ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

【読書感想】遠藤周作「深い河(Deep river)」

こんにちは、ずばあんです。

 

本日は作家の遠藤周作の最終作である「深い河(Deep river」について述べていきます。

 

この作品は1993年に発表され、遠藤周作が晩年に発表した作品です。これは「海と毒薬」(1955)や「沈黙」(1966)など、遠藤が長年続けてきたキリシタン文学シリーズの最終作といえるものです。

 

当作品では、インドのガンジス川を題材に日本人の神への「信仰」に対する態度について述べております。インドを訪れたそれぞれの登場人物に平凡なそして決して軽くない日本人としての生き様を代弁させ、日本人が何に苦しみ何を信仰しているのかをこの小説は語ります。

 

本日は「深い河」の内容の解説とその感想を述べていきます。

 

※この記事には「深い河」のネタバレが存在します。

 

 

【本の内容】

 

 

この「深い河」の大まかなストーリーは、1984年、5名の主要人物がインドに行きガンジス川を訪れ、各々が人生の苦悩を解きほぐしたり、神への信仰を固めるという流れになります。

 

その5名の主要人物は次の通りです。

 

1人目は中年男性の磯辺です。磯辺は仕事人間で妻のことを省みない男でした。しかし妻が病気に伏し、妻から最期の言葉で「私が死んだら生まれ変わるから私を探しに来て」と告げられ、妻からの愛情を実感し妻の死後は喪失感にうちひしがれます。その後磯辺は妻の生まれ変わりを信じ、研究者の力を借りつつ調べます。そして「生まれ変わり」がインドにいるという情報をつかみ、それを見つけるためにインドへのパックツアーに参加します。

 

2人目は(成瀬)美津子です。美津子は青年期の女性でクールな性格です。美津子は磯辺の妻が入院した病院で働き磯辺の妻を最期まで面倒見ます。美津子は愛情に飢えており、学生時代は男たらしで有名で、大学卒業後結婚したエリート男性とも性格の不一致で離婚しました。美津子は磯辺と同じインドへのツアーに参加しますが、その目的は美津子と不思議な因縁で結び付いた大津という男性の行方を探すことでした。

 

3人目は中年男性の沼田です。沼田は磯辺や美津子らと同じツアーに参加します。沼田は絵本作家で主に動物を題材にした作品を作っております。沼田は幼少期に犬を拾って飼いその犬の「言葉」を聴いた経験から動物に対する思い入れが強くなりました。沼田は絵本作家となり妻子を持ってからも小鳥を飼っておりました。ある時沼田が肺を患い大手術を受けた時、無事に生還した沼田と引き換えに飼ってた小鳥は死にます。この出来事から小鳥に恩返しをしたいと思い、インドの鳥獣保護区の存在を知り、保護区に鳥を還すためにインドへのツアーに参加します。

 

4人目は高齢男性の木口です。木口もインドツアーに参加します。木口は第二次世界大戦時には徴兵され日本軍の行軍作戦(インパール作戦)で東南アジアに派遣されておりました。その行軍作戦では大量の餓死者が出て木口も瀕死の状態でしたが、同じ隊の先輩の塚田の助けや激励により共に生還しました。木口は亡くなった日本兵の慰霊のためにツアーに参加しました。

 

ここまではインドツアーへの参加者です。

 

5人目は青年男性の大津です。大津は生真面目で不器用ながら、亡き母からもらったキリスト教を信じる信仰心の篤い男です。大津は美津子と同じ大学の同級生で、大学時代に大津は男たらしの美津子に弄ばれ汚されそして捨てられます。どん底に落とされた大津はそこで「神の声」を聞き、聖職者としての道を決意します。しかし、大津の信仰的態度とキリスト教会の信仰的態度にはズレが存在し同門のなかで孤立し、次々と修道院を転々とします。その中で大津は学生時代から美津子と文通をし、フランスのリヨンの修道院にいるときに新婚旅行中の彼女と再会します。最終的にはインドに流れ、現地のヒンズー教のアーシュラム(修道院)に受け入れられ、インド社会から見捨てられた人々を日々ガンジス川で弔う生活をしております。そして1984年、大津はインドに訪れた美津子と再会します。

 

この主要5人以外のキャラクターにも物語進行上大事な役割がございます。

 

木口の戦友である塚田は帰国後アルコール中毒になり、健康を損ねることになります。塚田は病床で木口に、行軍作戦の時に人の死体を食べて生き延びたことを告げます。死体を食べて生き延びたという事実は塚田をアルコール中毒に走らせたのです。

塚田は死ぬ間際に、信頼していた青年職員でクリスチャンのガストンに、死体を食べたことを告白し天国に行けないかもしれない不安を吐き出します。それに対しガストンは塚田に、南米で人の死体を食べて生き延びた遭難者の話をして塚田の不安を解きます、その後もガストンは塚田に付き添い祈り、塚田は安らかに息を引き取りました。

これは後の大津のエピソードの伏線となります。許され難い、救われがたい人々を救う敬虔なクリスチャン像を描いている点でガストンと大津の信仰的態度を重ね合わせています。

 

また、ツアーに同行しているメンバーには他にも三條という新婚夫婦が出てきます。2人は20代の若者で(まあ私も20代の若者ですが)、ワガママで軽薄で苦労知らずなキャラクターとして描かれます。すぐに文句を言い、自分勝手な言動や行動をし、人の気持ちを逆撫でします。三條の夫はカメラマンですが、禁忌とされているガンジス川での葬儀の撮影をしようとします。

この三條夫妻は、苦悩を抱える主要メンバー5人との対比となっております。人生でやるせない苦しみを抱えることを知らない無知で傲慢なキャラクターとして描かれます。

 

そしてツアーの添乗員の江波は大学時代にインド哲学を研究しインドに4年間留学したこともある、インドについて専門的な知識を持つ人物として描かれます。この人物についてはストーリーの大筋では大げさに記号化されません。文字通りの案内人の役割に徹するだけです。また、「専門家」が他人に対して思う本音がぽろっと語られる部分もあります。

 

さて、上のような人物がインドに来てからのストーリーは次の通りです。

 

インドにパックツアーで訪れた美津子、磯辺、沼田、木口、三條ほか。ツアーはデリー、アグラ、ヴァラナシなどのガンジス川沿いの街を巡ります。途中でヒンズー教寺院の女神の像を見たり、木口の急病、インディラ・ガンディー首相暗殺という出来事がありつつも、ストーリーはガンジス川沿いで展開されます。

 

磯辺は、もらった情報を頼りに「生まれ変わり」を探しますが、結果は芳しいものではありませんでした。磯辺は悲しみに明け暮れ酒に溺れますが、夜のガンジス川を訪れその川で妻に自分の言葉を問いかけます。

 

沼田はインドの鳥獣保護区に、人に捕らえられた野生の鳥を放つためにインドを訪れました。ツアー中に野生の九官鳥(尾が切られていない)が売られているのを見付けてその鳥を買い、近くの鳥獣保護区に放ちます。一方で、直後に自分の行為に空しさを覚えました。

 

木口は塚田や戦時中に亡くなった日本兵を慰霊しようとツアーに参加しました。そのため寺院で女神の像を見たときには、おぞましい描写に行軍作戦時の記憶を想起させられ、思わず念仏を唱えました。ツアー中に一時体調不良となり、その中で戦友の塚田を看取ったガストンの名を呼びます。その後体調を回復した後は美津子と共にガンジス川に訪れ美津子に塚田とガストンの話をし、仏教の輪廻転生(りんねてんしょう)について語りガンジス川に向かって慰霊のためにお経を唱えます。

 

美津子はヴァラナシの街で大津と再会します。美津子は大津がキリスト教徒でありながらヒンズー教徒のグループに交わり、行き倒れのヒンズー教徒を弔う生活を送っていることを知ります。美津子はガンジス川で沐浴している人々を眺め、そして彼らと話をします。木口とも転生について語り合います。そして、美津子は聖なる川ガンジス川で沐浴します。

 

さて三條夫妻は新婚旅行でインドツアーに参加しましたが、我儘で軽薄な言動や行動をしてきました。これまでカメラマンとして要領よく生きてきて何でも上手くいくと思っていた三條(夫)は、ガンジス川での葬儀の撮影を禁忌であるにも関わらず行おうとしました。それにより葬儀客の怒りを買い襲われそうになりました。

 

三條を襲おうとする群衆を止めようとした大津は暴行を受け、瀕死の重傷を負い病院に運ばれました。その場面は沐浴中の美津子も目撃しておりました。

 

帰国の日、カルカッタで美津子らは行き倒れの人を看取るシスターを目撃しました。「意味のない」ことと嘲笑されるシスターら。美津子は彼女らと一言二言会話し、イエス・キリストの精神が彼女らや大津に転生していることを確信します。美津子は大津の容態を江波に確認させ、大津がつい先程重篤状態に陥ったと伝えられます。

 

 

 

以上が「深い河」の内容の紹介でした。

 

「深い河」はそれぞれの登場人物の人生に丹念に踏み込んでいる作品ですので、その点では読み進める上で複雑な作品です。ですが、各人の人生がガンジス川を収束点として語られる物語構成から、この物語でのガンジス川の意味が最重要であることは間違いありません。そのためガンジス川の意味を意識して読んでくれると分かりやすくなると思います。

 

そしてこの「深い河」は遠藤周作キリシタン文学シリーズの内の一作としての価値を持っております。「海と毒薬」「沈黙」などのキリシタン文学作品では、日本人とキリスト教の関係性について語られてきました。

中東の地で生まれ欧州で育まれた合理主義的で一神教的なキリスト教は、温帯湿潤気候で育ち多神教的な精神性の日本人とでは長年そのすり合わせが行われてきました。遠藤周作はこの間の葛藤について自身の作品で著してきました。

同調圧力や極限状況などの場面での信仰のあり方を遠藤は語りました。そして「深い河」ではこれまで諸作品で語られたことを下敷きに、多元的な宗教的態度を包摂する存在について語られます。

 

 

【私の感想】

 

ずばあんが、この「深い河」を読んだ感想を述べていきます。

 

この本を読み終えて、最後まで真面目な人間を見捨て続けた狭量な強き存在を感じつつも、その一方でよんどころない事情で社会や世界から見捨てられた人を包摂する存在を確認できたと思います。

