総裁の任期満了による自民党総裁選では、石破茂氏が選出され新たに総理大臣となりました。衆議院選挙では、従来の自民党公明党による与党が過半数割れしました。

 海外を見ると、ウクライナでの戦争はいまだ落ち着きどころを見せません。アメリカでは、大統領選挙でトランプ氏が当選し、今後の動向が注目されます。韓国では政治の停滞から、尹大統領による非常戒厳令による国内外の混乱が未だに続いております。12月29日のチェジュ航空機事故の対応についても大混乱は避けられません。

 

 夏のパリオリンピックでは、日本は史上最多の金メダル・総メダル獲得数を記録しました。また、佐賀県では、従来の国民体育大会(国体)から模様替えした国民スポーツ大会(国スポ)が、全国障がい者スポーツ大会(全障スポ)と併せて「SAGA 2024」の名称で開かれました。

 九州内では、熊本県へのTSMC進出をはじめ、半導体工業への投資や開発が各県で計画、進行しました。TSMC日本第一工場は今月に量産に入ったとのことです。

 

 不安と期待を抱えながら、2024年は幕を閉じようとしております。来年2025年は事態が少しでも前進し、明るい未来像が描けるような世界を願っています。ブログの更新も捗るように努力します。

 


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(写真) 長崎県平戸市生月島にて

 

2024年12月31日 大晦日

 

鹿児島旅行 2023年12.27~30

今年もお疲れさまでした。ずばあんです。

 

私はタイトルの通り、2023年末に旅行で鹿児島に行って参りました。X(@zuba_unknown)でも簡単に写真をアップしましたが、当ブログ記事で詳細をお伝えします。

 

【12.27(1日目)】

(旅程)

長崎駅=(新幹線等)=鹿児島中央駅=(バス)=知覧=(バス)=鹿児島中央駅

(鹿児島中央駅前のホテル泊)

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1739814710021861544?t=qP-C-2NZNoSYfhlpQGqZsw&s=19

(鹿児島到着時のXの投稿)

 

鹿児島に到着し、まずはバスで知覧(南九州市)へ向かいました。

 

○知覧○

鹿児島中央駅からバスで約80分で「知覧特攻観音」バス停に到着しました。

 

・知覧平和公園 (旧大日本帝国陸軍知覧飛行場跡地)

 

 

この地にある広大な知覧平和公園には、特攻平和観音堂知覧特攻平和会館などの施設が置かれております。

 

この場所はかつて第2次世界大戦中に、日本陸軍知覧飛行場、および神風特別攻撃隊(以下「特攻隊」)などの部隊が置かれた場所です。この場所から当時20歳前後の青年が特攻隊として数多く飛行機に乗り、敵国の戦艦などに突撃し散ったのです。WW2終戦後、特攻隊は解散させられ飛行場は農地などに転用されました。

 

その後知覧の飛行場跡地には1955年に特攻隊員慰霊のための観音像が安置された特攻平和観音堂が作られ、1970年代から1980年代にかけて隣接地に、知覧飛行場の歴史や特攻隊員の遺品を展示・紹介する知覧特攻平和会館が整備されました。

 

この2つを擁する知覧平和公園内にはそのほかモニュメントや公共施設、公園、食事処などが整備され、園内街路には噴水や桜並木、灯籠が設けられております。

 

知覧平和公園はかつての陸軍知覧飛行場の格納庫の場所に当たりますが、その周辺にも知覧飛行場時代の施設等が今日まで残されてます。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1739934801543778354?t=bA_A7pbWMClnvE-Xeu_Rlw&s=19

(投稿の写真の1枚目が特攻平和会館内の零戦残骸の展示)

 

・知覧武家屋敷

 

知覧平和公園から北へ1.5km行くと知覧の中心街に入ります。中心街には江戸時代からの武家屋敷が数百メートル延びております。石垣と生垣を組み合わせた塀が伸びる街並みは調和がとれ、伝統が生きる雰囲気の良い風景でございます。

