ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

2016年夏、四国旅行 (後編)

この記事は「2016年夏、四国旅行(前編)」(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2021/07/13/230412

の続きとなっております。

 

前編からの方もここからの方もどうぞご覧ください。

 

愛媛県の旅(2日目)】

 

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8月31日、朝早くにホテルを出た私は、松山市駅に行きました。朝の市駅は人が沢山行き交い、人を避けるのでひと頑張りしました。市駅の裏に抜け少し進むと、正岡子規の庵であった子規堂が見えました。子規堂の側には小ぶりな緑色の「坊っちゃん列車」が置かれておりました。これは明治時代の伊予鉄道の客車で、正岡子規と親交の深かった夏目漱石の「坊っちゃん」(1910)にも出てきます。

 

このあと私は市駅に戻り市電一日乗車券(600円)を買い、市電で市駅前から大街道まで向かいました。デパートなどのある大街道から北向かう商店街を抜け、私は松山城に上るリフト乗り場に行きました。松山城は小山の山頂に天守閣があるのでそこまでリフトが通じているのです。

 

リフトで数分揺られ、私は山頂広場に着きました。山頂広場には土産物屋や軽食の店などがありました。そこから石垣に沿って上に上ると広大な庭園と松山城天守閣が見えました。庭園からは松山平野を一望できました。南の山々や西の瀬戸内海が一掴みできそうでした。

 

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いざ天守閣に入った私ですが、私は何気に城というのが好きなのでワクワクしておりました。薄暗めの廊下は登ったり降りたりを繰り返し、一種の迷路のようでした。

途中には刀のレプリカが置かれており、持つことが出来たので持ってみるとズシリと手首、ひじ、肩に重量が伝わりました。これを振るお侍さまはどれだけ肉体隆々だったのでしょう。

上層階へ上る階段を登り始めましたが中々急な角度であり、ほとんど梯子のようなものです。落ちないように気をつけて昇ります。各階には畳敷の大部屋があり、殿の居場所という雰囲気が伝わります。そして最上階まで上り詰めました。そこは観光用の天守閣のような展望台然としたものとは異なり、狭い覗き窓でようやく外を確認できるようなところでした。弓矢や鉄砲での戦いを考えるととても合理的です。

 

急な階段をそろそろ降りて天守閣を出ると来た道を戻り、そのまま登山道を下まで降りていきました。そこから愛媛大学の方に歩き近くの電停から市電に乗り、JR松山駅前で降りました。松山駅伊予鉄松山市駅とは異なり結構閑散としております。昼ということもあるのでしょうが人の姿はまばらです。

松山駅から正面に真っ直ぐ延びる市電も通る大通りを歩くと踏切がありました。これは伊予鉄の郊外線ですが、大通りを走る市電の線路もこの踏切で郊外線の線路と交差します。どちらも伊予鉄道の路線でありますが、線路と線路が交差するのはなかなか面白い光景でした。

 

大通りを突き当たりまで進むと松山城のお堀が見えました。お堀沿いには柳がならび、熱い晩夏に清涼感を与える風景でした。堀にかかる橋を渡るとそこは松山城の堀の内と呼ばれる場所でした。広大な土地が広がり、かつては武士の屋敷が並ぶ所だったようです。今では県立図書館やNHKがあります。

 

城のある小山の麓を歩くと、萬翠荘という洋館が現れました。緑の森に潜む白い洋館に入ると中は清潔感溢れる落ち着いた回廊が延びておりました。館内にはこの萬翠荘を建てた松山城の元城主の歴史や遺品が展示紹介されておりました。

 

昼時でしたが、私は市電で道後温泉へと向かいました。道後温泉につくと私はあるホテルの足湯に向かいました。その足湯は入湯は無料で自由となっておりました。私はその足湯に浸かり疲れを癒しておりました。私は買ったポンジュースを飲みながら1時間ほど足湯におりました。

 

その後は道後の街の行ってない所を回りました。湯神社という神社や正岡子規ミュージアムなどを巡りました。そしてまだ土産を買ってなかったので先日行った豆菓子屋で温州みかん味の豆菓子を、そして松山銘菓・たるとを買いました。

 

そのあと商店街の中の食堂で松山発祥と言われる「鍋焼うどん」を食べ、その後道後温泉本館に行き入湯しました。

 

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入湯料は1時間400円とのことで流石歴史ある有名なお湯はすごいと思いました。風呂の中は人が結構おりその出入りもものすごく繁くなっていました。風呂の構造も変わっており、体を洗う洗面所と風呂そのものが扉で完全に仕切られておりました。私も身体を洗い清め風呂に入湯しました。浴槽脇には大きな鐘がドンと構え、ここが古き由緒正しきお湯であることを改めて実感させられました。

 

私は風呂から上がり館内を見学しました。廊下には俳優の中村雅俊主演の映画「坊っちゃん」の話が掲げてありました。上へ登る階段には休憩室と案内がありました。そちらは別途料金が必要なので上がりませんでした。

 

道後温泉本館を出るともう暗くなっておりました。私は市電で大街道へ向かい、もう人も少ない大街道や銀天街を抜け、松山市駅へと歩きました。市駅前の居酒屋に入り、私は名物じゃこ天を肴に「清酒にきたつ」を飲みました。スッキリとして飲みやすく、じゃこ天もそれに合ってました。このにきたつといい土佐鶴といい四国の酒は美味しいものです。

 

その後は松山駅に向かい、駅前のマンガ喫茶で一夜越しました。

 

 

香川県の旅】

 

 

9月1日、私は松山駅から始発の多度津行きの列車に乗りました。出発した列車は松山市を離れ、そして私は車中でそのまま寝てしまいました。次に起きたときにはもう香川県に入っておりました。そして列車は多度津駅に着き、そこですぐに高松行きに乗り換えました。