 

この世の中で生きる上で、苦悩は尽きないものです。生命の危機や社会的に疎外される苦しみ、友人との別れ・・・例を上げ続けると終わりはありません。そのような苦しみに耐えるために、せめてその先の幸せを掴むために「正しさ」をよすがに生きていくのです。日本人は概ね忍耐強い精神を持ち、それゆえに現状は大きな混乱を招くことなく社会を維持することに成功しております。

 

とはいえ、その正しさに対して必ずしも正の答えが帰ってくるわけではありません。自然や社会のルールに外れた部分は無視されたりします。協調性のない人や、集団の不利益になる人は排他されます。自然の摂理に逆らう人間は自然の殺意に殺されます。私もその部分に関しては特におかしいところではないと思っております。ルールや法則に則ることによって初めて生かせる命もあるので、その部分は私は「正しい」と思います。

 

ただ、どうしてそのズレが存在するのかという問いには答えはないのです。もっと言えば、そのズレを作った者は誰でありなぜ作ったのかという問いが物言わぬ「創造者」に対してなされるのです。もしこの世に「創造者」がいると仮定すれば、創造者は何を思って私の中に罪を作り、そのお心はいかなる物かと私は確かめたくなります。

それだけ大層な存在ならそれなりの確固たるお考えがあるのだろうと思いますが、それが疑われることを私(あるいは私たち)に施されるのであれば、私は創造者との関係性を疑ってしまいます。それはただの世界を作った人であって、「神」という称号を騙る何者かでしかないのです。創造者の思しめしを推し測ることはあれど、そこに信仰や帰依は無いのです。

 

遠藤周作の作品では、人々が「神の作った世界」で惨めな姿をさらしている姿を度々描いております。結局「それ」は神を信仰する人に対して、どういうつもりなのかという疑問が語られます。遠藤のこの視点は主に「日本人」としてのものです。遠藤は日本人とキリスト教本流の教えの間のズレを認識し、それでもキリスト教から離れられない身として、日本人にとってのキリスト教を模索し続けました。

 

この遠藤の営みについて、私も共感するところがありました。私は正しさに従って正しさに守られる実感を得ながらまっとうに暮らしたいという願望があります。そして、それに同調する人と仲良くしたいですし、そうした方々を守りたいと思っております。

しかしながら人間の業やら、残酷な自然の摂理でそれはかなわずじまいに終わることもあります。そこで私は汚れながら生きていき、そして罰せられながら生きているのです。一方で正しさに奉じながら、それにより苦しみを逆に招くこともありました。

そうした人間の業を無視しながら正しさを振りかざすことに対しては正直信頼はありません。善意か悪意かはともかく、いつそれに裁かれるか分からないからです。そんなものは最初から正しさに背いて生きるのと変わりません。

とはいえ逆にひねくれて世界や人と敵対し続ける考えにも賛同できません。実は私も「正しさ」の狭量さに絶望して、一時期そのような時期はありましたが、常に何者かに監視されているように感じ、本当に辛く思われました。

どこにも行き場がない私はいわばこの世界の無番地で生きているという意識があったのです。

そんな私にとって遠藤周作の語るキリスト像は、そうした心の空しさに対して問いかけてくれるものでした。以前に発表した記事でもお伝えしましたが、私はクリスチャンではありません。そのため遠藤のキリスト像を、持ち合わせの知識以上に捉えることはできません(友人や知人にクリスチャンはおりますが)。ただ、それでも私はそのキリストに救われた心地がするのです。キリスト教の門下に入ったことはないのにも関わらずです。

 

深い河」ではキリスト教に限らず、ほかの多種多様な宗教的背景に対しても問いかけてくれる存在を描いております。この作品はインドのヒンズー教における聖地ガンジス川を、宗教や信条、信仰の度合いの差なく人々の心や気持ちを受容する存在として描いております。登場人物のうち、大津は敬虔なクリスチャンですが、木口は仏教を信仰しております。美津子は神への信仰心そのものが希薄ですし、磯辺も信仰に無頓着でした。沼田も、動物に対する愛の他に、特に確固たる宗教的信条はないと思われます。それぞれの宗教、信条や苦しみは様々ですがそれらを全て受け止める存在の記号としてガンジス川は語られます。そして、大津そしてキリスト(大津はそれを「玉ねぎ」と比喩します)はガンジス川のように、全てを受けとめ供養する存在として語られるのです。

 

ここまでは全てを包摂するものについて述べました。しかしそれにしても、なぜ大津や「玉ねぎ」は「弱いもの」として描かれたのでしょう。この作品の中で弱くなければいけなかった訳とは何でしょうか。

遠藤作品では人々に精神的救いを与える者はキリストなり神なり大津なり、弱いものとして描かれます。どうしてそうでなければならないのでしょうか。

 

先に答えを申しあげますと、この世には強い者で「神」たる者はおらず、「神」たる者で強いものはいないというメッセージが込められているからです。

 

遠藤の宗教的スタンスを語る上で避けられないのは無神論との比較です。無神論とは神の存在を否定し神の営みを否定する立場でございます。この世界が生まれた成り立ちから成り行き、そしてこの世での恵みや懲罰において神の関与を否定するのが無神論者です。もちろん神への信仰も否定しております。

 

この無神論者と遠藤はこの世での恵みや懲罰について、両者ともに否定的な立場をとります。遠藤は自身の小説で神の所業について、信者に対して神が啓示や名誉回復、救済する場面をほとんど書いておりません。「深い河」でも大津は偉い立場になったわけでもなく惨めさから抜け出したわけでもなく、大津らの所業を唾棄した者が罰せられたわけではありません。沼田も野鳥を自然に返すも、何かそこに奇跡的なことが起きるわけでもなく、自分の行動の及ばないところが意識され空しさを感じます。インドに詳しい江波も密かに内心ではインド社会にある理不尽な部分を意識し、それを知らない人間を冷笑する所があります。そしてそのインド社会の理不尽な部分が改変されたわけでもありません。神はそこを改める意志を見せなかったのです。

 

 

遠藤が作品で描いたようなことを前提に無神論者は神への信仰を否定しております。

私もそうした現実の元で全知全能の「神」をそっくりそのまま信じることには疑問を覚えます。それだけ強い存在でありながら理不尽な世界を作るのは、何かその腹のなかに良からぬことを抱いているか、そもそも私と創造者との関係性が最初から破綻しているからです。予定として最初から自分に殺意を抱いている、そのくせしてこの世に自分を誕生させた奇特で考えの読めない存在を「神」と呼び信用する理由はないからです。

しかしながら、神として信託出来るものが一切ないと「信じきる」こともまた危険だと思います。自分の中で何かを信用するという回路が死ぬからです。そうした存在がいて初めて吐き出せる言葉や感情を露にすることが出来なくなり、自分の中で混沌とした感情として渦巻くのです。究極の疑いがたい真実があったとしても、真実に含まれる殺意で自分の中のバイタリティーは心身ともに下がります。

 

遠藤も神への不信感を抱きつつもキリスト教という信仰を棄てられませんでした。キリスト教は愛する遠藤の母も信仰しており、遠藤と自身の母との繋がりの一つであったからです。そのため遠藤は自身の信仰の由縁を探っていったのでした。そこが無神論者と遠藤の違いでした。

 

そして遠藤は自身の信仰の本髄を人を愛することに求めました。それは母親からの愛に似た暖かいものです。愛を振りまく存在を遠藤は信仰したのです。ただその信仰は、強くてこの世界を作り支配しかつ理不尽で残酷な現実を押し付け裁く強い者に対するものではありません。そうしたことを改変できず惨めでも、包容力を持ちどんなに汚れてしまったものも許し愛することができる弱い者に対する信仰でした。「沈黙」では神の声が、そして「深い河」では「玉ねぎ(キリスト)」やガンジス川や大津らが信仰される「弱い者」になります。理不尽に立ち向かいながらも相変わらずそれを変えられない弱い者はそれゆえに神として信仰を集められるのです。そして何者も受け入れられ何者の苦悩を引き受けるのです。

 

したがって強い者に神はおらず、神であるものに強いものはいない、ということになるのです。

 

 

【おしまいに】

 

 

遠藤周作の「深い河」の感想は以上です。

 

ここで少し弁解です。

今回の感想では、今まで私が他の記事で述べたことの範囲で自分の宗教に対する考えを述べた箇所がありました。しかし、それはあくまで自分の中での考えであり、他の人の中では別の考えがあることは理解しております。そのため他の人の宗教的態度について侵害する意図はなく、逆に他人の宗教的態度により自分のそれが侵害されることもありません。

その上で本作の感想を述べる中で自分の宗教観を述べることは避けられず、そもそも感想自体が客観的なものではなく主観的なものであるという暗黙の了解ゆえに今回は記しました。

 

当記事では例のごとく作品の感想をメインに語り、感想から遠い私の意見は省いてきました。省いた部分は後日別の記事で詳しく述べますがここで一つ内容を予告して、昨今渦巻いている陰謀論について軽く述べます。

 

2021年1月にアメリカ・ワシントンDCで、ドナルド・トランプ大統領(当時)の支持者が国会議事堂を襲撃する事件が起きました。これは20年11月の大統領選で落選したトランプ氏の復活を求めたものでした。

この時にこの活動を刺激したのは、Qアノン(Q anon)という集団でした。Qアノンは、2016年にアメリカのネット上の匿名掲示板” 8 chan” に現れた”Q”というハンドルネームの人物の書き込みを信じる集団です。

 

Qはアメリカは国難に際していると警告し、その国難は「ディープ・ステイト(DS)」という裏の組織により引き起こしてされているといいます。このDSにはロスチャイルド家などのユダヤ系の富豪やアメリカ民主党員が関わっているとし、国政上の工作活動や児童売春などの犯罪にもDSが関与していると主張します。そしてDSの脅威に立ち向かうための使者として神はトランプ氏を遣わせたとQは述べます。

QアノンはQの書き込みを信用し、上のような物語を元にトランプ氏を熱烈に支持します。そしてそのために、常軌を逸脱する行動が度々見られます。

 

このQの書き込みですが、いわゆる陰謀論です。情報の裏付けが乏しく、矛盾点も数々見られます。そのためQアノンは陰謀論に振り回されていることになります。その結果、過激な行動に出て、最悪の場合悲惨な死に至る「信者」もいます。

