ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

ACジャパンの50年

こんにちは、ずばあんです。

 

さて、今年2021年はACジャパンが設立から50周年です。

 

このACジャパンは2009年までは公共広告機構という名前でしたが、名称変更し今に至っております。この団体は数多くの広告作品を制作し、その中には有名なものが少なからず存在します。

 

しかしながら、この組織が何を目指して沢山の広告を作るかはあまり理解されておりません。今回はこのACジャパンの誕生と活動と、その背景を述べていきます。

 

 

【日本の公共広告の誕生〈AC誕生〉】

 

 

さて、日本で公共広告への機運が高まったのは1950年代後半のことです。この頃は高度経済成長の真っ只中で、日本全体が敗戦国から世界の一大経済大国へ向かう潮流に乗っていた時代です。商業活動はますます跳躍し、生産と消費が共に増えていった時代でした。

 

この時代の広告は、商品を生産者が消費者にアピールするためのものであり、商業主義の中で製品の魅力を伝えるものでした。やがて次の10年で国民生活が豊かになるにつれ、それは理想の豊かな生活像をアピールするものとなりました。しかしそれはあくまで生産者たる企業の目線によるもので、その「外側」に対する関心は未だに薄いままでした。

物質的に豊かになるにつれ、国民の道徳心はやがて荒廃していきました。マナー違反やゴミの不法投棄はあちらこちらで見られるようになりました。

 

こうした中で広告業界ではこうした問題にスポットを当てる広告作りへの関心が強まりました。現在でも広告業最大手の電通の当時の社長・吉田秀雄氏は1959年に自社を中心に公共広告団体「全日本広告協議会」の構想を公表しました。そして1962年にこの団体は設立総会が開催されましたが、関係各団体の協力が不調に終わり、かつ吉田氏の死去に伴い全日本広告評議会の動きは消滅しました

 

日本初の公共広告への挑戦が失敗したあと、公共広告に挑戦したのは大阪財界でした。そしてそれが今のACジャパンの興りでした。

この動きのきっかけは、大阪万博・エキスポ'70の開催でした。この時万博開催において不安を抱えていたのは、当時のサントリーの社長・佐治啓三氏でした。サントリーは大阪に本社を置いており、地元大阪での万博の開催は強い関心事でした。そこで佐治氏の不安の種になっていたのは、日本国民のマナーの欠如でした。当時の日本ではゴミのポイ捨てや不整列など公共の場でのマナーが壊滅的な状況でした。そしてそれは佐治氏の地元大阪でも同じことでした。

その佐治氏が公共広告に関心を示したのは1969年にアメリカへ出張したときのことでした。佐治氏は現地で公共広告を目撃し、公共広告の可能性を強く意識しました。公共広告とは、大量消費社会において発生する公害などの問題を提起する、通常のCMとは異なる広告のことです。公共広告は英語圏ではPSA(パブリック・サービス・アナウンスメント)と呼ばれますが、アメリカではそれはアメリカ広告評議会(Ad Council)という非営利団体が既に行っていました。佐治氏は日本人のマナー向上に資するものとして公共広告に強い期待を抱いたのです。

佐治氏は万博開催に向けて、日本初の公共広告の制作に向けて地元大阪の経済界や広告業界に呼び掛けました。その結果、万博には間に合わなかったものの、1971年に社団法人関西公共広告機構を設立し翌年から公共広告活動がスタートしました。

当初は関西ローカルでの活動でしたが後に組織拡大を進め、名称を「公共広告機構」に変更し、1976年からは全国での活動を開始しました。それから地方の事業局を徐々に増やし、1987年には「AC公共広告機構」の呼称の使用を始め、2009年には「ACジャパン」に名称変更をしました。

 

ここまでの動きで分かるのはACは日本における公共広告のパイオニアとなったことです。これまで商業広告しかなかった日本の広告に、日本の公共問題に関心を寄せる公共広告をもたらした初の団体だったのです。

なおACは普通の会社ではなく、公益のために資する団体(公益社団法人)です。ACの会員である企業や団体、個人から会費を集めて運営されております。広告制作時には会員である製作部門に実費のみが支払われます。同じく会員である放送局や出版社は広告収入を得ていないので無料でACの広告を放送・掲載しております。普通の会社のCMが製作から放映掲載のために広告料を放送局や出版社などに支払うのとは異なります。

 

なお、似たようなCMを作る組織に政府広報がありますが、政府広報はあくまで日本政府という国策を代表する立場から広告をする組織です。もちろん公共広告と領域が被る部分もありますが、行政改革や領土問題、北朝鮮による拉致問題など公共の立場から外れた問題も取り扱うので、厳密に公共心に立脚した立場とは言えません。