観覧可能な屋敷の庭園は、どれも自然や造形のバラエティに富むものであり、バックの山々との調和がとれたものでした。鹿児島という南国の気候を活かしソテツなどを使用している庭園も多かったです。

案内文によると、知覧の屋敷の庭園の様式は琉球からの影響を強く受けており、門から玄関が直接見えない造りや街路の魔除けの石(石敢当)に代表されるとのことでした。

 

この知覧の武家屋敷は18世紀頃に整備されたもので、知覧の領主・佐多家が当時知覧の港と交易していた琉球にあやかり整備させたといわれております。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1739934801543778354?t=bA_A7pbWMClnvE-Xeu_Rlw&s=19

(投稿の写真2・3枚目が知覧の武家屋敷)

 

武家屋敷を見学し、私はバスで再び鹿児島市内へ戻り、中央駅前のホテルで宿泊しました。

 

【12.28(2日目)】

(旅程)

【12.28】

鹿児島中央駅前=(バス)=鴨池港~(フェリー)~垂水港=(バス)=鹿屋=(バス)=根占港~(フェリー)~山川港=(バス)=指宿市内ホテル

 

朝早くから鹿児島市内を出発し、市内の鴨池港からフェリーで40分かけて大隅半島の垂水港(たるみずこう)に渡りました。

垂水港から鹿屋行きのバスに乗り替え、40分ほどで鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地に到着しました。

 

鹿屋航空基地資料館

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740307967508181129?t=mC3v7Gl9pbE1utjQrUXsgQ&s=19

(投稿の写真の1~3枚目が航空基地資料館)

 

広大な鹿屋航空基地のそばに、鹿屋航空基地資料館がありました。

 

資料館には屋外に数多くの海上自衛隊で使用された航空機が展示されておりました。ヘリコプターや訓練飛行機から大型の輸送機、救難飛行艇まで様々な用途の機体がありました。

 

資料館の館内では、鹿屋航空基地と周辺地域の歴史のほか、旧日本海軍にまつわる人物(東郷平八郎など)や出来事に関わる展示、そして旧海軍から海上自衛隊までの航空部隊の歴史や使用された制服、装備が展示されてました。

 

その後私は鹿屋からバスで1時間かけて根占港に向かい、そこからフェリーで45分で薩摩半島側の山川港に渡りました。フェリーからは綺麗な円錐形の開聞岳を見ることが出来ました。

山川港からバスに乗り30分で指宿市内に到着しました。

この日宿泊したホテルは指宿市の浜辺にあり、海を挟んで対岸の大隅半島が見えました。チェックインしてすぐにホテル内にある砂蒸し風呂に行きました。

 

砂蒸し風呂は下着と専用のガウンのみを着衣すると、砂を掘ったところに仰向けになり、スタッフの方に砂をかけてもらいます。地熱の作用により身体がすぐに暖まっていき、汗がどんどん出てきます。15分経ち十分身体が暖まったところで砂蒸し風呂から出て、シャワーを浴び砂を流しました。

 

【12.29(3日目)】

指宿=(バス)=開聞岳周辺=(バス)=長崎鼻=(バス)=指宿駅=(JR)=鹿児島中央駅=(市電)=鹿児島市内ホテル

 

朝ホテルを出発し、バスに乗り開聞岳近くの枚聞(ひらきき)神社に向かいました。

 

枚聞神社(ひらききじんじゃ)

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740656593786867851?t=ocxPBxC54K6c-hXZYwOWCg&s=19

(投稿写真の1・2枚目が枚聞神社)

 

赤く大きな鳥居を構え、古風な緑屋根に赤い柱・壁の社殿を配し、背景に開聞岳を臨む境内。昔ながらの落ち着いたかつ荘厳さを秘めた枚聞神社はこの地に少なくとも和銅元(西暦710)年頃にはあったといわれており、古来から朝廷や薩摩島津家からの手厚い保護を受けて来ました。

宝物殿には国重要文化財である、梅松蒔絵櫛笥(うめまつまきえくしげ)や大酒甕など室町時代から江戸時代に作られ、枚聞神社に納められた由緒ある貴重な所蔵品を拝観できます(拝観料あり)。