 

ただ私はQアノンを批判するのではなく、むしろなぜ彼らは陰謀論にすがり付くことになったのか、その前になぜ彼らが別の所で救われなかったのかということについて関心があります。いくら陰謀論を信じたからといえ、その人々の窮状までもただの妄想とは思えないのです。これは今回の記事の「深い河」にもかかる話であると思いました。

 

Qアノンにとっての「深い河」は存在し得たのか、「深い河」と陰謀論はどう異なるのか、そして私達は「深い河」をどう選び取ることができるのか、こうしたことについて後日の記事で述べていきます。

 

それでは最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

2021年4月24日

大喜利をするときに大切なこと

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は大喜利で大切なことについてお話いたします。

 

私は大学時代に落語研究会に所属しておりました。落語研究会では会開催の寄席で落語と共に大喜利も披露します。

大喜利複数人一組でやる言葉遊びゲームです。テレビ番組の「笑点」でも有名な落語家の方が大喜利をやっておられます。

ゲームはお題に対して面白い解答をするのはそうですし、五七五の17文字で面白い作文を作るのそれです。

 

さて、その面白い大喜利を見て自分も人前でやってみたいと思われた方は多いと思います。落語研究会でやるという方もいらっしゃるでしょう。

その時に、まず大喜利で何をすべきなのか、大喜利でどのような困難に遭うのか、という疑問や不安を抱かれる方は多いと思われます。そこで、大学4年間落語研究会に所属し大喜利を教えられ行い、指導してきた私が大喜利をする上で大事なことを語らせていただきます。

 

【面白いことを言いたいその前に】

 

人生で大喜利をしたことが無い人は多いと思われます。そうした方々が大喜利を初めてするときにまず抱く不安は、客の御前に出て何をすればいいのか分からないということです。

そこから面白いことを言わなければならないのか、と不安が飛躍することも珍しくはありません。

 

そういう不安を抱く人にまず意識してほしいのは、「面白いことを言わなくてもいいが、とにかく会話をしてほしい」ということです。

大喜利においてまず大事なことは会話を盛り上げることです。大喜利では会場の雰囲気を和ませ、お客様に大喜利をする私たちに親しみを持っていただくことがまず大事なのです。会話を途切れさせず、人の話すことに遠慮なく返事をしたり反応したり、何か思ったことは差し障りのないことでもどんどん言って頂きたいです。

これは大喜利でまず不可欠なところです。面白いことを言うよりもまず大事なところです。

 

例えば下のようなやり取りが一例です。

 

司会者1人と演者6人(ABCDEF)いたとします。

 

司会「お題はこちら、『こんな夏祭りは嫌だ。どんな夏祭り?』」

A「夏祭りかぁ。夏祭りって何がありますか?」

司会「夏祭りはですね。屋台が出たり、出し物があったり。あと盆踊りとかありますね。」

E「屋台って何がありますか」

司会「屋台は、焼きそばとか金魚すくいとかあと何があるかな・・・」

C「射的もある!」

司会「射的もありますね」

B「射的かあ。難しいなぁ。」

D「射的は10発撃ってもなかなか落ちないからね」

F「うんうん」

 

以上が例ですが、ここでは面白いことは一つも言っておりません。それどころか短い台詞や返事で済ましております。ですが、大喜利の楽しい雰囲気は伝わっております。

大喜利でまず必要なのは会話に加わる力なのです。そこで何か大層なことを言う必要はなく、人の話に相づちや返事をするだけでも会話は成立します。とにかく沈黙を避けること大喜利では重要となります。

 

ここで司会の方の役割は大変重要となります。司会の方は大喜利の進行を勤め話題の先陣を切る役となります。そのため沈黙を破り演者さんに話題をふりながら、会話を途切れさせないように気を配る必要があります。演者さんの大事な発言を無視したりするのはもってのほかです。そのため司会の方の労力は大きいと言えます。そのため司会をされる方々には人をまとめサポートする能力が必要になります。

ただ、そこで上田晋也さんのような器用ないじりやユーモアが必要になるわけではありません。少なくとも人の話を聞きそれに常識的に答える能力があれば大喜利の司会を努めることはできます。

それに司会をする上で多弁であることは絶対ではありません。大喜利は司会一人のワンマンショーではないので、他の演者さんで喋ってくれる人がいればその人に会話のバトンタッチをすればいいのです。それがうまくいけば大喜利はうまく回ります。

 

こうしたことから、大喜利は解答内容の面白さを競うものではなく、演者同士そしてお客様との朗らかなコミュニケーションなのです。「フットンダ」と大喜利はその点で異なります。

 

 面白いことはその会話の合間に思い付いたときに言えばいいのです。

 

 

【面白い回答への近道】

 

 

次は肝心の回答を作る方法ですが、ここでつまづく人は多いと思われます。面白い回答を考えるのは、いきなり出来るものではありません。それは大喜利という即興で回答を考える場所ではなおのこと難易度が上がります。

 

しかし、そんな大喜利の場でも何かしら回答が思い付く鉄則はあります。それは回答を考える前に、「あること」を想定することです。それは、

普通の常識的な言動」を想像することです。

 

面白い回答を考えるならばその一つ前に普通の常識的な言動を想像するところから始めなくてはなりません。面白い回答とは、通常想定される言動とは「微妙に」ズレてかけ離れたものです。その微妙なズレが面白さを生み出しているのです。

 

例えば、先程の「こんな夏祭りは嫌だ。どんな夏祭り?」では、最初から「嫌な夏祭り」をまず想像しそうになりますが、その前にまずは「普通の夏祭り」や「嬉しい夏祭り」を想像します。

夏祭りでは街に屋台が立ち並び、ラフな格好や浴衣を来た人々がやって来て、人々は焼きそばやお好み焼き、りんご飴、かき氷などを買って食べて、ヨーヨーや金魚すくいの金魚を持ち練り歩きます。街には山車や御輿などが回り、特別な飾り物などが施されます。そして夜になると打ち上げ花火が打ち上がり・・・

という流れで通常の夏祭りをイメージします。

 

さて、ここでどんなイレギュラーが起きたら「嫌な夏祭り」になるでしょう。

金魚すくいが「鮫すくい」になるのはどうでしょう。りんご飴ではなく「スイカ飴」があったらどうでしょう。御輿ではなく、「路上駐車の車」を担いで回ってたらどうでしょう。

 

ここで回答は3つ出来ました。どれも常識で普通のイメージから少し変えただけです。こうして「面白い回答」に近づいたと思いませんか?

 

さてここで、誤解してはいけないのは「微妙な」ズレが肝心であり、大袈裟にズレているものは逆に面白くないのです。ズレすぎるとお題を無視しているからです。少なくともお題にキチンと答えているような、会話の成り立つ回答をしなくてはなりません。そのため常識的な回答が出来ることは重要なのです。

 

あと当然ですが、過激すぎて社会的に望ましくない回答は避けなくてはなりません。お客さまは初対面であり演者のキャラクターはご存じではないので、それ相応の発言をしなくてはなりません。下ネタや誹謗中傷、差別発言などはもってのほかです。

 

そのため、安定して面白い回答を出来る人は常識的な回答が出来る人なのです。そのため常識のある人は面白い解答に近い人なのです。

 

大喜利は面白いヤツ競争ではない】

 

ここまで語ってきた大喜利ですが、大喜利に面白さを追求することはおかしな話ではありません。笑点の出演者の方々やフットンダの回答者のように面白い人になりたいという方は多いと思われます。

 

ただ、大喜利で言う「面白い人」というのは単に人と異なる視点で違ったことを言える人ではないのです。ましてや、他の回答者と面白さで凌ぎを削り、他の回答者よりも抜きん出た才能を発露する人でもないのです。

 

大喜利で言う面白い人とは、「寄席の暖かい雰囲気を他の演者さんらとのチームワークで守れるだけの協調性を持った人」なのです。

大喜利の面白さというのはそれ単独ではなく寄席全体の面白さであり、他の演目の噺をされた方々と一緒に作るものでもあるのです。何時間ものの寄席を作ってきた落語の演者さんから受け渡される暖かい雰囲気を大喜利をする人は受け継ぐのです。

そのため大喜利の演者さんにはそれまで続いてきた寄席の暖かい雰囲気を壊すことなく、それを膨らませることが求められます。

 

また、大喜利は複数人の演者で面白いことを言いながら寄席を盛り上げますが、その前提として演者がひとつのチームで一丸となって会話できることなのです。もし、それぞれが思い思いにちぐはぐな事を言い始めたら複数人で出る意味がなくなります。

それに、他の人と競って面白い回答を言っても、その人だけが他の人をねじ伏せて偉くなり格好をつけているという、はたから見ていて親しみを感じない冷たく敷居の高さを覚えるつまらない劇を見せることになります。

もちろんそれぞれのメンバーが面白いことを言える能力は大喜利の雰囲気をより暖かくする大事な力となります。ただ、それは自分が他の演者より面白いことを言おうと競い目立とうとする競争へ向けるものではありません。チームとして他の演者さんと明るい会話をし、他の演者さんの発言を拾ったりして寄席全体の雰囲気を明るくすることに向けるものなのです。

 

このように他の落語の演者さんから受け渡される暖かい雰囲気を、大喜利の演者さんとのチームプレーで膨らませるということを意識すると、大喜利はやる方も見る方ももっと面白くなるかもしれません。

 

【おしまいに】

 

私が落語研究会のことを記事にするのは初めてでございます。内容は大変浅いですが、その分役に立つような内容に仕上げたつもりです。

 

ここで書いたことはもしかしたらどこかでもう見たり聞いたということばかりかもしれませんし、実際その通りだと私は思います。ただここで載せたことは、私が大喜利をやってみて直面した困難や反省した部分について書き記したつもりです。

 

私は大学の落語研究会に入るまで落語も大喜利もちゃんと知らなかった人間ですので、そこで初めて分かったことや学んだことは沢山あります。寄席の演目として大喜利をやる上でのルールや意義、重み等をそこで初めて学びました。その上で面白い大喜利を模索することは、本当に意義深い時間でした。

