ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

2016年夏、四国旅行 (前編)

こんにちは、ずばあんです。

 

自由に移動して旅行できる日々を目指して、コロナの終息を目指しているさなかですが。ここで、私の旅行話をしたいと思います。

 

私は出不精ゆえ旅行はあまりしてこなかったのですが、その私が2016年に一週間かけて四国を旅したことがありました。

 

私は九州を出ることがなくずっと生きてきて四国は全くの未踏の地でした。そのため四国について接点はなかったのですが、福岡の大学に進学すると四国出身の学生の人と会う機会が増えました。特に愛媛県出身の方は多かったです。そうした方々から四国の話を聞く機会は良くありました。そのため四国というのは私にとってより近い存在になったのです。

 

そしてある時私は四国に全く行ったことがないことに気づき、四国に実際に行くことにしました。とはいえ私はお金がなく、すぐに行ってすぐに帰る旅もしたくはありませんでした。そこで私は安くで長い日数の旅が出来る青春18きっぷでの旅をすることにしたのです。

 

青春18きっぷとはJRの発行する期間限定の特別乗車券です。青春18きっぷでは、JRの普通列車(快速含む)に期間限定(春期、夏期、冬期)で5日(5回)分に限り距離の制限なく乗車できます。長距離であればあるほど得します。

 

私がこれを買った当時は1枚11,850円(税込)でした。この1枚で5回普通列車に距離無制限で乗車できます。1回辺り2370円なので、それ以上の運賃がかかる区間に乗ればお得な乗車券です。

 

こうして始まった私の四国旅行は2016年の8月27日から9月2日までの7日間でした。1日目は博多から広島まで、2日目は高知まで、3日目は高知県四万十市まで、4日目に愛媛県松山市に行き5日目まで滞在し、6日目には高松へ、そして7日目は九州に帰りました。

 

この旅の模様をざっと語りたいと思います。

 

 

【九州から四国へ】

 

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2016年8月27日、私は当時住んでいた福岡市の博多駅から旅を始めました。青春18きっぷを使うのでもちろん普通列車のみです。

 

博多駅から小倉へ行く列車に乗りました。お客さんは結構いまして私は立っておりました。福岡の街を離れ工業の街北九州に向かいます。小倉駅に着くとすぐに下関行きに乗り換えます。違うホームなので急ぎ足でした。下関行きは門司駅を過ぎると長い関門トンネルを潜りトンネルを抜けるとすぐに下関駅に到着しました。

下関ではプラットホームで向い合わせの岩国行きに乗り換えです。ここでようやく席に座ることができました。閑静な山間や元気なコンビナート群、夜の瀬戸内を見ながら列車は3時間半かけて岩国に到着しました。

岩国では広島行きに乗りかえ、夜の工場や街の明かりを見ながら広島に到着しました。もう夜の10時半を過ぎ、駅前の飲食店は飲みの店とマックしか営業していませんでした。私はマックで遅い食事をし、マンガ喫茶で一夜を過ごしました。

 

8月28日、朝早く起きた私は広島の街に出て原爆ドーム平和公園を散策しました。朝の静寂が包み華美なものが一切ない場所ながら、ストーリー性がふんだんに満ちた不思議な空間でした。

 

朝食をとり路面電車で広島駅に戻り、今度は糸崎行きの列車に乗る予定でした。しかし線路に物が飛来したとのことで30分遅れで列車は出発しました。

広島の街を離れると峠越えの急勾配を駆け上がり峠の向こうの糸崎まで坂を降りていきます。途中谷を跨ぐ大きな橋の下を潜りました。

到着した糸崎駅は目の前に三菱重工の大きな工場がありインパクトがとても強かったです。

 

糸崎からは岡山行きの列車に乗り換えました。列車は尾道の海峡沿いを抜け、坂のある港街の風景や造船所、大橋を眺めつつ走ります。城下町福山や金光教の街・金光、水の街倉敷を過ぎ、やがて大都市岡山の岡山駅に着きました。