同様の理由で、ACの広告と内容の被る、企業や団体の意見広告も公共広告とは言えない場合もあります。ACは公共広告でも、特定の団体の利益に与する広告を製作しない方針を立てております。ここら辺に公共広告とその他の差が見られます。

 

 

 

【日本の公共問題の歴史】

 

 

公共広告は公共問題を人々に周知するための広告ですが、その公共問題がどのように変化したかをACの活動と共に追っていきます。

 

ACの活動が始まった1972年当時、日本の公共問題はマナーの欠如や道徳心の低下、福祉問題、ゴミ問題でした。AC第一号の広告は映画評論家でテレビ朝日の「日曜洋画劇場」の解説役として有名であった淀川長治氏が出演されたものでした。そこで淀川氏はタバコのポイ捨てを例にマナーを心得る大切さを訴えます。

 

このあとACの活動規模は大きくなっていき、わずか数年で年に数十本の作品を作るに至りました。

 

その中でACの扱う社会問題は変化しました。1973年と1979年に国際情勢の変化によりオイルショックが発生しましたが、それはACの活動に大きな影響を与えました。オイルショックは日本経済に多大なる影響を与え、高度経済成長にストップをかけ一転自粛や省エネの機運が高まりました。そして、不況に入り人々の将来への不安は高まり、薬物乱用や自殺も社会問題になりました。

この時期のACの活動もこれに呼応し、広告では資源の有効活用や食料廃棄防止を訴えるほか、非行や自殺を防止するメッセージや、社会全体での共助を促すメッセージなどが発信されました。1981年には炭鉱が閉山し無人島化して間もない軍艦島長崎県)を題材に、資源を持たない日本のエネルギー事情を訴える広告を製作しました。

 

この後の1980年代には、校内暴力や非行、いじめなどの子供の問題がトピックされました。1983年には戸塚ヨットスクール事件が発覚し、1985年頃にはいじめ自殺が社会問題となりました。1989年には足立区コンクリート殺人事件が発覚し、未成年の凶悪犯罪への関心が高まりました。この頃のドラマや映画を見ても「金八先生」「スクール・ウォーズ」「僕たちの七日間戦争」など思春期の少年少女の悩みや苦しみが描かれております。

ACもこの頃にいじめ防止のキャンペーンを発表したり、「金八先生」で有名な俳優の武田鉄矢氏出演の非行防止キャンペーン等を発表しました。この時代は子供の教育問題に強く関心が持たれた時期でした。

 

また、1980年代後半にはACは全国キャンペーンに並行し各地域ごとのキャンペーンもスタートしました。これはACの各地方事務局によるものでした。例えば名古屋の事務局では、当時愛知県などで問題になっていた駐車違反の防止を訴えるキャンペーンが打たれました。また、軽犯罪が多発していた大阪でもコミカルにその防止を訴えるキャンペーンが製作されました。

 

時代が昭和から平成に移り1990年代になると、環境問題への関心が高まりました。水質汚染や森林破壊、生態系の改変に伴う絶滅危惧種の危機、などです。当時の国連の国際会議でも経済開発に関連して、環境問題が盛んに話し合われておりました。ACもこれに応じ「ウォーターマン」「森のニングル」「日本最後のトキ」などのキャンペーンを打ちました。

また、ここから社会のグローバル化に伴い、全世界的な問題や国際強調への関心も強くなりました。最貧国への援助、地球温暖化問題などがそれです。ACのキャンペーンでは「消える砂の像」「枯れる命の木」「HELP」がそれに当たります。

 

同時にこの頃から、ACの活動は医療問題へより注力するようになりました。献血アイバンクは昭和時代からキャンペーンを行っておりましたが、それらに加え骨髄バンクや臓器提供、ポリオ、白血病脳卒中エイズ、肝臓疾患などのキャンペーンも行うようになりました。

 

2000年代に入るとネット社会に入りネット上でのマナーを訴える作品も出てきました。ネット上での悪口や誹謗中傷の恐ろしさを訴えたり、それをする側の消えない罪を訴える広告が出てきました。そして通り魔や誘拐などの凶悪犯罪が増えたことで、それらに警戒することを訴える作品も作られました。人をシマウマに見立てて、集団下校を訴えた作品がそれです。

 

更に2010年代に入ると個人主義がより一層台頭し公共心の欠如が問題となりました。ペットが安易に棄てられる事案を取り上げた広告や110番や119番への緊急通報が急を要さない事案で使われる事案を取り上げた広告もこの頃に出されました。