そして落語研究会を去ったあとも、私たちのやってきたことについて振り替える機会は何度かあり、そこで改めて気づいたこともいくつかありました。例えばある評論家の話で、昭和時代の大衆向けのお笑いと現在の個々の芸人ごとのファンに向けたお笑いの違いがございました。そこで、大喜利が目指していたものを改めて認識しました。

 

今回の私の大喜利に関する記事は、こうした落語研究会に在籍していたとき、そして落語研究会を去ったあとに学んだことを盛り込んだつもりでした。

 

とはいえ、今は大喜利をする機会もなく、落語研究会をとっくの前に去っており、誰に向けた記事なのかよくわからない状態になっております(笑)

 

ということで、ずばあんの長い長い独り言はここでしまいとさせていただきます。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2021年4月11日

自分の「言葉」が伝わらないと思った時に

みなさまこんにちは、ずばあんです。

 

早速ですが、タイトルで述べたような悩みは私が学生時代に抱いていたことです。私は人間関係の悩みや、所属していた落語研究会の活動での悩みなどで自分の発する言葉に対する不安感が募っていきました。自分の発した言葉は他人にどう伝わっているのか、何を以て伝わっていると言えるのか、どこまで伝えればよしなのか。

 

そうしたことが答えなき不安感として私の中で増大していきました。それ故に一時は私は言葉を発することに恐怖を覚えた時期もあり、素直な感情を他人に話せなくなったこともありました。その後もこの悩みはしばらく私の心の中で漠然とした疑問として残りました。

 

この悩みに久々に向き合ったのはつい最近のことでした。その契機は2つあり、1つは前回ブログでも述べた朝井リョウさんの「何者」を読んだことと、もう1つは芸人でタレントのキングコング西野亮廣さんが製作した映画「えんとつ町のプペル」を巡る下馬評を目にしたことでした。

 

この2つの出来事により私は自分の「言葉」をどう認識すればよいのかについて思ったことがありましたのでそれを語っていきます。

 

 

【「言葉」だけではメッセージは伝わらない   ―「何者」より―】

 

 

私が朝井リョウさんの小説「何者」を読んだときに印象に残った、次のようなシーンがあります。

 

ある時、主人公の拓人は部活の先輩であるサワ先輩に隆良(拓人の元カノの瑞月の友人・理香の彼氏)の話をしていました。拓人が隆良の陰口を言うと、サワ先輩は拓人が以前に隆良とギンジ(拓人の元演劇仲間)が同じだと言ってたことを持ち出し、2人は全然違う人間だと言いました。

更にサワ先輩は、拓人が以前に、SNSの短文で選び抜かれた言葉こそが大切であると言ったことを持ち出し、それは違うと言います。先輩は選ばれなかった言葉こそがその人を表していると述べ、言葉の向こうにいるその人そのものを想像してやれよ、と拓人に告げます。

 

このシーンは「何者」の根幹となる部分のひとつであり、クライマックスに向けての伏線となります。

このシーンは短い言葉で伝えられることにはいつも限界があり、それ故に言葉に切り捨てられるメッセージがいつも存在することを述べております。Twitterでは短い言葉でしかメッセージは伝わりませんので、無駄は省かれているものの解像度が粗い情報しかやりとりされません。故に実体としてのメッセージをそのまま表したものではないのです。

そのため言葉がその人の全てを表している訳ではないのです。他人の言葉を受けとる時には言葉に乗せられなかったその人自身が存在ことを想像する必要があるのです。

 

それに対して拓人の、選び抜かれた言葉が大切という意見は、ある意味正しい部分もあります。短い文で言葉が取捨選択されるとき、選ばれる言葉は綺麗なものであり、捨てられる言葉はノイズなのです。文は長くなれば長いほど、分かりづらくかつメッセージが薄いものになりがちです。そのため文章を書くときの技巧では、1文は30字~40字程度の短さが望ましいとされます。よってノイズを取り除き綺麗なもので固めた短い文は綺麗で正しく美しいものとなるのです。国語の教育ならばそれは間違いではないでしょう。

しかし、これはあくまで言葉の上だけの話です。その言葉が物やことをそのまま表しているか否かはまた別の話です。言葉は事物をそのまま反映するものではなく、事物を簡略化したり偏向した上で残されるものなのです。綺麗な短文であればあるほどそうなるのです。そのため言葉はそれそのものが事物を歪めて伝えているのです。(中世ヨーロッパではこの事が普遍論争として争われました。そこでは、言葉は実体を綺麗に表しているとする派閥を実存論、片や言葉は実体とは別物だとする派閥を唯名論と呼びました。)

 

そのため言葉だけでメッセージが十分伝わるということが幻想と言えるのです。

それでは言葉で何かを伝えることは愚かなことだったのかというと、そうとは言えないと思います。

確かに言葉だけでは伝わることには限界がありますが、言葉を発するときの「行動」にもメッセージは込められているのです。例えば、言葉を発するときの言い方や身ぶり、いつどの場面で誰に対して言うか、そしてそれを言う自分は何者なのか、このような言葉の意味の外の非言語的な部分にもメッセージが込められているのです。

日本語は特にこの特徴が強く、言葉を発するときや聴くときにはこうしたことは大前提となります。上下関係を意識する、空気を読む、主張しすぎない等は言葉の外から言葉の意味を変えうる事柄でございます。

「言葉」だけではメッセージは伝わらないというのは、メッセージは発せられた言葉それ自体の意味だけではなく、言葉を発した人間の「行動」も加味した上で伝わるということなのです。何をして、何をしないかという行動もメッセージに含まれるのです。言葉の意味ではなく、言葉を発する人間の行動にメッセージが宿るのです。

 

ついこの前までの私はどちらかと言えば、伝えたいことはハッキリと言わなければ伝わらないと考えていた立場でした。空気を読むことや阿吽の呼吸というのは感覚として理解はできても、そこに甘んじることは論理的思考において良くないとさえ思っておりました。そうしなければ自分の主張を十分に行えず、色んなところで悔しい思いをすると思ってたからです。

ただ、かくいう私も日本人ですのでそれ相応の情緒は持ち合わせております。これまでの日本人の経験則に倣ってきたことから離れて、自分の情緒と向き合うのは地獄の行でした。言葉に出来ない淀みがどんどん大きくなるのが感じられました。

そして、その正体について変な思想もなく等身大の立場で描き語ったのがこの「何者」でした。「何者」はハッキリ言うことで伝わるメッセージに対する、言わないということで伝わるメッセージの存在を明かしました。

そのことを自分に当てはめて考えました。自分の心の中には言語的な綺麗な世界とは異なるカオスな不純物だらけの精神世界が広がっていることが自覚されます。もしそのことが他の人も同じだとすれば、そこで何を言い/何を言わないかを選択するプロセスは、言葉を発する相手を見れば想像することができます。そこから相手の本心や本音を伺い知ることが出来るのです。自分を見る相手にとってもそれは同じことなのです。そのことを自覚して初めてコミュニケーションが取れるのです。

このことは、これまで他人と分断されていると感じていた私にも実は他人と繋がれる共通のキーを持っていることを確認させられました。サワ先輩のこのシーンは納得のいく、そして心の穴を埋めてくれるものでした。

 

 

【言葉で全て済んで欲しいという願望   ―キンコン西野氏をめぐる不穏な評判―】

 

 

ちなみにこのブログ記事は2021年の3月に書いておりますが、現在、映画館では芸人でタレントのキングコング西野亮廣さん原作・監督の映画「えんとつ町のプペル」が上映されております。

 

ストーリーは、高い煙突から大量の煤煙が発せられ空が全く見えない「えんとつ町」から始まります。そのえんとつ町で暮らす少年・ルビッチは亡き父親の夢を受け継ぎ「星空」を見ることを夢見ておりました。しかし、長年煤煙が天空を覆い空を見たことの無い町の人達はルビッチの夢を「迷信」だと嘲ります。そんな中ルビッチはひょんなことからゴミから生まれたゴミ人間・プペルと会います。そこからルビッチの星空への夢の旅は始まるのです。

この「プペル」は元は西野さんの絵本が原作であり、映画はそのストーリーに倣っております。

 

私はこの映画は観ておりませんが、その映画については各所から色んな批評が上がっております。

同じ芸人のオリエンタルラジオ中田敦彦さんや実業家の堀江貴文さん、脳科学者の茂木健一郎さんなどは「感動作」であるとし、高く評価しておりました。SNSではある劇場で映画本編終了後スタンディングオベーションが起きたという投稿がありました。

 

一方でプペルに批判的なコメントをする人もいました。タレントの東野幸治さんは映画を見た感想を「説教されているみたいだった」と述べました。また評論家の岡田斗司夫さんはプペルを感動させることに特化した作品であるとし、主人公の主張について葛藤や矛盾が描かれず「思想性」が無く、結果説教臭くなっていると述べておりました。

 

私はその映画を見たことがないので作品の講評はしませんが、そこまで言われる程のプペルはどのように扱われているか、そして作者の西野さんが何をされているのかを調べてみました。

 

まず始めに、プペルに感動したという人が何を語っているのかに注目しました。するとその人達のコメントには一部のシーンに対する感想はあれど全体的なストーリーに対する言及はほとんどありませんでした。すなわちストーリーに感動したという感想はほとんどないのです。おそらく感動的なポーズやカットとおぼしきものはいくつかあったのでしょうが、ストーリーについてお客さんに響くものは無かったものと思われます。

もしこれをプペルを批判する人の「説教臭い」という意見と照らし合わせると、プペルはストーリーのメッセージ性の薄さを局所的なカットでごり押しして無理矢理客に説得する形でメッセージを伝えようとしているのではと予想されます。そこには一部のシーンにのみ注目させ他のシーンの内容の希薄さから目を反らさせようとする意図があるのかもしれません

前章で述べたことを借りますと、プペルは綺麗な言葉や概念で強固にメッセージを伝えようとしているのでしょうが、それは人間のカオスな内実とはかけ離れているので見る人々の心に共感できないのでしょう。

そのため映画を見た人々は映画のストーリーに関心を持てず、大袈裟な一部のカットのみが感動、もしくはトラウマとして記憶に残っているのでしょう。

 

そして、この「感動作」において無視できないのは作者の西野亮廣さんとその熱狂的ファンの存在でした。西野さんはネット上などで自分の「理想」や「思想」について語り、それに共鳴するファンを集めてきました。西野さんは自身の動画配信などで自身のファンからのコメントや相談に対してそれに寄り添うポーズを見せ、自己啓発的なメッセージを送りその上で自分の夢を語ります。