岡山駅は大規模な乗換駅であり、四国方面の列車も数多く停まっていました。私は高松行きの快速マリンライナーに乗車しました。列車を待っているときからホームは人が多く、列車はすぐに満員になりました。

 

快速列車は岡山から南に向かいます。20分ほど走ると瀬戸大橋に入り海が見えました。橋からの風景は広大な瀬戸内海が広がり、その中に島がいくつか浮いているという素晴らしい風景でした。10分ほど橋を渡ると四国に入ります。臨港工業地帯をよそに見て列車は農村地帯を抜け、やがて高松の街に入り終着駅である高松駅に到着しました。

 

 

四国山地を越える鉄路】

 

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高松駅についた私は昼食をとるために駅構内の讃岐うどんの店に入店しました。ぶっかけうどんを食べましたが、麺のコシは本当に強く九州の柔らかいうどんと異なりカルチャーショックを覚えました。出汁も美味く何をとっても見事であり、すぐにうどんの器が空になったのが少しもったいなく思われました。

 

その後高松から琴平へ向かう列車に乗りました。道中はのどかな田園風景が続きました。着いた琴平の駅は昔ながらの情緒を残し、古い駅舎や大きな洗面場のあるホームなどがありました。

 

さて、私はここで2時間列車を待たねばなりません。ここから先は高知行きの特急列車は多く走るも普通列車は両手で数えられるほどしか走りません。

構内を散策したりひなたぼっこをしながら2時間すぎて、ようやく1両の気動車が来ました。これで四国の真ん中にある阿波池田に向かいます。

 

気動車は山奥に入り回りは棚田から森多き山奥へと変化します。長いトンネルを抜けるとスイッチバック(鉄道の急勾配箇所に設けられる折り返し形の線形)上にある坪尻駅に入ります。鉄道ファンの方には有名スポットではあります。また、本線に対してこの駅の反対側にある引込み線からは緑と水と岩の調和が見事な滝が眺められます。写真にとれなかったのが残念でした。

 

列車は徳島県の山間の町・池田に入り吉野川の大橋を跨ぐとすぐに阿波池田駅に到着しました。阿波池田では高知行きの1両の気動車に乗り換えました。この時点で夕方5時です。

気動車は駅を出ると吉野川の流れる狭い谷間を抜けていきます。建物がとんでもない急斜面に建っており驚きましたが、やがて建物が見えない秘境へと入っていきます。大歩危小歩危の名前が聞こえたのはこの辺りでした。

やがて日は傾き谷間は徐々に暗くなってきました。相変わらず風景は山々と谷川が続きます。ここは四国山地の真ん中辺りで、山奥や秘境という言葉以外にこの地域を的確に表現することは出来ない気がしました。とにかくこのような風景は人生で初めて見るもので、寂寥感と解放感と自然への畏怖とが折り混ざる不思議な経験でした。

2時間以上走っても抜けられない四国の山々ですが、気動車は頻繁に特急列車の通過待ちをします。特急列車のお客さまは快適そうにくつろぎながら急ぎ足で我々を追い越します。のんびりと質素倹約に勤める私とは対称的でした。

完全に暗くなる頃には街明かりが目立ち始めました。四国山地を抜け高知平野に入ったのです。ここから列車はやや速足になりました。途中の駅では家路につく人々が多く乗り込みまた降りていきます。そして、8時半に高知駅に到着しました。

 

 

高知県の旅】

 

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高知駅を出ると高知の街の明かりがきらびやかに見えました。中心街はここからしばらく歩いたところらしいのでそこまで歩いていきました。中心街は沢山店がありましたが、もう夜9時近くなので一般の店は閉まっておりました。しかしながら飲み屋は沢山営業しており流石は酒どころ土佐と言ったものです。

もう疲労困憊していた私は居酒屋に入らず、Coco一番でカレーを食べてから、マンガ喫茶には入り一夜を過ごしました。

 

8月29日、朝早くに街に出た私は高知城に行きました。誰もおらず朝方の雨に濡れた城内は落ち着いた雰囲気でした。城の頂上まで上がると高知市内が一望され山に囲まれた平野に集まる街の様子が見てとれます。空を覆う雲の切れ目からは青空が見えます。