 

このようにACの歴史は日本社会の歴史を反映しています。公共マナー啓発から省エネ、少年犯罪、環境問題、ネット社会、利己主義の台頭・・・と社会の変化を見てとれます。

 

特にACは公共心という立場から日本社会を見ているため、ACの広告は公共心とは何かを確認するためのいい例となっております。

 

 

【AC・次の10年は?】

 

 

日本のACは今年で設立から半世紀を迎えました。これまでの流れは既に述べましたが、この先はどうなるのでしょうか。

 

この先の日本社会は大改革に取り組むことを余儀なくされるでしょう。

新型コロナウイルス感染症の流行による影響はもちろんのこと、同時に人種差別や社会分断への対処に取り組まざるを得ないでしょう。IoTの浸透はますます進むでしょうし、全年代における教育の重要性はもっと強まることは避けられません。治安維持のあり方も変化することでしょう。日本はこれまで以上に変動することになるはずです。

 

そのなかで公共心のあり方も変動することになるでしょう。公共心に対する期待が膨らむ一方で、公共心への投資の重要性は見えづらくなると思われます。変革のなかで人々が翻弄されるなかで、自分の利益は見える一方で他人との関係や自分の立ち位置は見えにくくなるからです。

この中でACは公共心を発揮する上で、2020年代に危機を迎えるであろう「人間性」を自らが範を示しながら活動することになるでしょう。すなわちAC独自キャンペーン以外の外部の団体との提携によるキャンペーンにより傾いていくことになるでしょう。ACは分断がより進む社会の中で各団体の公共的メッセージを発信するための貴重な結節点の役割をより強めるのです。

 

また、ACの公共広告の範型が海外に輸出される可能性が考えられます。今の発展途上国において、公共広告はこれから新しく作られ始めるからです。公共広告は平時では高度経済成長の中で誕生するものです。高度経済成長ではたくさんの問題が発生し公益が大いに損なわれてしまうからです。新型コロナもその内の一つと言えるでしょう。新型コロナのような疫病は人が密集する高度経済成長のような国においてまさしく脅威ですから。

 

あくまでこれらは予測ですが、ACのレガシーとこれからの社会の変化と人々の危機を見ていくと、ACのこうした役目への期待はますます強まるでしょう。ACの次の10年はおおむねそうなるでしょう。

 

 

 

【おしまいに】

 

 

テレビを見るとたまに見るACの広告は数多くある広告のなかでも際立つ存在です。10年近く前までだと広告の最後の「エーシー♪」のサウンドロゴが公共広告の代名詞となっておりました。

 

ACの役割は現在のネット、マルチメディア時代において人々に今なお期待されているものです。ACに伝えてほしい問題というものがネットに書き込まれることがあります。(まあACは公益という、国益にも私益にも属さない領域に限り広告活動を行うのですが。)ACは公共という立ち位置にいるからこそ説得力のある強いメッセージを届けられるのです。

 

ACの広告は印象に残りやすい一方で怖いと言われることもあります。確かに明らかに怖あと思われてもおかしくない広告もあります。正直私も一部の広告は怖いと思いました。ですが、それはただの畏怖や脅迫ではなく自分がいずれ対峙する問題を的確に示してくるからという信頼の裏付けでもあります。ACがそういう団体であることは日本国民は誰でも知っているのです。だからこそ「怖い」のです。

 

これからは公共心は更なる危機を迎えますが、ACは公共心を代表する日本で一番有力な団体の一つとして危機を打破していくこととなるでしょう。

 

今回の記事は以上です。最後までありがとうございました。

 

2021年2月20日

【読書感想】「会計が動かす世界の歴史」

みなさまこんにちは、ずばあんです。

 

ここで質問です。みなさまは「簿記」や「会計」に興味はございますでしょうか。

 

私は実は簿記や会計に全く興味の無かった人間です。私の大学では会計や簿記に興味のある学生の人は沢山いらっしゃいました。日商簿記2級を取ろうとする人も結構いました。

しかし、私は会計に全く興味を持てず2度も会計学の単位を落としました。複雑なわりに会計の処理の目的が理解できなかったのです。会計の知識よりも、会計に興味を持った動機の方を教えていただきたいくらいでした。

 

そんな私がつい最近読んで面白いと思ったのは、「会計が動かす世界の歴史」という本でした。著者はブロガーで会計史研究家のルートポートさんです。この本を立ち読みしてチラッと見たときに面白そうだったので、全部読んでみたら最後まで楽しめる内容の詰まった本でした。

 