合わせて西野さんは自身のファンのために「西野オンラインサロン」というオンラインサロンを開設しました。オンラインサロンとはネット上で作られる会員制のコミュニケーションスペースのことです。同じ考えを持つ人々が忌憚なくかつ荒れることなく意見を交わせる場を提供できるというメリットがあります。この西野オンラインサロンの場合、会費は月980円となっており、会員数は日本最多の7万人程となっております。

こうした中で西野さんは「プペル」の構想についても述べてきました。西野さんは映画公開時に、プペルを作った理由として「夢を語れば叩かれるこの世界を終わらせに来た」と述べております。またプペルの目的について西野さんは「革命」を起こしに来たと述べており、ファンもそれに共鳴しています。また、映画の原作絵本のプペルの製作に当たりオンライン上の寄付システムであるクラウドファンディングが活用され、その資金によりプペルが作られたのです。

この映画プペルの公開に当たり、プペルのもしくは西野さんのファンは何度もプペルを観に行く現象が起きました。その方たちはプペルを観に行く回数を競い、例えば3回観に行ったら「3プペした」と言いながら、プペルのファンとしてのステータスを競おうとしております。(中には10回行った方もいるようです)

 

さてこの西野さんとそのファンの動きですが、かなり不穏なものも聞かれました。

プペルの上映に当たり西野さんはユーチューブなどで自身のファンに対して「プペルを見て感動したらスタンディングオベーションしてほしい」と発言したのです。これは先に述べたプペル本編後の観客のスタンディングオベーションと被るものです。もしその行為が西野さんの発言によるものとすれば、映画のみならず観客の存在や高評価も演出されたものということになります。そうなると映画プペルは西野さんとそのファンのみに向けた作品で、そうでない人には排他性や敵意が向けられているということになります。

 

また今年1月には、西野さんが自身やその協力者と吉本興業社員とのグループLINEのスクリーンショットを自身のTwitterアカウントで公開するという珍事が起こり、騒動となりました。

事の発端は、ある日の深夜0時頃に西野さんの私設マネージャーがある吉本興業社員に映画プペルの上映スケジュールの質問をしたことでした。それに対し吉本興業社員は配給元の東宝に確認するように促しました。この事に対して西野さんは吉本興業社員自身が東宝に確認を取るように叱責しました。翌朝もそのことで西野さんは社員に説教をし、別の社員が西野さんに謝罪することになりました。

そして、西野さんは上の一連のLINEのメッセージの一部をスクリーンショットに撮り、その画像を自身のTwitterの公開アカウントにアップロードしました。その時に西野さんは吉本興業を叱咤激励した、というメッセージをも併せて記しました。

この出来事には賛否両論が寄せられました。西野さんの支持者らはこの行為は素晴らしいものだと擁護しましたが、対してパワハラに該当しかねないLINEの内容や、内輪のSNS上での出来事を公に晒すという行為を批判する意見は多く寄せられました。当の西野さんも後日先輩からこの件で叱られたとのことでした。

私が思うにこの西野さんの行動は、自分の行為を正しいと認めてほしいという自己顕示欲が滲み出ているように思えました。自分の行為や言葉が大したものであってほしいという西野さんの願望が恐ろしく出ており、そのために他人を犠牲にしようという魂胆も伺い知れました。もしプペルへの批判も同じところから出ているとすれば、プペルの他人への敵意というのが疑いから確信に変わります。映画プペルという「言葉」は意見の違うものへの粛清の意思が込められていることになるのです。もしここで、そうではないと強く言うのならば、西野さんは自分の発する言葉自体が世界になってほしいという歪んだ願望を持っていることになります。

 

西野さんの不穏な噂はまだあります。西野さんは先程も申し上げたクラウドファンディングを利用し様々な「権利」を販売しております。その一例を取り上げると、「西野経営の店に行ける権利」「西野の講演会を開く権利」などがあります。

しかしそれらと共に「西野を1日休ませてあげる権利」「西野の個展の設営をする権利」という、需給関係が怪しいものもありました。西野さんがこれを設ける理由として考えられるのは、西野さんがファンと教祖=信者の関係で結ばれたいからかもしれません。

西野さんは過去に自分のファンと信用によって繋がりたいと発言したことがあります。確かに正常な信頼関係のもとで初めて生まれる幸福はあると思います。チームでなにかをしたり、友人や恋人を作ったり、結婚したり、そうしたことは信頼関係から生まれます。しかしそれは無理矢理繋がろうとする押し付けの関係ではなく、「ハリネズミのジレンマ」に象徴される試行錯誤の上で見つかる均衡点の上で続くものです。ただ、西野さんの売る「権利」を見ると、信頼というよりは盲目な信仰を求めるメッセージが滲み出ております。そこでは西野さんへの疑念は悪であり、隷従こそが善であり愛と認められるのです。これは単純な物・サービスの売買の域を越えて、西野さんの熱狂的ファンを関係性の檻に閉じ込める危険な行為でもあるのです。

 

このプペルや西野さん、そしてその周囲の人々の様子を見て、私は「言葉がそのまま世界であれかし」と願うことの危険性を認識しました。

少年の時の私にもその願望はありましたし、そうではないからこそ抜け出せない苦しみもあることは理解できます。言葉だけで何か変えられたならば、今日まで苦しむような出来事はなかったろうにと思う気持ちはあります。

しかし、それを現実に押し通そうとすることにも弊害があることも歳を重ねるごとに理解しました。それもまた私を苦しませましたが、だからこそ新しく分かってきたこともありました。そのひとつが「何者」で表された、言葉だけではないメッセージの存在でした。それを無視すればますます人とは断絶が起こるのです。

 

言葉だけで何か世界を変えられるならば、説教だけで何か変えられるならばどんなに楽なことでしょうか。しかし、それを望めば望むほど、誰かの言葉や関係性の虜となり、自分や人に殺意の刃を向け続ける修羅の道を歩むことになるでしょう。

 

 

【言葉は所詮言葉なので・・・】

 

 

とはいえ、言葉が自分や他人の現実に答えられないことには正直消えることのない苛立ちや不満があります。言葉に裏切られ、無節操な言葉に翻弄される時にそう思います。自分の発している、他人の発している言葉に馬鹿にされているような、確固たる敵意を感じることがあります。

 

ただその感情は、言葉は大したものであり大したものでないといけないという考えから出てくるものなのです。それに反して実際言葉はそこまで大したことがないので苛立ちを覚えるのです。

そのため言葉はそれ自体は所詮言葉であると思えばそんなに腹が立たないのです。そして、所詮弱くはかない言葉だと分かったときに言葉の可能性は広がるのです。言葉の裏を読むとか、TPOで言葉の使い方を変えたり、それらを上手く巧みに利用して言葉に新たな意味を付与するという営みが言葉の可能性を広げるのです。言葉そのものに反映される意味は大したことではありませんが、言葉を使うという動作には幅広い意味を込めることが出来るのです。

言葉は大したことがないというのは言葉がすなわち唾棄されるものであるということではなく、完成されてないからこそ広く開拓される余地があるのです。

 

一方で「所詮言葉」を濫用するケースも見られます。

ネット上ではレスバトルなどで言葉の上での論破合戦が度々行われております。本当に論理立った考えに基づく論戦を除けば、極論のやり取りや拡大解釈、そして確証バイアスにはまっているものが多く見られます。酷いものでは、論戦が破綻してしまいメッセージのやり取りが不可能になったものを相手が論戦に負けたと認識し自分が勝ったと解釈する人もおります。

言葉尻をとらえて言葉をおもちゃにすることは卑怯な所業ですが、そういう行動をとるからこそ、彼らの言葉は信頼されないのです。どんなにその言葉そのものが正しかったとしても行動が間違っている以上、それを説教がましく押し通したり、あるいは恭しく受け取ることは間違いなのです。相手に自分のための生け贄となることを要求したときにはなおのことなのです。

 

所詮言葉でしょうが、それをなめてかかるととんでもないことになることも覚えておかないといけません。

 

 

【おしまいに】

 

 

自分の言葉が通じないという悩みは、今のようなSNSやデジタルの時代だからこそ大きいのかもしれません。言葉の可能性が爆発的に広がったからこそ、元々言葉が持つ弱点が忘れられている印象が強いです。そして、それが却って言葉の胡散臭さを際立たせているのではと思われます。

 

今この時代では、究極の真実を表す言葉が求められ、言葉はますます0か1かのデジタルな物が好まれるようになっています。「真実」を100%含有する言葉のみが認められ、そうではない「不純物」たる言葉は唾棄されるようになってきました。

 

ただ、これは実際とはあべこべのように思えます。言葉というのはそれ自体が純なものであり美術的作品であり、デジタルなものなのです。それに対して現実や人の気持ちというのは混沌としており不純物まみれなのです。

 

それを考えたときに言葉を切り捨てていき純たる真実を見つけていくという試みは、むしろ言葉の毒に冒され現実認識が歪むことになるのです。言葉でしか現実を認識できなくなるときにはもう幻覚に冒されているのです。

 

だから言葉にしがみつくのではなく、言葉を発しないところにも気をかければもう少し心は楽になるのではないのでしょうか。言葉からやや離れれば、言葉の外でも自分のメッセージや他人のメッセージが伝わっていることが分かるかもしれません。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2021年3月19日

【読書感想】「何者」(朝井リョウ)

こんにちは、ずばあんです。

 

前回は朝井リョウさんの「桐島、部活やめるってよ」の感想を述べさせていただきました。そして今回は同じく朝井リョウさんの「何者」を読ませていただきましたので、その感想を述べていきます。

 

なおこの記事では全体的にネタバレがありますので、ここから先の記事を読まれるか読まれないかは各自ご判断下さい。

 

【内容】

 

この話の内容を簡潔に説明させていただきます。

 

この話は就活を迎えた大学生5人の話です。

主人公は拓人、元々演劇サークルに所属し、人間観察と分析が得意な男子学生です。そして拓人の友人で拓人とルームシェアする光太郎と、光太郎の彼女の瑞月、瑞月の友人の理香、そして理香と同棲している隆良が出てきます。いずれも大学生でそれぞれタイプが異なる性格ながらも、就職に際し5人は顔を合わせることとなります。

