ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

風刺画家ベン・ギャリソン【Qアノンの見る世界】

こんにちは、ずばあんです。

 

本日はとあるまとめサイトからある絵を発見したのでそれを紹介します。

 


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(作:ベン・ギャリソン)

 

これはアメリカの風刺画家ベン・ギャリソン(1957-)の作品です。ギャリソン氏はQアノンを自称しており、保守派・トランプ氏支持を標榜しております。

 

このギャリソン氏の作品は政治風刺をQアノンの視点から行っており社会的な反響も大きくなっております。今回はこのギャリソン氏の風刺画を元にQアノンの世界観を見ていきたいと思います。

 

 

【誰を描いているのか?】

 


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さてこの風刺画ですが、登場人物がかなり沢山出てきます。人?だけではなく建物が沼に沈み、文字も沼の中に浮いております。

 

一番手前の陸地にいる男性はあのドナルド・トランプ氏であり、横にはバキュームカーが停まりタンクには「トランプ沼清掃サービス」と書かれております。

沼の中にいる大きな悪魔には「ディープステート」と書いてあり肩にも「CIA(中央情報局)」「NSA(国家安全保障局)」と書かれております。

この悪魔はトランプ氏に向かって「おい!貴様やっていることが分かってるのか?」と言い放ちます。

沼の中の生き物を見ると、魚に模したヒラリー・クリントン(民主党)とビル・クリントン(民主党)、ラクオバマ民主党)、ジョー・バイデン(民主党)が泳いでおります。亀に模したジョージ・ブッシュ(パパブッシュ・政治家)も一緒におります。

沼に浮かぶボートにはMSMと書かれ三匹のネズミが乗っております。MSMとは「メイン・ストリーム・メディア」の略称でTVや新聞、SNSといったアメリカ国民によく見られるマスメディアを指しております。

 

左を見るとピザや五芒星、複数人の幼児を持っているタコに模したジョン・ポデスタ(官僚)や、双頭の蛇に模したバーニー・サンダース(民主党)とカマラ・ハリス(民主党)がおります。枯れ木にはハゲタカに模したジョージ・ソロス(投資家)が止まっております。遥か遠くを見ると右の方にはビル・ゲイツ(元マイクロソフト社長)がワクチンを持っております。

 

一番奥には左手に沈みかけたFRB連邦準備銀行のビルと右手に沈みかけた国会議事堂が見えます。

 

沼には文字も浮いており、GoogleFBI(連邦捜査局)といった有名なものやCFR(外交問題評議会)、UN(国連)、ロスチャイルド家(ユダヤ系富豪)、ビルターバーグ会議(世界の有力者による非公開の国際会議)といった馴染みのない言葉も浮いております。 

 

 

【何を言おうとしているのか?】

 

 

登場人物については明らかになりましたが、作家のギャリソン氏はこれで何を描こうとしているのでしょうか。

 

まず沼の中にいる悪魔「ディープステート(DS)」はアメリカの政界に巣くっているとされる大規模児童売春などを斡旋している犯罪組織であるとされます。このディープステートはあくまでQアノンの間で語られる陰謀論です。

この悪魔は体にCIA、NSAと書かれていることから、DSにはアメリカ政府の有力な諜報機関が関わっているということを示しています。

 

悪魔DSが支配するこの沼には民主党の政治家や民主党政権下での官僚、ITで財を成した実業家などが生息(関与)しております。タコのポデスタが持っているのはQアノンがアメリカ民主党と関わりのあると考えているものを示しております。

 

数の子供は児童売春を表しており、民主党の児童売春への関与説を主張しております。

ピザはワシントンDCにあるピザレストラン「コメット・ピンポン」を表します。この店の経営者が民主党支援者である事実から派生し、当ピザ店では店内で児童売春のための子供が監禁されているという陰謀論がトランプ氏支持者の間で広まりました。Qアノンの出現以前には陰謀論を信じた者がこのコメット・ピンポンをライフル銃で襲撃する事件を起こしました。

そして五芒星は悪魔信仰の印であり、民主党が悪魔と契約を結んでいるという説を示しております。これは一神教キリスト教を信じるアメリカの、特に信仰心の強い保守層にはまごうなき「悪」の象徴です。

 

DSの沼に浮かぶ「メイン・ストリーム・メディア」の舟はアメリカのマスメディアがDSの味方をしてトランプ氏を攻撃しているというイメージを表しています。

 

この沼に生息するハゲタカのソロスは、経営の傾いた企業の株価を操作し労せずしてお金を稼ぐハゲタカファンドとして、ソロスを非難するというメッセージになっています。

 

沼に沈むゲイツIT産業がDSとズブズブであるというメッセージであり、同じく沈むFRBと国会議事堂はアメリカの金融システムや民主政治がDSの手に堕ちているという意味になっております。

 

沼に浮いているGoogleなどの文字はどれも国際的あるいはグローバルな組織であり、DSの影響が国際的な連帯にまで及んでいるということを表しております。

 

このDSの沼を臨み沼掃除に来たドナルド・トランプアメリカからDSの闇を取り除きに来たヒーローとして描かれます。手段を問わずアメリカの政・財・産業界から悪をまるごと根絶やしにしようとする、Qアノンにとってのトランプ氏のイメージが表れております。

 

ギャリソン氏のこの絵に込められているのは、正義のヒーロー・ドナルド・トランプとその敵で国家や社会に巣食う巨悪・ディープステートとその一味の姿と悪行、というギャリソン氏の視点から見た世界なのです。

 

 

【ギャリソンの風刺画の感想】

 

 

このギャリソン氏のイラストは分かりやすく、Qアノンの視点からみた世界像が一目で理解できるようになっています。

 

政治的な言説というのは何物も前提条件が不可欠であり、それが政治的な論争を困難にしているところがあります。ですが、それを一目で理解できるように表されるのが風刺画というものです。

 

その切り取り方は様々ですが、ギャリソン氏の風刺画はQアノンの考えを一纏めで表現しその複雑なバックグラウンドを一目で理解できるようにした点で面白い貴重な作品であると考えております。

 

そのQアノンの世界観ですが、とにかく敵のディープステート側の構図が複雑で広範に渡っていることが分かります。民主党の党員のほか官僚、国会、中央銀行、外交部門、金融市場、メディア、グローバル企業、IT産業、新型コロナワクチン、国際組織・・・。

 

少なくともQアノンの人々にとっての脅威や不安の対象の代名詞としてディープステートが名指しされていることが分かります。それに対してその脅威に立ち向かうヒーローとして、脅威への反逆の代名詞として出現したのがトランプ氏なのです。

 

私はもしもトランプ氏が政界に進出しなかったらQアノンは結託することはなかったのかもしれないと思う一方で、Qアノンの出現は社会病理の必然でその方便が偶然トランプ氏だったのかもしれないとも思いました。

 

このギャリソン氏の風刺画はQアノンやトランプ氏支持者にとっての救世主物語を描いているものです。

 

これをただの作り話とするか世界の真実かと捉えるかは人それぞれだと思います。

政争というのはヒーローによって打ち倒して幸せがもたらされるような簡単なものではなく、国民の利害関係が複雑に絡んでおりそれを探らなくては勝利することが出来ないのです。

一方で政治というのは合理性のみで動くものではなく時には熱い理想が効果を生み出すこともあるのです。熱い理想に邁進しそれがどうしようもない事態を打破することもあるのです。

 

ただ、やはり政治には結果が付き物なので、結果にどう向き合ってどう先に進むかが重要になるというのが私の本心です。

 

 

【おしまいに】

 


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(別のベン・ギャリソン氏の風刺画)

 

この記事はQアノンの事を揶揄するものではありません。Qアノンの事を正しく理解するための物として紹介しました。

 

何事も知らないよりも知っていることが重要です。知ったかぶりして何かを語ることは弁解しがたい罪です。

 

特にQアノンの思想について知識としては知っていても直感レベルで理解できているか否かは確認しがたい事案です。ですがこのギャリソン氏の風刺画を通して、Qアノン自身による直感的なイメージを共有する試みはその壁を多少なり溶かす行為です。

 

もちろんこの行為に意味がないと考える人もいるでしょうしそれを私は否定しません。ただ私はよく人を知らない癖に他人を断罪するのが好きではないので(というよりトラウマがあるので)、知識を深めた上でQアノンに対する見方を定めたいと思ったのです。

 

ちなみにギャリソン氏の風刺画はほかにも沢山ございますので、興味のある方は「ベン・ギャリソン」「Ben Garrison」で検索していただければそれらをご覧になることができます。

 

それでは最後までありがとうございました。

 

2021年9月3日

 

 

【読書感想】「異邦人」カミュ


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こんにちは、ずはあんです。

 

以前私はフランスの作家アルベール・カミュの「ペスト(La peste)」の感想を述べさせていただきました。

今回は同じ作家の「異邦人(L'etranger)」を読みましたので感想を述べさせていただきます。

 

こちらは1940年に発表され、「ペスト」の製作前の作品に当たります。不条理文学の代表作に挙げられるものであり、その内容は文庫版で130ページ程と短くも濃密で強烈なものが伝わってきます。

 

今回も平易な言葉で私自身の感想を述べていくように心掛けていきます。

 

【内容】

 

(第一部)

 

今日ママンが死んだ」という語りから始まり、主人公のムルソーが自分の母親の葬式に出るも感傷に浸る様子は無く手速く葬式を済ませてしまう。

 

葬式の翌日にはムルソーは女友達のマリィと海辺で遊び映画を見て一晩を過ごす。「休暇」も終わるとムルソーはいつものように仕事をし、いつものように友人と語る。アパートに帰るといつものように同じアパートのサラマノ老人と飼い犬の老犬とが喧嘩している。するとムルソーに同じ階の住人の男レエモンが話し掛け、レエモンを騙した女に報復をすることを相談する。

 

