ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

鹿児島旅行 2023年12.27~30

今年もお疲れさまでした。ずばあんです。

 

私はタイトルの通り、2023年末に旅行で鹿児島に行って参りました。X(@zuba_unknown)でも簡単に写真をアップしましたが、当ブログ記事で詳細をお伝えします。

 

【12.27(1日目)】

(旅程)

長崎駅=(新幹線等)=鹿児島中央駅=(バス)=知覧=(バス)=鹿児島中央駅

(鹿児島中央駅前のホテル泊)

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1739814710021861544?t=qP-C-2NZNoSYfhlpQGqZsw&s=19

(鹿児島到着時のXの投稿)

 

鹿児島に到着し、まずはバスで知覧(南九州市)へ向かいました。

 

○知覧○

鹿児島中央駅からバスで約80分で「知覧特攻観音」バス停に到着しました。

 

・知覧平和公園 (旧大日本帝国陸軍知覧飛行場跡地)

 

 

この地にある広大な知覧平和公園には、特攻平和観音堂知覧特攻平和会館などの施設が置かれております。

 

この場所はかつて第2次世界大戦中に、日本陸軍知覧飛行場、および神風特別攻撃隊(以下「特攻隊」)などの部隊が置かれた場所です。この場所から当時20歳前後の青年が特攻隊として数多く飛行機に乗り、敵国の戦艦などに突撃し散ったのです。WW2終戦後、特攻隊は解散させられ飛行場は農地などに転用されました。

 

その後知覧の飛行場跡地には1955年に特攻隊員慰霊のための観音像が安置された特攻平和観音堂が作られ、1970年代から1980年代にかけて隣接地に、知覧飛行場の歴史や特攻隊員の遺品を展示・紹介する知覧特攻平和会館が整備されました。

 

この2つを擁する知覧平和公園内にはそのほかモニュメントや公共施設、公園、食事処などが整備され、園内街路には噴水や桜並木、灯籠が設けられております。

 

知覧平和公園はかつての陸軍知覧飛行場の格納庫の場所に当たりますが、その周辺にも知覧飛行場時代の施設等が今日まで残されてます。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1739934801543778354?t=bA_A7pbWMClnvE-Xeu_Rlw&s=19

(投稿の写真の1枚目が特攻平和会館内の零戦残骸の展示)

 

・知覧武家屋敷

 

知覧平和公園から北へ1.5km行くと知覧の中心街に入ります。中心街には江戸時代からの武家屋敷が数百メートル延びております。石垣と生垣を組み合わせた塀が伸びる街並みは調和がとれ、伝統が生きる雰囲気の良い風景でございます。

観覧可能な屋敷の庭園は、どれも自然や造形のバラエティに富むものであり、バックの山々との調和がとれたものでした。鹿児島という南国の気候を活かしソテツなどを使用している庭園も多かったです。

案内文によると、知覧の屋敷の庭園の様式は琉球からの影響を強く受けており、門から玄関が直接見えない造りや街路の魔除けの石(石敢当)に代表されるとのことでした。

 

この知覧の武家屋敷は18世紀頃に整備されたもので、知覧の領主・佐多家が当時知覧の港と交易していた琉球にあやかり整備させたといわれております。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1739934801543778354?t=bA_A7pbWMClnvE-Xeu_Rlw&s=19

(投稿の写真2・3枚目が知覧の武家屋敷)

 

武家屋敷を見学し、私はバスで再び鹿児島市内へ戻り、中央駅前のホテルで宿泊しました。

 

【12.28(2日目)】

(旅程)

【12.28】

鹿児島中央駅前=(バス)=鴨池港~(フェリー)~垂水港=(バス)=鹿屋=(バス)=根占港~(フェリー)~山川港=(バス)=指宿市内ホテル

 

朝早くから鹿児島市内を出発し、市内の鴨池港からフェリーで40分かけて大隅半島の垂水港(たるみずこう)に渡りました。

垂水港から鹿屋行きのバスに乗り替え、40分ほどで鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地に到着しました。

 

鹿屋航空基地資料館

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740307967508181129?t=mC3v7Gl9pbE1utjQrUXsgQ&s=19

(投稿の写真の1~3枚目が航空基地資料館)

 

広大な鹿屋航空基地のそばに、鹿屋航空基地資料館がありました。

 

資料館には屋外に数多くの海上自衛隊で使用された航空機が展示されておりました。ヘリコプターや訓練飛行機から大型の輸送機、救難飛行艇まで様々な用途の機体がありました。

 

資料館の館内では、鹿屋航空基地と周辺地域の歴史のほか、旧日本海軍にまつわる人物(東郷平八郎など)や出来事に関わる展示、そして旧海軍から海上自衛隊までの航空部隊の歴史や使用された制服、装備が展示されてました。

 

その後私は鹿屋からバスで1時間かけて根占港に向かい、そこからフェリーで45分で薩摩半島側の山川港に渡りました。フェリーからは綺麗な円錐形の開聞岳を見ることが出来ました。

山川港からバスに乗り30分で指宿市内に到着しました。

この日宿泊したホテルは指宿市の浜辺にあり、海を挟んで対岸の大隅半島が見えました。チェックインしてすぐにホテル内にある砂蒸し風呂に行きました。

 

砂蒸し風呂は下着と専用のガウンのみを着衣すると、砂を掘ったところに仰向けになり、スタッフの方に砂をかけてもらいます。地熱の作用により身体がすぐに暖まっていき、汗がどんどん出てきます。15分経ち十分身体が暖まったところで砂蒸し風呂から出て、シャワーを浴び砂を流しました。

 

【12.29(3日目)】

指宿=(バス)=開聞岳周辺=(バス)=長崎鼻=(バス)=指宿駅=(JR)=鹿児島中央駅=(市電)=鹿児島市内ホテル

 

朝ホテルを出発し、バスに乗り開聞岳近くの枚聞(ひらきき)神社に向かいました。

 

枚聞神社(ひらききじんじゃ)

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740656593786867851?t=ocxPBxC54K6c-hXZYwOWCg&s=19

(投稿写真の1・2枚目が枚聞神社)

 

赤く大きな鳥居を構え、古風な緑屋根に赤い柱・壁の社殿を配し、背景に開聞岳を臨む境内。昔ながらの落ち着いたかつ荘厳さを秘めた枚聞神社はこの地に少なくとも和銅元(西暦710)年頃にはあったといわれており、古来から朝廷や薩摩島津家からの手厚い保護を受けて来ました。

宝物殿には国重要文化財である、梅松蒔絵櫛笥(うめまつまきえくしげ)や大酒甕など室町時代から江戸時代に作られ、枚聞神社に納められた由緒ある貴重な所蔵品を拝観できます(拝観料あり)。

 

 

枚聞神社からは開聞岳東麓の県道を南へ約5キロ歩き、開聞山麓自然公園に向かいました。

 

・開聞山麓自然公園

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740656593786867851?t=ocxPBxC54K6c-hXZYwOWCg&s=19

(投稿写真の3・4枚目が山麓自然公園)

 

この公園は、名前の通り開聞岳の南東の麓に位置する自然公園です。園内にはフェニックスやソテツ、サボテンなど南国の植物が生えているほかトカラ馬というこの地域特有の馬が放牧されております。鹿児島独特の自然を味わえます。

園内は山麓にあるためそこから眺める長崎鼻東シナ海の風景は開放的で格別です。

(入場料は大人370円)

 

自然公園入口からバスに乗り10分足らずで薩摩半島最南端長崎鼻に着きました。

 

長崎鼻

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740657304629096465?t=JgdeXmnxSSPMcY-ms6fuVg&s=19

(X投稿写真)

 

長崎鼻には動植物園である長崎鼻パーキングガーデンのほか、龍宮神社、長崎鼻灯台があり、岬の先端には千畳敷の岩場が広がっております。

 

岬へ行く道を右に向けば、海に臨む開聞岳が見えます。

 

龍宮神社はこの地に古くからある龍宮伝説にまつわり、貝殻に願い事を書き奉納すると願いが叶うといわれております。

長崎鼻灯台は白色の姿が陽光と目の前に広がる海に調和しております。灯台下から階段を降り千畳敷の岩場を歩けば水平線に近づけます。

長崎鼻は観光地として整備され、お土産屋が立ち並んでおります。店からは長崎鼻ご当地ソング「南国情話」が流れます。

 

https://youtu.be/MGG1xeMF8tY?si=ze3H8QzLey8iG2jl

(南国情話)

 

 

長崎鼻からバスで指宿駅に向かい、さら指宿駅からJR指宿枕崎線鹿児島中央駅に向かいました。駅前から鹿児島市電に乗り天文館へ向かい、天文館近くのホテルにチェックインしました。

 

夜6時頃食事のため外に出ますと、天文館は沢山の人でごった返しておりました。南九州一の大都会らしい有り様です。天文館公園にてライトイルミネーションが施されており、大変きれいでした。

 

居酒屋で食事した後、天文館から北の方にある照国神社へ行きました。巨大な鳥居の向こうに大きな社殿がありました。私は夜の人気の無い神社を参拝しました。

 

それから私は城山を歩いて登りました。展望台に到着すると、眼前に鹿児島市内の夜景が広がっておりました。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1740840487974793587?t=n3uYmNfe9rENX40I8K5naw&s=19

(Xより城山から鹿児島市内の夜景)

 

その後、城山から岩崎谷に降りる道を行くと、道中に13地蔵や西郷隆盛潜伏洞窟がありました。

岩崎谷に降りると、国立鹿児島医療センターがあります。ここは薩摩藩の私学館があった場所であり、敷地の石垣には明治11(1878)年の南西戦争時に付いた弾痕が今でも残ります。

 