そして何よりも、会計に興味を持つ人の姿を手に取るように見れたことが最高のポイントでした。

そこで今回は「会計が動かす世界の歴史」の感想を述べていきます。

 

 

【内容】

 

 

「会計が動かす世界の歴史」は次のような、内容になります。

 

 

始めに、有名な偉人の話からお金簿記の話を取り上げます。

続いて、簿記が古代メソポタミア文明で文字が生まれる前に誕生したことを解説します。その後中世イタリアの共和制都市国家ベネチア複式簿記公証人制度が誕生した過程を述べます。しばらくしてイタリアの都市国家海上保険の原型が誕生したことを述べます。

このあと16世紀から18世紀にかけて、監査報告書や株主総会の誕生など、組織の外部の人が見るための会計が発達する過程を、歴史上の事件に絡めて述べております。

そして、19世紀にイギリスでの産業革命により鉄道事業が興り、それが公認会計士制度を産みさらには簿記理論が体系化されて会計学になるまでが述べられております。

最後に消費税や仮想通貨、AIについて触れ、日本経済の今後の展望を述べて本書を締めております。

 

 

このように本書は、具体的なエピソードを多用し、簿記や会計の誕生を物語形式で述べております。会計の授業や教科書では述べられない、簿記や会計を使う人の歴史がありありと描かれております。

 

簿記に欠かせないお金の歴史も詳しく述べられております。こちらは歴史を知らないひとでも楽しめます。歴史をある程度知っている人にも面白い内容です。

 

 

【感想・会計への疑問】

 

 

この本を読んで、大学時代に簿記の勉強をしているときに沸き起こった疑問や空虚感が消化されていくのを感じました。

なぜこの書表を作らなくてはいけないのか、どうしてこの項目が必要なのか、そもそも書表をどう使うべきなのか、そうした人に聞けない疑問に本書がどのように回答したかを述べながら感想を述べていきます。

 

①なぜ貸借対照表損益計算書が必要なのか

 

私が会計学を勉強していたときに、まず基礎として教わったのがこの貸借対照表損益計算書でした。この二つはそれぞれお金の出所とお金の動きの理由を表したものでした。

貸借対照表損益計算書はそれぞれ書表の左右が「借方」と「貸方」の二つに別れて記入されております。そして、この二書表の借方同士と貸方同士の和を求めると、お互いの値は一致するという仕組みになっているのです。

私がこの二書表を勉強しているときは、それぞれの別々の役目に気を取られておりました。

 

しかし、この本を読んで私は初めてこの両書表の役目を知りました。貸借対照表損益計算書は実は正確な簿記のための合い言葉だったのです。それぞれの役目よりも、それぞれの借方同士と貸方同士の和が一致することが一番重要だったのです。

 

簿記自体は古代メソポタミア文明のころから行われてきましたが、「正確な簿記」への要請は中世のベネチアから誕生したのです。これは当時共和制だったベネチアには王がおらず、商業をする上で信用を担保してくれる絶対権威たる「お上」がいなかったからです。このお上に変わって商人の信用を担保したのは数字や言葉の正しさでした。

それが中世ベネチアで正しい契約書を担保する公証人制度、そして正しい簿記を担保する複式簿記貸借対照表損益計算書を発達させたのです。

よって貸借対照表損益計算書は2つで1つの役目を果たしているのです。

 

② 沢山の種類の財務諸表ってなぜ必要?

 

さて今度はそれ以外の財務諸表がなぜ必要なのか気になります。キャッシュフロー計算書やその他諸々の財務諸表の名前は聞くのですがなぜこんなに財務諸表の数が増えていくのでしょうか。一体何のためにその財務諸表が必要なのでしょうか。

 

本の内容に戻ると、元々現代の会計の系譜は貸借対照表損益計算書に始まります。この時は自分の店の人間だけが見ることを目的とした簿記でした(日本の江戸時代の高度な帳簿もそうでした)。そこから諸々の財務諸表が作られた目的と切っ掛けは次の通りです。

 

17世紀にイギリスの貿易を一手に担うイギリス東インド会社が作られました。これは世界初の株式会社として作られましたが、世界初の株主総会もこの時行われました。この時から組織の内部情報としての簿記が、外部に向けた情報となったのです。

この時に外部の株主の関心事になったのは「今どれだけ現金があるか」なのです。これまでの貸借対照表損益計算書だけではそれが分からないので、今現金がどれだけあるかを示す「キャッシュフロー計算書」が作られたのです。ここで初めて株主向けの諸表が作られたのです。

 

