ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

読書感想「贖罪」(湊かなえ)

   
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    皆さま大変久しぶりです。ずばあんです。

 

    きょうは湊かなえさんの小説「贖罪」(2009)の読書感想です。

 

    湊かなえさんといえば、「告白」などの作品で有名です。湊さんの作品はミステリーものが多く、キャラクターの心の奥のドロドロとした残酷な感情をありありと表現することで有名です。それは嫌な気分になるミステリー、を略し「イヤミス」と呼ばれます。

 

   そんなイヤミスの代表作家である湊さんが第3作目として発表したのが、この「贖罪」です。

 

①   内   容

 

   「贖罪」の内容ですが、これは殺人事件を主軸としたミステリーです。

 

    とある田舎町で小学4年生の少女が何者かにより襲われ殺害される事件が起きます。殺されたのはエミリという少女です。事件直前にエミリと会い、そしてエミリ殺害の犯人を目撃したのはエミリの同級生の4人の少女紗英、真紀、晶子、由佳です。

 

    彼女ら4人は犯人の姿について聞かれましたが、それぞれの証言は噛み合いません。そのため犯人の足取りは掴めませんでした。

 

    事件から3年後、町を離れることにしたエミリの母親、麻子から少女4人は呼び出されます。そこで4人は麻子から激しく詰問され、犯人が見つかるまで贖罪し続けろ、と言われます。

 

    さらに時は流れ事件から15年。紗英は大学卒業後入社した会社の男性社員と結婚しました。真紀は別の町で小学校教師をしていました。晶子は実家でひきこもり生活を送っておりました。由佳は子供を身籠っておりました。

 

    ここからはネタバレになりますので、見たくない方は読み飛ばしてご覧ください。

 

(1) 紗英の場合

 

    紗英は上司から取引先の専務の息子の孝博を紹介されお見合いをします。孝博は紗英の町にエミリと同じ時期に引っ越し、そこで紗英に一目惚れしたというのです。孝博は紗英にプロポーズし結婚します。2人は孝博の転勤でスイスに移ります。

    しかし紗英はそこで孝博からフランス人形の着るような服を着る事を強要されます。孝博はフランス人形に欲情する癖があり、フランス人形に似ていた紗英を独占したかったというのです。そこからの紗英の夫婦生活は地獄のようでした。

    ある日紗英は事件の日からストレスで来なかった初潮が来ました。その日孝博から夜の誘いを受け、断りますが孝博は激昂し乱暴を働きます。紗英はそんな孝博を、エミリを暴行し殺害した犯人のような孝博を撲殺します。

    紗英は孝博の姿にあの日の犯人の顔を思い出します。紗英は結婚式に参列していた麻子に手紙を書き、犯人は30代の男と伝えます。そして紗英は日本に帰り自首しました。

 

(2) 真紀の場合

 

    真紀はある町で小学校教師をしておりました。彼女はPTA臨時総会の壇上に立ちます。自身が立ち合った不審者乱入事件の説明のためです。

    7月のある日、真紀はもう一人の教師田辺とプールの授業中でした。そこに関口という男がナイフを持って乱入しました。田辺はすぐに逃げるも、真紀は冷静に関口の行動を止めます。関口はそこで自分の腿にナイフを刺しプールに落ちます。真紀は、上がろうとする関口の顔面を蹴ります。関口はその後溺死しました。

    真紀は当初児童を守ったとして称賛されるも、後に犯人を殺したとして非難されました。

    真紀は自身の冷静な対応に絡めて、エミリの事件について語ります。頼り者のつもりだった自身の事件当時の頼り無さ、麻子からの贖罪の脅しからの使命感と挫折、そして紗英の麻子への手紙により贖罪を果たす決意が再燃したこと。

    そして、総会の場にいた麻子に向けて、関口と対峙し犯人の顔を思い出したとメッセージを伝えます。それは別件で報道された南条弘章という男に似ており、それ以上にとある人物(後にエミリと明言されます)に良く似ていると言います。

 

(3) 晶子の場合

 

    晶子は事件後、精神を病み実家でひきこもり生活を送っておりました。

    ある時、晶子が好きだった兄・幸司が春花という女性とその娘・若葉を連れて結婚したいと実家に挨拶しました。春花は地元出身で都会で男に騙され、若葉はその男との子供として身籠ったのです。親家族は結婚に反対するも幸司は説得を続け、幸司ら3人は家族となりました。

    その後春花と若葉は晶子の実家に受け入れられ、晶子は彼女らとの触れあいで心を快復していきました。

    