国道3号線を照国神社方面に歩きますと、右手に鹿児島城(鶴丸城)跡の濠と石垣を見ることが出来ます。城跡を過ぎたところで西郷隆盛像が見えました。

更に進むと左側に中央公園と古い鹿児島県教育会館の建物が見えます。そして照国神社前交差点に戻ります。

私はそこから天文館でまた飲み直してホテルに帰りました。

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1753773657179169059?t=UxU9jlWGn2aVCazXGikcLw&s=19

(X投稿、1枚目・天文館公園のイルミネーション、2枚目・照国神社、3枚目・銃弾残る旧私学館石垣、4枚目・西郷隆盛像)

 

 

【12.30(最終日)】

鹿児島市内=(バス)=鹿児島港桜島桟橋~(フェリー)~桜島~(フェリー)~鹿児島港桜島桟橋=(バス)=仙巌園=(バス)=鹿児島中央駅=(新幹線等)=長崎駅

 

 

天文館のホテルを出た後、私はバスで桜島桟橋へ、そして桜島フェリーに乗りました。

 

桜島フェリーで15分で桜島に到着しました。午前中は桜島観光です。

 

桜島

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1741055200876691656?t=tQjRnU6ioSO4MrRrYBLTGA&s=19

(X投稿写真)

 

最初に行ったのはフェリーターミナル近くの月讀神社でした。月讀神社は1300年の歴史を持つ神社ですが、大正3(1914)年の大噴火で月讀神社が集落もろども溶岩で埋まりました。その後神社は移転し、昭和15(1940)年に溶岩上の今の位置に移りました。

 

この後は観光遊覧バスに乗り、湯の平展望台へ上がりました。バスの道中では長渕剛桜島ライブの地である赤平展望所や、火山灰対策の屋根が付いた墓を見ることが出来ました。

 

標高350メートルほどの湯の平展望台からは眼下に桜島の町と錦江湾そして対岸の鹿児島市姶良市方面の風景が一望できます。反対側を向いても、マツが生い茂る溶岩上の森と中岳を望めます。

 

バスで再び桜島中心街へ戻りまして、今度はビジターセンターに向かいました。ビジターセンターでは、桜島の火山活動や歴史上の大規模な噴火、それに伴う自然や島民の生活への影響を解説する展示をしていました。今まで見てきた桜島の溶岩原やマツの森、町並みを思い返しながら解説を読みました。

 

その後近くにある足湯に浸かり、その後はフェリーに乗り再び鹿児島市内へ向かいました。船内にはうどん屋があり、そこでごぼう天うどんを食べました。フェリーの航行時間は15分と短いのでさっと食べました。

 

桜島桟橋に到着し、徒歩で岩崎谷へ向かいました。そこからバスに乗り、仙巌園(島津家別邸)へ向かいました。

 

仙巌園

 

https://twitter.com/zuba_unknown/status/1741056638403145852?t=TQYFvgkrJ2c2JRf4Od8N-w&s=19

(X投稿写真)

 

仙巌園は目の前の錦江湾と背後の台地の斜面に挟まれたところにある島津家の庭園、邸宅です。

広大な屋敷、庭園は和風の落ち着きと彩りに満ちており、豪華ながらも閑静な雰囲気を醸し出しております。敷地内の斜面には神社や祠が安置され孟宗竹の林があると同時に、南国風の亜熱帯植物が植えられており、鹿児島というと地に根差した日本の風景が広がります。

島津家庭園の隣には、集成館という島津家の偉業を紹介する博物館があります。こちらは元は紡績工場だった建物を利用しています。私が訪れた時は本館は耐震工事中で別館のみの見学でしたが、島津家の伝統に関する展示を見ることが出来ました。

細長い園内には歴代の島津家の人々の生活、武の鍛練、文の洗練、学術研究、産業振興の軌跡が残されております。

 

それから仙巌園から鹿児島中央駅まで戻り、駅から長崎まで新幹線で帰りました。

 

【おしまいに】

 

私が鹿児島県に行ったのは、高校時代の部活遠征で鹿児島市に行ってから10年以上経って2度目でした。特に大隅半島や指宿は全く行ったことが無かったので、本当に新鮮な旅でした。

 

今回は鉄道・バスで行ける所に主に行きましたが、もしもレンタカーを借りていれば、行けた所も多いかなと思いました。

 

また行きたいと思う場所も多く、次来るときはまた違った発見が出来ればと思います。

 

今回も記事を御覧いただき誠にありがとうございました。

 

 

2024年2月3日

 

 

 

 

 

 

2024年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。ずばあんです。

 

昨年はブログの更新がおぼつかなかったので、今年はXのポストをシェアする形でも記事の更新頻度をあげたいと思います。

 

2024年もどうぞ「ずばあん物語集」をよろしくお願いいたします。

 

(以下のリンク先のXのポストに今年の抱負がございます)

https://x.com/zuba_unknown/status/1741474316091613685?t=s5g6qLTchTeR-hg_3-669w&s=09

 


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2024年1月1日 元日

2023年もありがとうございました

今年も皆さまお疲れさまでした。

 

2023年はずっと仕事が忙しく、ブログの更新がなかなか叶いませんでした。ブログをいつもご覧になっている方々には申し訳なく思っております。

 

2023年は政治、社会、芸能などで大きな変化年でした、新型コロナウイルス感染症は5月をもって2類から5類に変更され、日本の経済・社会活動はコロナ禍前に回復しつつあります。九州では昨今の国際的な半導体不足により、熊本へのTSMC進出を筆頭に半導体製造関連の大型投資案件が多く発表されました。インバウンドの回復とあわせて、九州の地域経済にとって吉報です。

 

一方で悲しい話も沢山ありました。

和歌山県で遊説中の岸田総理に群衆の前で手製爆弾が投げ付けられる事件がありました。幸い犠牲者はいませんでしたが、2022年の安倍氏銃撃事件に引き続き激しい怒りと暴力による事件が起きたことは社会に潜む激しい暴力を感じさせられました。

また、芸能界ではジャニーズ事務所(元)創業者・故ジャニー喜多川氏による長年の性暴力事案がありました。これは事務所のみならず芸能界における長期的、積極的な「沈黙」を感じさせました。そしてそれは問題発覚時の社会の世論の混乱へと繋がりました。

そして、現在進行中の政治家のパーティー券問題も今後の政治の混乱を予期させました。某地元国会議員の「頭が悪いね」発言も政治の世界の混乱の根深さを代表しているように思えます。

国際情勢を見ると、イスラエルパレスチナの紛争が火を噴き、今も数多くの死者と難民を出しております。日本を見ても防衛予算が増額され、自衛隊の部隊、基地(駐屯地)の移設、増設が今年発表されました(とはいえ、ヘリ墜落、セクハラ、パワハラ、殺人事件という懸念材料もありましたが)。平和というのはいつでもどこでも価値があるものですが、それを生み出すのは思ったより遥かに難しいことなのかもしれません。

 

世界が、時代が暴れ、踊るこの中で私たちはそれに巻き込まれながら生き延びようとしております。来年もまた同じようなことが続くのか、何か新しい時代が始まるのか分かりません。それでも私は何か意味のあることが出来ればと思います。このブログもその一つです。

 

 

来年はXの投稿とミックスしつつブログ記事の更新を多くしたいと思います。

 

それでは2024年もまたよろしくお願いいたします。

 


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2023年12月31日 大晦日

創生出来ない田舎の何故?

    こんにちは、ずばあんです。

 

    この前衝撃的なニュースを見ました。

 

・町おこしのためのカフェが......

 

四国の某市にて、公設(国・市)の観光施設で2016年から営業してきたカフェのオーナーのA氏(東京からの移住者)に対して、施設の指定管理者のNPO法人理事長のB氏が、2021年頃から立ち退きを求め始めました。

 

B氏が立ち退きを求める理由は、カフェの経営についてA氏がB氏の行為を市役所に抗議をしたことが事実無根で不当なものであったためというものでした。それに対してA氏の主張は、B氏から度々不当な要求をされたりセクハラやパワハラといえる行為を受けたと言うものです。2021年から始まったB氏の立ち退き請求について、A氏は市に相談しましたが、解決策は講じられず、2023年2月には市の方から退去を求められたというのです。

 

A氏はこの事についてSNS上で発表し、B氏の行為と市の対応を批判しました。それによりこの問題が世間に出てくることになったのです。

 

そしてこのA氏の暴露について、ブロガーの方が調査を行ったところ、カフェの入居する観光施設は本来の用途は観光案内所であり、カフェのような「営利事業」は不適切だったのです。カフェの入居を認可した市の不備が分かったのです。

 

観光施設は、元は市内の河川修繕事業による立ち退きの補償として作られた施設でした。そしてB氏は立ち退き反対派への切り崩し工作の中心人物だったのです。そのB氏から施設に飲食店を誘致する提案を受けた市は、河川修繕の件もありB氏の提案を飲み、飲食店の誘致をしA氏のカフェを認可したのです。

 

つまりこの問題は、地域の有力者と移住者の双方のみならず、その橋つなぎ役の市もコンプライアンスや法律面において重大な失態を犯していたというものです。

 

私はこのような人物や自治体が、創生や町おこしをする資格は無いと思っています。それは移住者へ金銭面や生活面で損失を被らせているのと、この地域の創生を目指す人々をひたすら不幸にし続けているからです。

 

地域の創生については、都市部から地方部にかけて、国から地域そして個人にかけて巻き込む問題です。その上で私が地域創生に思うことを、このカフェ立ち退き問題を土台に素直に書きたいと思います。

 

 

① 都市とは

 

    都市や都会と言われると、ビルが沢山立ち並ぶ駅前や多くの人の行き交うスクランブル交差点、地下鉄などをイメージとして思い浮かべるかもしれません。それは実際にその通りだと思いますし、辞書でも都市は「多数の人口が比較的狭い区域に集中し、その地方の政治・経済・文化の中心となっている地域。」 (デジタル大辞泉)と述べられます。都会という言葉も「人が多数住み、行政府があったり、商工業や文化が発達していたりする土地。都市。」(デジタル大辞泉)と、「都市」と同じ意味です。

