ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

反省したいのに出来ない人へ

ずばあんです!

近頃は大変なことが沢山ありますが、 心に余裕を持ち健康的な生活を送っていただければと思います。

前回はストレス解消法としての日記の意義を語りましたが、今回は心の強さを持つための日記の意味を唱えたいと思います。

〈コロナ禍で見る心の強さと弱さ〉

コロナのような異常事態に際し、パニックに陥らず的確な行動で自分の身を守れるのは「心の強さ」あっての事です。3密解消、手洗いうがい、マスク着用、不要な外出の自粛・・・これらは健全な心の上にできることです。

では逆に心の強さを欠く時はどうなるのでしょうか。数ヵ月ほど前に、コロナウイルス感染症に罹患した人が、診断後もウイルス拡散予防策をとらずに外出、人との接触をしていたことがありました。その人は「コロナを移してやる」など発言し、故意に上のような行動をとっていたことが分かりました。
このような人は道徳観や倫理観が壊れているのです。

この人だけではなく、つい数日前にもユーチューバーの「へずまりゅう」氏がスーパーマーケットで無銭飲食をし逮捕され、その後コロナを発症し、コロナへの予防・不拡散策をとっていなかったことが分かりました。この人は迷惑系ユーチューバーを自称し、かなり際どい演出を日頃から行っていました。そして今回ついに法律を犯し、社会に損害を与える「悪人」の境地に至ったのです。

〈彼らにも私たちにもある負の感情〉

こうした他人に損害を与える人間を見たときに、我々はこの人達をどう思いますでしょうか? 自分のしたことを悔い改めてほしいとか、もう消えてほしいなどの気持ちが起こるでしょう。そして、自分はこうなりたくない、こんな人間に思われたくないとも思うでしょう。これからも幸せな生活を送りたい人なら当然思うことでしょう。

ですが、普段の生活で次のようなことも思うこともしばしばあるはずです。「嫌なやつを消してしまいたい、追い出してしまいたい」「嫌なことをされたので仕返しがしたい」「あの人の幸せが疎ましい」・・・。このように他害的な、敵対的なことを考えたことのある人は非常に多いと思われます。自分はこう思ったことはないという人も、言葉にならない(言葉にしたことのない)不快感として思った方は多いと思われます。

このような負の感情は何かしらの形で消化される場合があれば、なぜか溜まり増えつづけることもあります。負の感情が蓄積し続けると、望まざる形でそれが爆発することがあります。人間関係の不和、迷惑行為、非行、ひいては犯罪に至ることも。自分の心の不快感を消化できない人は誰しもこのリスクを抱えています。
私は後者のタイプであり、近しい関係での不和や学校の治安の悪さなどもあり、負の感情を募らせていきました。周りに自分の気持ちを打ち明けられないほど人間不信に陥っていたので、自分の気持ちを十分に伝えられず、以降十数年自分の行動や価値観に悪影響を及ぼし続けました。

人の迷惑になる行為や犯罪を犯さないようにすることは大切です。もし負のループに嵌まってしまったのであればそこから抜け出さなくてはなりません。ただ、それは望めば誰にも当たり前にできるとは限りません。
臨床精神学者の岡本茂樹氏は、犯罪を犯した人間にはそれを犯した理由たる負の感情があり、それを内省することなしに犯罪者の更正は望めないと述べています。刑務所で行われる更正プログラムは犯罪者に被害者の視点を考えさせ反省させるという、常識的で聞こえのいい内容になっています。しかし現実には多くの犯罪者は一日も早い満期を望み、反省した素振りが上手くなるにすぎず、再犯し刑務所に戻る率は半分近くになります。これは一般的に唱えられる反省法や更正法が本来の目的を果たすに足らず、その非を本人に転嫁しているという現状を示しています。
そして犯罪を犯さずとも、負の感情から精神の不調を来す人もいます。犯罪と精神疾患は別物ですが、その原因は共通しています。

〈内省としての日記〉

岡本氏は犯罪者を内省させる方法として、犯罪を犯した理由を受刑者に述べさせるという方法をとっています。これにより犯罪者に自分の負の感情を理解させ、真に犯罪者に反省や更正を促すという方法です。これにより服役者の再犯率を下げることに成功しています。
これは全く新しい方法ではなく、仏教の内観法やキリスト教の懺悔などにも見られます。内観法では自分が受けた施しと与えた施しを時間をかけて回顧させます。そして自分と人との関わりを自覚させるのです。懺悔では神父に対し、信者が犯した半道徳的・倫理的行為を告白し、神父はそれに対し答えるという形で信者に罪を自覚・受容させます。

この取り組みは犯罪を犯してしまった人のみならず、罪を犯していない人にも有用です。自らの心の闇や負の感情を自覚させることで、それらが将来迷惑行為や犯罪の形で発散させるのを防ぐのです。日常的にやればその効果は抜群です。

そしてこの取り組みを簡素にかつ簡単にできるようにしたのが日記です。日記はメモ帳やタブレットがあればいつでもどこでもつけられます。そして人から監視されることが無いので、どんな内容でも気兼ねなく書けます。一人でも出来るのでしがらみや孤立の状況下でも誰でも出来ます。
正直私がこれを始めた理由は、他人に私の負の感情を打ち明けることが、他人に対して迷惑になっていることが明らかだったからです。そんなことなら言わない方がましだったと思うことはしばしばありました。一時期は負の感情を抱くこと自体を卑しく思い、かなり怠惰な時間を過ごしていたこともありました。
日記をつけるようになってからは、非常に気分が晴れるような気持ちになりました。そして、多少のストレスに動じず心に余裕が生まれるようになりました。この新型コロナウイルスが流行している状況でネガティブな気持ちにならないのも、この日記のお陰だと言えます。

〈日記なんてやる意味あるの?という人たちへ〉

ここまで話して日記をやろうかと思う人がいる一方で日記なんてやりたくないという人もいると思います。自分の内面をあばくことに抵抗感や違和感のある人がいるからです。今自分は上手くいっているのに自分が反省する謂れはないと思う方もいらっしゃるでしょう。素晴らしい活躍をされていて、輝いていらっしゃる方にとっては自分に暗部があることは傷のように思われるでしょう。
私はそれを他人に打ち明ける必要はないと思います。その暗部は自分だけがしっかり認識すればいいのであり、人に言いたく無いならば言わなければいいと思います。それを効率よく誰でも出来るのが日記という方法です。日記は人に言わなくていいてすし、何でも書け、人に迷惑をかけません。
私も自分の負の感情を他人に打ち明けたいとは思いませんし、そうして楽になろうとする自分も好きではありません。他人に悩みごとを相談することもまともに出来ない人間なのです。前述の懺悔を自分もやろうかと思ったときもありましたが、それすらも抵抗感があったほどです。
そんな私が楽になれたのは日記のお陰です。日記は私の負の感情を明らかにし、それを解かしていきました。そして、人と接するときに感じていた恐怖も和らぎ、今では不安なく人に接することが出来るようになりました。
そのため私は日記をつけたくないという人にこそ、日記を試していただきたいのです。


日記は真面目に生きたい人のための力強いツールになると思います。僭越ながら、まずは気晴らしにでもいいので日記を始めてみてはいかがでしょう。


2020年7月23日