また監査報告書もこの頃に作られましたか、これは「南海泡沫事件」が切っ掛けでした。この事件は18世紀のイギリスで起こった貿易会社「南海会社」による意図的な株価暴騰とそれによるバブル崩壊でした。これにより株式市場は混乱し南海の経営陣はイギリス政府により責任を問われ、世界初の監査報告書が作られたのです。

監査報告書とは会社の外部から会社の財政状況を分析評価して発表される会計報告書のことです。これは会社の社会的信用を保証するものです。

19世紀にイギリスで産業革命が起こると、この監査報告書はもっと複雑になりました。重厚長大型産業の誕生により「減価償却」の概念などが新しく生まれ、会計は専門知識となりました。これにより会計士のニーズが高まり会計士になる人が増加しました。デロイトなどの監査法人もこの頃誕生しました。

しかし、その中でモグリの会計士も増加したのでスコットランドで世界で初めて公認会計士制度が作られたのです。

 

このように組織の内部書類としての簿記から、株式会社の誕生やバブルの発生等を通じて、外部に公開する書類としての簿記に変化したのです。その過程の中で財務諸表は貸借対照表損益計算書の他にもあれだけ沢山増えたのです。株主向けの書類や他の企業向けの書類などいろんな立場に向けてそれぞれのニーズを満たした財務諸表が作られたのでした。

 

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主な疑問は上の通りでしたが、ここまでで各財務諸表が作られた理由が分かり、スッキリした気分でした。

 

財務諸表のルーツとその発展過程は会計に最初から興味のある人に聞きづらいことでしたので、ルートポートさんのこの本はとてもありがたいものでした。

 

会計は勉強すれば面白そうで内容も濃厚なのは、実際に会計に興味のある人を見れば分かります。しかし、私自身が会計を勉強すればするほど、会計情報の意図がよく分からない部分も出てきてそれが置き去りにされる感覚があり、会計の勉強を途中で放り出してしまいました。

そのため会計学はしばらく関心の外にありましたが、この本を読んでみて会計に関心を持つ人々の気持ちが分かった気がしました。

 

 

【おしまいに】

 

 

この「会計が動かす世界の歴史」は会計との接点が薄い人が、会計への興味を深めるのにいい本であると思います。

会計学は覚える項目が沢山あり、暗記主体となります。諸表も種類が多く、用途がイメージしづらいものもあります。よって会計・簿記に取っつきにくい人もいます。

 

そんな会計・簿記を敬遠している人が、会計へ親しむためにオススメなのがこの本です。内容も物語調で会計、簿記とそれを使う人々の姿がよく分かります。

 

もし興味のあるかたはルートポートさんの「会計が動かす世界の歴史」を是非お読みください。

今回も最後までありがとうございました。

 

 

2021年2月16日

 

続・失敗をどうしても気にする人へ

こんにちは、ずばあんです。

 

以前当ブログで「失敗をどうしても気にする人へ」

(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2020/09/25/053428)の記事を紹介しました。

 

そちらでは楽観主義とやめるという努力について主に述べました。今回はその記事に関連して、加筆したい内容がありましたのでそちらを紹介いたします。

 

 

アンナ・カレーニナの原則】

 

 

生態学の名著である「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイヤモンド、1997年)の中の1つの章で野生動物の家畜化が述べられておりました。そこでは家畜化の成功例は極めて少なく、失敗例はものすごく多いことが語られました。このように成功のパターンは少ないながらも、失敗のパターンは無尽蔵に多いことを本書では「アンナ・カレーニナの原則」と名付けました。

 

このアンナ・カレーニナの原則は、ロシアの文豪トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」から名付けられました。この小説は「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である。」という書きだしで始まり、そこから上の言葉が作られたのです。

 

私はこの言葉に思うところがありました。私は普段何かするときに「全部失敗しないようにしよう」としてきました。最初から全部予測して準備すれば失敗しないだろうと。しかし予測したのにも関わらず、何か異なる失敗をしてきました。別の失敗を防いだらまた別の失敗が起きるということが絶えず起こりました。これには度々辟易していました。

 

しかしある時から何か失敗しても取りあえず最終目的を果たそうと考えて行動したところ、失敗を気にすることは少なくなりました。それは、結局失敗が必ず起こるのであれば、それをカバーするだけの手段があれば取りあえず目的は果たせることに気づいたからです。

 

アンナ・カレーニナの法則に基づけば、失敗や問題の起こるパターンは、それがないパターンに比べてあまりにも無尽蔵に存在します。成功1に対する失敗例は沢山存在するのです。しかし逆に言えばそれが当たり前であり、問題が起きることは大前提なのです。その上で目的を果たそうとするのならば、特に気にするべきことはないのです。一番大事で望まれることは失敗しないことではなく、目的を果たすことなのです。