それから一週間いつも通りの日常が続き、ある夜ムルソーはマリィと自分の部屋で過ごしていた。するとレエモンの部屋から怒号と泣き声が聞こえた。レエモンが女に報復したのだ。レエモンの部屋に住人と巡査が集まり一時騒然とした。そちらが一段落すると、今度はサラマノ老人の飼い犬がいなくなり探しているという。

 

後日、ムルソーにレエモンは日曜日に自分の友人の家に遊びに行くことに誘う。同時にレエモンは復讐した女の兄とその他のアラビア人一味からつけられていると告げられる。

 

それから数日の間に、ムルソーは会社より転勤を提案される。マリィはムルソーに結婚について匂わされる。サラマノは老犬を未だに見つけられていないという。

 

日曜日、約束通りムルソーとマリィはレエモンとレエモンの友人宅に向かう。道中レエモンをつけているアラビア人一味を確認する。

彼らはレエモンの友人マソンの家に着く。彼らは海辺での遊びを満喫する。昼過ぎ、ランチのあとムルソーとレエモン、マソンが三人きりでいるとアラビア人一味がこちらに向かってくるのに気づく。お互いに対峙すると乱闘が始まり、レエモンは匕首で腕を切りつけられる。アラビア人はそのまま去る。レエモンは傷の処置をする。

その後まだ例のアラビア人らが居るのに気づきレエモンは拳銃を持ち対決しようとするが、ムルソーはレエモンをなだめ拳銃を取り上げる。

直後一人になったムルソーはアラビア人一味の一人がムルソーと対峙したのに気づく。匕首を抜いたアラビア人に対しムルソーはレエモンの拳銃を撃つ。アラビア人は倒れそこにムルソーは加えて4発撃つ。

 

(第二部)

 

殺人で逮捕されたムルソーは数日にわたり判事の尋問を受けた。逮捕から八日目にムルソーの国選弁護士が来た。弁護士はムルソーに殺人の日までのあらましを尋ね、ムルソーは無機質ながらも答える。

ある日ムルソーは進展の無い判事からの尋問で、判事から十字架を向けられ神に罪への懺悔を求められるが、自分は無神論だと断る。11ヶ月の拘留を経てムルソーは刑務所に移送された。

 

刑務所に収監されてしばらくしたある日ムルソーのもとにマリィが面会に来た。面会者とと囚人がそれぞれ一同に会する面会室でマリィとムルソーはレエモンの様子や自分達の結婚について長からずも話した。

その日からのムルソーの監獄生活ははじめは苦痛や不自由を感じつつも、段々囚人らしく順応していった。

 

ある年の6月、ムルソーの裁判が開かれた。多数の群衆が詰めかけ被告人のムルソーに注目が集まる。

裁判ではムルソーの弁護士や検事などが弁舌を振るい、ムルソーの関係者が証人として証言を語る。検事はそこでムルソーの「悪辣外道な犯罪者」の物語を作り、弁護士はそれに反論する。

ムルソーはその裁判が自分不在で進むのを感じた。検事はムルソーを悔悛が見られない重罪人とし死刑を求刑した。裁判長はムルソーに何か言い残すことは無いかと尋ねた。ムルソー殺人に意図はないと答えた。裁判長が改めて殺人動機を尋ねるとムルソーは「太陽のせいだ」と語った。その後も裁判は続いたがムルソーには死刑判決が下った。

 

判決後のムルソーは判決から処刑に至るまでのことを考えてた。御用司祭との面会も拒否していた。続いて特赦請願のことを考えつつ人生の長さに違いがないことを思っていた。

 

ある日ムルソーがマリィのことを考えていると御用司祭が面会に来た。御用司祭はムルソーにいくつか問いかけをするもムルソーは無機質な返答を返す。御用司祭はムルソーを憐れんだが、ムルソーはそれに嫌悪感を感じた。御用司祭は神への罪や神の苦悩、罪を犯さなかった場合のことについて語るが、ムルソーはそれらに意を介さなかった。御用司祭がムルソーは何も分かっていないと発言をした時、ムルソーは激昂し御用司祭に掴みかかった。

神への信仰と不信仰の間に差はなく、敬虔なキリスト教徒と無神論ムルソーの間には善意や罪の差はない・・・。

このような旨を憤怒しながら吐露したムルソーはその夜「この世の優しい無関心」の中で幸福を感じ、そして処刑の日に群衆が自分を憎悪の叫びで迎えることを望んだ

 

(おわり)

 

 

【感想】

 

 

さてこの「異邦人」ですが、強烈な印象と難解なテーマが特徴です。難解というのは、「異邦人」で感じ取ったことを言語化することの難儀さを差します。

 

特に主人公ムルソーの人物像がかなり特殊です。ムルソーは市井で日常生活を送りつつも、愛する母の死に淡白でかつ自身の起こした殺人とそれに対する処刑に対しても淡白な反応です。それどころか殺人犯ムルソーと(仮に殺人を犯さなかった場合のムルソーも含めた)罪を犯してない市民の人生に大差はないと言わんばかりの態度を示します。

 

なかでもムルソーの前に出てくる神の権威を振りかざす人々(検事、御用神父など)と無神論ムルソーは好対象でした。人々とムルソーの問答と慟哭は難解なこの小説の中ではハッキリと登場人物の思想や立ち位置を見せつけてきます。

 

 

ここからは項目を分けつつこの本の感想を述べたいと思います。

 

〈1. 無神論ムルソー

 

この小説いちの謎である主人公ムルソーですが、この男のキャラクターは「無神論」の一言で説明されます。それゆえにムルソーは理屈では簡単に説明できても、頭がそれを受け付けないのです。

 

私たち日本人の場合はなおさらです。日本人では特定の宗教にこだわらない「無宗教」は沢山いても、神との絶交を誓う「無神論」者はほとんどいないからです。これまでの日本の歴史や文化、風土では生まれがたいものなのです。そのためムルソーは日本人から見て奇特なキャラクターなのです。この事については私が以前に書いた「無神論無宗教の違い」(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2021/07/18/014153)で詳しく説明しております。

 

ムルソーキリスト教徒でもイスラム教徒でもなく無神論者として、自身の日常生活と神との関与が無い生活をしております。母親が死んでも悲しみなどの感情を見せず喪にも服さず、すぐに日常生活に回帰していきます。

逮捕から裁判、死刑判決後にかけてもムルソーは神や正義には無関心を決め込み、それらに従う振りをして自分に有利に裁判を動かそうともしませんでした。

 

しかし彼は職場でもプライベートでもそこまで大それておかしな生活を送らず、交友関係もありました。作中に出てきた女詐欺師やアラビア人一味の暴漢に比べればムルソーは無害な人間なのです。実際に裁判ではレエモンやマリィなどが証人としてムルソーの潔白を訴えました。そのためムルソーは変わり者ながら親しい人間からは信頼を寄せられている人間なのです。

 

それに彼は無神論者でなければはね除けたりするであろうものを自然に受け入れておりました。彼はサラマノ老人と老犬の日常的な諍いをさも当たり前の光景のように見ていましたが、それは無関心や疎遠ではなく本気で普通の関係のひとつとして見ていたのです。また女遊びの激しく暴力的なレエモンにも物怖じしたり屈服せず対等な人間として受け入れておりました。

ムルソー無神論者として神や既存の道徳から縛られない生活をしておりましたが、放埒で退廃した生活ではなく、不思議と普通の生活を送っていたのです。

 

その事から彼は不条理に身を浸しながら不条理を幹とする不思議な人間像なのです。

 

 

〈2. 殺人動機は 「太陽のせい」?〉

 

 

この小説の不思議な部分は、ムルソーの殺人動機の「太陽のせいだ」という台詞にあります。これは本当に理解しがたい台詞で、作中でもその台詞は周囲の群衆に理解されず嘲笑されます。

 

私もこれは難しいと思いましたが、これは「ある構造」を前提とすれば整然と理解できるものでもありました。

 

まず結論から申し上げますと、ムルソーの殺人動機は「相手のアラビア人に”殺さない理由”が無かったから」なのです。ムルソーは自分に殺意を向けたアラビア人と対峙し、生き残るために拳銃で殺害したのです。ムルソーにとってそのアラビア人はその瞬間から「生かす理由が無くなった者」になったのです。

 

そして「太陽のせいだ」というのはそんな訳がないという前提のもとで、そこに理由が「ある」だろうと考える周りの一般の人々への嘲笑を込めた皮肉なのです。

 

ただ、これだけでは説明が不十分です。日本人の常識に則れば、このムルソーの思想が生まれた背景がまだ分からないからです。

 

ここからキリスト教社会における道徳の話になります。

 

キリスト教社会では唯一絶対な「神様」はこの世を創造し、この世の規律を生み出し、この世の恩恵を授ける存在です。つまり神様人間を人間たらしめている存在で逃げがたい存在です。道徳も神様が生み出したものと考えます。

逆の言い方をすれば、この世が創造されることやこの世に規律があること、この世に幸せがあることを認めることは神様の存在を認め、信仰を認めることになります。

故にキリスト教社会ではこの世の創造・規律・幸福の事実と唯一絶対神の存在と信仰はお互いに関連しあい真であり、その矛盾を唱えることは許されないのです。

 

その上でムルソー無神論者なのに普通の人間と同じ生活をしており、キリスト教社会では「矛盾」をはらむ存在です。ムルソーの最後の慟哭でキリスト教信者とそこから外れた者を差別することに憤りを覚えていたことが分かります。具体的な理由は語られませんが、おそらくムルソーキリスト教社会の矛盾を感じつつもそれを代弁する言葉を取り上げられるという実感があったのかもしれません。そしてムルソーはそれを人に伝える気力もなくなり一見すると無機質な人物像が出来上がったのでしょう。

 

何かしらの理由で神と縁を切ったムルソーキリスト教社会とも絶縁し、道徳や世界の意味、世界の因果を他人と共有できなくなったのでしょう。それらを他人と共有するのはムルソーにとっては忌々しいであろう「神」との契約を意味します。