就活が進むにつれ5人の考えや本音が分かってきますが、それは現実での発言や素振りのほかにもSNSというネット空間でも現れます。FacebookTwitterなどでの彼らの言動も5人の人格を語るツールとなります。

話が進むにつれて5人の過去が明らかになり、5人のそれぞれ抱える事情も明らかになります。そして、それは拓人も同じでした。

拓人Twitterの裏アカウントで他人の批判や陰口を書いていたのです。自分の元友人や上の5人の自分以外の人のことも。加えて拓人が就職浪人で就活2年目でもあったことも明らかになります。この事は理香にばれて、彼女はこれまでの拓人の発言や彼の性格などを痛烈に批判するのでした。そして、このシーンに続き拓人のTwitterの裏アカウント「何者」の投稿履歴が載せられております。

その後拓人は就活で面接を受け、自分の本当の気持ちをさらけ出し、感触の悪さを覚えつつも、「だけど、落ちても、たぶん、大丈夫だ。不思議と、そう思えた。」と心の中で呟くのでした。

 

この話では、これまで傍観者であった主人公の拓人がいきなり他人から痛烈な指摘や批判を受けるという、ものすごいどんでん返しが待っていたのです。

 

そこまでは拓人の素性は(拓人本人の意思で)隠されてきましたが、途中で「誰かの」陰口とおぼしき文章が出てきたり、また劇中人物の発言もその事を示唆しており(というより拓人の異変に気付いていたか)、それらがこのどんでん返しの伏線になっていたのです。

 

この話は、主人公が物語を俯瞰するメタ視点にも立つという通常の小説のレトリックを逆手にとり、最後に主人公をメタ視点すなわち傍観者の立場から引きずり落とすという仕掛けになっていたのです。

主人公の視点でこれを読む読者も同じく、拓人と同じ痛みを味わうことで、臨場感のあり強い印象を残すものとなっております。

 

【感想】

 

さてこの話の感想ですが、拓人のやってしまったことは非建設的で自分や他人を害し、悪いことであると思っております。そのようなことは望まれない行動ですし、やってしまったからには内省しなければならないと思っております。

 

しかし一方で、内省の仕方においてもまた罠があり、明確な答えが示されない辺りにも内省の難しさを感じました。そのためこれは教訓譚や説教というよりも、「人の心の闇を描いたドキュメンタリー」に近いと思いました。誰もが虫歯になるように(日本人の95%は人生で少なくとも一度は虫歯になると言われております)誰もが拓人になってしまう可能性を持つのです。

 

拓人がこの失態を犯した切っ掛けは、友人とのいさかいや一度目の就活の失敗などが考えられます。ただ、これは「拓人の場合」であり、他の人が別の理由で「拓人」になるケースは沢山あるのです。作中に出てきた隆良はまさしくそうですし、理香や瑞月もその一端が滲み出るシーンがあります。

しかも、その部分は何かのきっかけで生まれたものではなく、最初から誰の心にも住んでいるのです。もちろん私の心にもいます。それは消えることはなくいつまでも残り続けます。

「何者」では拓人はそれが押さえきれず歪みが露出しております。それは裏アカウントでの攻撃的な批判もそうですが、「反省したつもり」の態度もまたそうです。拓人はSNSでの短文について語っているときに、懇意にしているサワ先輩から「人があえて言わなかったことにも関心を向けろ」と忠告されます。そして拓人はその言葉をそのまま「何者」アカウントで、友人への批判や陰口に使いました。拓人本人はそれで反省したつもりでしょうが、実は何も反省できてなかったのです。

 

この物語の終盤では、拓人の裏アカウントを理香に知られ、そこで理香から拓人の素性について痛罵されるという形になっています。一見すると拓人は理香からようやく自分の素性について痛い指摘を受け反省した・・・ように見えます。ですが、私はそれは違うと思います。なぜなら、理香の言葉にはそれほどの重みはないと思うからです

理香のいうことは確かに的を射て正しいですが、その言葉が直接拓人を反省させることは無いと思います。なぜなら反省とは他人からの言葉ではなく自分から自分の内面を覗いて出来ることだからです。もちろん反省する契機にはなるでしょうが、理香の言葉自体が拓人を反省させることはないですし、理香の言葉も「何者」アカウントでの拓人の言動と大差ないのです。

そして理香もその事は自覚しています。自覚しているからこそ理香は拓人の痛いところを今まで指摘せず、今ここで言う痛烈な言葉は説教というよりも心の中から沸き出る、無力ながらも嘘偽りのない思いなのです。よもや理香は自分の言葉そのものに力があるとは思っていません。自分の言葉が通ずるとすれば、それは言葉の外から漏れ出るメッセージのお陰であると思っているのです。理香は自分の弱さを受け入れているからこそ素晴らしいのです。

言葉と言えば話すときの言葉や書くときの言葉のことを考えがちですが、実際にはその外の本人の人柄や素振り、態度ということを含めた「非言語的」なメッセージも言葉として考えられるのです。拓人はそのことを、わざとか無意識か分かりませんが、無視してきたのです。サワ先輩の忠告もそこを突いたものなのです。

 

さて、ここで拓人のことをまさしくカッコ悪いヤツだとか、ああいう風になりたくないと思う気持ちが私も強く自覚されますが、そう思う気持ちが拓人の失敗の原因であったと私は思います。何でそうなりたくないのか、ならば何をするべきなのか、何を語り語らざるべきなのか、そこまで考えが及ぶことが内省なのかもしれないと思いました。すぐには言葉にできないかもしれませんし、正解はつかめないかもしれません。ただ、正解を握った気にならず、間違いを恐れずに認め挑むこと、それが大事なのかもしれないと思いました。

 

【おしまいに】

 

感想を語ってて本当に緊張しました(汗)

 

これほどまで何かを言うことを許さない作品はないと思いました。どんな言葉を言っても唾棄されるようなそんな恐ろしさがありました。何を語っても許さない神か悪魔が取り憑いてますこの作品には(笑)

 

ただ、この作品が人々のそうした感想を見下しているわけではないとも思いました。この作品は心の中に「拓人」を抱える人々が、明日からも「拓人」を持ちながらも自信を持って生きるための福音書でもあると思いました。

 

この本は自分が「拓人」にならないための答えは示されませんが、それは殺意では無いと思います。心に「拓人」を持つ人が「拓人」を持つ事実を受け入れながら生きる可能性を示しているのです。自分が綺麗になる答えが示されないことは死刑宣告では無いのです。

 

私も失敗を恐れることなく、わたしの正解を探し続けながら生きていきたいと思います。

 

それでは最後までありがとうございました。

 

2021年3月8日

 

【読書感想】「桐島、部活やめるってよ」

みなさまこんにちは、ずばあんです。

 

今回は朝井リョウさんの「桐島、部活やめるってよ」の感想をお伝えいたします。

 

【内容説明】

 

この「桐島、部活やめるってよ」は2010年に発表された朝井リョウさんのデビュー作です。この当時、朝井さんは大学在学中で集英社小説すばる新人賞を獲得いたしました。

 

さてこの作品の内容ですが、タイトルの通り桐島が主将を努めていたバレーボールをやめるところを中心に周囲の人物の変化や心情などを描きます。

物語の構成は桐島の周囲の5人の人物の語りによって描かれます。それぞれの話者は立場も異なりスクールカーストを意識する部分もあります。そして各話者はそれぞれ異なる目標や悩みを抱え、桐島がやめた件に関してもそれぞれ異なる捉え方をしております。

 

さてこの作品ですが、肝心の桐島の語りはありません。桐島は5人の各話者の発言によってその人物像が描かれております。しかしそれ以外で桐島について述べられておりません。

 

かなりトリッキーな作品です。桐島が何を考えてバレーボール部をやめたのかは直接述べられてないのです。回りの人間が語る人物像からそれを予測するほか無いのです。

 

 

【感想】

 

 

この本を読んだ感想ですが、5人の人物の語る各人の意識や悩みがズシッとくるくらい重く感じられました。

とある人の視点はずばあんも高校生の時分に感じたことに近くて、共感を覚えました。またとある人は、とてつもなく重い悩みを抱えていて、私は思わず目頭が熱くなりました。そしてまた別の人は、一見ずばあんとは違うタイプの人だなと思いながらも、その人なりに気楽とは言えない悩みを抱えているのだなと思いました。

 

結局質の差はあれど、誰もがそれぞれ悩み、苦しみ、そして喜ぶというそれぞれかけがえのない人生があるのです。5人はそれぞれそういう人物でした。そして同様に桐島もそういう人生を抱えているのです。

 

この作品は桐島の本音や、意見というのは記されていません。あくまで周囲の人間しか出てきません。しかし、だからこそ桐島という人間がかえってリアルに感じられるのです。なぜなら本来「私たち」は桐島ではなくこの5人のうちのひとりだからです。桐島を見る誰かではあるものの桐島本人にはなれないのです

 

桐島、部活やめるってよ」というタイトルから、桐島が何かしらの悩みを抱えていることは確かなのです。しかし、桐島が腹の底で何を考えているのかは他人には分からないのです。

 

この作品は何か悩みや苦しみを抱えている人がいても、その奥底に何があるのかを本人以外は分からないということを示しているのです。5人の語り手の話を聞いて、中には助けられるものなら助けたいと思った人もいました。しかし、その人は本来は「桐島」同様に、私たちから見て本当の気持ちが見えない人の一人なのです。

 

あくまでこの作品はフィクションですが、他人が何を考えて悩み苦しんでいるのか分からないのはリアルと同じです。私の回りにもこの5人、そして「桐島」はいるかもしれません。

 

 

【最後に】

 

 

この本を読んで、やはり人の悩みや苦しみを手に取り分かるというのは幻想なのだなと思いました。しかし、自分も逆に悩みや苦しみを人に分かってもらえないひとりでもあるのです。つまり、私は「桐島」のひとりなのです。同様にほかの人も「桐島」なのです。

 

だからこそ私はひとりの「桐島」として、他の「桐島」のような人が悩みを打ち明かせるように、あるいは悩みを解きほぐせるように常に優しく話を聞ける人間でありたいと思いました。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

2021年2月24日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ACジャパンの50年

こんにちは、ずばあんです。

 