 

 

【失敗から教訓は学べるか?】

 

一方で失敗を反省したり、失敗から改善策を学んだりと、失敗を成功の糧にしようとする営みは広く行われております。

失敗をそのまま放置すれば失敗を何度も繰り返し成功は永遠にあり得ません。そのため失敗と向き合いその原因を突き止め二度と同じ失敗をしない取り組みが必要なのです。

 

しかし、それは成功の法則を学ぶ営みとは異なるものであります。先程のアンナ・カレーニナの原則では失敗の形は無尽蔵にあり、1つの失敗を防いだところで別の失敗をする可能性は非常に高いのです。成功のためには沢山の失敗を防止することが必要であり、遠く狭い道なのです。

故に無尽蔵にある失敗のうち、1つの失敗を防いだところで成功にはほど遠いのです。故に失敗から教訓を得るには1つの失敗のみならず多くの失敗を重ねるしかないのです。だから、教訓というものを学ぶには多くの失敗を重ねるか、あり得ないですが全戦全勝するしかないのです。

そのため、私はほんの一つの失敗から教訓を学ぶという行為はそれこそ不可能な道であると考えました。それは「失敗は成功の母」というよりは「柳の下のドジョウ」という方がいいのかもしれません。たかだか一回程度の失敗で得られる教訓はないのです。

 

以前の「許しを請うことをやめる生き方」の記事で、私は天罰を意識しすぎることを否定しましたが、何か不幸な目に遇うことは必ずしも神からのメッセージではないのです。あくまで、あり得る沢山の不幸の1パターンなのです。

 

したがって一つの失敗からすぐに学べる教訓は無いと考えられます。

 

 

【失敗を乗り越えたのは誰のお陰?】

 

 

なんだかんだ言って失敗を乗り越え、長い時間の果てに成功を得た人々は沢山おります。失敗を乗り越える例は数あまた存在するのです。ではそれは誰のお陰でしょうか?自分が失敗を乗り越えたことで誰に一番感謝すべきなのでしょうか。

 

それは紛れもなく自分自身です。自分自身の選択と行動により失敗を乗り越え、成功を手に入れたのですから。

 

こう申し上げますと、他の人の力もあっただろうとか人に感謝をしないなんてとんでもないという意見が寄せられるでしょう。それは本当にその通りであり、自分が単独で為したわけではありません。そこにはいろんな人々の力の総合があり、その上で自分の成果が作られているので、それに対する感謝は不可欠なことです。

 

しかし、そこで忘れてはいけないのが自分の意志や行動の存在です。自分が失敗を乗り越え成功に近づこうしなければ何も始まらなかったのですから。自分のお陰でなければ人のしてきたことは「恩着せがましい」か「感謝の押し売り」であることになるのです。それに答えることは、教訓のないものに過度に振り回される恐れがあるのです。人に感謝することと感謝の押し売りに答えることは別物なのです。

 

よって自分のお陰であることを認めて初めて、人の協力に感謝できるのです。そして、そこで人は自立しようとするのです。

 

 

【失敗がない世界はない】

 

 

人間はどこかしらで失敗するものでございますが、その捉え方を間違えますと自分にとって辛いものになります。どう失敗して成功するかは選べても、失敗しないことは選ばせてもらえないのです。

そのため、失敗することは大前提としてその中で生きやすい生き方を選択すればいいのではと思います。消去法でもいいですし、何か強い意思があるならそれを選べばいいと思います。それが自分に何か問いかけるものであればそれでいいと思います。後からそれを改めてもいいのです。

 

私は前記事で「楽観主義」や「やめるという努力」について申し上げました。失敗とどう向き合うか、失敗にどのように答えるか書き記した通りです。これと合わせて、どう成功して失敗するのかを選ぶという視点も失敗を気にしなくなることにとって大事であると思います。

 

ノーフリーランチ」という言葉がありますが、これは英語で「ただ飯は無い」という言葉であり、何かを得るには代償が必要となるという意味であります。ここでいう何かというのが成功で代償が失敗と解せるなら、成功と引き換えに必ず失敗をすることになります。いや、もしかしたらそれは失敗とは呼ばないかもしれません。必要な投資だったかもしれません。

 

もしこれで望まざる結果が起きても、続けるにせよやめるにせよ、失敗を引きずらなくて良いのです。気にしないほうが得なのですから。それをいつまでも必要以上に責め立てる人がいても、真に受ける方が損失なのです。

 

何にせよ失敗を引きずらない時が人は強いのです。

 

 

【おしまいに】

 

 