 

 

高松に着いたのは10時過ぎでした。私は駅からバスに乗り街に出ました。高松市内は大きな街の雰囲気があり中心街は高いビルが多く並んでおりました。

街の中心部でバスを降りその後は高松市内を歩き、香川県庁前のうどん屋に入りました。昼前ということですぐに座れました。

私はざるうどんを食べました。やはり讃岐のうどんのこしは強く食べごたえがあります。

 

私はまた市内を歩きましたがやはり大きな街なので商店街も大きくなっております。特に私鉄の琴平電鉄の沿線は商店街が集まっております。

 

昼過ぎになり私は高松駅に戻りそこからバスで栗林公園に向かいました。

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栗林公園は広大な庭園が広がり、園内には小山をバックに松の木が生え、池や川が流れ清涼な風景を描いております。園内は歩くだけでも1時間はかかり、この静寂な空間をふんだんに味わえます。

園内には商工奨励館があり、洋館風の建物の中には香川県で作られた古い家具などの展示がありました。ほかにも讃岐うどんの歴史にかかわる展示もあり、小麦と塩に恵まれた讃岐からうどん作りが盛んになる流れが説明されていました。

 

夕方、園内から出て街に戻ると人通りがかなり多くなっておりました。歓楽街にはネオンや飲み屋の明かりが灯り始めました。私は市内にあるカプセルホテルに一晩泊まることにしました。私は外で夕飯を食べ、ホテルの浴場で風呂に入った後就寝しました。

 

9月2日、朝からまたホテルの風呂に入った後チェックアウトしました。私は香川県庁舎を見に行きました。香川県庁は建築家の丹下健三の作品であり、ハイセンスな美術館のようなデザインになっておりました。その後は商店街を抜け高松駅前に向かい、高松駅前のうどん屋で朝食のぶっかけうどんを食べました。290円とお手頃値段でした。

 

その後は高松駅前の高松シンボルタワーという超高層ビルに行きました。高いところが好きな私はタワーの展望台へと上りました。展望台からは高松の街や讃岐平野、周りの山々、高松港、瀬戸内海が一望できました。

 

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【さらば四国、いざ九州へ】

 

 

実はこの日(9月2日)は九州へ帰らなくてはなりませんでした。翌日には用事があったからです。

 

私は高松港からフェリーで岡山県に渡り、岡山駅から博多に向かうことにしました。私は11時のフェリーで高松を出ました。なお出港の時にけたたましい音量でフェリー会社の社歌が流れたのには驚きました。

 

瀬戸内海の島々を眺めながらフェリーは岡山県宇野港に着きました。宇野港でフェリーから降りると、岡山駅行きのバスがすぐに来たので乗車いたしました。バスは1時間かけて岡山駅に着きました。私は岡山駅から普通列車福山駅に向かった・・・つもりでしたが、誤って別の列車に乗ったようです。間違いにはすぐに気づきまして、次の駅で下車しました。乗る予定の列車はすぐにこの駅を経由するとのことでしたので幸いでした。改めて福山行きの列車に乗り換えました。

 

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福山に着くとすぐに三原行きに乗り換えました。三原行き列車は尾道を通過しますが、尾道駅からは尾道城を見ることができます。この尾道城は1964年に初めて作られた観光施設です。

 

三原に着くと岩国行きに乗り換えました。列車が出発してしばらくすると私はまたうたた寝しました。次起きたときには広島を過ぎるところでした。広島を発つと宮島口や宮島のホテルが見えました。そして岩国に着くと下関行きに乗りました。もうこのときには夕方になり、列車が走り出してまもなく外は急に暗くなりました。

 

私はここで旅の終わりを実感し、この時間が終わる黄昏感を味わっておりました。

下関に着くと小倉行きに乗車しました。小倉に着くと九州へ帰ってきた感じが一気に沸きました。実家に帰ってきた喜びが沸き上がりました。もう夜の9時過ぎでしたが、私は駅の構内のラーメン屋でチャーシュー飯を食べました。現金の持ち合わせが290円しかなかったのです。

 

このあと私は博多方面への列車に乗り夜の11時過ぎに博多駅に着きました。そのまま私は博多駅からバスで当時の自宅アパートへ帰ったのでした。

 

私の一週間の四国旅行はここで終わりです。

 

 

【四国旅行を終えて】

 

 

この四国旅行の感想を述べますと、本当に疲れました!! 普通列車縛りで旅をするのは本当に疲労が蓄積しますし、途中でもう倒れるかと思ったこともあります。時刻表とにらめっこして頭脳戦でルートを決定するのもわりと難儀でした。やはりバスや特急や新幹線、飛行機で旅する方が便利で楽なのには違いありません。

 

ただ、普通列車の旅は目の前の景色を楽しむだけの余裕もありますし、ただプランに拘束された旅とも違い予想外の発見に構うだけの余裕もあるのも事実です。

最初から行く場所を厳密に決めて旅するのも良いかもしれませんが、今回は四国を一回りするということ以外は何も決めずに旅に出たのです。私は四国に行ったことが無かったので、四国の名所に行きたいというよりは四国に上陸したいという気持ちが強かったのです。そのためこの旅では、なぜそんなところに行ったのかという箇所がいくつか出ますが、名所に行くというよりは行けるところにひたすら行くというつもりで旅をしました。

だからただの旅行というよりは放浪というのが正しいのかもしれません。

 

反省があるとすれば今回四国旅行と言いつつ徳島県にはほとんど行ってない点です。コロナが明けて時間が出来たら徳島に行きたいと思います。

 

それでは最後までありがとうございます。

 

2021年7月13日