無神論者として生きる道を選んだムルソーは、殺人を犯したあの日は「アラビア人を殺さない理由がなかったから」殺したのです。尋問や口頭弁論では神の授かり物たる言葉を信じず語らず、無神論者の言葉で語りました。殺人動機も「自分のような無神論者のことも分からないキリスト教徒の人々にとって分かるような)殺人の意図は無い」「人間の世界の所業に何でもかんでも意味や理由を付与したと騙る神の信者の言葉で言えば)太陽のせいだ(と言えば満足だろうか」と語り、無心論者の自分を理解できない周りの人間に対する軽蔑の詰まった皮肉を言い放ったのです。

 

 

〈3. 「異邦人」って何?〉

 

この小説のタイトルは「異邦人(L'etranger)」ですが、これは一体何を表しているのでしょう。

 

異邦人とは議論するまでもなく「違う国の人」という意味です。

小説の舞台はフランス領アルジェリア(当時)です。この小説にはフランス本土からの人間が出てきておりますが、それを異邦人とは描いておりませんし重要人物でもありません。また現地住民としてアラビア人も描かれておりますが、特に民族間の摩擦について強調している描写もありません。むしろ一市民として溶け込んでいる感じも見られます。異なる民族が入り交じることによる分断にクローズアップしているわけでもなさそうです。

 

ここまで来れば異邦人が誰か絞られてきました。ここで言う異邦人とは主人公・ムルソーのことです。ムルソーは小説内で一番浮いた存在で、無神論者として神の権威や道徳、因果律に背いて生きております。ムルソーの口から語られる言葉にもそれが滲み出ており、ムルソー自身がそれらと形而上学的に伍するつもりが無いことが現れております。

 

そんなムルソーにとって、今暮らしている所は昔から住んでいるところであり通常であれば故郷であり本人にとってもそれは間違いではないといえます。

ではその事実をもって、自分の故郷はよその土地と比べて特別かと言われればそうではないといえます。無神論ムルソーは他の市民と折り合えない部分があり、それを奇妙な視点で見る人は多かったと思われます。それはあたかもよその土地でよそ者として見られるかのようにです。

そのためムルソーにとってはこの世界は全て異国であり生きている限りそうなのです。この世界においてムルソーはどこでも「異邦人」なのです。

そのムルソーにとって自分の「国」ではないキリスト教社会は異国であり、自分によってたかってキリスト教社会に引き込む人々とは折り合えないのでした。神の名において悔悛を迫る人々、母の葬式で特別に心を痛めない自分を奇妙なもののように見る人々・・・、それらはムルソーに対する凌辱でした。

そんなムルソーが死刑判決を受けた時、彼はこの異国から実質的に追放され、ムルソーキリスト教社会から自由になったのです。「この世の優しい無関心」に幸せを覚え、処刑の日に群衆が自分に憎悪をぶつけることを望むのは、もう異国と偽りの契りを結ばずにすむからです。異邦人たるムルソーが異国と真の意味で縁を切り、異邦人の安寧の地を得ることが出来たからです。

 

したがって、この物語はこの世の異邦人たるムルソーが異邦人の安寧の境地に至る物語だったのです

 

 

【おしまいに】

 

 

この「異邦人」は一見すると難しい話ではあるものの、ただ普段無視されがちな矛盾や苦痛を強烈に描写している作品だと思いました。なぜ宗教、道徳、社会規範は自分の中の違和感を語ってくれないのか、そんな物に交わって暮らしたくない、そのような叫びが聴こえてきそうな作品でした。

 

最近はコミュ障、社会不適合者、陰キャ・・・という言葉が生まれるほど、個人と社会との摩擦を感じる人が少なくないことが明らかになってきました。その理由は様々でしょうが、この「異邦人」は少数とはいえない人々の感じるそのような違和感や不条理をありありと表現した作品であると思いました。

 

そして、そうした感情の吐き出しどころまでも何者かに封殺されており抑圧されているという現状も表現されておりました。ムルソーの殺人から処刑まではその部分をかなり強調して描いております。これは、そこまでしないとムルソーの思想や信条を人々に分からしめられないほどムルソーに対し何者かによる「言論弾圧」が甚だしいことを強調しているものと思われました。

 

あるいはそうした社会規範から外れる行為が社会では「殺人同然」の行為として語られる一方で、本人からすれば安寧の地への旅立ちであることを描いているのでしょう。

 

これをどう思うかは人それぞれですが、この作品がこの世界で暮らす人の誰かを代弁していることは間違いないはずです。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

2021年8月18日

いじめへの「償い」とは?

こんにちはずばあんです。

 

東京オリンピック2020も終わってこれからはパラリンピックが行われます。

 

さてここで思い出すのがあの小山田圭吾さんのことです。小山田さんは過去に雑誌の取材で少年時代のいじめを告白し、その事がオリンピック開会式の音楽担当となった小山田さんへのバッシングとなりました。小山田さんは最終的に担当を辞退しましたが、今でも小山田さんの動向は注目されております。

 

さて小山田さんはこのバッシングの最中、この件について声明文を出しました。その中で「今からでも自分がいじめた本人を探し出して謝罪したい」と述べました。

 

しかし私はこの声明文を見て、誰に向けた声明文なのだろうかと思いました。いじめた相手に対する謝意に見せかけた、世間に対する弁解の文書のように私は思いました。もちろんオリンピックの開会式の音楽担当という身分で迷惑をかけたことは事実です。ですが、そこでいじめの反省の弁を述べるのは償いではなくバッシングを沈静化させたいという魂胆が滲み出ているように思いました。

 

私はこの件で改めていじめの償いの件について考えさせられました。今回はこの件について語らせていただきます。


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【いじめは償えない?!】

 

 

いじめの償いとは「賠償」という言葉からイメージ出来るように、いじめで与えた苦痛を治癒するのに見合うことをすることです。

謝罪はもちろんですが、いじめた相手の名誉や精神的苦痛や身体的苦痛で失ったものを回復する行動はいじめへの償いといえます。

 

ここでいじめの償いと言いますと、償いが終わると双方が和解して仲良くなるイメージがあると思います。それまでの罪が完済され双方の関係には過去のことはさっぱりと無くなるというイメージがあると思われます。

確かに現実にそうなることは望ましいですが、実際にはそうしたいじめの償いの終わり方は無いと思われます。

 

というのは、いじめによって改変された、あるいは壊されたいじめられた方の人生は返らないからです。人間に対する信頼感、大切にしていたもの、大事なことに打ち込む時間など一度壊したものは返らないからです。場合によっては精神疾患などの後遺症が残ることもあります。

 

それに失ったものが後から分かることもあります。そしてそれがすぐに言葉で表現できるものではなく、分析の手間をかけてようやく分かることがあります。分かった時はまだましでしょうが、それまでのいじめた相手の苦痛や身の潔白はどうするつもりでしょうか。その間の出来事に責任を負えるのでしょうか。

 

先程いじめの償いは失ったものを回復することと述べましたが、実際には無理だといえます。失ったものは原則返りませんし新しいものを築くほか無いのです。だからいじめの償いで失ったものを回復するという出来もしないことを償う相手に宣言することは、相手に二重の苦しみを与えることとなるのです。

 

失ったものは返らないこれがいじめの前提です。

 

 

【「償いをしてやった」という気になる罪】

 

 

いじめの償いをお互いが「元通りに回復すること」と考えることは、私は傲慢だと思います。

先程申し上げた通りそれは不可能なことであり、そこには新しいものが作られるだけです。その事に目を向けず自分はいじめを償うと言う「権利」があると思う人は沢山おります。

 

いじめの償いが出来ると思う人は、自分は相手のダメージを回復できると認識しており、相手にそれを施すことが相手の利益になると考えております。しかしそれは誤りであると思います。

 

いじめのダメージというのは基本的には回復できないものですが、それを回復出来ると思うのは相手がそこまでダメージを負うことが間違いなのだと考えている証なのです。それは自分の罪を測れておらず、その罪を相手に転嫁するのに等しいことなのです。

もちろんそこまで考えてなかったという人もいるでしょうが、私が思うに「お前のせいで自分は恥をかいた」と言っているのと同じことなのです。

 

これは第三者にもお伝えしたいのですが、いじめられた方はいじめた方と「元通りに回復する」理由はないのです。この問題提起は勝手にいじめっ子がいじめを仕掛けたことから始まっているのです。もしそこでいじめっ子との関係の「回復」を目指せば、いじめっ子はいじめられっ子に試練を課してやった神様のような存在になるのです。何様のつもりでしょうか。自分が主人公の神話を描くためにいじめをしてきたのでしょうか。

 

もちろんこれは、いじめられた方はいじめ対策をしなくていいということではありません。むしろそれはした方がいいと思います。ただそれはいじめっ子のためではなくいじめられた方の為なのです。誰か他人のためではないのです。本人のいじめ対策の意義にいじめた方の影が出てくることがマイナスなのです。

 

もしかしたらいじめた方はそれで自分が犯した罪への償いを支払うことが出来ると思っているでしょうが、いじめられた方からすればそれに巻き込まれることは屈辱です。こういうと「社会ではそういう場面が出てくる」という弁解をする輩もいますが、いじめた方はいつから教師や牧師や裁判官になったのでしょう。その人にとって罪の償いとは自分のやったマイナスをプラスのことにごまかして、恩を売ることでしょうか。恩着せがましい発言です。

 

いじめた方の中には不満があるなら言えと言わんばかりの態度で臨む者もおりますが、それで建設的なことを言ってくれるのは余程仲の良い部類であります。実際にはいじめで信頼関係を壊した者にそんな「答え」を提示する謂れはありませんし、それに気づかない人間と関係を「回復」することは損害なのです。この時点でいじめた方にいじめを償う権利は無いのです。

 