さて、私の人生は正直言えば失敗続きですが、私はある時から失敗の理由を考えることをやめました。それは結局いつまでたっても答えらしい答えが得られなかったからです。

その中で自分がずっと失敗の代償を払い続けるのが正直バカらしく思ったのでやめたのです。

 

もし失敗の理由がすなわち成功の理由があるのであれば、最初から何となく分かるので考える必要はないのです。考えなきゃ分からない失敗の理由はそもそも無いのです。元から失敗する運命にあった、意地悪な言い方をすれば話の通じない悪魔が何となくの悪意でハメたのです。

ここまで言えば、次からどうするかは分かりますね?人の人生の牽制をする悪魔と縁切ればいいのです。これが失敗を気にしないことなのです。

 

この記事は強い啓蒙や説教ではなく、同じ悩みの共有のつもりで書き記しました。それだけでも心が楽になる人が増えればと思いました。同じようなことをされている方は他にも沢山おられますのでそちらもご覧になっていただけたらと思います。

 

今回も最後までありがとうございました。

 

2021年2月15日

 

 

地方にテレビ局が少ないのはなぜ?

こんにちは、ずばあんです。

 

早速ですが、大都市圏とそれ以外の地域では見れる(地上波デジタル)テレビのチャンネルの数が異なることは常識となっております。

 

「うちの地域はテレビ東京見れないからね」とか「自分の所ではガキ使の特番やってないからね」という会話は珍しいものではありません。

 

私もこれは単純に地方と大都市圏との経済力が大きく異なるからと考えておりました。事実、放送局の経営に関わる広告収入と地域のマーケットの大きさには相関があるからです。

ところが、この事情について調べてみますと、その状況を生み出した事情と矛盾が明らかになりました。そして、その解決策についても密かに立てられていることも分かりました。

今回は皆様にそれらを紹介いたします。

 

 

【テレビ局の数と情報の多様性】

 

 

地方のテレビ局が大都市圏のテレビ局に比べ数が少ないのは、直接的には放送免許を与える総務省が地方に新たに開局枠を設けないからです。

 

日本のテレビ局は開局に辺り総務省の認可を必要としますが、その認可は国のチャンネルプランに基づいた開局枠から下りています。開局枠はその放送対象地域の人口や経済規模などの要素から放送局数を決定し設定されます。つまり放送局の数は地域の経済力に比例するのです。

一見して納得のいく理由に思えますが、ここである可能性を考えられます。それはひとつの会社が沢山テレビ局を運営することです。

普通の会社を見れば分かりますが、全国津々浦々に支社を設置している企業は沢山あります。テレビ局も各地に支社をつくり、各地でテレビ放送を行えば地方の経済力に関係なく放送を行えます。そして地方でも沢山のチャンネルを視聴できます。

 

実はこの事は総務省、そしてその前身の郵政省も気付いておりました。しかし、それを許さなかったのはある理由からでした。それはマスメディア集中排除原則です。

 

マスメディア集中排除原則とは、特定の会社(新聞社・テレビ局・ラジオ局等)が複数の放送局をある程度以上支配することを禁止する原則です。

この原則ではある放送局の株式の総発行数の1/10以上を特定の会社が保有するときに、その会社は別の放送局の総発行株式数を一定割合以上(ある放送局と同じ地域の放送局ならば1/10以上、別の地域の放送局ならば1/3以上)保有することは違法となります。この原則は総務省令「基幹放送の業務に係る表現の自由享有基準に関する省令」に定められた原則であり、この省令は放送法に準拠しています。

 

この原則が設けられている理由は、「情報の多様性」の確保のためです。

日本のテレビ放送を規制している放送法の理念のひとつに「情報の多様性」があります。これは単に沢山のチャンネルを見れることではなく、それぞれのチャンネルが異なる情報を視聴者に提供することを期待するものです。つまり放送局ごとの個性を明確にしようという試みなのです。そしてその分かりやすい指標が各テレビ局の資本、すなわち株主構成の多様性でした。

 

日本ではテレビ局の筆頭株主に新聞社や他のテレビ局がついていることが珍しくありません。これはメディア会社が他のメディアを支配している実情を表しております。通常、保有株式の数は会社に対する発言権の大きさそのものなので、テレビ局の筆頭株主である新聞社の意向はテレビ局のスタンスをほぼ決定します。

日本でテレビビジネスが興った昭和30年代は特にこの傾向が顕著で、大都市のテレビ局は全国紙が、地方のテレビ局(ラジオ局を兼業していることが多かった)は地方紙が筆頭株主・有力株主である例がほとんどでした。これは膨大な資金力とメディア経営の豊富なノウハウが新聞社の圧倒的な強みだったからです。