 

    では都市はどこでも作れるのかと言えばそうではありません。都市は一定の成立条件や要請が重なり生まれるものです。

    都市が成立するにはまず人の流動の集中する場所であり、それにともないモノや情報が集中する場所でなくてはなりません。

 

    例えば日本だと国の中心は昔は京都、今は東京ですがどちらも交通の要衝(※)であり、そこに皇居・政府、企業が集積し、独自の洗練された文化が興り全国に頒布しました。

(※京都は東海道北陸道などの主要な街道の結節点であり、船舶も瀬戸内海から河を遡りギリギリ到達出来る地点でした。江戸(東京)は関東平野の大規模な治水工事の後に生まれた開拓地が、主要な街道の結節点となったものです。)

 

    ローマや西安、デリーなど、海外の大きく、歴史のある都市を見てもそれは同じであると思います。

 

    そのような都市の重要な機能として、安全の提供があります。外国の都市では顕著ですが、城壁を築き外敵から都市を守ろうとしております。これにより都市内に安全圏を確保するのです。

    安全は防衛面や治安面のみならず、快適な都市の空間を、厳しい自然の脅威や気候の変動から守るという環境面での安全もあります。例えば、カナダのモントリオールには広大で巨大な地下街があり、地下街を出ずとも快適な都市民の生活が可能です。これはモントリオールの長くて厳しい冬の環境の中に都市を形成し都市機能を守るためのものです。

    なお、都市は自由で闊達な思想的活動の場所でもあります。都市は人口の集中点であり同時に情報の集中点でもあります。そこには、学問や芸術、政治の場が生まれます。今でもそうした場は比較的大規模な都市の方が活発ですし、近代化以前はそれらは都市の特権でありました。

    そのような都市の精神的活動は安全の提供無しに不可能と言えるでしょう。そのような活動はもとは余暇をもて余す貴族の特権であり、後に中世の城壁都市民、民主主義社会での進歩的市民、やがて一般市民へと主役が広がってきました。そこには技術や政治、経済の進歩により、安全を享受する都市民が増えてきた事が背景にあることは否めないと言えるでしょう。

 

② 田舎とは

 

    田舎は都市と比べて、人口が少なく建物も少ない、産業や仕事も都会に比べて限られ、情報の流入も乏しい所というイメージがあります。辞書でも「都会から離れた地方。」「田畑が多く、のどかな所。人家が少なく、静かでへんぴな所。」(デジタル大辞泉)と述べられます。

 

     田舎と呼ばれる地域は、都会に比べて面積的にかなり広く、そしてその実態もそれぞれの「田舎」で千差万別です。

    第一次産業の強い田舎を見ても、農業主体、漁業主体、林業主体などそれぞれ違った特徴を見せます。また、山間部、平野部、沿海部、離島という地理的条件によっても特徴は変わります。

    都市との近さを見ても、都市に近くその日の内に行き帰りが出来る所もあれば、絶海の孤島(伊豆諸島青ヶ島など)のように外へ出る事自体難しい所もあります。

 

    それに、そもそも都会と田舎の境目というのは定義が難しいところがあります。

    人口で区別する見方でも、各都道府県の県庁所在地(少なくとも人口20万人台)までを都会とする見方もあれば、100万人規模の都市までを都会とする見方、はたまた日本3大都市までを都会とする見方と、境目の決め方は時や場合により異なります。

    その他、高校や大学などの学校の数や、企業の数、雇用者の数、地域内総生産・総消費など、バロメーターは様々ですが、その中でも都会や田舎の境目は時や場合によってバラバラです。

    

    私もその事情を理解した上で、地方創生や都会から田舎への移住について慎重に語りたいと思います。

 

③ 地方創生

 

    地方創生とは、長年続いてきた東京一極集中により、縮小しつつある地方の社会を再興し日本の国力の回復を図る試みです。これは「地方消滅」(2014, 増田寛也) などで注目を集めました。

    その手法については、集中と選択により地域の拠点都市の強化を図ったり、企業や産業の誘致、地域おこしなど様々な手法があります。

    そこで実現されるべき目標も、域内人口の減少の底打ち線や、コミュニティの存続、GDP達成額など様々です。いつの時点での目標かも様々です。

 

    私は大学時代、この問題について強い関心を持っておりました。地方創生に関する著作やレポート、ニュースを読み漁り、地方創生に関するゼミで日本の医療格差について研究しました。別のゼミでも、畑違いですが、少子高齢化の原因や経済への影響についても調べました。

 

    そんな私が、地方創生政策に思うことをこれより述べます。

 

(1) 都市へのインフラの集中・維持

 

  「地方消滅」を著した増田寛也さんは、日本の地方創生のために選択と集中による、地域の中心都市への人口・資源集中を唱えました。

 

    それにより、小さな多数の集落にも整備された水道や電気等のインフラストラクチャー(社会や経済の基盤となりうる資本、インフラともいう)を1つの中心都市に集中投資、整備し都市の質を高め、中心都市を人口流出のダムにしようとするものです。

 

    私はこの考えには半分賛成です。それは年々国民の生活水準が向上するにつれて、求められるインフラの水準も上がってきているからです。情報社会の深化、グローバル化、医療水準の向上、高等教育進学率の増加......etc、そうした期待に答えられる地方都市の再開発が今求められております。

 

    それにともないインフラ整備を進める必要がありますが、少子高齢化による経済の縮小により限りある金をより有効に使う必要が出ました。そのため全ての市町村に投資するのではなく、各地域の中心都市に限り、生活、経済、文化水準を向上させるのです。

 

    その中で生まれた都市再開発の理想がコンパクトシティです。これは高度な都市の機能が徒歩圏内でおさまる、もしくは公共交通機関による移動圏内でおさまる都市を指します。例としては、公共交通機関(BLTなど)の体系再編を行い、それによる移動圏内に公共施設を集中させた富山市や、福岡盆地に位置し近年大都市として飛躍的な発展をしている福岡市があげられます。

 

    しかし、これは万能な政策とはいえません。地域に圧倒的に大きい都市があればいいものの、地域全体にあまねく人口が分散しているような所では中心都市を決めるのすら困難を極めます。

    例えば中国山地や山陰地方は広大な地域に少ない人口が分散して住んでおります。道路などの交通体系も網の目となり軸を見いだすことも困難です。そうした地域では鉄道の廃止やその検討が早々から行われてきております。もしそうした地域でも選択と集中による政策を行うには、ほぼ一から都市を作るのと同じコストがかかり、本末転倒です。地域をあえて消滅させるのも解決策とはいえません。

    この部分は国レベルのマクロな政策の及ばざる所なので、地域レベルのミクロな対策により任されねばなりません。

 

(2) 農村部等での移住者促進

 

    次に農村部等への移住の話です。農村部等では人口流出や少子高齢化が著しい現状があります。そのために各地では移住促進策が取られています。冒頭のニュースでの移住者も、自治体を通じて移住してきました。このような策は地域の存続のためには不可欠であると思います。具体的には、移住者向けの相談窓口や団体による斡旋、使われてない土地等の提供、子育てへの支援といったものです。 こうして、何かしらの動機を持ち都市部等から農村等に移住者が地域に定着することを図るのです。

 

    ただ、これは様々な困難を孕み、移住者の更なる転出が少なからず起きております。

    一つ目は移住者と地域のミスマッチ、二つ目は移住者の動機の甘さや不純さ、三つ目は地域側の尊大な態度です。

 

    移住者と地域のミスマッチは、移住後に地域での生活に合わなかったり移住目的を叶える場にそぐわなかったりなど事由は様々です。原因としては移住者側の調査不足であったり、地域の側が情報を提供する際に偽りや虚飾をすることにあります。

    移住者の動機の甘さというのは、地域への移住において現実的な見通しを立てず、理想論的な願望の押し付けが強いことを言います。例えば、農村は人が素朴で温和で、野菜をタダで貰える......という幻想がそれです(農村は自然環境が厳しい中で、人数の少ない集落民が集落の維持や自給自足を図っている前提を忘れてはいけません)。

    動機の不純さというのは、地域に移住する際に反社会的行為を画策したり、地域に定住する気がないなど、健全な地域づくりに背く事を意図していることです。実際のケースとして、移住者が大麻を栽培していたり、移住促進制度の恩恵だけを享受して短期間で転出するという事案があります。

    地域側の尊大な態度とは、地域創生の目的を越えた移住者に対する差別的な態度を指します。例えば、移住者にのみ集落単位の仕事を押し付けたり、移住者の私物を勝手に使ったり、はたまた移住者が異論反論を訴えると放火など反社会的行為で反撃するなどです。これは地域創生の目的に適しない、崩壊寸前の地域のその場しのぎの延命にすぎません。

 

④ずばあんの意見

 

    私は、地域創生は、それを地域社会が、中でも有志の方々が切に望むのであれば、目指す価値があると思います。地域創生策をとらなくては、その地域に住む人々の生活や幸福、安全が脅かされるというならば、やる必要があると思います。

    

    一方で、地域創生をする必要があるか怪しい地域もあります。地域民が現状維持を強く望むか、地域を離れることを強く望むなどの場合はその地域の地域創生の意味はありません。地域創生とはそもそも「選択と集中」による国土開発計画であり、その中で「勝ち組」になる事が地域社会には求められております。国策として始まった以上、日本全国の地域は全てこの地域創生策の勝ち組か負け組かというゲームに乗せられているのです。

 

    地域の在り方を変えたくないならばこの地域創生ゲームは辛く空しいでしょう。それならば、もう地域が無くなることを覚悟しつつ現状維持をするという道もあるのかもしれません。

 