「償いをしてやる」と言わんばかりの態度とはこの事を指すのです。

 

 

 

【いじめからの立ち直り≠償われること】

 

 

さて、次はいじめられた側の話をします。

いじめられた方が立ち直っていくことが大事なのはもちろんですが、そこで覚えておくべきなのは「いじめた方を許す必要は無い」ことです。

 

いじめた方はいじめをした時点でいじめを償う能力を喪失しております。そのためいじめた方に対する不信感や不快感を解消する必要はありませんし、その手続きはいきなりすっ飛ばしていいのです。

 

これはお金の貸し借りと同じです。お金を借りてどう考えても返せない人は最終的には自己破産します。自己破産した人は自分の負債が無くなる一方で、公式に社会的な信用が無くなり今まで出来ていたことが不可能になります。クレジットカードは作れませんし、ローンを組めませんし、お金を借りることはもちろんできません。

 

いじめた方もそれと同じく、相手方からの信用を失い関係回復や償いも含めて人間関係に関する行為を取り合ってもらえなくなります。償いはもちろんできません。だからいじめた方を許す努力はしなくてよいのです。

もしかしたらそれに対していくらなんでも可哀想と思われる人もいるでしょうが、そう思うのであれば出来もしない償いをさせることの方がもっと可哀想だと思います。このあとお伝えいたしますが、別のケジメの付け方を早くさせる方が余程いじめた方への思いやりだと思います。

 

話が横道にそれましたが、いじめられた方は今後いじめられないようにどう工夫するかが必要だと思います。それが出来なくなることはそれこそ自分を傷つけることになります。

 

しかし、そこでいじめた方のいじめのお陰でそうしたのだと思い込んだりする恐れからなかなか実行に移せない人は多いと思います。実はずばあんもそれで苦しんだ一人でした。そのためこの苦しみを以ていじめられた人を「ダメなやつだなあ」と呼ぶことは冗談だとしても絶対に許しません。私たちは見世物ではないのです。

 

ですがそこから抜け出す方法があります。それは・・・いじめから立ち直ろうとすることを辞めることです。

 

私は別に言葉遊びでそういうことを言っておりません。いじめから立ち直るのは自分のためにやるのです。そこには本来よその誰かに誓うものはないのです。受験や就職をする上で、あるいはそれを諦める上で自分に決める権限があるのと同じで、本来は人がどうこういう権限は無いのです。いじめからの立ち直りも同じで他人に誓うものではなく自分が納得した方に動くものです。

 

それにいじめから立ち直るというのはもとの状態に戻ることではなく、新しく力を得ることなのです。全く元の状態に戻り「成功」するのではなく、「失敗」しつつも新しい人生を築くことがいじめられた方の真の回復です。そこではいじめから立ち直ることを目標にすることの有無は関係なくなります。むしろいじめた方という信用のない者が自分の人生に深く関わるより、それをどうでもいい者として扱う方が幸いかもしれません。

 

さて、ここでひとつ弁解しますと、私はいじめから元通りになることを全否定している訳ではありません。結果としてそうなったのであればそれは喜ばしい話です。ただ、それはいじめからの立ち直りのパターンの一つでありそれだけが喜ばしいエンドではないのです。最初から元通りになることを目指すよりもそれ以外でもいじめから立ち直る道筋をとらえた方がいいと私は思いました。その上で元通りになれたならば否定する理由はないと思われます。

 

 

【いじめた方の真の「償い」とは】

 

 

ようやくここで結論となりますが、いじめた方は今後どうすればよいのでしょうか。

 

小山田圭吾さんの件では小山田さんは少年時代にいじめをした後にいじめた方に償いをせず、それを自慢気に雑誌で語るという行動に走りました。そのあとも事態の風化を望み続けた果てに今回の騒動になったのです。

 

これは私が望む結末ではありません。いじめの償いが出来ないから償いをしないというのは、これからも元いじめっ子として開き直ったり悦に入ることではないのです。そして、その風化を望むことでもないのです。いじめを償いたいという気持ちは捨ててはいけないのです。

 

ではどうすればいいのかというと、何にせよいじめた相手とは一度絶交しましょう。絶交して一旦赤の他人同様になりましょう。

 

いじめというのは双方の関係性の不全、すなわち折り合いの悪さから始まるのです。親しくなった実績がないのにいきなり親しかったかのように考え、そうでないのが悪だと考えるからいじめをするのです。だからいじめを辞めるには一度絶交する、というよりは元からそうであってそれを拒む権利がないことを受けいれましょう

 

そこから縁が遠くなるか、新しく仲良くなれるかは一度絶交してからの話なのです。そうでないといつまでもいじめをしてしまうのがいじめる方のありのままなのです。そんな関係性だから初めからいじめを「しない」ことが出来なかったのです。だからいじめた後の双方の関係をそのまま回復するという営みは、いじめる方にとっても利益のないことなのです。

 

これはいじめをした人で償いを本気で考えている人に特に聞いてほしいことです。いじめをする時点でいじめを償って関係を繋ぎとどめる能力は無いのです。そのため本当に償いをする気持ちがあればまずは向こうとの関係性をリセットするべく一度絶交して、その上で相手と新しい関係性を築くことに移ってほしいのです。

 

これはいわば新しい自分になるようなものです。いじめをした本人には自分自身というのがあるでしょうが、それが相手にとってもそうではないのです。相手は自分の行為だけを自分として見ているのです。いじめもその一つです。だから、いじめを辞めることは、相手との関係性を一度打ち切り、いじめっ子である自分を一度殺すことなのです。

 

その後にどうするべきなのかは、申し訳ありませんが各自で自分がこれまでどのようにして作られ生きてきたかを探るほかないと思います。人がいじめをしない理由に対して、いじめをする理由は無尽蔵にありそれぞれ理由が異なるからです。自分がいじめをした理由は自分に特有なのです。

 

これで最後になりますが、自分のいじめの責任を人に擦り付けるのは当然アウトです。しかしいじめの原因を自分以外のところにも求めること自体は悪くないと思います。自分という人間は人から影響を得て作られていますので、その前提は間違ってはいないと思います。

 

その上で自分の責任を果たすというのは、自分がまともな人間になるために努力をすることです。その努力には自分の回りの人間関係を改めることも含まれます。環境を変えることも努力に入ります。悪い人間と絶交することは難しいと思われますので、その時にはその事で人の助けを借りることも大事だと思います。

 

いじめを真の意味で償うことは出来ませんが、いじめた相手を思い行動し反省することは出来るのです。

 

 

【おしまいに】

 

 

内容は以上です。

 

前回の小山田圭吾さんの記事からの派生記事ですが、小山田さんはいじめの反省や償いが出来てないのにそれが出来たかのように振る舞ったのが罪なのです。

小山田さん以外の人物でも、いじめの償いはしたいという人間がいてもそれを出来た人間は未だ見ておりません。そしていじめられた方は何となくそれに気付いているのです。

 

私も意地悪ながら「傷付いた人間のことも考えず壮大なパフォーマンスだな」と正直思いました。いじめられた人間はいじめた方の名誉回復なんぞに関わりたくないのです。

私も昔いじめとまではいかなくとも、自分に不愉快なことをしてきた人間を謝罪してきたから許したことがあります。しかし、その後も根本の部分が変わらずいつ自分にまたそれをやって来るか気が休まらず、その人間をさも立派な人間のように立てるのが正直苦痛でした。その人と別れてから時間は流れておりますが今も少し後悔しております

 

いじめでなくてもそこまでのダメージを与えるのに、いじめならば尚更なのです。だから文字通りいじめを償おうと本当に目指すことは、いじめられた方に対する更なるいじめなのです。

 

だからいじめが起きたときは償いではなく反省と関係の解体をまずしなくてはなりません。地味かもしれませんが、それが出来ないならばいじめの償いをしたいという言葉は軽々しいこと甚だしいでしょう。

 

とはいえいじめの過去がある人をいつまでもそれを理由に問責するのはいくらなんでも酷だと思います。いじめは本来は二者間の問題であり、それ以外の人間が当事者の意思なしに何か行動を起こせることはないからです。

 

いくらいじめが償えないからといって、永久にその事実をほじくり返すことはそれもまた新たないじめであり、反省から遠ざけ小山田圭吾さんのような開き直った人を産み出すことになります。

 

何にせよいじめが終わってもなおいじめで苦しむことが少なくなるようにすることがいじめの総括だと思います。

 

本日も最後までありがとうございます。

 

 

 

2021年8月13日

福岡市周辺の鉄道の歴史

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こんにちはずばあんです。

 

本日は福岡の街を走る鉄道の話をしたいと思います。

 

私は学生時代は福岡市で生活しており、鉄道もよく利用しておりました。元より鉄道が好きであった私はその時分に福岡の街を走る鉄道の歴史を調べてみました。

 

そこで発見したことを今回まとめてみました。

 

【今の福岡市内の鉄道】

 

 

現在福岡市を走る鉄道は次のものがあります。

 

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旅行info「福岡県鉄道路線図」より

まず、福岡市内一の規模を誇るJR博多駅からはJR鹿児島本線が小倉・門司港方面と久留米・熊本方面に延びます。また、JR篠栗線鹿児島本線吉塚駅を経由し篠栗・飯塚に延びております。新幹線も山陽新幹線が小倉・大阪・東京方面に、九州新幹線が熊本・鹿児島方面に延びます。

 

福岡市中心部には福岡市営地下鉄の路線が3路線走っております。まず空港線は市西部の姪浜から中心部の天神・博多駅を経由し福岡空港へ通じております。箱崎線は市中心部の空港線中洲川端駅から市東部の貝塚に通じております。そして七隈線は中心部の天神南から南下し七隈を経由し市南西部の橋本に至ります。

 

中心部の天神の西鉄福岡(天神)からは南へ向け西日本鉄道天神大牟田線が久留米・大牟田に延びております。

 