さて、今年2021年はACジャパンが設立から50周年です。

 

このACジャパンは2009年までは公共広告機構という名前でしたが、名称変更し今に至っております。この団体は数多くの広告作品を制作し、その中には有名なものが少なからず存在します。

 

しかしながら、この組織が何を目指して沢山の広告を作るかはあまり理解されておりません。今回はこのACジャパンの誕生と活動と、その背景を述べていきます。

 

 

【日本の公共広告の誕生〈AC誕生〉】

 

 

さて、日本で公共広告への機運が高まったのは1950年代後半のことです。この頃は高度経済成長の真っ只中で、日本全体が敗戦国から世界の一大経済大国へ向かう潮流に乗っていた時代です。商業活動はますます跳躍し、生産と消費が共に増えていった時代でした。

 

この時代の広告は、商品を生産者が消費者にアピールするためのものであり、商業主義の中で製品の魅力を伝えるものでした。やがて次の10年で国民生活が豊かになるにつれ、それは理想の豊かな生活像をアピールするものとなりました。しかしそれはあくまで生産者たる企業の目線によるもので、その「外側」に対する関心は未だに薄いままでした。

物質的に豊かになるにつれ、国民の道徳心はやがて荒廃していきました。マナー違反やゴミの不法投棄はあちらこちらで見られるようになりました。

 

こうした中で広告業界ではこうした問題にスポットを当てる広告作りへの関心が強まりました。現在でも広告業最大手の電通の当時の社長・吉田秀雄氏は1959年に自社を中心に公共広告団体「全日本広告協議会」の構想を公表しました。そして1962年にこの団体は設立総会が開催されましたが、関係各団体の協力が不調に終わり、かつ吉田氏の死去に伴い全日本広告評議会の動きは消滅しました

 

日本初の公共広告への挑戦が失敗したあと、公共広告に挑戦したのは大阪財界でした。そしてそれが今のACジャパンの興りでした。

この動きのきっかけは、大阪万博・エキスポ'70の開催でした。この時万博開催において不安を抱えていたのは、当時のサントリーの社長・佐治啓三氏でした。サントリーは大阪に本社を置いており、地元大阪での万博の開催は強い関心事でした。そこで佐治氏の不安の種になっていたのは、日本国民のマナーの欠如でした。当時の日本ではゴミのポイ捨てや不整列など公共の場でのマナーが壊滅的な状況でした。そしてそれは佐治氏の地元大阪でも同じことでした。

その佐治氏が公共広告に関心を示したのは1969年にアメリカへ出張したときのことでした。佐治氏は現地で公共広告を目撃し、公共広告の可能性を強く意識しました。公共広告とは、大量消費社会において発生する公害などの問題を提起する、通常のCMとは異なる広告のことです。公共広告は英語圏ではPSA(パブリック・サービス・アナウンスメント)と呼ばれますが、アメリカではそれはアメリカ広告評議会(Ad Council)という非営利団体が既に行っていました。佐治氏は日本人のマナー向上に資するものとして公共広告に強い期待を抱いたのです。

佐治氏は万博開催に向けて、日本初の公共広告の制作に向けて地元大阪の経済界や広告業界に呼び掛けました。その結果、万博には間に合わなかったものの、1971年に社団法人関西公共広告機構を設立し翌年から公共広告活動がスタートしました。

当初は関西ローカルでの活動でしたが後に組織拡大を進め、名称を「公共広告機構」に変更し、1976年からは全国での活動を開始しました。それから地方の事業局を徐々に増やし、1987年には「AC公共広告機構」の呼称の使用を始め、2009年には「ACジャパン」に名称変更をしました。

 

ここまでの動きで分かるのはACは日本における公共広告のパイオニアとなったことです。これまで商業広告しかなかった日本の広告に、日本の公共問題に関心を寄せる公共広告をもたらした初の団体だったのです。

なおACは普通の会社ではなく、公益のために資する団体(公益社団法人)です。ACの会員である企業や団体、個人から会費を集めて運営されております。広告制作時には会員である製作部門に実費のみが支払われます。同じく会員である放送局や出版社は広告収入を得ていないので無料でACの広告を放送・掲載しております。普通の会社のCMが製作から放映掲載のために広告料を放送局や出版社などに支払うのとは異なります。

 

なお、似たようなCMを作る組織に政府広報がありますが、政府広報はあくまで日本政府という国策を代表する立場から広告をする組織です。もちろん公共広告と領域が被る部分もありますが、行政改革や領土問題、北朝鮮による拉致問題など公共の立場から外れた問題も取り扱うので、厳密に公共心に立脚した立場とは言えません。

同様の理由で、ACの広告と内容の被る、企業や団体の意見広告も公共広告とは言えない場合もあります。ACは公共広告でも、特定の団体の利益に与する広告を製作しない方針を立てております。ここら辺に公共広告とその他の差が見られます。

 

 

 

【日本の公共問題の歴史】

 

 

公共広告は公共問題を人々に周知するための広告ですが、その公共問題がどのように変化したかをACの活動と共に追っていきます。

 

ACの活動が始まった1972年当時、日本の公共問題はマナーの欠如や道徳心の低下、福祉問題、ゴミ問題でした。AC第一号の広告は映画評論家でテレビ朝日の「日曜洋画劇場」の解説役として有名であった淀川長治氏が出演されたものでした。そこで淀川氏はタバコのポイ捨てを例にマナーを心得る大切さを訴えます。

 

このあとACの活動規模は大きくなっていき、わずか数年で年に数十本の作品を作るに至りました。

 

その中でACの扱う社会問題は変化しました。1973年と1979年に国際情勢の変化によりオイルショックが発生しましたが、それはACの活動に大きな影響を与えました。オイルショックは日本経済に多大なる影響を与え、高度経済成長にストップをかけ一転自粛や省エネの機運が高まりました。そして、不況に入り人々の将来への不安は高まり、薬物乱用や自殺も社会問題になりました。

この時期のACの活動もこれに呼応し、広告では資源の有効活用や食料廃棄防止を訴えるほか、非行や自殺を防止するメッセージや、社会全体での共助を促すメッセージなどが発信されました。1981年には炭鉱が閉山し無人島化して間もない軍艦島長崎県)を題材に、資源を持たない日本のエネルギー事情を訴える広告を製作しました。

 

この後の1980年代には、校内暴力や非行、いじめなどの子供の問題がトピックされました。1983年には戸塚ヨットスクール事件が発覚し、1985年頃にはいじめ自殺が社会問題となりました。1989年には足立区コンクリート殺人事件が発覚し、未成年の凶悪犯罪への関心が高まりました。この頃のドラマや映画を見ても「金八先生」「スクール・ウォーズ」「僕たちの七日間戦争」など思春期の少年少女の悩みや苦しみが描かれております。

ACもこの頃にいじめ防止のキャンペーンを発表したり、「金八先生」で有名な俳優の武田鉄矢氏出演の非行防止キャンペーン等を発表しました。この時代は子供の教育問題に強く関心が持たれた時期でした。

 

また、1980年代後半にはACは全国キャンペーンに並行し各地域ごとのキャンペーンもスタートしました。これはACの各地方事務局によるものでした。例えば名古屋の事務局では、当時愛知県などで問題になっていた駐車違反の防止を訴えるキャンペーンが打たれました。また、軽犯罪が多発していた大阪でもコミカルにその防止を訴えるキャンペーンが製作されました。

 

時代が昭和から平成に移り1990年代になると、環境問題への関心が高まりました。水質汚染や森林破壊、生態系の改変に伴う絶滅危惧種の危機、などです。当時の国連の国際会議でも経済開発に関連して、環境問題が盛んに話し合われておりました。ACもこれに応じ「ウォーターマン」「森のニングル」「日本最後のトキ」などのキャンペーンを打ちました。

また、ここから社会のグローバル化に伴い、全世界的な問題や国際強調への関心も強くなりました。最貧国への援助、地球温暖化問題などがそれです。ACのキャンペーンでは「消える砂の像」「枯れる命の木」「HELP」がそれに当たります。

 

同時にこの頃から、ACの活動は医療問題へより注力するようになりました。献血アイバンクは昭和時代からキャンペーンを行っておりましたが、それらに加え骨髄バンクや臓器提供、ポリオ、白血病脳卒中エイズ、肝臓疾患などのキャンペーンも行うようになりました。

 

2000年代に入るとネット社会に入りネット上でのマナーを訴える作品も出てきました。ネット上での悪口や誹謗中傷の恐ろしさを訴えたり、それをする側の消えない罪を訴える広告が出てきました。そして通り魔や誘拐などの凶悪犯罪が増えたことで、それらに警戒することを訴える作品も作られました。人をシマウマに見立てて、集団下校を訴えた作品がそれです。

 

更に2010年代に入ると個人主義がより一層台頭し公共心の欠如が問題となりました。ペットが安易に棄てられる事案を取り上げた広告や110番や119番への緊急通報が急を要さない事案で使われる事案を取り上げた広告もこの頃に出されました。

 

このようにACの歴史は日本社会の歴史を反映しています。公共マナー啓発から省エネ、少年犯罪、環境問題、ネット社会、利己主義の台頭・・・と社会の変化を見てとれます。

 

特にACは公共心という立場から日本社会を見ているため、ACの広告は公共心とは何かを確認するためのいい例となっております。

 

 

【AC・次の10年は?】

 

 

日本のACは今年で設立から半世紀を迎えました。これまでの流れは既に述べましたが、この先はどうなるのでしょうか。

 

この先の日本社会は大改革に取り組むことを余儀なくされるでしょう。

新型コロナウイルス感染症の流行による影響はもちろんのこと、同時に人種差別や社会分断への対処に取り組まざるを得ないでしょう。IoTの浸透はますます進むでしょうし、全年代における教育の重要性はもっと強まることは避けられません。治安維持のあり方も変化することでしょう。日本はこれまで以上に変動することになるはずです。

 

そのなかで公共心のあり方も変動することになるでしょう。公共心に対する期待が膨らむ一方で、公共心への投資の重要性は見えづらくなると思われます。変革のなかで人々が翻弄されるなかで、自分の利益は見える一方で他人との関係や自分の立ち位置は見えにくくなるからです。