    それに、地域社会の意思の前に、地域に住む各個人の意思の問題があります。私はこの地域に住みたい、この地域から出ていきたい、この地域を変えたい、この地域を捨てたい......。日本では各個人に移動の自由が保証されておりますので、この前提が地域社会の構成員という在り方より先立ちます。すなわち、地域住民=土着民ではないのです。

    

    一個人が住む地域を選ぶ理由には、学校への進学ややりたい仕事、稼ぎたい収入という理由があります。これまでの人生のバックグラウンドへの執着も地元を「選ぶ」理由になると思います。こうなると、一個人がある地域に住む理由は各個人の意思にあるのです。

    地域の側からすると、地域創生とはその個人の意思や欲望をどれだけ多く受容出来るかが成功の鍵になるのです。だからこそ、地域創生は①で述べたような「都市」の論になるのです。

 

    それでは始めのニュースのカフェの件は、まともな地域創生といえるのでしょうか。公民共に土着のしがらみに捕らわれ、移住者を特定の権力者のための養分にしようとしたとしか思えません。件の市役所も法を犯してまでそれに加担するのであれば、その地域の存続の意義は疑われて当然です。

    その地域に住む方々がこの状態に賛同しているわけでは無いと思います。だからこそ、この地域の創生がますます困難になったり、地域に嫌気が差すことによる地域の方々の苦しみが分かるのです。それらは悪人らが地域創生の枠組みを悪用した結果なのです。それに対抗するのは、傲慢かもしれませんが「正しい」地域創生論による個人の幸福の回復なのです。

 

 

○おしまいに

    

    地域創生はここ10年ほど各地の「地域おこし」のお題目として使われてきました。それは本当に住民の幸福にかない、人口増加や生活水準向上という結果に結び付いたものもありました。しかしながら、今回の件のように地域の特定個人や集団のための金策のカモフラージュとして悪用される場合もありました。

 

    このような便利な言葉というのは悪用しやすいものです。そんな言葉こそ元の原則に立ち返り、嘘を見抜かなくてはならないと思います。そして、真面目に地域創生をしている人を守り、本当に残したい地域を守れるようにしなくてはならないと思います。

 

    今回も最後までありがとうございます。

 

 

 

2023年8月20日

    

    

 

 

    

読書感想「贖罪」(湊かなえ)

   
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    皆さま大変久しぶりです。ずばあんです。

 

    きょうは湊かなえさんの小説「贖罪」(2009)の読書感想です。

 

    湊かなえさんといえば、「告白」などの作品で有名です。湊さんの作品はミステリーものが多く、キャラクターの心の奥のドロドロとした残酷な感情をありありと表現することで有名です。それは嫌な気分になるミステリー、を略し「イヤミス」と呼ばれます。

 

   そんなイヤミスの代表作家である湊さんが第3作目として発表したのが、この「贖罪」です。

 

①   内   容

 

   「贖罪」の内容ですが、これは殺人事件を主軸としたミステリーです。

 

    とある田舎町で小学4年生の少女が何者かにより襲われ殺害される事件が起きます。殺されたのはエミリという少女です。事件直前にエミリと会い、そしてエミリ殺害の犯人を目撃したのはエミリの同級生の4人の少女紗英、真紀、晶子、由佳です。

 

    彼女ら4人は犯人の姿について聞かれましたが、それぞれの証言は噛み合いません。そのため犯人の足取りは掴めませんでした。

 

    事件から3年後、町を離れることにしたエミリの母親、麻子から少女4人は呼び出されます。そこで4人は麻子から激しく詰問され、犯人が見つかるまで贖罪し続けろ、と言われます。

 

    さらに時は流れ事件から15年。紗英は大学卒業後入社した会社の男性社員と結婚しました。真紀は別の町で小学校教師をしていました。晶子は実家でひきこもり生活を送っておりました。由佳は子供を身籠っておりました。

 

    ここからはネタバレになりますので、見たくない方は読み飛ばしてご覧ください。

 

(1) 紗英の場合

 

    紗英は上司から取引先の専務の息子の孝博を紹介されお見合いをします。孝博は紗英の町にエミリと同じ時期に引っ越し、そこで紗英に一目惚れしたというのです。孝博は紗英にプロポーズし結婚します。2人は孝博の転勤でスイスに移ります。

    しかし紗英はそこで孝博からフランス人形の着るような服を着る事を強要されます。孝博はフランス人形に欲情する癖があり、フランス人形に似ていた紗英を独占したかったというのです。そこからの紗英の夫婦生活は地獄のようでした。

    ある日紗英は事件の日からストレスで来なかった初潮が来ました。その日孝博から夜の誘いを受け、断りますが孝博は激昂し乱暴を働きます。紗英はそんな孝博を、エミリを暴行し殺害した犯人のような孝博を撲殺します。

    紗英は孝博の姿にあの日の犯人の顔を思い出します。紗英は結婚式に参列していた麻子に手紙を書き、犯人は30代の男と伝えます。そして紗英は日本に帰り自首しました。

 

(2) 真紀の場合

 

    真紀はある町で小学校教師をしておりました。彼女はPTA臨時総会の壇上に立ちます。自身が立ち合った不審者乱入事件の説明のためです。

    7月のある日、真紀はもう一人の教師田辺とプールの授業中でした。そこに関口という男がナイフを持って乱入しました。田辺はすぐに逃げるも、真紀は冷静に関口の行動を止めます。関口はそこで自分の腿にナイフを刺しプールに落ちます。真紀は、上がろうとする関口の顔面を蹴ります。関口はその後溺死しました。

    真紀は当初児童を守ったとして称賛されるも、後に犯人を殺したとして非難されました。

    真紀は自身の冷静な対応に絡めて、エミリの事件について語ります。頼り者のつもりだった自身の事件当時の頼り無さ、麻子からの贖罪の脅しからの使命感と挫折、そして紗英の麻子への手紙により贖罪を果たす決意が再燃したこと。

    そして、総会の場にいた麻子に向けて、関口と対峙し犯人の顔を思い出したとメッセージを伝えます。それは別件で報道された南条弘章という男に似ており、それ以上にとある人物(後にエミリと明言されます)に良く似ていると言います。

 

(3) 晶子の場合

 

    晶子は事件後、精神を病み実家でひきこもり生活を送っておりました。

    ある時、晶子が好きだった兄・幸司が春花という女性とその娘・若葉を連れて結婚したいと実家に挨拶しました。春花は地元出身で都会で男に騙され、若葉はその男との子供として身籠ったのです。親家族は結婚に反対するも幸司は説得を続け、幸司ら3人は家族となりました。

    その後春花と若葉は晶子の実家に受け入れられ、晶子は彼女らとの触れあいで心を快復していきました。

    

    しかし、ある日晶子は幸司の家に行った時に、若葉が何者かに襲われているのを見ました。あの日のエミリのような若葉を守るために、晶子は何者かを絞め殺しました。その何者かは幸司でした。

    春花は安定した生活のために幸司に近付き、性交を拒否するために若葉を差し出したのです。この不幸から晶子は再び精神が崩壊しました。

 

    正気を失った晶子に、麻子はカウンセラーを偽り対面しました。晶子は自我が不安定になりつつも上のことを語り、最後に晶子は関西の南条という男を、事件当時この町で目撃した人がいると言いました。

 

(4) 由佳の場合

 

    由佳はとある病院で出産を間近にしており、そこで立ち合う麻子に次の話を打ち明けます。

 

    由佳は事件後、これまで喘息の姉に付きっきりで自身に無関心だった親に反抗し一時不良化しました。

 

    時は流れ、姉は警察官と結婚します。由佳は姉の夫と会う時、手の感触が事件当時由佳に構ってくれた駐在所の安藤に似てたのに気付きました。由佳は彼と関係を持ち身籠ったのです。

 

    由佳は彼が仕事のミスの責任を被り左遷されそうと聞きます。そこで由佳は左遷を止めるためのネタを提供することを思い立ちました。

    由佳は報道で聞いた男の声がエミリ殺害犯のものだと予想します。手掛かりを探り調べてみると、事件の2か月前に秘密基地として遊んでいた別荘に男が訪れたというのです。由佳はそれを姉の夫に伝えようとしました。

 

    しかし、そのタイミングで姉が自殺未遂をします。由佳と姉の夫の子の事を知ったからです。彼は姉と付きっきりになります。

    由佳はその後ネタを伝えるため彼を呼び出しますが、子供の事と勘違いした彼から示談を持ちかけられ幻滅します。そこから逃げ出そうとする由佳と彼は揉み合いになり、由佳は階段から彼を落とし、彼は死亡します。その直後に陣痛が襲い、病院に運ばれ今に至ります。

 

(5) 麻子の場合

        

    麻子には大学時代に秋恵という女友達がいました。麻子にとって秋恵は大親友でした。ある時、秋恵は麻子にボーイフレンドを紹介しました。麻子はその内ある男に気がありました。それが南条弘章でした。 麻子は秋恵に仲介を頼み、代わりに麻子は自身の男友達を秋恵とくっつけました。   

    その後南条は麻子に大学卒業後の結婚を約束し指輪を渡されます。一方で南条は別の女性への未練があり、麻子はそれを彼の日記に見つけました。麻子は秋恵に事情を確認しに行くも、秋恵は自殺していました。そばには遺書があり、秋恵の南条への思いが記されてました。麻子は南条と救急車を呼び、直後に遺書を持ちその場を去りました。

    南条は秋恵の元に車で向かうも、事故を起こししかも飲酒運転だったため、教員を懲戒免職となりました。麻子は南条から離れていきました。

 

    麻子は南条との子を身籠ってましたが、そこに御曹司の足立という男が麻子との結婚を願い入れました。足立は会社の跡取りを望みつつも男性不妊症だったのです。

    麻子と足立は結婚し、娘としてエミリを産み、足立の工場がある4人の町に移り住んできたのです。不器用な麻子は町の人と馴染もうとしつつも上手くいきませんでした。

    ある時エミリは麻子の持ってた秋恵の遺書と南条からの指輪を見つけ、それらを母の麻子のものと思い込み、廃墟の別荘に隠します。それらを後から別荘を訪れた南条は見つけ、麻子への復讐の念を思い立ちエミリを殺害したのです。

