ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

平沢進とは何者か?

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は「平沢進」(ひらさわすすむ)さんについて話したいと思います。

 

平沢進という名前を聞いたことのある方も初めて聞かれた方もどちらもいらっしゃると思われます。


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平沢進さん、2013年)

この方はミュージシャンであり現在に至るまで音楽活動をしております。プロの音楽活動を続けて45年近くになり、今年で67歳となります。今年3月にも新しいアルバム「Beacon」を発表しました。

 

この方はTwitterのアカウントを持っておりますが、そのフォロワー数は2021年10月現在28万人となっております。多くのファンを抱える求心力のあるミュージシャンであるといえます。

 

そして実は私自身、平沢進さんのファンであります。そのため今回は平沢進さんがどのような方で、どの部分が魅力的かを語りたいと思います。

 

 

平沢進とは何者か】

 


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フジロックフェスティバル2021より)

 

平沢進さんはミュージシャンですが、そのライブの様子を見るとかなり独特です。ステージ上ではアバンギャルドな造形のセットが組まれ、意味がありげな意匠がバック映像などに反映されております。楽器も独特の形をしたものもあり、楽器というより実験装置のような出で立ちのものもあります。そしてご本人はまるで博士のような出で立ちで現れ、共演者も平沢さんに劣らず奇妙な格好で出ております。

 

そして肝心の音楽はというとロックンロール電子音楽が主体ですがその表現の幅は広く深いものとなっております。強烈なメッセージのこもった緊迫感のあるものから穏やかな心を癒すものまで様々なイメージの曲があります。

 

そして平沢進さんの曲の歌詞ですが、これまた独特であり文字に起こすと通常の曲の歌詞とは大分異なります。歌詞にはよく聞く言葉が使われているのにもかかわらず文章は難解で意味が分からないのです。そのような歌詞も平沢さんの曲の個性として語られます。

 

平沢さんのライブの進め方はこれまた独特です。平沢さんは新作アルバム発売後の通常のライブの他、インタラと呼ばれるミュージシャンのみならず観客側の意思決定により進行するライブも実施しております。これは単に声援やアンコールによるもののみではなく、平沢さんが観客に質問をしその多数決による回答でライブの進行スキームが決まるというものです。これはいわばRPGのようなものです。プレーヤーがゲーム進行を決めるがごとく、観客がライブ進行を決めるのです。

ここまで聞くと楽しそうですが、実は質問に対する回答次第ではライブ開始早々にライブ終了となるパターンもあります(笑)。そこら辺もRPGのゲームオーバーみたいで面白いです。そのため観客はワクワクハラハラドキドキしながらインタラに挑むわけです。

 

そして平沢さんのアルバムですが2000年以降のものはレコード会社からではなく平沢さんの個人事務所のケイオスユニオンが直接販売しております。通常日本のミュージシャンがレコード会社から音楽を売り出すのに対してこれは珍しい例です。

 

現在平沢さんはソロ活動を主体とし、アルバムを出したり音楽配信、ライブを行っております。

 

また平沢進さんはTwitterアカウントを持ち、ほぼ毎日ツィートしております。その内容は過去の自身とその周囲の話や自身の生活、自身の思想などに渡ります。その語り口は独特で平沢さん本人の作った造語や構文も多く、それも平沢さんのTwitterの醍醐味となっております。

 

 

 

平沢進の生い立ち】

 


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(1981年頃の平沢進さん)

 

平沢進さんは1954年に東京都足立区で生まれ育ち、12歳の頃に音楽活動に関心を持ち始めました。

1973年には当時平沢さんが在籍していた東京デザイナーズ学園の同期や公募のメンバーでロックバンド「マンドレイク」を結成し、プロ活動を開始しました。活動から数年でマンドレイクは音楽ファンから人気を集め、音楽業界から関心を集めました。

しかしマンドレイクは1978年末をもって一度解散しメンバーの一部入れ換えを経て1979年からP-MODELとして再始動します。音楽の作風はロックから当時流行りのニューウェーブ・テクノに、見た目もアングラ風の黒ずくめからビビッドな原色ギラギラに大きく変更しました。

