こんにちは、ずばあんです。
以前私は日本のテレビについて語りましたが、今回は公共放送と民放の共存について語ります。
民間放送と公共放送の存在意義や課題は前回すでに述べましたが、この両者の共存についてもまた課題があります。
日本ではNHKのテレビ放送が1953年に放送開始し、同じ年に民間テレビ放送局が開局しました。その後NHKと民放は、NHKがやや先にリードしつつも、ほぼ同時進行でテレビ放送を全国に広げました。そこから先はNHKでは新たに教育テレビを始め、民放はネットワークを5つまで増やすに至りました。
しかしその中で、公共放送NHKの中立性や公共性を疑われる運営実態の問題や、民間テレビ局が横並びの番組づくりをするという問題も出てきました。これは公共放送と民間放送の節度と領分が破られているようにも思えます。
ここで、NHKを民営化すべきだとか某局は廃局すべきだという主張が挙げられますが、それで上のような問題は解決できるのでしょうか。
似たような問題は海外でも直面してきました。各国で事情は様々ですが、大まかに分けると公共放送主導のイギリス型と民間放送主導のアメリカ型に分類されました。
【イギリスの場合・公共放送中心主義】
イギリスは1936年に公共放送BBCからテレビ放送が始まり、長らく公共放送が中心となりラジオ・テレビ文化を築いてきた国でした。一方で民間放送のテレビ放送は長らく認可されず、その勃興は最近のことでした。
公共放送BBCには明確なライバルがラジオ開局時より存在しました。それはアメリカの民間ラジオ局でした。アメリカではラジオ放送が黎明期から私企業のビジネスとして捉えられ、多数のラジオ局が開局しました。
これは公共放送BBCが放送事業を独占していたのとは対称的でした。そして、イギリス社会やBBCはこのアメリカの現状を「悲劇」として認識していました。
当時のアメリカの民間ラジオ局間では過当競争が起こり、広告費のダンピングが横行し、視聴率競争もし烈を極めました。それにより悪質で低俗なキャッチーなラジオプログラムが世に溢れるということが起きたのです。
これはアメリカで大問題となり、時のフーバー大統領の時に放送事業に対する規制要項が定められるほどでした。
このショックはイギリスにおいて脅威として認識され、イギリス社会及びBBCは国民からの受信料により維持される公共放送に放送事業を一任する道を選んだのです。
イギリスの公共放送とアメリカの民間放送は放送における直接の競争相手ではありませんでした。しかし、放送事業におけるイデオロギーにおいては真っ向から対立することになったのです。
そして、このイギリスの方式に一大転機が訪れました。それは民間テレビ局の開局でした。
イギリスでは1955年に初の民間テレビ局(かつ初の民間放送)であるITVネットワークが作られました。
元々イギリスのテレビはBBCテレビ(現在のBBC ONE)のみでした。しかしアメリカ文化の影響がイギリスにも伝わっていた当時、すでに複数の民放テレビが存在していたアメリカへのイギリス社会の憧憬も高まりつつありました。こうして政財界の要望によりITVネットワークが作られたのです。
しかしアメリカ(そして今の日本)とは異なり全くの民間放送としてITVの放送が始まった訳ではありません。厳密にはITVは民間企業ではなく、独立テレビ協会(ITA)という公的機関が運営しておりました。その機関が各地の民間テレビ局に放送免許や機材を貸与し、ITVネットワークの放送を委託していたのです。また、ITAは各放送局の番組内容を厳しく審査し監督していました。
このような複雑な仕組みでイギリスの民放テレビが始まった理由は、先のBBC中心主義によるものでした。
イギリスは当時アメリカのテレビ界における商業主義に対するアレルギーが未だ強いままでした。その一方で公共放送BBCに対する信頼はとても篤いものでした。そのため新しく開局する民間テレビ放送には、公共放送BBCと同様のクオリティが強く求められたのです。その結果、先のような不思議な運営方法がとられたのです。