市郊外の駅からの路線ですが、市西部の姪浜駅よりJR筑肥線筑前前原・唐津方面に延びており、筑肥線と市営地下鉄空港線はお互いに乗り入れ運転をし一つの路線のように運行されております。JR鹿児島本線香椎駅からはJR香椎線西戸崎方面と宇美方面に延びております。 市営地下鉄貝塚駅からは西鉄貝塚線西鉄新宮駅まで延びております。

 

このように多彩な福岡市内の鉄道網ですが、ここまで立派な路線はどの様にして作られたのでしょうか。

 

 

【福岡の鉄道の始まりから】

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今ある福岡の鉄道で、また九州で最初に作られた鉄道はいまのJR鹿児島本線でした。

 

この路線は、初めは1889年(明治22年)に当時の九州鉄道が博多と千歳川筑後川の北側、久留米駅の手前)の間で開業した路線でした。翌年には博多駅の北側へも赤間まで鉄路が伸ばされました。以後順次延伸や路線指定変更を経て1927年には門司港=博多=鹿児島間の国鉄鹿児島本線(当時)が全線開通しました。

ちなみに博多駅は当初は今の地下鉄祇園駅の位置にあり、今よりも博多の古くからの街に近い位置にありました。それが今の位置に移転したのは1963年のことでした。移転当時は博多の街の郊外であり駅以外に何もない場所でしたが、次第に近代的なビルが立ち並ぶ大都会の風景に一転しました。

その後山陽新幹線が1975年に博多駅まで達し、博多=東京間が新幹線で通じ福岡から東京へ鉄道でその日の内に行けるようになりました。2011年には鹿児島からの九州新幹線が博多まで達し、東京=博多=鹿児島間が新幹線で結ばれることになりました。

 

博多駅から出るその他の路線は篠栗線と市営地下鉄空港線です。

 

篠栗線はかつてはその名の通り篠栗駅が終点でした。明治時代に当時炭鉱があった篠栗周辺から石炭を運搬するための路線でした。その後篠栗線篠栗と飯塚の間の八木山の峠を長いトンネルで繋ぎ、1968年に筑豊本線桂川駅まで延伸開業しました。これにより篠栗線は福岡と飯塚を結ぶ路線となったのです。

 

市営地下鉄空港線は1983年に姪浜から博多まで開業し、1985年には今の地下鉄博多駅まで延びました。

この書き方に疑問を抱かれた方は多いと思われます。実は地下鉄博多駅は始めの2年は今の場所ではなく、今の博多駅と地下鉄祇園駅の間の地下通路の位置に臨時の駅が置かれておりました。その後工事が進み1985年に博多駅舎の直下に今の博多駅が作られたのです。

地下鉄で博多と姪浜、その先の筑肥線と繋がったことから1983年から筑肥線(当時は国鉄)が地下鉄を介して博多駅まで到達するようになりました。

更に1993年には福岡空港まで地下鉄が延ばされ、これまで博多駅からバスで一時間近くかかっていた福岡空港にわずか5分で行けるようになったのです。

 

 

【福岡の地下鉄】

 

 

先程も一部紹介しましたが、福岡市内には福岡市営地下鉄が走っております。路線は3本あり空港線箱崎線、そして七隈線が走ります。

 

この中で一番歴史があるのは空港線で、1981年に天神から室見まで開業したのが始まりでした。1982年には天神から中洲川端まで延び、中洲川端から呉服町まで箱崎線が開業しました。1983年には空港線姪浜駅博多駅まで繋がり唐津方面のJR筑肥線(当時は国鉄)と接続しました。箱崎線も建設が進み、1986年には西鉄貝塚線(当時は西鉄津屋崎線)の貝塚駅と接続し全通しました。

七隈線福岡市営地下鉄で最も新しい路線で、2005年に天神南から市南西部の橋本まで全通しました。この路線は先の2路線とは異なる点が多く、線路幅やトンネルの大きさ、集電方式などの点で異なります。そのため先の2路線とは独立した路線となっております。そして現在七隈線は天神から更に博多駅に向かって延伸工事を行っております。

 

さて福岡市営地下鉄は二つの「先代」の役目を担っております。1つは路面電車であり、もう1つは何故か筑肥線です。

一つ目の路面電車は昔西鉄が福岡市内で運行していた「西鉄福岡市内線」で西は姪浜、東は貝塚まで運行しておりました。

路線は、姪浜電停から天神を経由して東区箱崎の九大前電停に至る「幹線」や、幹線の西新電停から六本松や薬院を経由して天神に至る「城南線」、天神から時計回りに千鳥橋福岡高校前・博多駅渡辺通を経由して天神に帰る循環線、そして循環線千鳥橋から貝塚に至る「貝塚線」がありました。

はじめは福博電気軌道という会社の路線でしたが、九州電灯鉄道、東邦電力、福博鉄道を経て1942年に福岡県内私鉄を全て合併した西日本鉄道の1路線となりました。この路面電車は自動車の普及により1979年に全廃されました。これは今の市営地下鉄空港線箱崎線のルートと重なっております。

 

かつての路面電車のルートを市営地下鉄がたどっているのは地下鉄が路面電車の代わりを担っている点もあります。ただそれだけが理由なのではなく、地下鉄工事をする上であらかじめ幅広の道路やスペースがあることが好都合だったという点もあります。地下鉄は「軌道法」という法律で道路と重なるように路線を設けることが定められております。電車通りのような最初から幅広の通りは好条件でした。

逆に言えば七隈線の整備が遅れたのはそれが理由でした。七隈線沿線の多くはもとより路面電車のルートではなく幅の広い道も無い地域でした。そのため七隈線は地下鉄建設より前に道路の拡張を待つ必要がありました。

 

もう1つの先代の筑肥線は今もある路線ですが、かつては姪浜駅が終点ではなく博多駅が終点でした。

 

筑肥線は元は北九州鉄道という福岡市と唐津を結ぶ私鉄でしたが、後に国鉄(後のJR)の路線に組み込まれました。この当時の路線は姪浜より西は今とほとんど変わりませんが、姪浜と博多の間はルートは大きく違っておりました。姪浜からは城南区別府(べふ)までの二車線道路のルートをたどります。六本松では散歩道のルートとなり、更に先からは「筑肥新道」のルートを平尾までたどります。平尾から先は細い生活道路を大きなカーブを描き美野島方面に向かいながらたどり、そして博多駅に入線するのです。

 

これがかつての筑肥線でありこのルートは1983年まで使用されました。1983年からは姪浜から今のように市営地下鉄空港線経由で博多駅に向かうことになりました。このときに筑肥線姪浜と博多の間は廃線となり今に至っております。

 

このように市営地下鉄は福岡市内の輸送とともに、路面電車の代替および唐津方面への筑肥線の代替という役目も背負っているのです。

 

 

西鉄各線&JR香椎線

 

 

先程の話でも出てきた西日本鉄道ですが、西日本鉄道は1942年に福岡県内私鉄そしてバス事業者のほとんどを合併して出来た一大企業です。福岡市内では西鉄天神大牟田線西鉄貝塚線が走っております。

 

西鉄天神大牟田線は元は大正時代に設立された九州鉄道(明治時代の同名の会社とは別)が1924年から1939年にかけて建設、整備した路線でした。九州鉄道は1942年に他社と合併して西日本鉄道となりました。

 

西鉄貝塚線は元は博多湾鉄道汽船という私鉄が1924年に開業した貝塚線という路線でした。当初は今の千鳥橋から津屋崎に向かう路線でした。この路線も博多湾鉄道汽船が西鉄に組み込まれ「西鉄宮地岳線」となりました。

その後1954年に千鳥橋西鉄博多駅)から貝塚までが路面電車化された上で、宮地岳線貝塚=津屋崎間になりました。

その後1986年に貝塚で市営地下鉄箱崎線と接続しました。その後2007年には西鉄新宮から先が廃止され、線名は「西鉄貝塚線」に、区間貝塚西鉄新宮に短縮されました。

 

この貝塚線を作った博多湾鉄道汽船はもう一つ今のJR香椎線も開業しております。

香椎線は当初は1904年から1905年にかけて西戸崎=宇美間で当社の粕屋線として開業した路線でした。これは宇美駅などの周辺の炭鉱から掘り出した石炭を西戸崎の港に運ぶための鉄道路線でした。その後1942年に西鉄粕屋線となった後に戦時中の1944年に国鉄に買収され国鉄香椎線になり今のJR香椎線に至っております。

 

 

【今は無き福岡の鉄道】

 

 

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ここまでは今ある鉄道路線について語ってきましたが、ここからは今はもう見ることのできない廃線になった鉄道の話です。

 

先程出てきた路面電車やJR筑肥線の一部区間廃線に含まれます。路面電車は高度経済成長期の自動車やバスの普及で利用客の減少や交通の障害といった理由から廃線になりました。筑肥線は地下鉄への乗り入れでより便利で効率的な運行が可能になることから、地下鉄と重複する区間は廃止となりました。

 

それらの路線以外にも廃止された鉄道があります。それは1985年に廃線となった国鉄勝田線でした。

勝田線は鹿児島線吉塚駅から糟屋郡宇美町国鉄筑前勝田駅を結ぶ路線でした。勝田線は1919年に私鉄の筑前参宮鉄道の路線として開業しました。これは香椎線篠栗線と同じく石炭輸送と宇美町宇美八幡宮への参拝客の需要を見込んで作られました。

その後1942年に西鉄勝田線になった後に香椎線同様1944年に国有化され国鉄勝田線となりました。

 

その後1960年代に炭鉱の大量閉山により石炭輸送の需要が無くなり貨物需要は激減しました。そして平行する西鉄バスの路線との旅客輸送競争でも負け、1985年に国鉄は勝田線を廃線にしました。

 