 

    麻子はエミリを失った喪失感を覚え、犯人の顔を思い出せない4人を、エミリに線香を上げに来ない4人に苛立ち、町を離れる前の恫喝に至るのです。

    とはいえ、麻子の中では4人はエミリのことを忘れて生きていくのは当然だと思っておりました。

 

    そのような中、4人の町に引っ越した時から東京に戻るまで麻子の支えになったのは孝博でした。そんな孝博から紗英とのお見合いのセッティングの依頼を受け、麻子は協力します。こうして紗英と孝博は結婚し、式に参列した麻子は紗英に事件のことを忘れて幸せになるようにと伝えたのです。

 

    そして、その後上記の通り4人の不幸が起こったのです。麻子はその事に責任を覚え、そしてエミリを殺したのが南条その男であることを理解しました。

 

    そして、由佳と別れたあと、麻子は4人への贖罪として、南条にエミリが自身の子であることを告白しに行くのです。

 

(エピローグ)

 

    真紀と由佳は廃校になった母校でバレーボールをします。2人は上の件で刑を免れました。紗英と晶子は審議中ですが、麻子がそれぞれに弁護士を手配したということです。

    本当は4人で来るはずでしたが、彼女らは15年間出来なかったエミリへの慰霊を行っいました。

 

(おわり)

 

 

 

 

    まさしくイヤミスの名に相応しいドロドロ具合でした。不信感、血なまぐささ、怨み、呪い、因縁.....人間の気持ちを不快にさせるものが、そして私たちの回りにもあるようなものを濃縮した結晶とも言うべき名作です。

 

 

② 感   想

 

    私がこれを見た感想として、人を殺そうとする呪いや因縁という人生の毒がグロテスクに噴き出してるなと思いました。

 

    贖罪という当作品のタイトルですが、今回麻子が求めた4人の贖罪、一体何の罪を贖うのでしょうか、何がその罪を定めたのでしょう、どのようにしたら罪を贖えるのでしょうか。

 

    私はそれがずっと気にかかりました。そして、私がこれからそんな贖罪を求められたらどうすれば良いか、いやその前に今まで贖罪を求められたこととどう折り合いを付ければ良いのか、ということが気にかかりました。

 

    その後麻子は自分が吐き出した呪いや毒を総括するために、贖罪をするのです。こうして、4人の女子は贖罪の一連の営みから解放されるわけです。

 

   しかし、一度贖罪を求められ、それを取り消してもらえないずばあんはどうやって浄化されたら良いのか、それを求めるずばあんはクソ外道なのか......という暗い気持ちも同時に起こりました。

 

   それらを以下の項目にまとめて詳しく解説します。

 

(1) 暴走する贖罪宣告

 

    贖罪を願う気持ちは、理不尽な出来事を受けた個人もしくは集団のヒステリーに近い感情であると私は思います。なぜにこの人にそんな贖罪を求めたのか?この人は関係無いのでは?と思うことは少なくありません。

 

    日本の刑法は罪刑法定主義(犯罪者の罪や刑は法律により定められる)であり、刑法に書かれたことを越えて犯罪者やその罪刑を定めてはならない筈なのです。

 

   しかし、人間はそうした理屈を越えて他人を罪人にし敵意や憎しみを徒に向け、痛みや犠牲を感情的に求める場面が少なからずあります。麻子の贖罪宣告もその一つです。それは祟り神の呪いのようなものであり、4人は背負わなくてよい罪悪感を背負い、犯さなくてもよい犠牲や罪を重ねました。

    使命感と言えば聞こえは良いですが、理屈っぽい話をすれば、使命とはキリスト教由来の観念で唯一絶対神が与えるものなのです。荒れくれた日本の神が到底与えられるものではないのです。麻子のは当然後者です。

    

    民意や衆愚の暴走も同じと言えます。事件発生時に4人に好奇の目線を向けた地域社会や、小学校襲撃事件に立ち合った真紀への野次馬の手のひら返しが正しくそれです。

 

    そして、一番肝心要な所は、そんな暴走する荒れくれた気持ちがどうやって罪を赦免出来るのかということです。どこから出てきて何に向かうか分からない理不尽な怒りが真に赦せるものは何かということです。ご機嫌取りや忖度により赦されるというという説もありますが、そんなもの一生の内に何度も蒸し返されるかもしれねぇじゃねぇか、と正直思います。

    私にとっては一番これが人間の気持ち悪い部分であり、他人に不信感を持ち怯え怒りそして関心すら持ちたくなくなる部分なのです。

    おそらくこれはこの記事を読む人も少なからず思っていることである......と思いたいです。

 

(2) 荒れくれた者の贖罪

 

    作中の麻子は、気まぐれな断罪のあと、長い時間を経て事件の傷を癒し、15年という長い年月の後4人の元に顔を出すことになりました。紗英の結婚式に顔を出し、もう気にしなくていいから幸せになってね、と言い紗英を解放できたか(紗英も解放された気分になった)ように思えました。

 

    しかし、紗英は呪いから解放されず、孝博を介して呪われ続け、エミリと体験の追体験により贖罪を終えたのです。ほかの3人も同様でした。4人はそれぞれに麻子による贖罪を強いる呪いへの憤り等の気持ちを述べました。

 

    麻子には4人の苦悩や事件への自分の関与、そして自分の言動や行動への想像力はありませんでした。全て後になってから理解したのです。意図せざる所で人を呪ってたのです。

 

    麻子は事件の全貌を理解し、4人への贖罪として、犯人の南条に自身が殺したのが自身と南条の子であることを自ら告げに行くのです。麻子は4人に理不尽にぶつけた怒りを、今度は真に向けるべき相手に向け、4人に代わり地獄に落としたのです。

 

    しかし、これを私は贖罪とは思えません。麻子は、南条に地獄を見せることで、4人の「贖罪」を無駄にせず自身の贖罪を果たした気になってるのでしょう。しかしそれは視野の狭い解釈であり、私からすれば、何でお前が共犯者になって罪をひっ被ることで4人が赦されることになるんだ?何度人を呪えば気が済むんだこの女は、と思います。

 

    私は、小山田圭吾さんの過去のいじめ記事についてブログで、一度人を傷付けたことの贖いは関係の解消、あるいは再契約によってしかあり得ないと述べたことがあります。そうなれば、麻子の贖罪は4人の刑を軽く、もしくは無しにする手伝いをすれば良かっただけの話です。元々贖罪なんてしなくて良かったのだ、贖罪を強いる関係なぞ無力なのだと宣言すればいいのです。

 

    とはいえ、麻子のことを全否定する気はありません。上のようなピリオドだと麻子が壊れる恐れがあるからです。

    麻子は強い人間でもなく、それなのに人間関係の苦しみや、政略結婚、大切な人間の喪失という気が狂い得る人生を歩んできたのです。4人の人生と同様に麻子の人生も守るべきなのです。

    それならば、不器用な麻子が自分で出すべき答えとしては南条への制裁は、見事なまで綺麗な「物語」なのだと思いました。

 

    それに、私が麻子の立場だったら同じことするよ......と思います。私不器用なんだもの。

 

(3) 贖罪せよずばあん!

 

    私は30歳手前ですが、ここまで贖罪を色んな所から求められました。

 

    お前みんなにどれだけ迷惑かけたか分かっているのか、お前見てるとイライラするんだよ、自分だけがちゃんとしているだけじゃだめだぞ......etc、昔なら別におかしいことは言ってないと思ってたでしょう。

 

    しかし、これが何ら規律も秩序も安全もたらさず、単なる役に立たない暴れん坊の張りぼてのように思えると腹が立って来るようになりました(高校時代~大学卒業後)。赦しは出ないし、始まりや終わりがない呪いに怒りが増しました。そして、そこから逃れられない自分にも苛立ちを覚えてました。

    そして、社会人になるとモラトリアムが終わりそれらがのし掛かって来ることを思うと、私は人生が全て暗黒時代に思えて、就職する気が失せ、大卒後数年間は無職をしておりました。

 

    ただ、ある時から日本人論の本などを沢山読み、日本人が「使命」「律法」「秩序」から遠く「情」「空気」「自然」の民族であることが理解できました。

 

    そして自分が今まで生きてきた人生が、社会でどういう意味付けされてきたかを認識し、その上で人生の再スタートを切ることが出来ました。

 

    さて、その上で贖罪に関しては次のように考えます。

    贖罪を求める側はその時の気分で言っているだけであり、それで自分が偉い神の子供になったかのような快感を味わいたいだけなので、時期が立てばまた事情が変わるものと思っていいでしょう。

    麻子もかなり不器用で、感情的な気持ちから紗英ら4人に贖罪を求めていました。贖罪を求める気持ちなんてそんなものです。

 

    とはいえ、上のようなことを露骨に態度に出して煽ってしまえば、それは長い長い怨みを買うことになるでしょう。人の感情をわざわざ逆撫でして守ってくれるものなんていません(もしいたら、そもそも徒に贖罪を求める奴なんてとうの昔に淘汰されているでしょう)。だから結局はその場は、気分を悪くしたことだけは謝れば、それでいいとおもうのです。

 

......とはいえ、世の中本当に贖罪しなくてはならない時があるのは忘れてはいけませんよ(汗)。

 

③おしまいに

 

    途中からイヤミス作品の感想から外れたノリになりましたが、「贖罪」を読んで思ったことは以上となります。

 

    実は私は湊かなえさんの作品は10年以上前に「告白」を読んだのですが、当時はイヤミスという認識はなく、普通のやや過激な復讐譚としか思えなかったのです(その作品を読む前に、私の日常生活で物凄く嫌なことが続いてたからかもしれませんが)。