この体制は長きに渡り大きな変化はなく続けられてきましたが、1980年代、国際的なマルチメディア時代に入りイギリスのテレビ放送業界にも変革の時が来ました。以前の「日本のテレビはなぜつまらないのか」の記事の「新陳代謝の少ない日本のテレビ」の章で紹介したイギリスITVを運営するITC(独立テレビ委員会)の取り組みがそれです。ITCはITVネットワーク傘下のテレビ局4局から免許を剥奪し、代わりに新たに参入する4局に免許を付与しました。これによりITVネットワークの放送局に競争意識を持たせ、イギリスの民放の商業化を促したのです。
つまり、イギリスでは日本のような公共放送対民間放送の構図が生まれたのがここ30年のことなのです。
こうした問題はイギリスのみではなくヨーロッパ大陸でも起き、そして大陸の方がより深刻でした。
ヨーロッパ各国には公共放送がどの国にも存在していましたが、民間放送局は1980年代までほとんど存在しませんでした。ヨーロッパ各国ではテレビも含めた放送は道路と同じく公共物として考える思想が根強く、公共放送以外のテレビの参入が認められていなかったからです。中でもオーストリアでは2000年代まで民間テレビ局は存在していませんでした。
一例としてフランスを挙げますと、1974年までフランスのテレビは公共テレビORTF(1964年まで国営)のみでした。1975年には当時のORTFの計3チャンネルが各チャンネルごとに分割・公営化されました。
フランスに民放テレビが初めて生まれたのは1984年に新たにカナル・プリュス(Canal +)が開局したときでした。
現在フランスの民放はCanal +や元公共放送のTF1などがあります。一方で公共放送は各局の財政状態の悪化から1992年からフランステレビジョンによる一元的経営になり、現在当局のチャンネルは7チャンネル(地上波は2波)存在します。
このようにイギリス・ヨーロッパでは公共放送独占体制が長く、そこに民間放送が共存するという経験が浅いのです。故に民間放送参入のインパクトは強く、同時平行で発達したBS放送への求心力も日本以上に強くなったのです。
【アメリカの場合・民間放送中心主義】
一方でアメリカはイギリスとは対称的です。
アメリカのテレビ放送は1939年から民間放送により始まり、それから多くの民間テレビ局が誕生しました。アメリカではテレビビジネスでも商業主義が盛んで、テレビ局は沢山開局する一方で閉局する局も多く、競争は他国で例を見ないほど盛んでした。
そんなアメリカの民放テレビを語る上で欠かせないのは「ネットワーク」です。民間放送の大多数はいずれかの「ネットワーク」に属しています。ネットワークとは全国ネットの番組を複数局で一斉に放送するためのシステムです。ネットワークに加盟する放送局は広告収入の一部をネットワークの口座に納め、集められた広告収入等から放送局にネット保証金が支給されるのです。
これは自社単独で番組製作・放送を行うよりも財政面の安定や番組コンテンツの充実を図れる効率的なシステムであり、全国ネットの番組を放送するためのより効率的な方法でもあります。
アメリカの民放のネットワークには、通常傘下の放送局とは別にネットワークの統括をするための会社があります。その会社は統括業務のみに専念し、実際の放送を行う放送局は全て傘下のローカル局になります。ニューヨークやワシントンDCといった大都市の放送局も同様です。
そのためアメリカの全国ネットの番組は各ローカル局や番組制作会社による製作になります。全国ニュースもグループ内のニュース番組を作る会社が製作しています。
アメリカでは長らく公共テレビ放送は存在していませんでした。しかし、民間テレビ局間のし烈な競争は、番組内容の過激化や低俗化をもたらしていました。これによりアメリカでは公共的な放送局への期待が高まっていました。