その後ははりまや橋を見て、高知駅に戻りました。このあとの計画は特に決めておりませんでしたがとにかく西に行こうと考えました。地図を見ると西の方には小さな町がいくつかあるようでした。私は取りあえずその中で一番大きそうな中村(四万十市)に行くことに決めました。

 

高知駅前の坂本龍馬像と別れ私は西に向かう窪川行き列車に乗りました。高知駅を出た列車は高知の街を離れ田園風景へと入りました。須崎を過ぎると深い湾が見え久々に海を見ました。その湾を離れ再び内陸を走ります。

 

高知から1時間半で窪川駅に到着しました。JRはここで愛媛県宇和島市へ向かいますが、私の向かう高知県四万十市へは土佐くろしお鉄道という私鉄に乗り換えなくては行けません。そのためか同じ駅なのに一度改札の外へ出て駅前を通り土佐くろしお鉄道の駅に行かないと乗り換えられません。

 

ここで余談ですが、高知からは18きっぷを使用しておりません。それは高知から窪川までは普通列車の料金は1600円ほどであり、もし18きっぷを使えば損するのと、窪川から中村方面はJRではないので18きっぷは使用できないからです。

 

土佐くろしお鉄道の列車に乗り換え、西の方にある中村へ向かいます。窪川を出発ししばらくすると海沿いに出て太平洋の大海原が見えました。太平洋に面する海岸線ははるか遠くへ延び、島や陸地も見えず、海への視界を遮るものはほとんどありません。しばらく海岸線を走るとまた内陸側に入り、そのまま中村駅に着きました。高知からはすでに三時間近く経っておりました。

 

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中村は小さな町ですが、元は小京都と呼ばれる程京都の文化の影響を受けた町と事前知識を得ておりました。遅めの昼食を駅近くの喫茶店でとった後は町中を散策することにしました。小さくまとまりながらこじんまりとしつつも一通りの物は揃っている町という印象でした。

やがて視界の開けた場所に出てきました。そこはあの有名な四万十川でした。川幅は広く河川敷もテニスコートが小さく見えるほど広大でした。長い橋のかかるこの川の土手で私はしばし寝転びました。

それから私は中村の街の中心部に行きました。アーケード街がありこの辺りでは一番の都市であることが分かりました。しかしながら前評判で聞いた小京都らしい風景は正直いまだ見ておりません。

これは後から知ったことですが1946年に起きた南海地震での津波により、中村の昔からの建物はほとんど押し流されたとのことです。この京都らしくない小京都で見かけた京都要素というのが、一条神社でした。紅い鳥居が大立ちし石畳や石燈籠、石段に導かれ小高い丘の上の社に至ります。境内はしっかり手入れされております。丘の頂上には陽光が当たり心穏やかな空間が広がっています。

神社の案内を見ると、一条氏という京都の公家が中村の地で一条神社を建て、中村の町を築いた歴史が書かれていました。

この一条神社に礼をして去り、中村の町の裏山に上りました。低い山ですが山頂にはかつてこの辺りの豪族の山城が構えてあったとのことです。この山からは中村の町が一望できました。いいところに来たものです。

 

その後予約していた駅前の宿に行きました。宿は素泊まりなので、夕食は外で食べました。とある食堂に入り、そこで名物の鳥天ぷら定食を食べ地元中村で作っている清酒藤娘という酒を飲みました。鳥天ぷらはジューシーで美味しく、藤娘も濃厚で深い甘味のある味わいでした。

それから宿に帰ると風呂に入りそれからすぐに就寝しました。

 

 

愛媛県の旅(1日目)】

 

8月30日、私は朝6時に宿を出て西の宿毛(すくも)へ向かう始発列車に乗りました。宿毛へは30分足らずで到着しました。私は宿毛からバスで愛媛県へと向かうことにしたのです。

宿毛の街は昭和時代の街のようでした。高い建物は無く、低く古い家や店が敷き詰められておりました。ノスタルジー溢れる街の中に

バスの営業所がありました。私はそこで7時のバスに乗り宿毛を後にしました。

 