 

    ただ、年月が流れ、気持ちが安定してきた頃、改めて「告白」を読んで初めて、「こんなに後味悪い作品だったんだ......」と気付いたのです。そこでようやく湊かなえさんの作品の味を知ったのです。

 

    皆さん是非、湊かなえさんの「贖罪」を......と言いたいところですが、相当ハードな作品ですので、健康状態が悪い時は読むのを避けて下さい。読んで気分が悪くなった際は休憩して快復してから再びお読み下さい。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

 

2023年7月8日

 

自衛隊という謎の組織

    こんにちは、ずばあんです。

 

    今日は国民からよく知られているようでまだまだ知られていない自衛隊について、自分の知り得た話をしたいと思います。

 

    自衛隊と言えば昨今のウクライナでの紛争や中国や北朝鮮の脅威により、日本を取り巻く国防事情の変化で存在感を増している組織です。最近は防衛費の増加を総理大臣が表明するなど、今後注視すべき組織と言えます。

 

    かたや、昨年には元陸上自衛隊員の女性が現役時代に受けたセクハラについて世間に向けて告発しました。その後自衛隊を管轄する防衛省は事案の調査に乗り出し、セクハラの事実を認め女性に謝罪し、加害者の隊員は懲戒解雇となりました。

 

    このような自衛隊及び防衛省は何のためにある組織で、どのような課題を抱えているのかを語りたいと思います。


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(防衛省)

 

 

    ① 自衛隊の概要

     

 

    自衛隊とは、主たる任務として日本の国土防衛のために存在し、その他従たる任務(災害出動等)を行うための組織です。自衛隊は現在は防衛省が管轄官庁となっており、そこで働く自衛隊員および防衛省職員は国家公務員の扱いになります。

    なお自衛隊自衛官事務官等に分けられ、自衛官は制服を着用し有事には実力行使を行いますが、事務官等は実力行使を伴わない職務(事務職、技術職、教員職など)を執り行います。   

    自衛隊はよく外国でいう軍隊になぞらえられますが、自衛隊防衛に特化した組織でありこちらが先手を打つ侵略戦争は行いません。その点が他国の軍との違いなのです。なお自衛隊文民統制(シビリアン・コントロール)という、武官(自衛官)以外の文民(日本国民)が統制を行うという原則があり、国会や内閣、防衛大臣(かつては防衛庁長官)が代表として統制を行うとされます。

    自衛隊は活動する領域の違いにより、陸上自衛隊(陸上)、海上自衛隊(海上、海中)、航空自衛隊(空中)の3つの自衛隊に分かれます。そして、政策の考案、行政の中心となる防衛省本省があり、3つの自衛隊はその下につく形になっております(詳しい解説は②自衛隊の組織で行います)。

 

    (自衛隊の歴史)

 

    自衛隊が出来る前、日本には陸軍・海軍等の日本軍が存在しました。しかし、第2次世界大戦終結(1945)後にポツダム宣言を日本が受諾したことにより日本軍は解体され、人員・装備・財産は退役、破棄されたり米軍や他の官庁に移籍、移管されたりしました。

 

    自衛隊は戦後の1950年に警察予備隊として発足しました。これは当時、日本の国土を防備していたアメリカ軍が朝鮮半島で勃発した朝鮮戦争に(国連軍として)参戦するため、その不足分の日本国土防備要員(陸上のみ)を担う組織としてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の要請で作られた組織でした。

     後にサンフランシスコ平和条約の締結により日本の主権が回復した後は、当時海上保安庁にあった海上防衛要員を警察予備隊に移管・統合の上、1952年に保安庁・保安隊となり、1954年に防衛庁自衛隊の名前になり、同時に陸・海とは別に航空自衛隊が新たに発足しました。

    その後日本の国防を主たる任務としつつも、災害派遣や国連のPKO(平和維持活動)へ参加するなど活動の幅を広げ、2008年には管轄官庁の防衛庁防衛省に昇格しました。 

 

    そしてここ10年間はサイバー空間や宇宙空間からの攻撃に備える部隊の新設など新たなる国防上の脅威に備える戦略が取られております。また集団的自衛権(同盟国軍の有事に出動する考え)についても長年否定されてたのが、2014年に閣議によって容認されました。

 

      

自衛隊防衛省の組織

 

 

     自衛隊防衛省は多くの部隊や機関を日本全国に持っております。ここではそれらをざっくりと俯瞰するように説明したいと思います。


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(防衛省組織図:防衛省HPより)

 

(1)3自衛隊

     自衛隊という組織は活躍する場の違いで陸上海上航空の3つの自衛隊が存在しております。それぞれの自衛隊には作戦実行に必要な専門性が様々な多くの部隊機関が存在します(例:陸上自衛隊普通科連隊、自衛隊病院など)。

    3自衛隊の共同部隊・機関も存在します。部隊ではサイバー空間上での日本への攻撃に対抗するサイバー防衛隊や、自衛隊内での情報管理を司る情報保全隊があります。機関では自衛隊が設置する病院である自衛隊病院や、自衛隊での体育教育・研究に関わる自衛隊体育学校自衛隊の一般市民への渉外業務を一手に担う地方協力本部(旧:地方連絡部)があります。

    そして3自衛隊をそれぞれ指揮・統制し防衛大臣を補佐する(陸上、海上、航空)幕僚監部が存在します。幕僚監部は各自衛隊作戦の立案や指揮を行う中枢組織であり、各幕僚監部のトップは自衛官の最高位である(陸上、海上、航空)幕僚長が務めます。なお、幕僚監部はこの3つのほか、3自衛隊を越えた作戦を指揮する統合幕僚監部もありトップを統合幕僚長が務めます。すなわち自衛隊には4つの幕僚監部があるのです。

   

 

(2)防衛省自衛隊全体

 

 

     さて、防衛省全体を見ますと内閣(※)に入る防衛大臣をトップとしまして、それを中心に様々な部署・役職があります。一つ一つ解説するとそれだけで長くなるので買いつまんで話します。

(※内閣を組閣する大臣は総理大臣により国会議員や民間から選ばれます)

 

    まず先ほどの3自衛隊および共同の部隊・機関や4つの幕僚監部は防衛大臣の下にある組織です。

    そしてそれらとは別に本省内部部局と呼ばれる防衛省の政策決定の中枢たる組織が存在します。こちらは事務官が主たる組織であり、大臣官房を始め5つの部署からなります。

    その他防衛大臣の指揮下にある組織として、合議制の諮問機関である各審議会、防衛省管轄の学校である防衛大学校防衛医科大学校、研究機関である防衛研究所、各地方に置かれ政策面で地方自治体や地元住民と折衝する防衛局、外局ですが装備品の調達に関わる装備庁があります。

    防衛大臣を補佐する役職は様々ありますが、その内防衛事務次官は事務官から選び出され、これが事務官のトップとなります。

    

 

自衛隊員とは

 

 

     自衛隊(防衛省職員)とは自衛隊の職務を行う人全てを指し、皆国家公務員とされます。その為自衛隊員には様々な種類があるのです。

 

     まずは自衛官です。一般的に自衛隊員と言われますと、日々訓練を重ね一大事には素早く現場に向かい活躍する、規律正しく屈強な自衛官を思い浮かべる人が多いでしょう。25万人ほどいる自衛隊の内22万人ほどは陸・海・空の自衛官です。防衛省設置法39条によりますと、「自衛官は、命を受けて、自衛隊の隊務を行う。」とされます。すなわち自衛隊の実力行使(戦闘行為、災害派遣など)を担いそのための訓練をする役職が自衛官と言えます。なお自衛官は実力行使以外にも自衛隊防衛省のあらゆる職務に着いております。

    自衛官は規則で決められた制服を着用し、有事に備えて訓練に参加し、24時間365日体制で勤務管理され、基地や駐屯地内での居住が義務付けられる場合があります。そして自衛官は定年が54~60歳(階級により異なる)とかなり早めに設定されております。これは自衛隊の精強性を維持するためのものです。

    そんな自衛官の最大の特徴は階級が与えられることです。自衛官は作戦実行の際に指揮命令系統を定めるために階級を持ち、勤務中は階級章を制服に明示します。自衛官の階級は3自衛隊同じ構造(※)となっております。

(※ただし、階級章は陸自と空自は色以外は同じですが、海自はそれらとデザインが異なり米軍に類似したものとなります。)

    陸上自衛隊を例にとりますと、新規入隊者の最低位の2等陸士より、1等陸士、陸士長、その上に3等陸曹、2等陸曹、1等陸曹、陸曹長、准陸尉、更にその上は3等陸尉、2等陸尉、1等陸尉、3等陸佐、2等陸佐、1等陸佐、陸将補、陸将、そして最高位の「陸上幕僚長たる陸将」となります。

    上の「陸」の部分を「海」「空」に変えれば海自、空自の自衛官の階級になります。2士(2等○士)から准尉(准○尉)を曹士自衛官という現場部隊で指揮に従い動く自衛官、そして3尉(3等○尉)より上を幹部自衛官という部隊の上層部で部隊の意志決定に関わる自衛官とされます。

 

    では残りの自衛隊員は何かと言いますと、事務官技官教官になります。事務官とは自衛隊で事務に専念する役職です。技官自衛隊で技術(教育に関するものを除く)に専念する役職であり、自衛隊の施設の建設・管理や防衛装備品の調達等に関わります。教官自衛隊教育に専念し、自衛隊の学校などで学生・隊員に基礎教養や専門知識を教えます。(※)  これらは自衛官と異なり実力行使や戦闘訓練に参加することはなく、階級も持ちません。残業などの勤務管理や定年も他の省庁の国家公務員と同様にされます。これらの職務は自衛官も同じ場で同じ仕事をする場合がありますが、上のような自衛官との違いがあるのです。