そこでアメリカ連邦政府はその設置のための基金を創設し、1969年に公共放送PBS(公共放送サービス)が放送開始しました。これはPBSの全国ネットワークの元締めと系列局がNPO 団体であるという特徴を持っています。
PBSは日本のNHKとは異なり系列局に本局と地方局の区別はありません。すべての放送局が対等な立場であり、全国ネットの番組は各地の系列局の製作したものを組み合わせて放送しています。系列局にはそれぞれ得意分野があり、ドキュメンタリーが得意な局、ドラマが得意な局、ニュースが得意な局などそれぞれが秀作を持ち寄ってPBSのプログラムを作っているのです。
なおPBSの放送は無料放送で、各局の財源はアメリカ連邦政府や州政府からの補助金、または個人や法人からの寄付、広告料によります。各局の設立母体は様々ですが、大学や学校法人も存在します。
このようにアメリカでは民間放送主体から後付けで公共放送が誕生したのです。
なおアメリカのように民間テレビ放送が先に発達した例は香港があります。
香港では1967年に民放のTVBが香港初の地上波テレビ放送を始め、紆余曲折を経て亜洲テレビとの民放2局体制が1970年代より長年続きました。その後亜洲テレビが廃局し新たに3局参入しましたが、その中の1局に公共放送の香港電台(RTHK )がありました。香港の公共テレビはRTHKが初めてで、放送開始は2014年とかなり新しい部類でした。
ちなみにRTHKは1920年代にラジオ局として開局し、1970年からテレビ番組の製作を始めております。製作したテレビ番組は2014年のテレビチャンネルの開設までは既存の民放テレビのチャンネルで放送しておりました。
RTHKも先のPBSと同じく受信料はありません。運営資金は香港政府から出されています。
なおこのアメリカや香港の例と日本は全く関係ないように思えますが、実はある地域においては当てはまります。
沖縄県の沖縄本島ではアメリカ占領時代の1959年に民放テレビが開局しましたが、公共テレビ放送はその後1968年に沖縄放送協会(OHK)が開局したのが初めてでした。それまでNHKの番組は民放テレビ局でスポンサーをつけて放送されていました。
民放の方が公共放送に先駆けてテレビ放送が始まったのは日本国内では沖縄だけでした。
OHKは後にNHKに組み込まれますが、発足当時から受信料を徴収していました。しかし、民放の無料放送に慣れていた沖縄の人々は急遽始まった受信料のシステムに反発を覚え、受信料の未納が相次ぎました。今日でもそれが尾を引いているのか、沖縄県の受信料徴収率は全都道府県の中で最低となっております。
このように公共放送主体のイギリス・ヨーロッパ型と民間放送主体のアメリカ型では、公共放送と民間放送のあり方は上のように異なります。そしてそれ故に起こる問題提起も両者間で変わってくるのです。
しかし、その両者とは違うモデルで公共放送と民間放送の併存の問題に直面した国もございます。
【(特殊例)韓国の場合】
ここまで挙げたイギリスやアメリカの例とは更に異なるのが韓国の例です。
韓国には公共放送のKBSとEBS、民放のMBC、SBSなどの放送局がテレビ放送を行っています。
公共放送KBSはEBSとともに受信料収入で運営されており、チャンネルは第1テレビと第2テレビがあります。しかし、この内KBS第2テレビではTVコマーシャルが流されており、広告料収入を得ています。公共放送なのになぜそのようなことをしているのでしょうか。
実は元々KBS第2テレビは本当に民間放送だったのです。元は1969年に開局した「東洋放送」という民間放送局のチャンネルでした。それが今のようになったのは1980年のことでした。
当時の軍事独裁政権の全斗煥政権が打ち出した「言論統廃合」政策により、韓国全土のテレビ局はKBSかMBCにすべて統合させられたのです。この政策の目的は独裁下での言論統制のためでした。これにより東洋放送はKBSに統合され、当局のテレビはKBS第2テレビとなったのです。