 

 

枚聞神社からは開聞岳東麓の県道を南へ約5キロ歩き、開聞山麓自然公園に向かいました。

 

・開聞山麓自然公園

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740656593786867851?t=ocxPBxC54K6c-hXZYwOWCg&s=19

(投稿写真の3・4枚目が山麓自然公園)

 

この公園は、名前の通り開聞岳の南東の麓に位置する自然公園です。園内にはフェニックスやソテツ、サボテンなど南国の植物が生えているほかトカラ馬というこの地域特有の馬が放牧されております。鹿児島独特の自然を味わえます。

園内は山麓にあるためそこから眺める長崎鼻東シナ海の風景は開放的で格別です。

(入場料は大人370円)

 

自然公園入口からバスに乗り10分足らずで薩摩半島最南端長崎鼻に着きました。

 

長崎鼻

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740657304629096465?t=JgdeXmnxSSPMcY-ms6fuVg&s=19

(X投稿写真)

 

長崎鼻には動植物園である長崎鼻パーキングガーデンのほか、龍宮神社、長崎鼻灯台があり、岬の先端には千畳敷の岩場が広がっております。

 

岬へ行く道を右に向けば、海に臨む開聞岳が見えます。

 

龍宮神社はこの地に古くからある龍宮伝説にまつわり、貝殻に願い事を書き奉納すると願いが叶うといわれております。

長崎鼻灯台は白色の姿が陽光と目の前に広がる海に調和しております。灯台下から階段を降り千畳敷の岩場を歩けば水平線に近づけます。

長崎鼻は観光地として整備され、お土産屋が立ち並んでおります。店からは長崎鼻ご当地ソング「南国情話」が流れます。

 

https://youtu.be/MGG1xeMF8tY?si=ze3H8QzLey8iG2jl

(南国情話)

 

 

長崎鼻からバスで指宿駅に向かい、さら指宿駅からJR指宿枕崎線鹿児島中央駅に向かいました。駅前から鹿児島市電に乗り天文館へ向かい、天文館近くのホテルにチェックインしました。

 

夜6時頃食事のため外に出ますと、天文館は沢山の人でごった返しておりました。南九州一の大都会らしい有り様です。天文館公園にてライトイルミネーションが施されており、大変きれいでした。

 

居酒屋で食事した後、天文館から北の方にある照国神社へ行きました。巨大な鳥居の向こうに大きな社殿がありました。私は夜の人気の無い神社を参拝しました。

 

それから私は城山を歩いて登りました。展望台に到着すると、眼前に鹿児島市内の夜景が広がっておりました。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740840487974793587?t=n3uYmNfe9rENX40I8K5naw&s=19

(Xより城山から鹿児島市内の夜景)

 

その後、城山から岩崎谷に降りる道を行くと、道中に13地蔵や西郷隆盛潜伏洞窟がありました。

岩崎谷に降りると、国立鹿児島医療センターがあります。ここは薩摩藩の私学館があった場所であり、敷地の石垣には明治11(1878)年の南西戦争時に付いた弾痕が今でも残ります。

 

国道3号線を照国神社方面に歩きますと、右手に鹿児島城(鶴丸城)跡の濠と石垣を見ることが出来ます。城跡を過ぎたところで西郷隆盛像が見えました。

更に進むと左側に中央公園と古い鹿児島県教育会館の建物が見えます。そして照国神社前交差点に戻ります。

私はそこから天文館でまた飲み直してホテルに帰りました。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1753773657179169059?t=UxU9jlWGn2aVCazXGikcLw&s=19

(X投稿、1枚目・天文館公園のイルミネーション、2枚目・照国神社、3枚目・銃弾残る旧私学館石垣、4枚目・西郷隆盛像)

 

 

【12.30(最終日)】

鹿児島市内=(バス)=鹿児島港桜島桟橋~(フェリー)~桜島~(フェリー)~鹿児島港桜島桟橋=(バス)=仙巌園=(バス)=鹿児島中央駅=(新幹線等)=長崎駅

 