    しかし、ある日晶子は幸司の家に行った時に、若葉が何者かに襲われているのを見ました。あの日のエミリのような若葉を守るために、晶子は何者かを絞め殺しました。その何者かは幸司でした。

    春花は安定した生活のために幸司に近付き、性交を拒否するために若葉を差し出したのです。この不幸から晶子は再び精神が崩壊しました。

 

    正気を失った晶子に、麻子はカウンセラーを偽り対面しました。晶子は自我が不安定になりつつも上のことを語り、最後に晶子は関西の南条という男を、事件当時この町で目撃した人がいると言いました。

 

(4) 由佳の場合

 

    由佳はとある病院で出産を間近にしており、そこで立ち合う麻子に次の話を打ち明けます。

 

    由佳は事件後、これまで喘息の姉に付きっきりで自身に無関心だった親に反抗し一時不良化しました。

 

    時は流れ、姉は警察官と結婚します。由佳は姉の夫と会う時、手の感触が事件当時由佳に構ってくれた駐在所の安藤に似てたのに気付きました。由佳は彼と関係を持ち身籠ったのです。

 

    由佳は彼が仕事のミスの責任を被り左遷されそうと聞きます。そこで由佳は左遷を止めるためのネタを提供することを思い立ちました。

    由佳は報道で聞いた男の声がエミリ殺害犯のものだと予想します。手掛かりを探り調べてみると、事件の2か月前に秘密基地として遊んでいた別荘に男が訪れたというのです。由佳はそれを姉の夫に伝えようとしました。

 

    しかし、そのタイミングで姉が自殺未遂をします。由佳と姉の夫の子の事を知ったからです。彼は姉と付きっきりになります。

    由佳はその後ネタを伝えるため彼を呼び出しますが、子供の事と勘違いした彼から示談を持ちかけられ幻滅します。そこから逃げ出そうとする由佳と彼は揉み合いになり、由佳は階段から彼を落とし、彼は死亡します。その直後に陣痛が襲い、病院に運ばれ今に至ります。

 

(5) 麻子の場合

        

    麻子には大学時代に秋恵という女友達がいました。麻子にとって秋恵は大親友でした。ある時、秋恵は麻子にボーイフレンドを紹介しました。麻子はその内ある男に気がありました。それが南条弘章でした。 麻子は秋恵に仲介を頼み、代わりに麻子は自身の男友達を秋恵とくっつけました。   

    その後南条は麻子に大学卒業後の結婚を約束し指輪を渡されます。一方で南条は別の女性への未練があり、麻子はそれを彼の日記に見つけました。麻子は秋恵に事情を確認しに行くも、秋恵は自殺していました。そばには遺書があり、秋恵の南条への思いが記されてました。麻子は南条と救急車を呼び、直後に遺書を持ちその場を去りました。

    南条は秋恵の元に車で向かうも、事故を起こししかも飲酒運転だったため、教員を懲戒免職となりました。麻子は南条から離れていきました。

 

    麻子は南条との子を身籠ってましたが、そこに御曹司の足立という男が麻子との結婚を願い入れました。足立は会社の跡取りを望みつつも男性不妊症だったのです。

    麻子と足立は結婚し、娘としてエミリを産み、足立の工場がある4人の町に移り住んできたのです。不器用な麻子は町の人と馴染もうとしつつも上手くいきませんでした。

    ある時エミリは麻子の持ってた秋恵の遺書と南条からの指輪を見つけ、それらを母の麻子のものと思い込み、廃墟の別荘に隠します。それらを後から別荘を訪れた南条は見つけ、麻子への復讐の念を思い立ちエミリを殺害したのです。

 

    麻子はエミリを失った喪失感を覚え、犯人の顔を思い出せない4人を、エミリに線香を上げに来ない4人に苛立ち、町を離れる前の恫喝に至るのです。

    とはいえ、麻子の中では4人はエミリのことを忘れて生きていくのは当然だと思っておりました。

 

    そのような中、4人の町に引っ越した時から東京に戻るまで麻子の支えになったのは孝博でした。そんな孝博から紗英とのお見合いのセッティングの依頼を受け、麻子は協力します。こうして紗英と孝博は結婚し、式に参列した麻子は紗英に事件のことを忘れて幸せになるようにと伝えたのです。

 

    そして、その後上記の通り4人の不幸が起こったのです。麻子はその事に責任を覚え、そしてエミリを殺したのが南条その男であることを理解しました。

 

    そして、由佳と別れたあと、麻子は4人への贖罪として、南条にエミリが自身の子であることを告白しに行くのです。

 

(エピローグ)

 