(※防衛省設置法40条第1項~第3項)

    

 

自衛隊の課題

 

 

     自衛隊は現在いろんな課題があります。その中でも喫緊の課題とされる問題について語ります。

 

     まずは人手不足です。防衛省は隊務の遂行にあたり目標となる隊員の定員を定めておりますが、その充足率は現在全体で約92%です。これがここ10年の間100%を越えたことはありません。自衛隊の職務において優れた人材が必要となりますが、それを常に募集し続けなければならない状況が続いております。特に最近は新しい脅威が現れ、それに対応する能力を持つ隊員の募集・育成の必要に追われてます。この問題が解消しないことには、隊員の一人あたりの職務が増え続け、組織が崩れやすくなり、有事に柔軟に対応できなくなる場合もあるかもしれません。

 

    そして昨年も問題となったハラスメントの問題もあります。セクハラ(セクシャル・ハラスメント)やパワハラ(パワー・ハラスメント)はその代表です。

    昨年は元自衛官の女性によるセクハラ被害の告発が問題となりました。元陸上自衛官の女性は、福島県の部隊に在籍していた時に日常的に身体を触られるなどのセクハラを受け、演習中には複数の男性隊員から性的暴行を受けました。その後女性は上司にこの件について報告するも具体的な対処はされず、部隊の警務隊に申告するも加害隊員は不起訴となりました。女性は2022年6月に自衛隊を退職しYouTubeでセクハラを告発しました。防衛省が調査を行い、セクハラを認め謝罪したのはその後の事でした。

    また最近は海上幕僚監部が、海上自衛隊の部隊の海将補と1等海佐を過去の重大なパワハラを理由にそれぞれ2階級降格の処分としました。

    今年には、海上自衛隊幹部学校の1等海佐が海自OB(退職時は海将)で元上司であった人物から情報提供を求められ、その中で特定機密情報を漏洩したことから、1等海佐には懲戒免職の処分が下りました。おそらくこの様な事が起こるのは、この2名の関係性やOBも含めた国家機密保全教育の不備があると思われます。

    自衛隊は職務の性質上、男社会に近い性格になりがちであり、今でも自衛隊員の大半は男性です。とはいえ今や性別ではなく実力を重視して隊員の採用をする時代です。ハラスメントは高い能力を持つ隊員や隊の存続性を損ねる要因になりかねません。そのため隊の規律の徹底により、そうしたハラスメントを少なくし無くしていく必要があると考えます。

 

    そして何より私が気にしている課題は、国民からの自衛隊への理解の薄さであると思います。それは自衛隊のあり方への賛同の大きさという意味ではなく、自衛隊という組織に関する知識の深さの話です。同じく公安系の仕事である警察や消防と比較すればそれは雲泥の差です。

    自衛隊というものがあり、自衛隊員が任務を行っているという事が分かる人は多いでしょう。しかしながら、警察や消防と違い市民からの通報による出動は出来ないこと、海上自衛隊海上保安庁は違うこと、自衛官ではない自衛隊員のことなど、自衛隊に関する詳しい事柄について無知や誤解は珍しくありません。そして、そこに上のような不祥事が報道されれば、自衛隊のイメージは悪くなり自衛隊やそれにより担保される安全保障の価値の毀損に繋がると思われます。

    自衛隊は国家組織であり、国の治安に関わる組織なので、安易に開示できない事項が沢山あるのは仕方ありませんし、自衛隊の施設も一見して戒厳的な雰囲気があるのは否めません。しかしながら、自衛隊には広報部門や地方協力本部という渉外機関もあり、日々市民に対して情報発信などを行っております。自衛隊の基地や駐屯地の一般開放日や、艦艇見学、装備品などの展示など、市民に自衛隊を触れてもらうイベントは少なくありません。

    ただ、そもそもの自衛隊の組織の仕組みや概要、社会的な意義について語られる機会はあまりない印象があります。自衛隊は設立以来防衛戦争をした経験がありませんので、警察・消防みたいに「皆さんご存じでしょうが~」というイントロがしづらいところがあります(かといってあったらあったで悲劇ですが......)。

    そのため、自衛隊の国民へ周知には自衛隊の装備や施設のみならず、その存在意義や組織のアピールも一般人に向けて積極的に行うことが求められると思いました。それでこそ1番目の人手不足の問題の解消にも繋がるのではと思います。

 

 

 

○おしまいに......

 

 

    今回の記事は、私が最近自衛隊の方を相手に仕事をすることがあり、その上で自分で調べたり、あるいは知り合いで自衛隊に詳しい方の話から自衛隊についてまとめました。

   

    自衛隊防衛省に関するニュースはかなり沢山あり、政治や経済でもかなり重要な判断材料になると思います。

    ただ、日本においては過去の日本軍の暴走や、憲法9条との兼ね合いの問題もあり、自衛隊は知ることや存在意義を問うこともタブーとされた経緯があります。

    とはいえ、私としては何事においてもものを詳しく知ることが自分の意見の深化に重要でまた人々に保証されるべき権利だと思い、この記事をまとめました。

 

    この記事を読み、必ずしも自衛隊のあり方に賛同する必要は無いと思いますし、批判もあっていいと思います。ただ、その前提として知識を持っていることは不可欠だと思い、この記事を書いたつもりです。

 

    もし自衛隊についてもっと詳しいことを知りたければ、自衛隊について紹介する番組や本、サイト、または防衛省自衛隊が出している資料を見れば分かるかもしれません。

 

今回も最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

 

 

2023年2月5日

日本とカルト宗教

    こんにちは、ずばあんです。

 

    昨今有名になっております「カルト宗教」の話題ですが、とどまることを知りません。

 

    事の発端は安倍元首相銃殺事件(2022年7月8日)で犯人が統一教会への憎悪の念を犯行の理由として上げたことからです。これにより統一教会の過去の行為やその影響を受けた人の声、それに対し国家権力の立場等が問われております。

 

    この統一教会の件は私も注目すべき話題であると思いますが、カルト宗教とは?カルト宗教の害とは?日本のカルト宗教の特徴は?カルトからどう戦えばよいのか?という疑問が沸き起こります。

 

    今回は統一教会の件に触れながら、カルト宗教について述べていきます。

 

 

①カルト宗教とは?

 

 

    カルト宗教とは、反社会的な行為を行い害悪を撒き散らす宗教もしくはその団体のことです。カルト宗教が注目されたのは今回の統一教会のほか、1995年に発覚したオウム真理教の事件、海外の例では1978年の南米・ガイアナで発生した人民寺院(People's temple)集団自決や、1987年の韓国で発生した五大洋(オデヤン)集団自決事件があります。ここでいうカルト宗教の害というものには巨額な献金、強引な勧誘、自殺強要、襲撃、殺人というものが上がります。

 

    ではそもそもカルト宗教の定義とは何でしょう?世の中にある宗教をカルト宗教とそうでないものに選り分ける基準とは?

    実はこれが大変難しいことなのです。各々の宗教が辿った歴史を鑑みると上のようなことを何一つやってない宗教はまず存在しません。宗教間や宗派間の対立による激しい紛争は世界の主要な宗教でも起こってきましたし、日本でも鎌倉時代の仏教には武僧という戦闘要員の僧がおり宗派間の紛争も度々起こっておりました。また、現在では既存の宗教の儀礼や教団への寄附についても、その意味を疑う人が多くなってきております。

    こうしたことから宗教に対する拒否反応を示す人が現在では少なくありません。カルト宗教とはすなわち全ての宗教のことであり、宗教がすなわちカルトで有害なのだと。

 

    しかしそのままだとカルト宗教の跋扈を認めることになりますので各国はカルト宗教の基準について自国の歴史的背景や国民の権利と義務を鑑みながら定めております。

    例えばフランスでは厳格な政教分離原則のもとで教会などの宗教団体がそれを守れているか否かといった「行為実績」でカルト宗教かどうかを選り分けております。アメリカはこちらはキリスト教の影響の強い社会ですが、アメリカ社会を脅かすカルト宗教の条件を定めそれに触れた宗教をカルト宗教としております。

 

 

 

②カルトと日本

 

 

    ここまで言えば、先述の国々での規制やカルトの定義を日本でも採用すれば、日本国民はカルトの害から守られると言いたいところですが、それは難しいと思われます。先述の国々と日本とでは宗教や道徳をめぐる状況が違いますし、その中で外国のカルト宗教規制法制を導入しても同じ法益(法律によりもたらされる良い効果)までは輸入出来ないからです。

 

    今まで何度も用いた「カルト」という言葉は英語の”cult”(カルト、熱狂、崇拝など)から来ております。これはある特定の魅力を持つカリスマに複数人が熱狂的な信仰を寄せる現象を指すものです。この「カルト」は元々崇拝・礼拝という意味であり、「有害な宗教」というニュアンスは後付けのものです。

    このカルトという言葉はアメリカや日本で使われる言葉であり、フランスなどのヨーロッパでは「セクト」(フランス語 : secte)という言葉が「カルト」と同じ意味で使われます。セクトは本来「分派」(正統な宗派から分化した宗派)という意味ですが、キリスト教の影響が強いヨーロッパではその正統な教えに反発する宗派としてセクトには「有害な信仰」というマイナスイメージがつけられたのです。キリスト教は唯一絶対神に対する信仰を要とした宗教であり、教会の権威や聖書の教えによる「正統性」が不可欠となります。そしてその正統性に背き反発する攻撃的な宗派は、キリスト教の教えひいてはそれにより形成された社会を破壊しようとする異端として批難されたのです。その異端の中心となる求心力のあるカリスマ的指導者は、正統派にとっての攻撃対象となってきたのです。

そのためセクト(カルト)にはキリスト教の分派も含まれますが、更には仏教、シャーマニズムなどのキリスト教以外の宗教に由来する宗派もセクトとされます。

 