バスはあっという間に愛媛県へと入り峠を越えて港町の城辺町に着きました。私はそこで降りて松山行きのバスを待つことにしました。時間は結構あったので朝食を食べる店を探しました。空いている喫茶店に入りモーニングを頼みました。喫茶店のマスターは私が九州から来たことを知るとこの街のことについて色々話してくれました。養殖事業や観光事業のこと、交通の便の話など興味深い話をしてくれました。

 

バスの時間が近づきマスターにお礼を申し上げて喫茶店を去り、バス停から松山行きのバスに乗車しました。バスは城辺町を離れ、宇和海の岬と入り江の出入りが繁く続くリアス式海岸を左に眺めながら進みます。やがて城下町の宇和島に入ると一気に整然とした街らしい風景になります。ここでお客様の乗り降りをしたあと宇和島から更に北へ進みます。山の合間の町を繋ぎ、やがて高速道路に入ります。高速道路を降りると松山市に入り、次第に都会らしい光景が目につくようになります。高いビルが連なり、遠くには松山城が見えます。バスは松山市中心部の松山市駅を経由したのち終点の道後温泉へと向かい、終点で私は下車しました。

 

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この道後温泉はついたその瞬間から古風で落ち着いた風情が漂ってきました。すぐ近くにあった道後公園は自然を生かした庭園風の公園でした。するとにわか雨が降ってきましたので、私は園内のあずま屋に入りました。

あずま屋には地元住民の方もいらっしゃりその方としばし談笑し、雨がやむとその方と別れ園内を散策しました。

道後公園は戦国時代までの地元の豪族河野氏の居城の跡です。そのかつての様子が再現されており園内には史料館もありました。

 

道後公園を出て道後温泉の商店街に出ますとお土産物の店や食事の店が沢山あり、観光客も沢山おりました。私はそのなかで豆菓子屋に入りました。その豆菓子屋は味や色のバリエーションが多く、今風のチョコレート店のような雰囲気でした。

商店街を抜けると和風で豪華絢爛な道後温泉本館(改装前)が見えました。ドンと構えた姿はこの辺りの長の風格を醸し出しておりました。

 

更に道後の街の奥に入り坂を登るとあるお寺に着きました。歴史のあり落ち着いた雰囲気のこのお寺には人の姿は見られませんでした。このお寺は名を宝厳寺(ほうごんじ)といい、鎌倉仏教の一派である時宗の祖である一遍上人の生家でございます。ひっそりとしつつも、日本の歴史にとって重要な場所となっているのです。中に入ると観音像を安置しているお堂がありました。観覧は自由でありましたが入口の扉は重厚であり大事に守られていることが分かりました。

 

この宝厳寺のすぐ横には伊佐爾波(いさにわ)神社という神社がありました。こちらは朱色の大きな社が印象的で境内は落ち着いた雰囲気でした。しばらくそこで休んだあと参道の石段を降りていきました。

 

しばらく道後の街を散策したあと、私は路面電車に乗り松山市中心部へ行きました。デパート等がある繁華街・大街道は高いビルが立ち並びます。それに続き官庁街がありそこも大きなビルが並んでおりましたが、その中に大正時代の西洋風の石造りの建物が構えておりました。これは愛媛県庁本館です。青いドームの付いた白い建物がこれまた荘厳さと余裕を見せながら構えておりました。このあと私は歩きながら松山市駅に行きました。

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松山市駅は私鉄の伊予鉄道ターミナル駅です。駅舎はビルとなっており「いよてつ高島屋」というデパートが入居しているようです。屋上には観覧車が取り付けられております。

市駅前も賑やかな繁華街となっており、夕方ということもあり人の行き交いは盛んでした。

私はここで市駅前のカプセルホテルに入りチェックインしました。窓からは松山城が望めました。その日は近くの食堂で食事をしたあと早く就寝しました。

 

・・・この長い長い記事ですが、この次の日以降もかなり記述が膨大になるので残りは後編(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2021/07/13/230801)として紹介します。

 

ひとまずここまでありがとうございます。

 

2021年7月13日