しかし、この政策は急に行われたため放送局の設備や経営体制などはそのままでした。その為KBS第2テレビでは公共放送なのにもかかわらず東洋放送時代と同じくCMを流すことが許されたのです。
現在はこの政策は行われておりませんが、このときの名残でKBS第2テレビは広告放送を続けています。
そしてKBSの第1テレビは韓国最初のテレビチャンネルですが、実はこれも元々民間放送でした。このチャンネルは1956年に民間放送の大韓放送のチャンネルとして開局しましたが、1961年に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領がクーデターにより就任すると当時ラジオのみであった国営放送局KBSに統合され国営化されました。(なお、1969年に民間放送のMBCのテレビ放送が始まるまで韓国唯一のテレビ放送でした)その後1973年にKBSは公共放送となり今に至ります。
同じく公共放送のEBS(韓国教育放送公社)は元は1981年にKBSの教育チャンネルとして開局し、1990年に分社化して成立したものです。
ちなみに韓国の受信料徴収は電気代に組み込まれる形で行われます。その為、受信料の未納はあり得ず合理的な仕組みになっています。
また民間放送にも変わった仕組みがありました。日本の民放テレビ局は自社番組のスポンサーを自社の営業部等を通じて募りますが、かつての韓国ではテレビ局の自由な営業活動は禁止されていました。
それは1980年の言論統廃合によるもので、それによる言論統制はテレビコマーシャルにも及びました。
製作されたコマーシャルはすべて公共機関である「韓国広告放送公益公社」を通して、そこの検閲に合格したものを当公社が各民放テレビ局に直接分配していたのです。
この制度は独裁政権が終わってもなお長年存続しておりました。しかし違憲訴訟が行われ2008年に違憲判決が出されました。これにより2009年にはこの制度は廃止されました。
このように韓国のテレビ放送は公共放送も民間放送も関係なく政府の干渉を受けたり、他方で公共放送に民間放送のシステムが食い込むという、不思議な状態になっていたのです。
もちろんこれは韓国の当時の政治事情によるものですが、このケースは非常に面白いケースです。
【日本の公共放送と民間放送は?】
さて、これらの例を見て、日本の放送業界がどのような特徴があるか分かった方もいらっしゃると思われます。
日本は1926年にイギリスの公共放送主導型にならいNHKの独占によりラジオ放送がスタートしましたが、1951年の放送法で民間放送が認められアメリカを模範とした放送ビジネスの拡大にシフトチェンジしたのです。この頃にテレビも産声をあげ、テレビはNHKが全国展開するのとほぼ平行して、民間放送も各地で開局しました。
そして、高度経済成長や先進国としての経済的な繁栄のもと、日本のテレビビジネスは地上波だけでも非常に大きいものとなりました。それは日本がどの国よりも先駆けてアメリカ的な商業放送ビジネスを官民挙げて導入し、尚且つ戦前からの経済的な資源の厚さという強みがあったからです。
よって公共放送NHKと民間放送の関係は早くより特異なものとなりました。
NHKは先程のイギリスBBC的な放送業界をリードする模範的な立場において公益を優先する番組作りをするも、数多くの民放各社とは激しい競争を強いられるというアメリカ的な状態にもおかれております。
例えばNHKの「バリバラ」では障がい者の方々が自身の障がいについてざっくばらんに語り合います。その中で民放の障害者を特集する番組に対して「障がいを乗り越えるというドラマが神格化され過ぎている」と批判する企画が放送されたことがあります。これは、民放の番組を意識しながらNHKの番組が製作されていることの現れであり、しかも「バリバラ」の当該回が批判している民放の番組の裏で放送されたことも面白い点でした。