なおこの廃線には今でも批判があります。勝田線沿線は大都市福岡市の郊外としてベッドタウンが沢山あります。これは旅客輸送において理想的な環境でした。しかし国鉄は石炭輸送のあったときからダイヤや設備にほとんど手を加えませんでした。そしてそのまま赤字路線として勝田線は廃止となりました。

 

これは国鉄という中央から地方路線の実態が見えず地方鉄道の改善への力学が働かないという国鉄批判を巻き起こしました。しかし一方で地元住民も勝田線の存続に無関心で存続運動は起こりませんでした。これは便数が沢山ある西鉄バスの路線に住民が満足していたという点もあります。

 

歴史にifはありませんがこの勝田線の廃線は、鉄道路線に輝かしいポテンシャルがあってもそれがことごとく無視される可能性を顕にしたと思います。一方で廃線にすべき、存続すべきという尺度もあくまで目安であることも考え、廃線にした方を一方的に責め立てることも違うと考えました。

 

 

【ここからは+α】

 

 

福岡市内を走る鉄道、かつて走っていた鉄道の歴史は以上でございます。

 

さてここからは今までの話でやや主題から外れた話をします。

 

 

〈「福博」とは?〉

福岡市内にかつて走っていた路面電車を当初運行していた「福博電気軌道」ですが、この「福博」という言葉に違和感を覚える人は少なくないと思われます。

 

福岡市にお住まいの方はご存じでしょうが、「福博」とは今の福岡市の元となった「福岡」と「博多」の2つの街を合わせた概念でございます。明治時代まではあの中洲もある那珂川より東側は商人の街博多で、那珂川より西側は天神も含めて福岡城の城下町福岡でした。

 

この2つの町は明治時代に近代的な街になる上で1つの都市として発展する方向性を選びました。その上で新しい1つの街の名前は当初は「福博」と呼ばれたのでした。

しかし後に福博という言葉はだんだん廃れ「福岡」と「博多」を同じ街の名前として使うようになりました。地方公共団体の名前はもと博多でも「福岡市」ですし、百貨店の名前はもと福岡でも「博多大丸」です。

 

 

〈福岡市はかつては海の底?〉

 

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福岡市は今でこそ百道浜那の津箱崎まで陸地となっておりますが、かつてはかなり内陸まで入り江が入り込んでいた地形でした。

 

今の大濠公園の辺りは江戸時代に福岡城ができるまでは「草香江」という大きな入り江がありました。湾口は今の中央区港町辺りで、そこから六本松方面まで大きな入り江があったのでした。今でも「草香江」「荒江」「片江」という地名がありますがそこまではかつては海だった場所なのです。

 

今の平尾から警固までの大正通り沿いはかつては博多湾に飛び出している長い半島でした。その先端の岬が「州崎(須崎)」でした。国体道路を天神から福岡県護国神社辺りまで走ると丘になっていますがそこがかつての半島の名残です。

 

今の天神や渡辺通辺りもかつては「冷泉津」という入り江でした。入り江の中にあった島が「蓑島(美野島)」でした。川端商店街の近くにある櫛田神社はかつては海辺の神社で、船で参拝に来る人もいたそうです。

住吉神社もかつて入り江の中の半島にあり、博多駅もその入り江の奥に当たる場所に立地しています。

 

さてここでなぜその話をしたかと言いますと、市営地下鉄空港線はまさしく元入り江の部分を思いっきり通過しているからです。

 

2016年秋に博多駅前の市営地下鉄七隈線の工事現場で陥没事故が起きました。幸い死傷者はおりませんでしたがこれにより道路は全て穴の中に飲み込まれました。

この事故が起きた原因は地下鉄工事により地下水の水位が下がったところに、その上の軟弱な地盤が沈み込み崩れたからです。もともと海だったこの場所の地質は海岸の砂のようになっており、少しの変化で崩れやすくなっておりました。

 

福岡市交通局の記録フィルムによると、市街地での地下鉄空港線工事は上のような事情から出水との戦いだったことが窺えます。地上の道路を開削しつつ、膨大な道路交通を確保しながらの工事ですので余談を許さない雰囲気がありありと伝わってきます。

このように市営地下鉄を通した元海の底だった場所は地下鉄を作る上で困難が多い場所だったのです。その上で地下鉄を無事貫通させた人々には改めて感服させられます。

 

 

箱崎のバス専用道路〉

 

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福岡市東区、この地の箱崎宮の参道近くの西鉄バス箱崎バス停からはバス専用道路が馬出方面に延びております。この道路はバス車両以外の車は通行禁止です。片側一車線の二車線道路で、どう見ても快走路です。

 

このバス専用道路は元は路面電車西鉄福岡市内線」の跡地で、今はその代替バス路線が走るための道路に作り替えられております。路面電車時代の名残は途中の馬出通りバス停付近の電停のホームや電線の支柱の跡に残されております。

 

今はバス専用道路は箱崎から馬出までの区間に限られておりますが、かつてはそれが東公園入口の方までも続いていたとのことです。

 

さてこのバス専用道路ですが昔初めて当地に訪れたずばあんはこのことを知らずにこの専用道路を自転車で通過したことがあります。普通の道路と異なる点が多く違和感を感じていましたが後からこの事を知り、バスが来てなくてよかったとほっとした思い出があります。

 

 

 

【ずばあんと福岡の鉄道】

 

 

私は大学時代に福岡に住む前から鉄道は好きで、鉄道関連の本など昔からよく読んでました。そのため大学に通うのに電車に日常的に乗るようになったのは私にとっては楽しい経験でした。

 

私が使用していた福岡市営地下鉄は全線定期を出していたので西は姪浜、東は福岡空港、北は貝塚、南は七隈方面といつでもどこでも市内を移動するのに便利でした。それに地下鉄の駅の構内放送の選曲センスはとても好きでした。

筑肥線唐津に行くときに乗りましたが田園風景や海沿いを走るあの路線はものすごく雰囲気がありました。姪浜の高い高架線を駆け上がるところは面白かったです。

 

博多駅は周辺のビルや地下街も含めて大きなアスレチック遊戯のようで本当に歩いているだけで面白い空間でした。福岡から遠い街に出かける時には必ず通る所でしたので思い出深い場所です。駅ビル屋上には展望台がありそこからの展望は素晴らしいものでした。

 

西鉄貝塚線はJR鹿児島本線に沿いながらウネウネと動き回りながら走っていたのがトリッキーで面白かったです。

JR香椎線海ノ中道に行くのに一度だけ利用したことがあります。沢山の乗客が乗っていた覚えがあります。そして、車内の扇風機に国鉄マークがあったのに驚きでした。

 

西鉄天神大牟田線大宰府線は大宰府や久留米、熊本に行くのに利用した覚えがあります。特に大牟田に行く時のノンストップ特急はみちゆき1時間本当に最後まで停車せずに行くため驚きました。しかも特急券は必要ないのも驚きでした。

 

福岡の鉄道はこのように面白いものが沢山ありますが、今後とも福岡の鉄道が面白いものになることを願います。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

2021年8月10日

 

【写真】大草長崎線・道路開通碑

こんにちは、ずばあんです。

 

最近某所で面白いものを見掛けたのでそれを紹介いたします。

 

長崎県大村湾の南岸を走る国道207号線。道路は西彼杵郡長与町の市街地までは片側一車線の道路でしたが、農村部に入ると次第に道幅が狭くなり大型車が一台通ると塞がるほどの幅になりました。カーブも多く道路は海岸の岬や入江に沿って走ります。ミカンなどの畑が広がる農村情緒の漂うこの場所であるものを発見しました。

 


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それは「大草長崎線 道路完通記念碑 」というものでした。碑文を書いた人物として「長崎県議会議長 中村禎二 書」とあります。道路脇にある高さ4、5メートルの石碑でした。下の台座には何か小さな文字が沢山彫ってあります。


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道路から見て正面に彫ってあるものです。これは道路が完成したとき及び計画・建設途中のときの長崎県や通過町村の首長と議長などの行政関係者の名前でした。

ここに書いてある西彼杵郡多良見町は2005年に東隣の諫早市に合併されました。長与村は1969年に町に変更され現在は西彼杵郡長与町となっています。

 


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左側に回りますと先程の続きと歴代の現場監督の氏名が並び、最後には「昭和四十三年七月吉日 岡郷建立」と彫られておりました。

 

昭和43年は西暦1968年で、今年2021年から数えて53年前になります。この石碑は建てられてから53年経っていることになります。岡郷(おかごう)とはこの石碑の建つ地域の地区名であり西彼杵郡長与町岡郷のことです。

 


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さらに背面へと回りますと、赤文字で目の前の道路の「大草長崎線」(1968年当時)が建設された経緯やこの碑を建てた理由が説明されております。

 

大村湾の青波に映えて岬をめぐり入江に迫って走るこの一条の道  その土にその石にその草に 人の智恵と力と汗がしみこんだこの道 その完通こそ蜜柑産業発展のため地域住民が祖父から子、子から孫へ語り継ぎ続いてきた長年の念願であったこの道一般地方道大草長崎線は昭和十三年から延々二十五年の歳月を費やしたが一向にはかどらず 時の県議中村禎二氏の日夜不断の活動と発案によって、自衛隊委託工事により、同三十八年一気呵成に完通した。

ここにその喜びを後世に伝える共に道路開通に多大の貢献を致された方々の功績を記念するため有志発起したこの碑を建立する。

 

この説明によればこの道は昭和13年(1938)から地域住民が建設を要望していたとのことです。そして時の長崎県議会議員・中村禎二氏(1903-1991)によって建設が決定し、道路建設自衛隊に委託されました。そして昭和38年(1963)にこの道路が開通したとのことです。

この碑も県議(1968年当時は議長)の中村氏のほか関係者を讃えるために有志の地域住民により建てられたということでした。


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石碑の右側には、碑の建立に携わった者の名前が彫られておりました。

 

この一般地方道大草長崎線はその後県道諫早時津線の一部となった後に1982年に国道207号線佐賀県佐賀市長崎県時津町)の一部に指定されました。

 