P-MODELのテクノ路線は大ヒットし、当時流行ったテクノバンドのプラスチックスヒカシューとともに「テクノ御三家」として名を知られました。

しかしその後平沢さんらはテクノ路線を改め自分達のやりたい音楽を求め、1980年にはロック路線に戻ります。その後は頻繁にメンバー入れ換えをし、アンビエント電子音楽、ヒーリングなどを他ジャンルを経て1988年末にP-MODELは一旦解散(「凍結」)します。そして平沢さんは1991年までソロ活動をしました。

1991年には平沢さんは旧P-MODEL時代のメンバーと新メンバーを交え新生P-MODELを始動します(「解凍」)。ここからは平沢さんやメンバーの個性を押しつつテクノ・電子音楽路線を歩みます。

その後1994年にメンバーを入れ換え、長年親交のあったミュージシャンとそれぞれのプロデュースするミュージシャンを交え「改定P-MODEL」を打ち出しました。この時からライブのネット配信やインタラといった今のライブスタイルが始められました。

しかし2000年にはまたもやP-MODELを解散します。それは平沢さんがレコード会社やJASRACといった団体から身を置いて自由に音楽活動をすることを望んだからです。

 

そこから平沢さんは今日までソロ活動が中心となります。平沢さんはソロ活動では「平沢進」名義でアルバムを出しますが、2004年からはこれに併せて「P-MODEL」名義でも活動しております。

2019年にはロック音楽イベントである「フジロックフェスティバル2019」に「平沢進+会人」として出演し話題となりました。

 

 

平沢進の音楽活動】

 


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平沢進さんのライブの模様、2013年)

 

平沢進さんはミュージシャンですので音楽活動をされるのですがそこでもかなり独特の様相を見せます。

 

平沢さんの曲は作曲の表現の幅が広く、美しい曲をたくさん作られます。それは平沢さんがそれまで様々なジャンルに手を出し理想の音楽を求めてきたからです。

平沢さんはアマチュア時代はアメリカのサーファリスなどサーフ音楽に関心を持ち、プロ活動初期はハードロック、しばらくしてプログレッシブロック(クラシックとロックンロールを再融合した音楽ジャンル)を演奏しておりました。これらは高い演奏技術を要求され平沢さんは演奏力をつけていきました。P-MODEL以降は流行していたテクノポップに手を出し、その後は電子音楽にも手を出しました。

平沢さんは1980年代からCM音楽の制作に関わりそこで作曲の幅を広げていったと述べております。当時のそのCMは調べれば分かりますが、いずれのBGMも今の平沢さんの曲の雰囲気に近いものを感じさせます。

また平沢さんはパソコンを使用した作曲を早々と積極的に導入し、1990年代にはバーチャルドラムスの「TAINACO(タイナコ)」がP-MODELのライブに「参加」しております。

ご自身のPVの映像CGも1980年代後半より平沢さんがパソコンで自作するようになりました。

現在ではソロ活動が主となっておりますが、それは平沢さん本人の高い幅広い作曲表現能力コンピューターを利用した編集によって可能になっております。

 

使用している楽器も独特のものもあり、ギターやキーボード、ドラムズといった普通の楽器に加え、一見して楽器とは分からないようなものもあります。その内のいくつか紹介します。

まずは「レーザーハープ」です。これはレーザー光線を発生させ、そのレーザーに手で触れるとセンサーが関知して音が鳴るというものです。これは1981年にフランスのベルナール・シャイネール氏が発明したものです。

電極の入った透明の箱は「テスラコイル」と呼ばれる楽器です。これは平沢進さんが自作した楽器です。テスラコイルは電極に電流を流しその時のビィィィンという音をコントロールして使う楽器です。物凄い発想です。

他にもシンセサイザーを改造し沢山の大きなレバーを着けた「チューブラヘルツ」や自作サンプラーの「ヘブナイザー」という楽器も使用しておりました。またとあるライブではグラインダーを使用しておりました。ちなみにグラインダーとは石材加工のための工作機械であり、元々楽器ではありません。とんでもない発想と行動力です。