また、NHKは公共放送の強みから報道番組に力を入れており、民放の報道番組と激しい競争を繰り返しております。特に夜9時のニュースと放送時間の近いテレビ朝日の「報道ステーション(とその前身のニュースステーション)」とは長年競争しており、一時期9時のニュースをテレビ朝日と同じ10時に移し、論調もライバルとは反対のものにしていました。
このようにNHKでは番組の公共性を保ちつつも、それを武器として視聴率戦争で民放局と戦うという構図が見られます。
しかし、そのような二重性の見られる状況からNHKを民営化しようとしたり、受信料の未払いが相次ぎ受信料の徴収のあり方が度々問題となっております。
さらにNHKの解体を強く主張する政党が政界で勢力を強め、地方議会や国会で議席を得るに至りました。そして、この党の党勢拡大戦略は現在進行形で進んでおります。
そうした中で公共放送NHKの存続の仕方が問われております。
一方で民間放送も日本独自の発展を遂げました。
日本では各地に民放テレビ局が多数開局するにあたり、全国ネット番組を効率的に放送するための「ネットワーク」が形成されました。これはアメリカと同様で、日本テレビ系列やTBS系列などがその例です。
しかし日本の民放のネットワークには、アメリカの民放ネットワークには無いシステムが存在します。それは「キー局」のシステムです。現在の日本では東京で放送を行うテレビ局がそれぞれのネットワークの元締めとなっており、特に全国ニュースは全てキー局が製作することが慣習化しております。これはNHKのように東京の中央放送局に各地方の地方放送局がぶら下がるような組織形態に似ています。
このような民放のネットワークのシステムは、量的に充実したプログラムを日本全国にあまねく提供することに寄与しております。日本では世界でもアメリカの次に早く朝から晩までテレビ番組を切れ目なく放送する体制(これをブランケット・カバリッジと呼びます)が整いました。そのため日本はテレビ文化の華の時代を世界のどの国よりも早く経験することができたのです。
しかし、東京のキー局が番組製作の中心になることで、東京寄りの情報が他の地方の情報よりも圧倒的に配信されるという情報偏重の問題も起きております。番組制作能力も東京キー局、大都市の放送局、その他地方の放送局となるに従い弱くなります。そのため放送局の自社制作率はキー局では9割近くになるのに対して、大阪の放送局では5割ほど、地方の放送局では5%以下になる例も珍しく無いのです。
日本において、公共放送と民間放送の共存することによる問題は上のようになります。もしこの問題が引き続き続くのであれば、日本の放送はあらぬ方向へと変化する可能性があります。
日本ではテレビが国民生活のあり方を決めている側面がありますので私たちはこの問題についていずれ関わることになるのです。
【こぼれ話】
さて、今回の公共放送と民間放送の共存の話は以上ですが、ここからはメインの話題に関係ないこぼれ話をさせていただきます。
(1). 公共放送でCMが流れる?!
日本において公共放送といえば、NHKのようにCMは流れないイメージが強いと思われます。NHKの模範であるイギリスBBC、あるいはお隣の韓国のKBSも一部のチャンネルを除きそのようになっております。
しかし、海外の公共放送を見ると実はCMを放送する局の方が多数を占めるのです。世界の公共放送で広告を放送しないのは、NHKやBBCのほか北欧各国ぐらいです。概ね法律によりCM放映には放送時間などの制約が掛けられているものの、CMを放送する公共放送局は受信料や国庫からの支出金と併せて広告収入を得ているのです。
例えば、フランスの公共放送を運営しているフランステレビジョンの収入は2008年時点で、テレビ税(受信料に等しい)が68%で広告収入は28%でした。実に収入の3割がCM収入に依ります。局の運営に欠かせない存在です。
このフランステレビジョンではCMを放送するときにCM枠のオープニングとエンディングの映像が流されます。これはフランスの公共放送で1970年代から続いている慣習です。
(2). 民放なのに国の物?!