というわけで、今日は開通記念碑の記事でした。普段ネットでブロガーのヨッキれんさん(平沼義之さん)の廃道探険サイト「山さ行がねが」の記事で楽しませていただいているので、今回の記事は書いてて胸が踊っておりました。

「山さ行がねが」程のボリュームはありませんが、この石碑を取り上げている方がネット上に見当たらず僭越ながら私が記事を勝手に書かせていただきました。

 

今回の記事はこれで終わりですが、今後も似たような記事をたまに配信したいと思います。

 

今回も最後までありがとうございます。

 

2021年8月2日

 

【読書感想】「歎異抄」(親鸞・唯円)

 

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こんにちはずばあんです。

 

本日は読書感想として、親鸞唯円の「歎異抄(たんにしょう)」の紹介をいたします。

 

歎異抄の説明をする前に作者の親鸞(しんらん)について説明します。親鸞は日本の仏教の一宗派である浄土真宗の開祖です。親鸞鎌倉時代に、人々が死後に極楽浄土に救われるための方法として念仏を唱えることを説き、それが浄土真宗として伝わることになりました。

 

浄土真宗は自力で修行をして悟りを開くことが出来ない大衆が極楽浄土に行くための方法として念仏を唱えることを示しました(悪人正機)。念仏を唱えることで慈悲深い阿弥陀仏から救われることを目指し、その事を疑わず信じて念仏を唱えることを大衆に促しました(専修念仏)。

 

そしてこの歎異抄が出されたのは親鸞の没後でした。

親鸞が布教活動を行っていたときから善鸞などの弟子が親鸞の教えを歪曲して伝え、それが世の中に蔓延る事態が発生しておりました。親鸞の没後はそれがますますひどくなりました。これは人々に専修念仏・悪人正機を説く浄土真宗の信用が揺らぐ事態でした。

歎異抄が出されたのはその時のことであり、上の事態を危惧した親鸞の弟子の唯円がそれを正すためにこの歎異抄を記したとされます(なお唯円以外の著者の説も一部で論じられておりますが、現時点では唯円が著した説が最有力とされております。私もこの唯円説に則り語らせていただきます)。

歎異抄親鸞の唱えた浄土真宗の教えを正確に誤解なく説明し、その上で世の中に蔓延る間違った教えを訂正していきます。文庫本にして本編60ページ足らずという短い内容ですが、浄土真宗においては重要な書物のひとつとされます。

 

今回私はこの歎異抄を読ませていただきましたが、それは私が浄土真宗門徒に入ったり逆に浄土真宗を批判するためではなく、あくまで著書のひとつとして読書を楽しむために読ませていただきました。

 

私自身は浄土真宗に詳しい人間ではないので教義について評論する発言は、一般常識の範囲で控えていきます。あくまで歎異抄を初めて読んだ人間の所感として本の感想を語らせていただきます。

 

 

【内容】

 

 

歎異抄の構成は前篇と後篇に別れます。

 

前篇では序文と第一条から第十条までで親鸞の教えを正確に分かりやすく述べております。後篇では序文と第十一条から第十八条までと後記が記され、親鸞の教えに対する曲解や誤解について正していきます。

 

 

〈前篇〉

まず親鸞の教えを説く前篇では、序文で親鸞の教えが世の中で曲解や誤解をされ、唯円がそれを嘆き世の中を正すために歎異抄を記した旨が説明されます。

第一条では阿弥陀仏が万人を救おうとしていることを、第二条では親鸞も念仏にすがるしかない身でありその上で念仏をひたすら信じる他ないことを説いております。

第三条では修行をして悟りを開けない人々が阿弥陀仏に帰依し極楽浄土に行くという悪人正機説を説いております。

第四条では聖人の道により仏門に入ることの困難と比べ、阿弥陀仏を信じ頼ることによるより簡単で確実な道を示しております。

第五条では自分の力ではない阿弥陀仏から授かった力で全ての命を救うことを、第六条ではそれに師匠・弟子の区別に関係ないことを説いております。

第七条では浄土真宗の信者は他の教えや宗教によって裁かれないことを、第八条では念仏による恩恵は全て阿弥陀仏のおかげであり本人のお陰ではないことを説きます。

第九条では人々が極楽浄土に行く道を素直に喜べない心情を煩悩の仕業とし、阿弥陀仏はそれも憐れみ救おうとすることを説きます。第十条では念仏は人智を越えており自己解釈してはならない旨を唱えております。

 

〈後篇〉

続いて後篇では前篇で述べた親鸞の本当の教えと異なる風説を正す内容となっております。

序文では浄土真宗が世の中で広まったなか、親鸞の教えと異なる内容も広まっている現状を述べます。

第十一条では阿弥陀仏の力としての念仏と言葉としての念仏の違いについて、どちらも信じる上では同じものであると正します。

第十二条では、念仏の教義研究でもって信心の優劣を語ったり念仏に対する不信を論破することを批判し、それらがなくとも念仏を信じれば極楽浄土に行けると正しました。

十三条では阿弥陀仏の力を傘に着て悪いことをすること(本願ぼこり)を批判し、善行や悪行は過去の行いの結果であり阿弥陀仏による救いとは関係ないと正しました。その上で自分の善に疑問がある人でも阿弥陀仏に帰依すれば阿弥陀仏に救われることを説きました。

第十四条では念仏の力を自分の罪を消す方法として濫用することを批判し、それは自分の力ではなく阿弥陀仏の力であると正しました。その上で、もし病などの不測の事態で念仏を唱えられなくなっても阿弥陀仏を頼りにする心があれば救われるとも説きました。

第十五条ではこの世で悟りを開くことの厳しさや難しさを語り、阿弥陀仏に帰依すれば誰もがあの世では悟りを開くことができると説きました。

第十六条では阿弥陀仏に帰依することと自分の考えを交えないことは別だとする考えを批判しました。その上で阿弥陀仏に一度帰依を誓えばそれでよく、その後は心に過ちがあってもその度に誓いを立て直さなくても良いと説きました。

第十七条では辺地の浄土に生まれたものはゆくゆくは地獄に落ちるという考えを批判します。その上で辺地の浄土に生まれてもその罪を償えば本当の浄土に行けると説きます。

第十八条では寄付の大小が仏の大小に繋がるという考えを批判します。仏に大小は無くお布施の行も信心が無ければ意味がないと説きます。

後記では親鸞から聞いた、親鸞の師である法然(浄土宗の開祖)上人とその弟子の話から信心はそれ自体が阿弥陀仏からの授かり物であると述べます。その他親鸞の発言から人間の罪はあまりにも深く、阿弥陀仏の慈悲がとても深いことを説きます。その上で悟りの境地に達せない人々(凡夫)にとってこの世に語り尽くせる真実は無く、念仏の行が真実であるとも説きます。そこから親鸞の教えと異なる教えに惑わされ極楽浄土に行けない人が出てくることを憐れみ、そうした人々を減らすために「歎異抄」を記したことを説明します。

このあとに法然親鸞流罪の記録が記され歎異抄の記述は終わります。

〈終わり〉

 

 

ご覧のように歎異抄は人々を極楽浄土に導く阿弥陀仏の存在を示し、阿弥陀仏がどのような存在なのか、阿弥陀仏はどれ程の力があるのか、その阿弥陀仏を信じ頼るとはどういうことかを述べます。

その上で誤解や曲解を批判し、それを正す形で上のことについてより詳しく説いております。

 

これは浄土真宗というものが大衆のための、大衆が信じられる、大衆を救う宗派である姿勢を再確認するための書物であります。短い内容でありながらも、一つ一つの言葉が含蓄がある無駄がなく理路整然としたものとなっております。

 

この書物は浄土真宗の専門的な知識が無かったとしても内容を理解できるようになっております。文庫版では原文の漢文体に加え、書き下し文と現代語訳、解説が書かれており、初めて読む人でも敷居の高さを感じさせない作品となっております。

 

 

【感想】

 

 

この歎異抄ですが、浄土真宗の僧侶や門徒に向けた教典という要素を抜いても、人間一般が感じる人生に対する疑問や苦悩に平易にかつ明快に答えているところが評価ポイントでした。

正しい行いをしてなぜ報われないのか、どうして善行をしようとしてた人が善行を全うできないのか、なぜ善行というのがややこしくなるのか、善行と悪行の区分が曖昧な中で何をどう信じるべきか、なぜそれを信じられるのか、そうした疑問や悩みに答えているのがこの歎異抄です。

 

結論から述べますと、歎異抄で出てくる「阿弥陀仏阿弥陀さま)」は上の様な状況で信じるべき存在として描かれております。阿弥陀さまはいかなる罪業を背負った人々にも慈悲の心を持ち、信じる生けとし生きる人々を極楽浄土に導く者とされております。

 ではこの阿弥陀さまを信じなければいけないのはなぜなのでしょうか。

 

 

〈1.善行をしても報われない?!〉

まず常識として善行を積んだものはあの世で安穏な境地に達することが出来るということはイメージしやすく思います。

しかし、その実行は難しくその方法を実行してもなかなか報われないことも珍しくはありません。善行が善行たる条件はものすごく狭くそれを実行できない者の方が圧倒的に多くなります。そうなると善行というのは人々を救う道というよりは、それができない人々を切り捨てて放置するための方便となりかねません。

私自身もそれを実行できない方なので難しさはわかります。

 

 

〈2.真面目でも善行は全うできない?!〉

とはいえ善行を実行したい人々は沢山いると思われます。しかしその大半は実行できずに終わってしまいます。

その理由は様々であり、欲望に負けたから、正しい方向に善行が出来なかったから、善行の数多くある条件のうち飲み込めない者があったから、などがあります。一見してそれは正当な理由だと思われますが、実際にそれをストイックに実行するのは難しいです。よもすればある善行と別の悪行が同一であり、そうなればそこで自分の拭いがたい「悪行」が意識される場合もあります。