この中でACは公共心を発揮する上で、2020年代に危機を迎えるであろう「人間性」を自らが範を示しながら活動することになるでしょう。すなわちAC独自キャンペーン以外の外部の団体との提携によるキャンペーンにより傾いていくことになるでしょう。ACは分断がより進む社会の中で各団体の公共的メッセージを発信するための貴重な結節点の役割をより強めるのです。

 

また、ACの公共広告の範型が海外に輸出される可能性が考えられます。今の発展途上国において、公共広告はこれから新しく作られ始めるからです。公共広告は平時では高度経済成長の中で誕生するものです。高度経済成長ではたくさんの問題が発生し公益が大いに損なわれてしまうからです。新型コロナもその内の一つと言えるでしょう。新型コロナのような疫病は人が密集する高度経済成長のような国においてまさしく脅威ですから。

 

あくまでこれらは予測ですが、ACのレガシーとこれからの社会の変化と人々の危機を見ていくと、ACのこうした役目への期待はますます強まるでしょう。ACの次の10年はおおむねそうなるでしょう。

 

 

 

【おしまいに】

 

 

テレビを見るとたまに見るACの広告は数多くある広告のなかでも際立つ存在です。10年近く前までだと広告の最後の「エーシー♪」のサウンドロゴが公共広告の代名詞となっておりました。

 

ACの役割は現在のネット、マルチメディア時代において人々に今なお期待されているものです。ACに伝えてほしい問題というものがネットに書き込まれることがあります。(まあACは公益という、国益にも私益にも属さない領域に限り広告活動を行うのですが。)ACは公共という立ち位置にいるからこそ説得力のある強いメッセージを届けられるのです。

 

ACの広告は印象に残りやすい一方で怖いと言われることもあります。確かに明らかに怖あと思われてもおかしくない広告もあります。正直私も一部の広告は怖いと思いました。ですが、それはただの畏怖や脅迫ではなく自分がいずれ対峙する問題を的確に示してくるからという信頼の裏付けでもあります。ACがそういう団体であることは日本国民は誰でも知っているのです。だからこそ「怖い」のです。

 

これからは公共心は更なる危機を迎えますが、ACは公共心を代表する日本で一番有力な団体の一つとして危機を打破していくこととなるでしょう。

 

今回の記事は以上です。最後までありがとうございました。

 

2021年2月20日

【読書感想】「会計が動かす世界の歴史」

みなさまこんにちは、ずばあんです。

 

ここで質問です。みなさまは「簿記」や「会計」に興味はございますでしょうか。

 

私は実は簿記や会計に全く興味の無かった人間です。私の大学では会計や簿記に興味のある学生の人は沢山いらっしゃいました。日商簿記2級を取ろうとする人も結構いました。

しかし、私は会計に全く興味を持てず2度も会計学の単位を落としました。複雑なわりに会計の処理の目的が理解できなかったのです。会計の知識よりも、会計に興味を持った動機の方を教えていただきたいくらいでした。

 

そんな私がつい最近読んで面白いと思ったのは、「会計が動かす世界の歴史」という本でした。著者はブロガーで会計史研究家のルートポートさんです。この本を立ち読みしてチラッと見たときに面白そうだったので、全部読んでみたら最後まで楽しめる内容の詰まった本でした。

 

そして何よりも、会計に興味を持つ人の姿を手に取るように見れたことが最高のポイントでした。

そこで今回は「会計が動かす世界の歴史」の感想を述べていきます。

 

 

【内容】

 

 

「会計が動かす世界の歴史」は次のような、内容になります。

 

 

始めに、有名な偉人の話からお金簿記の話を取り上げます。

続いて、簿記が古代メソポタミア文明で文字が生まれる前に誕生したことを解説します。その後中世イタリアの共和制都市国家ベネチア複式簿記公証人制度が誕生した過程を述べます。しばらくしてイタリアの都市国家海上保険の原型が誕生したことを述べます。

このあと16世紀から18世紀にかけて、監査報告書や株主総会の誕生など、組織の外部の人が見るための会計が発達する過程を、歴史上の事件に絡めて述べております。

そして、19世紀にイギリスでの産業革命により鉄道事業が興り、それが公認会計士制度を産みさらには簿記理論が体系化されて会計学になるまでが述べられております。

最後に消費税や仮想通貨、AIについて触れ、日本経済の今後の展望を述べて本書を締めております。

 

 

このように本書は、具体的なエピソードを多用し、簿記や会計の誕生を物語形式で述べております。会計の授業や教科書では述べられない、簿記や会計を使う人の歴史がありありと描かれております。

 

簿記に欠かせないお金の歴史も詳しく述べられております。こちらは歴史を知らないひとでも楽しめます。歴史をある程度知っている人にも面白い内容です。

 

 

【感想・会計への疑問】

 

 

この本を読んで、大学時代に簿記の勉強をしているときに沸き起こった疑問や空虚感が消化されていくのを感じました。

なぜこの書表を作らなくてはいけないのか、どうしてこの項目が必要なのか、そもそも書表をどう使うべきなのか、そうした人に聞けない疑問に本書がどのように回答したかを述べながら感想を述べていきます。

 

①なぜ貸借対照表損益計算書が必要なのか

 

私が会計学を勉強していたときに、まず基礎として教わったのがこの貸借対照表損益計算書でした。この二つはそれぞれお金の出所とお金の動きの理由を表したものでした。

貸借対照表損益計算書はそれぞれ書表の左右が「借方」と「貸方」の二つに別れて記入されております。そして、この二書表の借方同士と貸方同士の和を求めると、お互いの値は一致するという仕組みになっているのです。

私がこの二書表を勉強しているときは、それぞれの別々の役目に気を取られておりました。

 

しかし、この本を読んで私は初めてこの両書表の役目を知りました。貸借対照表損益計算書は実は正確な簿記のための合い言葉だったのです。それぞれの役目よりも、それぞれの借方同士と貸方同士の和が一致することが一番重要だったのです。

 

簿記自体は古代メソポタミア文明のころから行われてきましたが、「正確な簿記」への要請は中世のベネチアから誕生したのです。これは当時共和制だったベネチアには王がおらず、商業をする上で信用を担保してくれる絶対権威たる「お上」がいなかったからです。このお上に変わって商人の信用を担保したのは数字や言葉の正しさでした。

それが中世ベネチアで正しい契約書を担保する公証人制度、そして正しい簿記を担保する複式簿記貸借対照表損益計算書を発達させたのです。

よって貸借対照表損益計算書は2つで1つの役目を果たしているのです。

 

② 沢山の種類の財務諸表ってなぜ必要?

 

さて今度はそれ以外の財務諸表がなぜ必要なのか気になります。キャッシュフロー計算書やその他諸々の財務諸表の名前は聞くのですがなぜこんなに財務諸表の数が増えていくのでしょうか。一体何のためにその財務諸表が必要なのでしょうか。

 

本の内容に戻ると、元々現代の会計の系譜は貸借対照表損益計算書に始まります。この時は自分の店の人間だけが見ることを目的とした簿記でした(日本の江戸時代の高度な帳簿もそうでした)。そこから諸々の財務諸表が作られた目的と切っ掛けは次の通りです。

 

17世紀にイギリスの貿易を一手に担うイギリス東インド会社が作られました。これは世界初の株式会社として作られましたが、世界初の株主総会もこの時行われました。この時から組織の内部情報としての簿記が、外部に向けた情報となったのです。

この時に外部の株主の関心事になったのは「今どれだけ現金があるか」なのです。これまでの貸借対照表損益計算書だけではそれが分からないので、今現金がどれだけあるかを示す「キャッシュフロー計算書」が作られたのです。ここで初めて株主向けの諸表が作られたのです。

 

また監査報告書もこの頃に作られましたか、これは「南海泡沫事件」が切っ掛けでした。この事件は18世紀のイギリスで起こった貿易会社「南海会社」による意図的な株価暴騰とそれによるバブル崩壊でした。これにより株式市場は混乱し南海の経営陣はイギリス政府により責任を問われ、世界初の監査報告書が作られたのです。

監査報告書とは会社の外部から会社の財政状況を分析評価して発表される会計報告書のことです。これは会社の社会的信用を保証するものです。

19世紀にイギリスで産業革命が起こると、この監査報告書はもっと複雑になりました。重厚長大型産業の誕生により「減価償却」の概念などが新しく生まれ、会計は専門知識となりました。これにより会計士のニーズが高まり会計士になる人が増加しました。デロイトなどの監査法人もこの頃誕生しました。

しかし、その中でモグリの会計士も増加したのでスコットランドで世界で初めて公認会計士制度が作られたのです。

 

このように組織の内部書類としての簿記から、株式会社の誕生やバブルの発生等を通じて、外部に公開する書類としての簿記に変化したのです。その過程の中で財務諸表は貸借対照表損益計算書の他にもあれだけ沢山増えたのです。株主向けの書類や他の企業向けの書類などいろんな立場に向けてそれぞれのニーズを満たした財務諸表が作られたのでした。

 

***********************************************

主な疑問は上の通りでしたが、ここまでで各財務諸表が作られた理由が分かり、スッキリした気分でした。

 

財務諸表のルーツとその発展過程は会計に最初から興味のある人に聞きづらいことでしたので、ルートポートさんのこの本はとてもありがたいものでした。

 

会計は勉強すれば面白そうで内容も濃厚なのは、実際に会計に興味のある人を見れば分かります。しかし、私自身が会計を勉強すればするほど、会計情報の意図がよく分からない部分も出てきてそれが置き去りにされる感覚があり、会計の勉強を途中で放り出してしまいました。

そのため会計学はしばらく関心の外にありましたが、この本を読んでみて会計に関心を持つ人々の気持ちが分かった気がしました。

 

 

【おしまいに】

 

 

この「会計が動かす世界の歴史」は会計との接点が薄い人が、会計への興味を深めるのにいい本であると思います。

会計学は覚える項目が沢山あり、暗記主体となります。諸表も種類が多く、用途がイメージしづらいものもあります。よって会計・簿記に取っつきにくい人もいます。

 

そんな会計・簿記を敬遠している人が、会計へ親しむためにオススメなのがこの本です。内容も物語調で会計、簿記とそれを使う人々の姿がよく分かります。

 

もし興味のあるかたはルートポートさんの「会計が動かす世界の歴史」を是非お読みください。

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2021年2月16日