また、世界の民間放送の中には局の株式の過半数を政府や官公庁が所有している放送局もあります。
例えば韓国のMBC文化放送はCM収入で運営される株式会社でありますが、発行株式の7割を公的機関である放送文化振興会が保有するという事実上の公営放送となっております。
元々MBCは純然たる民間放送でしたが、1980年の言論統廃合により株式の7割を公共放送KBSが所有することになり、それから公的機関がMBCの大株主になるという状況になったのです。
台湾でも過去に同じ事例が起きておりました。現在台湾には全国ネットの地上波テレビ放送は5局あり、その内3局は民間放送、2局は公共放送です。
この民放3局とは台湾テレビ(TTV)、中国テレビ(CTV)、FTVのことですが、2000年代までTTVは台湾省政府(台湾政府とは別)、CTVは中国国民党が大株主でした。
公共放送は、台湾公共テレビ(PTS)と中華テレビ(CTS)の2局です。今公共放送であるCTSはかつては民間放送でしたが、当時の大株主は教育省と国防省でした。後に2006年にこの2省に代わり、公共放送PTSが大株主になりCTSは公共放送となりました。なお、テレビCMは現在でもCTSで放送されています。
なおPTSは特別法の下で台湾政府からの補助金で運営される、1997年に開局した台湾初の正式な公共放送局です。
また、日本でもこれに近い放送局があります。福島県の福島テレビ(フジテレビ系列)は民間放送の株式会社ですが、発行株の半分を福島県庁が保有するという状態が1963年の開局以来続いています。
これは福島県で初めての民放テレビ局として福島テレビが開局するにあたり、放送免許の出願者間の協議が尋常ではないほど難航したため福島県が仲裁に入り、県が株式の半分を持つことで合意したという経緯があるからです。
(3). 平成になっても民放が見れない地域
最後に日本の事例ですが、日本では平成に入るまでNHK以外のテレビを視聴できなかった地域が存在していました。
沖縄県の大東諸島では、1975年にNHKのテレビ送信所が置かれ、初めてテレビ放送が行われました。それから1998年までの23年間に渡り大東諸島ではテレビはNHKの放送しか視聴出来ない状態が続きました。
当初は沖縄本島のNHK沖縄放送局から放送用テープを空輸して南大東島の送信所から放送しており、1日の放送時間は4時間でした。1984年には当時始まったNHKのBSテレビ放送を中継する形になり、遂に1998年には東京のNHKと一部の民放キー局の地上波テレビプログラムを通信衛星を介して中継し放送する形になりました。
さらに現在では、全国的なテレビの地デジ化に合わせ大東諸島とは遠く離れた沖縄本島の全テレビ局から通信ケーブルで放送を中継することとなり、2009年に初めて沖縄本島と同じ番組を同時に視聴できるようになったのです。
八重山諸島では公共放送の沖縄放送協会(OHK、後にNHKに統合)により1967年に石垣島と宮古島で初めて地上波テレビ放送が始まりました。
その後1993年まで八重山諸島では民放の地上波テレビ放送は行われていませんでした。
理由は民放局のある沖縄本島から八重山諸島はあまりにも遠く自前の中継回線(ケーブル)の敷設に莫大な費用がかかるからでした。NHKも1976年まで同区間に中継回線は無く、それまで石垣島と宮古島の放送局は独自の編成をしていました。
それまでは、石垣島と宮古島で1970年代後半に開局したケーブルテレビでの、沖縄本島で録画された民放の番組の放送が、唯一の民放番組の視聴方法でした。当然ニュース番組も生放送ではありません。
東京都の小笠原諸島の父島と母島でも、1977年にケーブルテレビで本土のテレビの録画放送をしたのが初めてのテレビ放送でした。1984年にNHKのBSテレビ放送が始まると、島内の中継局でそれを受信し地上波で再送信していました。後に1996年からは東京の地上波テレビ全局を視聴出来るようになりました。(中継方法は当初は通信衛星で、地デジ化の際に八丈島からの通信ケーブルに変更。同時に送信方法も地上波からCATVへ。)
今回の記事も長くなりましたが、今日も最後までありがとうございました。
2020年12月20日