ここで意識される「悪行」については私としては理不尽な物が沢山あると思われます。自分の意思で悪行に手を染めたのであればともかく、自分の意思の預かり知らないところや苦境からやむを得ず犯した悪行もあると思われます。私が以前述べた「毒親」問題も、子供に道徳が教えられず道徳の欠如した人間になるという問題があります。毒親の世代間連鎖(これを白雪姫症候群といいます)という問題もあり毒親問題は単なる自己責任で終われないこととなっております。

そうなると悪行をせず善行を遂げるというのは自ずと潔白主義を伴うものとなります。ここで善行を全うする方法は「邪魔者」を最初から切り捨て、純粋培養のなかで生き、潔白を証明する事となります。そうでないと「悪行」になり、人生そのものが悪行と捉えることが出来るからです。さもなくば自分や他人に物凄い理不尽をかけながら自分の悪を浄化(ロンダリング)するなどしなくては、自分の善行は証明できません。

何が善行なのかを見いだすときも同じで、自分が善行を確かに行うには他人の試行錯誤を生け贄にしてそれを行うほかありません。他人の失敗を他山の石にするならともかく、他人にわざと失敗させるという「実験」をすることもあります。これで他人は悪行に染められましたが、自分はそれをやってないので善行をなんの気兼ねもなく出来ます。

 

 

〈3.善と悪は混沌の中に・・・〉

さてここまで見て、これを善行だと思う人はほとんどいないはずです。これはたちの悪い潔白主義でありそれを実行する人間は間違いなく危険人物です。だから普通はそんなことしないのです。ただ、やはりそこまでしないと善と悪を分かち裁く「何か」は善行と認めないのもたしかです。それ以外は「汚い」「性格の悪い」と切り捨てるのが善行を拾う「何か」なのです。

そうなると自分の善を証明しようとする行為事態が悪魔との契約に思えます。そんなものは証明しようとするよりは、積極的にしない方向に動くことがよほど善に思えます。いや、そもそも自分たちの生が悪魔のそれそのものであって当初より悪なのかもしれません。そんなものの善なぞ誰が証明するのでしょう。

こうなると絶対善は存在せず、善は自分の拭いがたい業とその時の状況で気まぐれに決まり、何か心の中に善を抱えていてもそれは幻で冷笑されるべき何かなのでしょう。

 

 

〈4.ここで信ずるべきものとは〉

上のように圧倒的な不信感以外に信ずるべきものがない状態は何にせよ不健康でマイナス要素です。では、そこから抜け出すにはどうすれば良いのでしょう。

ここで信じるべきなのは、圧倒的な善すなわち博愛であると思います。ただそれは現実にそのような施しをしている人物を探し求めるという意味ではありません。そのような人物がいたとしてそれを拒まずに迎え入れる準備をするということです。それはまたコツのいることであり万人が思い付くようなものではありません。そのため、その術を知る者が啓蒙して世の中にその考え方を広げなくてはなりません。

歎異抄ではその迎え入れるべきものを「阿弥陀さま」として具像化しました。博愛と慈悲の権化である阿弥陀さまを信じることにより人々に何か信じ不信感を晴らすことを説いたのです。

 

ではなぜそれを信じることが出来るのでしょうか。

その理由を端的に述べると万人を救おうとしているからです。罪や悪行から逃れられない人々でも救おうとし、あるいはそれに対し疑いを拭いきれなかった者までも救おうとします。

これは救われるべき条件や自分が生き延びるための条件を定めているようなものよりかはより疑わずにすみます。確かに人を選り分ける事が必要とされる場面は必要かもしれませんが、それが全てで他は虚無であるとは思えません。何か自分を拾う所においてそれを信じることは自分の人生を豊かにし、活力を沸き立たせると思います。その自分を拾うところの代名詞のひとつが阿弥陀さまなのです。

 

このことは単に阿弥陀さまのみならず、そのような意識で人生を歩む人々がおります。医療従事者は治療する患者が何ものであろうと治療を施します。

2019年に発生し、多数の死者を出した京都アニメーション放火事件の犯人は重度の火傷を負いました。命の危機をさ迷った犯人ですが、医師たちからの懸命な治療により一命を取り止めました。その時に治療に当たった医師は「犯人には生き延びて罪を償ってほしい」と語りました。

このように大量殺人を意図的に起こした者に、救命を施す医療従事者の心境は人の生の価値を強く信じる者のそれです。それはただ仕事だからで割りきれるようなものではないと思われます。医師の仕事は専門性や技術レベルも高く極めて特殊な環境で行われます。当然その選出や修業では多くの人々が弾かれます。その中で選りすぐられた医師のマインドは、多少は博愛精神と関わりがあるのではないのでしょうか。

 

 

〈5.信ずるべき者への信じ方〉

このように信じられるものが少ないこの世で信ずるべきものを信じるのはちゃんとしたやり方があります。

歎異抄はそれを浄土真宗の信者に説いたものですが、一般人にも通じるものがあると思いました。

 

その上で慈悲を持つ者を信じて生きていくときに陥るかもしれないワナがいくつかあります。

 

一つ目は信ずるべき者を疑い、余計なことをすることです。自分を救おうとしている者から裏切られるという疑いを捨てられないことは珍しくはありません。もちろんそれが無くなることは望ましいですが、そのために余計なことをする人もおります。例えば変な便宜や貢ぎ物をして不正を働いたり、勝手に人を比較し区別したりすることです。よく考えれば真に慈悲深い者の博愛がそれで変わるとは言えないのですが、どうしても捨てられない疑いがそれを歪ませます。

歎異抄では親鸞上人にすらその疑念があったことを説明し、その疑念を持つものでも阿弥陀さまはお救いになることを前篇で語りました。後篇で語られる世間の誤った教えでは、仏教の知識や研究、お布施の多さ、罪滅ぼしへの期待などが語られておりますが、それはいまだ捨てられない疑念から来ているものです。

最近の経済学の研究でも、他人を信用しないことにより掛かる社会的経済損失が計算され、それが膨大なコスト負担として人々にのし掛かっている事が明らかにされました。他人の信用度を審査する上で調査費用や選考費用は膨大なものとなっており、それは経費として企業の財政状況などを逼迫させる要因となっております。

このように信じるべき者を信じられないことは損失であり、歎異抄ではその現れとしていくつかその例を指摘しております。その上でそうした疑いで行動を惑わされないようにすることを説いているのです。

 

 

二つ目は信じるべき者からの施しを自分のものと勘違いすることです。自分が世の中への厭世感から離れ何か強い信念を持って生きれるのは自分の信ずるべき者のお陰であり、それは自分一人で成したことではないのです。そのため自分の何か悪い性がそれで消える訳ではなく、自分の身の潔白や崇高さが担保される訳ではないのです。

また人の性格はややこしい過去の因果で決まるところがあります。その苦しみから抜け出す方法として信じるべき者からの施しを借りながら正気を保ってこの世で生きられるのです。

歎異抄では浄土真宗の教えは全てが阿弥陀さまからの施しと捉えられ、親鸞上人の言葉や師弟間で伝えられる教え、阿弥陀さまへの信心もそれに含まれます。後篇で示される曲解では、阿弥陀さまに頼らず悟りの境地に至ることの困難や現世で悟れるという誤解、自分の潔白を念仏で実現できるという誤解を語ります。そしてそれらの誤解が阿弥陀さまの力を自分の力と勘違いするところから来ていると指摘します。

私はこの人生の業と信じられる人からの施しの分離という考えは素晴らしいものだと思いました。先ほどの信じるべき者への疑いと合わせて、自分の人生の業に疑いがあっても信じるべき者からの慈悲は本物であると信じることの大切さを教えられました。その慈悲が真に自分のものにならないことに戸惑っても、それは間違いではないと言ってくれることで心に折り合いがついた気がします。別にそれは自分のものにならなくてもよいし、そちらの方が良いのかもしれません。

 

自分に慈悲をかけてくれる存在を受け入れるという営みが心の安息に繋がるのは生きる上で一度は知っておきたいことです。その上でそれが嘘であると言われることの恐ろしさはどうしても否定はできないと思います。嘘かもしれないから信じる対象に貢ぎ物や自己の信心の証明や忖度をしたり、信じる対象の施しを自己所有化しようとするのです。

しかしそれはむしろ自分の信心をますます疑わせることに繋がり、何よりも他人に対する悪行ですので誰も得しないことです。そのことを指摘し人々の行動を正そうとしたのがこの歎異抄です。

この不安に目を向けたこの書物は人生に言い知れない不安感を持つ人は読まれることをおすすめします。

 

 

【おしまいに】

 

話はそれますが、私はあるときこんな疑問が起こりました。

 

・・・念仏を唱えれば極楽浄土に行けるというのであれば、Twitterで念仏をコピペしてツイートしても極楽浄土に行けるのだろうか?

 

その事について仏教に詳しい友人に尋ねたところ「念仏は阿弥陀さまに帰依する気持ちを表すものなのでただ字面をコピペしても、念仏を唱えたことにはならない。」と答えてくれました。

今回読んだ歎異抄の十一章でもその事について語られており、念仏は信心の前においては阿弥陀さまの力としても呪文としても、力を同じだけ発揮すると書かれていました。つまり念仏が効果を発揮するか否かは信心次第ということなのです。少なくともコピペしてツイートしても信心は疑わしいですし、それならば本当に念仏を唱えたほうがいいのでしょう。

 

そのような疑問を抜いても、歎異抄浄土真宗と深い関わりがない人にも大事な事が書かれているので、是非とも読んでほしい書物です。歎異抄の後記の一番最後には「浄土真宗の信徒以外に見せないでください」と書いてありますが、それでも多くの人に見ていただきたい書です。

 

本日も最後までありがとうございました。

 

2021年7月27日

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2021年7月22日