    真紀と由佳は廃校になった母校でバレーボールをします。2人は上の件で刑を免れました。紗英と晶子は審議中ですが、麻子がそれぞれに弁護士を手配したということです。

    本当は4人で来るはずでしたが、彼女らは15年間出来なかったエミリへの慰霊を行っいました。

 

(おわり)

 

 

 

 

    まさしくイヤミスの名に相応しいドロドロ具合でした。不信感、血なまぐささ、怨み、呪い、因縁.....人間の気持ちを不快にさせるものが、そして私たちの回りにもあるようなものを濃縮した結晶とも言うべき名作です。

 

 

② 感   想

 

    私がこれを見た感想として、人を殺そうとする呪いや因縁という人生の毒がグロテスクに噴き出してるなと思いました。

 

    贖罪という当作品のタイトルですが、今回麻子が求めた4人の贖罪、一体何の罪を贖うのでしょうか、何がその罪を定めたのでしょう、どのようにしたら罪を贖えるのでしょうか。

 

    私はそれがずっと気にかかりました。そして、私がこれからそんな贖罪を求められたらどうすれば良いか、いやその前に今まで贖罪を求められたこととどう折り合いを付ければ良いのか、ということが気にかかりました。

 

    その後麻子は自分が吐き出した呪いや毒を総括するために、贖罪をするのです。こうして、4人の女子は贖罪の一連の営みから解放されるわけです。

 

   しかし、一度贖罪を求められ、それを取り消してもらえないずばあんはどうやって浄化されたら良いのか、それを求めるずばあんはクソ外道なのか......という暗い気持ちも同時に起こりました。

 

   それらを以下の項目にまとめて詳しく解説します。

 

(1) 暴走する贖罪宣告

 

    贖罪を願う気持ちは、理不尽な出来事を受けた個人もしくは集団のヒステリーに近い感情であると私は思います。なぜにこの人にそんな贖罪を求めたのか?この人は関係無いのでは?と思うことは少なくありません。

 

    日本の刑法は罪刑法定主義(犯罪者の罪や刑は法律により定められる)であり、刑法に書かれたことを越えて犯罪者やその罪刑を定めてはならない筈なのです。

 

   しかし、人間はそうした理屈を越えて他人を罪人にし敵意や憎しみを徒に向け、痛みや犠牲を感情的に求める場面が少なからずあります。麻子の贖罪宣告もその一つです。それは祟り神の呪いのようなものであり、4人は背負わなくてよい罪悪感を背負い、犯さなくてもよい犠牲や罪を重ねました。

    使命感と言えば聞こえは良いですが、理屈っぽい話をすれば、使命とはキリスト教由来の観念で唯一絶対神が与えるものなのです。荒れくれた日本の神が到底与えられるものではないのです。麻子のは当然後者です。

    

    民意や衆愚の暴走も同じと言えます。事件発生時に4人に好奇の目線を向けた地域社会や、小学校襲撃事件に立ち合った真紀への野次馬の手のひら返しが正しくそれです。

 

    そして、一番肝心要な所は、そんな暴走する荒れくれた気持ちがどうやって罪を赦免出来るのかということです。どこから出てきて何に向かうか分からない理不尽な怒りが真に赦せるものは何かということです。ご機嫌取りや忖度により赦されるというという説もありますが、そんなもの一生の内に何度も蒸し返されるかもしれねぇじゃねぇか、と正直思います。

    私にとっては一番これが人間の気持ち悪い部分であり、他人に不信感を持ち怯え怒りそして関心すら持ちたくなくなる部分なのです。

    おそらくこれはこの記事を読む人も少なからず思っていることである......と思いたいです。

 

(2) 荒れくれた者の贖罪

 

    作中の麻子は、気まぐれな断罪のあと、長い時間を経て事件の傷を癒し、15年という長い年月の後4人の元に顔を出すことになりました。紗英の結婚式に顔を出し、もう気にしなくていいから幸せになってね、と言い紗英を解放できたか(紗英も解放された気分になった)ように思えました。

 

    しかし、紗英は呪いから解放されず、孝博を介して呪われ続け、エミリと体験の追体験により贖罪を終えたのです。ほかの3人も同様でした。4人はそれぞれに麻子による贖罪を強いる呪いへの憤り等の気持ちを述べました。

 

    麻子には4人の苦悩や事件への自分の関与、そして自分の言動や行動への想像力はありませんでした。全て後になってから理解したのです。意図せざる所で人を呪ってたのです。

 

    麻子は事件の全貌を理解し、4人への贖罪として、犯人の南条に自身が殺したのが自身と南条の子であることを自ら告げに行くのです。麻子は4人に理不尽にぶつけた怒りを、今度は真に向けるべき相手に向け、4人に代わり地獄に落としたのです。