 

 

 

平沢さんの楽曲の特徴として、歌詞の独特さがあります。これは今私が書いているブログの文章のように人に分かりやすく伝える文章とは異なります。一見して何を言いたいのか理解しがたい詞となっております。具体的な単語が出てくるのにも関わらず、大変抽象的な歌詞となっています。もちろん他のミュージシャンの方の曲も独特の言い回しの歌詞は珍しくはないですが平沢さんの歌詞は特に難解となっています。

実はこれにはいくつか理由があります。まずひとつは曲のメロディーにあわせて歌詞を作っているからです。メロディーに合うような歌詞の音の響きを考えており、メロディーが美しく響くようにしているのです

また、平沢さんは作曲では「文章など作曲以外で表現できることは作曲で描かない」と述べております。つまり作曲でしか表現できないことのみ曲で表現するのです。作曲でしか表現できないことというのは人間の深層心理に基づくことで直感的に感じたことのことを指していると思われます。平沢さんは過去に精神の不調を患った時期があり、その時に感じたことなどが作曲思想に反映されているのだと思います。

 

そして平沢さんの楽曲の世界観について次のような説明がなされることがあります。これまでの平沢さんの音楽活動は「未知の物体アシュオンの真相を培養し分析、解明するための実験」だったというものです。

かなり突飛な説明ですが、これは平沢さんが2002年に出したアルバム「太陽系亜種音」のライナーノーツに記述されていたことです。この説は今日まで継承され、2011年の東日本大震災では「アシュオンの培養炉が震災で破損した」といわれ、今年2021年には「脱出系亜種音」と称したライブが開かれました。

この設定がいつ頃から始まったものかは分かりませんが、1991年の「夢見る機械」の時点で既に科学者チックな雰囲気が出ているのでもうその時からアシュオンの設定の萌芽はあったのかもしれません。

 

また、平沢さんの楽曲の世界観で欠かせない著作があります。それはイギリスの作家ジョージ・オーウェルの著作の「1984」(1947)です。

これは架空の巨大社会主義国家・オセアニア(首都・ロンドン)で行われる情報統制政策とその仕組みに気付き反逆しようとする主人公とそれを抑え込もうとする体制側の動きを描いた作品です。

この世界観はかなり昔から楽曲に反映され、P-MODELのファーストアルバム「In a model room」(1979)はこの小説の世界観を下敷きに作られています。また2004年の核P-MODEL(平沢進のソロバンド)のアルバム「ビストロン」には"Big brother""崇めよ我はTVなり"といった曲で「1984年」の世界がそのまま描き出されております。

 

 

平沢進著作権

 


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P-MODEL「論理空軍」PVより)

 

もっと踏み込むと平沢さんの音楽活動の特徴に曲の売り方があります。

平沢さんは自身の新曲や過去の作品(レコード会社が著作権を有するものを除く)を自身の事務所であるケイオスユニオンから直接発売しております。このケイオスユニオンが普通のレコード会社と異なる点は著作権管理団体であるJASRAC日本音楽著作権協会)に加盟していない所です

 

通常音楽家やミュージシャンは音楽発売にあたりレコード会社に所属しそのレコード会社から販売します。そのレコード会社はJASRACに加盟しており、音楽による収入はJASRACを通してレコード会社や音楽関係者などに配分されるのです。この仕組みは音楽作品にかかる著作権を音楽家やミュージシャンが団結して強く主張・行使しやすくするためのものです。いわば音楽業界に関わる人々が食いっぱくれないためのものです。

しかしこれはミュージシャンの作った音楽作品の権利をJASRACに譲ることを要求します。食いっぱくれはしないものの自分の作品が他人のものになることを受け入れざるをえません。自身の作品に自身のメッセージを込めるのにも限度が出てきます。

 

平沢さんはこれに強く抵抗し、自分の曲を自分の思いのままに作ることを求め平沢さんは自ら著作権管理や楽曲販売をしているのです。

 