 

天文館のホテルを出た後、私はバスで桜島桟橋へ、そして桜島フェリーに乗りました。

 

桜島フェリーで15分で桜島に到着しました。午前中は桜島観光です。

 

桜島

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1741055200876691656?t=tQjRnU6ioSO4MrRrYBLTGA&s=19

(X投稿写真)

 

最初に行ったのはフェリーターミナル近くの月讀神社でした。月讀神社は1300年の歴史を持つ神社ですが、大正3(1914)年の大噴火で月讀神社が集落もろども溶岩で埋まりました。その後神社は移転し、昭和15(1940)年に溶岩上の今の位置に移りました。

 

この後は観光遊覧バスに乗り、湯の平展望台へ上がりました。バスの道中では長渕剛桜島ライブの地である赤平展望所や、火山灰対策の屋根が付いた墓を見ることが出来ました。

 

標高350メートルほどの湯の平展望台からは眼下に桜島の町と錦江湾そして対岸の鹿児島市姶良市方面の風景が一望できます。反対側を向いても、マツが生い茂る溶岩上の森と中岳を望めます。

 

バスで再び桜島中心街へ戻りまして、今度はビジターセンターに向かいました。ビジターセンターでは、桜島の火山活動や歴史上の大規模な噴火、それに伴う自然や島民の生活への影響を解説する展示をしていました。今まで見てきた桜島の溶岩原やマツの森、町並みを思い返しながら解説を読みました。

 

その後近くにある足湯に浸かり、その後はフェリーに乗り再び鹿児島市内へ向かいました。船内にはうどん屋があり、そこでごぼう天うどんを食べました。フェリーの航行時間は15分と短いのでさっと食べました。

 

桜島桟橋に到着し、徒歩で岩崎谷へ向かいました。そこからバスに乗り、仙巌園(島津家別邸)へ向かいました。

 

仙巌園

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1741056638403145852?t=TQYFvgkrJ2c2JRf4Od8N-w&s=19

(X投稿写真)

 

仙巌園は目の前の錦江湾と背後の台地の斜面に挟まれたところにある島津家の庭園、邸宅です。

広大な屋敷、庭園は和風の落ち着きと彩りに満ちており、豪華ながらも閑静な雰囲気を醸し出しております。敷地内の斜面には神社や祠が安置され孟宗竹の林があると同時に、南国風の亜熱帯植物が植えられており、鹿児島というと地に根差した日本の風景が広がります。

島津家庭園の隣には、集成館という島津家の偉業を紹介する博物館があります。こちらは元は紡績工場だった建物を利用しています。私が訪れた時は本館は耐震工事中で別館のみの見学でしたが、島津家の伝統に関する展示を見ることが出来ました。

細長い園内には歴代の島津家の人々の生活、武の鍛練、文の洗練、学術研究、産業振興の軌跡が残されております。

 

それから仙巌園から鹿児島中央駅まで戻り、駅から長崎まで新幹線で帰りました。

 

【おしまいに】

 

私が鹿児島県に行ったのは、高校時代の部活遠征で鹿児島市に行ってから10年以上経って2度目でした。特に大隅半島や指宿は全く行ったことが無かったので、本当に新鮮な旅でした。

 

今回は鉄道・バスで行ける所に主に行きましたが、もしもレンタカーを借りていれば、行けた所も多いかなと思いました。

 

また行きたいと思う場所も多く、次来るときはまた違った発見が出来ればと思います。

 

今回も記事を御覧いただき誠にありがとうございました。

 

 

2024年2月3日

 

 

 

 

 

 

2024年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。ずばあんです。

 

昨年はブログの更新がおぼつかなかったので、今年はXのポストをシェアする形でも記事の更新頻度をあげたいと思います。

 

2024年もどうぞ「ずばあん物語集」をよろしくお願いいたします。

 

(以下のリンク先のXのポストに今年の抱負がございます)

https://x.com/zuba_unknown/status/1741474316091613685?t=s5g6qLTchTeR-hg_3-669w&s=09

 


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2024年1月1日 元日