 

    しかし、これを私は贖罪とは思えません。麻子は、南条に地獄を見せることで、4人の「贖罪」を無駄にせず自身の贖罪を果たした気になってるのでしょう。しかしそれは視野の狭い解釈であり、私からすれば、何でお前が共犯者になって罪をひっ被ることで4人が赦されることになるんだ?何度人を呪えば気が済むんだこの女は、と思います。

 

    私は、小山田圭吾さんの過去のいじめ記事についてブログで、一度人を傷付けたことの贖いは関係の解消、あるいは再契約によってしかあり得ないと述べたことがあります。そうなれば、麻子の贖罪は4人の刑を軽く、もしくは無しにする手伝いをすれば良かっただけの話です。元々贖罪なんてしなくて良かったのだ、贖罪を強いる関係なぞ無力なのだと宣言すればいいのです。

 

    とはいえ、麻子のことを全否定する気はありません。上のようなピリオドだと麻子が壊れる恐れがあるからです。

    麻子は強い人間でもなく、それなのに人間関係の苦しみや、政略結婚、大切な人間の喪失という気が狂い得る人生を歩んできたのです。4人の人生と同様に麻子の人生も守るべきなのです。

    それならば、不器用な麻子が自分で出すべき答えとしては南条への制裁は、見事なまで綺麗な「物語」なのだと思いました。

 

    それに、私が麻子の立場だったら同じことするよ......と思います。私不器用なんだもの。

 

(3) 贖罪せよずばあん!

 

    私は30歳手前ですが、ここまで贖罪を色んな所から求められました。

 

    お前みんなにどれだけ迷惑かけたか分かっているのか、お前見てるとイライラするんだよ、自分だけがちゃんとしているだけじゃだめだぞ......etc、昔なら別におかしいことは言ってないと思ってたでしょう。

 

    しかし、これが何ら規律も秩序も安全もたらさず、単なる役に立たない暴れん坊の張りぼてのように思えると腹が立って来るようになりました(高校時代~大学卒業後)。赦しは出ないし、始まりや終わりがない呪いに怒りが増しました。そして、そこから逃れられない自分にも苛立ちを覚えてました。

    そして、社会人になるとモラトリアムが終わりそれらがのし掛かって来ることを思うと、私は人生が全て暗黒時代に思えて、就職する気が失せ、大卒後数年間は無職をしておりました。

 

    ただ、ある時から日本人論の本などを沢山読み、日本人が「使命」「律法」「秩序」から遠く「情」「空気」「自然」の民族であることが理解できました。

 

    そして自分が今まで生きてきた人生が、社会でどういう意味付けされてきたかを認識し、その上で人生の再スタートを切ることが出来ました。

 

    さて、その上で贖罪に関しては次のように考えます。

    贖罪を求める側はその時の気分で言っているだけであり、それで自分が偉い神の子供になったかのような快感を味わいたいだけなので、時期が立てばまた事情が変わるものと思っていいでしょう。

    麻子もかなり不器用で、感情的な気持ちから紗英ら4人に贖罪を求めていました。贖罪を求める気持ちなんてそんなものです。

 

    とはいえ、上のようなことを露骨に態度に出して煽ってしまえば、それは長い長い怨みを買うことになるでしょう。人の感情をわざわざ逆撫でして守ってくれるものなんていません(もしいたら、そもそも徒に贖罪を求める奴なんてとうの昔に淘汰されているでしょう)。だから結局はその場は、気分を悪くしたことだけは謝れば、それでいいとおもうのです。

 

......とはいえ、世の中本当に贖罪しなくてはならない時があるのは忘れてはいけませんよ(汗)。

 

③おしまいに

 

    途中からイヤミス作品の感想から外れたノリになりましたが、「贖罪」を読んで思ったことは以上となります。

 

    実は私は湊かなえさんの作品は10年以上前に「告白」を読んだのですが、当時はイヤミスという認識はなく、普通のやや過激な復讐譚としか思えなかったのです(その作品を読む前に、私の日常生活で物凄く嫌なことが続いてたからかもしれませんが)。

 

    ただ、年月が流れ、気持ちが安定してきた頃、改めて「告白」を読んで初めて、「こんなに後味悪い作品だったんだ......」と気付いたのです。そこでようやく湊かなえさんの作品の味を知ったのです。

 

    皆さん是非、湊かなえさんの「贖罪」を......と言いたいところですが、相当ハードな作品ですので、健康状態が悪い時は読むのを避けて下さい。読んで気分が悪くなった際は休憩して快復してから再びお読み下さい。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

 

2023年7月8日