平沢さんはある時、自分の曲がネットなどで違法アップロードされたり無断で商業利用されている現状に対し、「自分の曲の権利に適正に対価が支払われないのは、自身のいたらなさもあり仕方がない。」と述べました。

これは違法アップロードなどを容認する発言ではなく、上のような事情もあり平沢さんが著作権を直接管理・行使する立場として言ったものです。違法アップロードの横行は著作権管理をしきれない自分の責任であると言う意味なのです。その証拠に今年に入り自分の音楽を無断で使用した違法動画の削除申請を積極的に行いました。その前にも平沢さんは自身の楽曲の無断使用を「自分への裏切り」と警告しました。そのため平沢さんは著作権については誰よりも詳しく気にされているのです。

 

 

【ずばあんは平沢進をどう思うか】


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私は平沢進さんについて詳しく語っておりますが、私は平沢進さんの曲が大変好きです。平沢さんの曲は時代ごとに変わりつつあるもののどれもメロディや歌詞が濃密で聞き心地のいいものです。一つの小説のシリーズを読んでいるかのようです。

 

私が平沢進さんを初めて知ったのは5年前のことでした。当時大学生だった私は部活の入ったばかりの音楽好きの後輩と話が弾みそのなかでその子が好きな平沢進さんの話題になりました。

それから平沢さんの曲をいくつか聞きましたが初めはかなり独特な印象でした。昔の曲のような、しかし今まで誰も試さなかったことをやっている新しさもありました。

 

それからズルズルと平沢さんの曲にはまりマンドレイク時代から最新の曲まで大方聴きました。「飾り窓の出来事」「美術館であった人だろ」「偉大なる頭脳」「いまわし電話」「七節男」「カルカドル」「Another day」「世界タービン」「2D or not 2D」「Lotus」「Architype Engine」「Ashla clock」「Ruktun or die」「Big brother」「パレード」「それゆけ!haricon」「回=回」「Cold Song」などその他多数の曲を聴きました。

 

曲調の幅は曲ごとに大幅に異なるもののどれも質の高く妥協しない作りで聴く人々を曲の世界観に引き込む魔力を持っております。

精巧な緻密な芸術品といえる平沢さんの曲は閉じた世界ではなく大いなる広大な世界を見せてくれます。

 

2019年と2021年のフジロックフェスでは平沢さんはこれ迄の名曲をメドレーで演奏し、それぞれ濃密で特徴の異なる曲で広大な宇宙に等しい世界を描き出しました。

 

平沢さんは音楽に対するこだわりがとても強く、音楽に奉じる人生を送ってきました。素晴らしい美しい音楽を産み出し私たちに届けてきたのです。平沢さんは「自分の音楽をより多くの人に聴いて欲しい」と語っており自分の音楽がより沢山の人に広がることを望んでおります。

平沢さんは過去に自身のライブにおいて過度に騒ぐ客を敬遠したり、サイリウム禁止令なるものを出したりしました。それは自身の音楽のファンが一部の過激な層により独占されないようにするためでした。それも自身の音楽を聴く人間が増えることを望んでのことだったのです。だからこそ私も平沢さんの曲を好きになれたのでしょう。

 

平沢さんには今後とも理想的な環境に身を置きつつ、美しく心を打つ曲を産み出し続けてくださればと思います。

 

 

【おしまいに】

 

本日は初めてミュージシャンにフォーカスした記事を出させていただきました。

 

平沢進さんは大変ユニークな方であり、ネット上で度々ニュースになることもあります。ただその平沢さんの音楽の才能と功績は非常に輝かしい物があり、その点において平沢さんは畏敬の念を抱かざるを得ません。

 

平沢さんの偉業は音楽業界の間で轟いていることは既にお話ししましたが、平沢さんと活動を共にしたミュージシャンの方や平沢さんのファンであったミュージシャンにも魅力的な音楽を作られる方は沢山いらっしゃいます。

 

平沢進という人物についてはさまざまな語られ方をされておりますが、音楽という面においても平沢さんのことを知っていただけたら幸いです。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

2021年10月30日