    一方で、日本は仏教神道を中心とした宗教観が根強い国です。仏教は日本においては分派化が進んでおり、主要な宗派のみでも浄土系、禅宗系、日蓮宗系に分かれております。神道は明確な教義、開祖を持たず、神話や(主に豊穣祈願に関わる)儀式がある他は諸々の神様の存在を否定しません。

    そして仏教と神道は事実上2つで1つの宗教として機能したとも言える側面もあります。江戸時代までの神仏習合やそれに派生する伝統(神社での祈願ほか)はもちろん、神社に伝わる神話も仏教との共存共栄を唱えているものもあります。現代日本人で仏教式の葬式やお盆を行いつつ神社での祈願をする人は少なくありませんが、それは千年近くも前に生まれ引き継がれた日本人の信仰のあり方なのです。

    つまり日本の伝統的宗教には「正統」という軸が古来以来弱く、ほぼ全ての宗派が「分派」と言えるためカルトやセクトになる可能性があります。日本のどこの宗派も日本の地で「正統」を長く保持した試しがないので、キリスト教圏的なカルト規制が上手く機能しない可能性があるのです。向こう見ずなカルト規制がアレルギーのように日本国民の信教の自由を侵したらそれこそ本末転倒であの事件の二の舞もおかしくないのです。

 

 

③日本でのカルトの害

 

 

    では日本ではカルト宗教への対策をしなくていいのかというとそうではないと思います。

    日本でもオウム真理教の事件(~1995)の他にも宗教を巡る社会問題は度々起こっておりました。

    昭和30年代、仏教系宗教団体Aにより積極的な信者獲得運動が行われました。これは宗教団体Aの信者ではない仏教信者に「信仰上の誤り」を激しく指摘し宗教団体Aへの改宗を迫るというものでした。これにより警察沙汰が度々起こり、中にはこの行為を受けた人が自殺する事案もありました。

 

    また、1980年代から90年代にかけてキリスト教新興宗教Bによる社会問題が起こりました。この教団の教義と社会通年上の行為との衝突が度々起こりました。裁判で争われた例だけでも、某市立高専での生徒の信者の体育の履修に関わる事案や、信者の手術における未承諾の輸血に関わる事案の例があります。

    1985年に起きた事案ですが、この宗教の信者家族の子供が交通事故に遭い輸血を要する治療が必要となりましたが、その親は子への輸血を拒否しました。宗教団体Bの教義では、他人の血の輸血は純潔を汚す行為として禁忌であったからです。そして、子供は治療が出来ず死亡しました。

 

    こうした「カルトの害」は宗教団体が他人の生命や健康を侵すことから分かりやすいですが、これだけがカルトの害でしょうか。

 

    某カルト宗教から脱会した信者2世の人の証言をネットで見ましたが、「自分が何者なのか分からない」「自分の人生の意味が崩れた」と言う話が聞かれます。

    信者2世とは、親がその宗教に入信して子である自身もその流れで信仰している(またはさせられている)ような人のことです。そうした人々は家族、友人、知人のコミュニティが宗教の教団に深く根差しており、教団からの脱会が人間関係の甚大な損失となるのです。そして人間関係の損失は自分の社会における人間としてのあり方を時間軸的にも空間軸的にも喪失することに等しいのです。いわば脱会が元信者の人生における「死」となることもあるのです。

    そして、自分の心を占めてた何かしらの道徳、倫理がその裏付けを否定され崩壊し、その上に築いてきた自分の人間性や社会性も一気に崩壊するという危機を招くのです。それを再建するには多大な努力と時間がかかり、自分の生活を成り立たせることもままならなくなるのです。

 

    カルト宗教から脱会せざるを得なくなった時に産まれながらの信者を襲う人生の危機、これはどのように埋め合わせれば良いのでしょう。今回の安倍氏銃撃事件の犯人の例を見てもそう思います。

 

 

④日本における一神教の失敗

 

 

    それでは日本におけるカルトの問題はどうすれば解決するのでしょうか。

 

    ひとつの案として、現状分派の域を脱せない日本の各宗派を超越した強大な一宗教や一倫理の確立という方法があります。要はユダヤ教キリスト教イスラム教のようなパワーを持つ宗教を日本にも広めようという案です。そうすれば日本国民や社会における道徳、倫理教育はより効果的に捗り、カルトの基準も儲けやすくなり、先述のアメリカ式のカルト対策がしやすくなるのです。

 

    ですが、これは日本の社会を大いに破壊する危険性があります。一神教の生まれた国と日本とではその風土や社会構造が違っており、宗教の役目が違うからです。それが分からないまま日本に一神教を生み出してもそれが巨大なカルトになるだけです。その一つの例が戦前の国家神道です。

 

    明治時代から第2次世界大戦前までの日本では、当時のヨーロッパの先進諸国のように国を発展させるべく、政府はそれらの国と同様に唯一絶対の宗教を普及させようとしました。それが大日本帝国の元首たる天皇家を頂点とした国家神道でした。

    国家神道大日本帝国の事実上の国教とし日本古来の神道一神教的に発展させたものでした。この国家神道の普及のために政府は廃仏毀釈や宗教に関わる行政機関の設置という政策を取りました。

    しかし、昭和時代に恐慌や飢饉が発生すると日本社会や軍部では海外へ領土を拡張する機運が高まりました。そしてそれは日本の諸外国との軋轢、国際社会での孤立、軍部の暴走を経て日中戦争、太平洋戦争といった大戦そして敗戦、大日本帝国の終焉に至るのでした。

    そしてGHQによる戦後日本の改革で国家神道の解体が行われました。国家神道が戦時日本の暴走と関連しているとみなされたからです。

 

    長々とした解説は割愛しますが、国家神道一神教として機能不全といえる部分があったと思われます。国家神道のトップは天皇でしたが、天皇が宗教運営について具体的な発言をされることは少なく、宗教政策は専ら時の政府によりされておりました。政府の手に委ねられてる国家神道はやがて暴走する好戦ムードを増幅する装置と化したのです。

    一神教としての資質に欠けていた国家神道は強大なパワーを奮いつつも真に平和や秩序を維持することも叶わず、人間の欲望をいたずらに暴走させ、信徒を食い物にしたカルトと化したのです。

    これは日本の風土に一神教を興すことの難しさを示す好例でしょう。よって日本でカルトに対抗できる宗教をぶつけるのは難しいのです。

 

 

⑤法の下の信教の自由

 

 

    では、今の日本でカルト規制は出来ないのかというとそうではないと思います。その手懸かりは、国民一人一人の「信教の自由」(日本国憲法20条第1項「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。······」)を保証することにあると思います。

    日本国憲法20条第1項の「信教の自由」とは、「特定の宗教を信じる、信仰を変えるまたは信じない自由」を指すと解釈されます。具体的には更に「信仰の自由(内心である宗教を信仰もしくは信仰しない自由)」「宗教的行為の自由(儀式や布教等の行為を行う自由)」「宗教的結社の自由(宗教団体を組織する自由)」の3つに分かれると言われます。これは、神道や仏教はもちろんキリスト教などの一神教、ひいては無神論といった特定の信仰を持つこと、持たないこと、そして変えることを日本国民に保障するものです。

    この権利に関わる具体的な制度としては、宗教団体と国権が関わることを規制する「政教分離原則」があります。これは国民の信教の自由を犯さず保護するためのものです。

    

    ここまで来ますと、「日本は元から多神教の国であり、今さら信教の自由を保障してもしなくても同じだ。」という意見が出るでしょう。これはある程度は正しいでしょうが、今回のカルトの問題では話が違います。

 

    日本が多神教の国なのは、これまで日本で正統たる唯一無二たる宗教が覇権を握る事がなかったためです。日本の宗教史では、長年に渡り宗派間の争いは存在してきましたし、今でもそれが起こる可能性はあります。

    かたや、信教の自由はそれら宗教とは独立した立場により、各個人が宗教を信じる自由を安全に確保するためのものです。信教の自由憲法20条の規定のみならず、その大元の思想良心の自由(憲法19条)とそれに派生する権利、そのほか社会権(社会で人間らしくいきるための権利、憲法25条他)などの権利と折り合いをつけつつ守られるものです。

    日本において、色んな信仰や信条を持つ人々が一同に会し平和な生活を送れているのは憲法上の信教の自由があってこそなのです。それ無しに今の日本社会で存在しうる宗教はないのです。

    

    逆に言えば、上に示した国民の信教の自由またはその他憲法に示された国民の権利を大いに犯している宗教はカルトです。ある宗教団体が勧誘を断った者に嫌がらせをしたり、宗教的行為としての加持祈祷により信者が亡くなったりすれば、それはカルトとして捉えられてもおかしくはないのです。

 

    したがって、この憲法上の信教の自由は、日本の様々な宗教や宗旨から独立し、日本を宗教の暴走から守り日本国民が各々平和な信仰を保つための強い拠り所なのです。

 

 

・おわりに

 

 

    今回の安倍氏銃撃事件や旧統一教会の事案でカルトに対する国民の関心は、今ものすごく強くなったと言えます。事件から半年近くになりますが、事件や問題の解決はこれからスタートという印象です。

    私としては、このカルトの問題は日本の土地や気候、歴史、社会の変化が絡み合いながら起きてる因縁の深い問題だと思います。とはいえ、宗教や歴史、日本文化の学者ではない日本国民の大勢多数がそこまで認識せよというのにも無理があると思います。だから、今取れる策を考えカルトと戦わなくてはならないと思うのです。

 

    この記事も綿密な分析や壮大な計画というよりは、決して視野の広くない自分が今確かに分かり述べられる範囲で、自分の感想を書いたつもりです。

    

    本音を言えば、このカルトの問題についてもっと他の人の考えを知りたいと思っております。今回はそのための前挨拶として、この記事を書かせていただきました。

 

 

今回も、拙い記事をご覧いただき誠にありがとうございました。

 

2023年1月28日