この時期はテレビ局の更なる開局が期待された時期でありましたが、新たなテレビ局もこれまでのように新聞社により支配されることは容易に予想されました。これは情報の多様性の危機でもありました。圧倒的に強大な資本力を持つ新聞社が同じ地域の複数の放送局の相当な割合の株式を持てば、同じ地域に同じ内容の情報を流すテレビ局が増えるだけとなります。

この事態を防ぐために先程の原則(1950年代当時は局長通達、1988年に省令化)が作られ、テレビ放送の情報の多様性が確保されることになったのです。

 

しかし、この原則は新たなテレビ局の開局に制約をかけることとなりました。原則にのっとれば、一つの有力企業が複数の放送局の大株主になることは不可能なので、テレビ局の株主を地元で沢山募るしか開局の道はありません。

そうなると各地域の経済力がテレビの開局の制約となり、開局後も放送圏内の広告市場の大きさが経営上の制約になります。そのため経済的に強みのある大都市圏程テレビチャンネル数は多くなり、比較的弱い地方部ではチャンネル数は少なくなります。

 

したがって、テレビ情報の多様性とテレビ局の数の多さはお互いに拮抗する課題であると言えます。

1つの会社が多くのテレビ局を運営すればテレビ局の数を増やすことは可能です。しかし、それは日本のテレビメディア全体を牛耳る1つの資本による独占状態を招くおそれがあります。そうなれば情報の多様性が損なわれることとなるでしょう。

 

一方で情報の多様性の保護のための規制が機能しているかという疑念もあります。先程申し上げた通り、この規制が地方のテレビ局の数の少なさを招きむしろ情報の多様性を狭めているという側面もあります。隣接する地域からの放送を視聴できればいいですが、あくまでそれは非公式のものであり、制度の外の偶然の産物に過ぎません。

それに資本比率で情報の多様性を計る方法にも限界があります。新聞社の中には地域内のテレビ局の筆頭株主ではないものの、報道部門などで業務提携を行う例が多く存在します。中には同様の業務提携を地域内の複数局で行う例もあります。そのため実質上の情報の多様性は株主構成とは異なる様相を見せる可能性が高いです。

 

 

【地方にテレビ局は必要なのか】

 

 

さて、地方にテレビ局が少ないことでどのようなデメリットがあるのでしょうか。

 

そのデメリットは大きく分けて3つあります。

 

1つは見れる全国ネットの番組が少なくなることです。

日本の民放テレビの全国ネットワークは5つ存在します。この5つとはTBS系列(28局)、日本テレビ系列(30局)、フジテレビ系列(28局)、テレビ朝日系列(26局)、テレビ東京系列(6局)です。これらを全部視聴するには同じ地域に5局は少なくとも必要です。この5系列を全て揃っている地域は首都圏と愛知県、大阪府、岡山・香川県、福岡県、北海道の6地域のみです(ネットワークに属していない「独立局」でテレビ東京系列の番組を多く放送している局のある地域を含めるともっと多くなります。)。

この他の地域では4局以下の地域が多くなります。なかでも福井県と宮崎県では2局、そして佐賀県徳島県は1局になります。

もっぱら5系列に対してテレビ局数が少なくなる分見れる番組数は少なくなります。ここで1つのテレビ局のプログラムは、複数のネットワークと契約を結びクロスネット体制をとるなり、番組販売制度で番組を購入するなりして結果的に複数のネットワークの番組を放送することになります。

宮崎県では民放テレビ局は2局存在しますが、この地域のテレビ局UMKテレビ宮崎は3つの系列に属しておりこれは現在日本で最多のネットワーク加盟数です。3つの系列を1つのチャンネルで放送するため、それぞれの系列の全番組から取捨選択しながら番組を放送することになります。日本テレビ系列にも加盟していることから、あの「24時間テレビ」も放送しますが、普段他の系列の番組を放送する時間は「24時間TV」を中断しそちらを放送します。今から30年以上前は宮崎県のように民放テレビ局が少ない地域はもっと多く存在し、テレビ東京系列以外の4系列を見れる地域ですら概ね人口200万人以上の地域に限られておりました。

このようにテレビ局の数の少なさは番組の数という面で物理的に情報格差を生じさせます。地方と大都市の間の地理的な差異が、格差を生じさせる結果となるのです。

この問題を政府は長年認識しており、1986年には「全国民放4局化構想」を発表し、全てのネットワークを全ての都道府県で視聴出来るようにするプランを立てました。このプランにより1990年代までに数十のテレビ局が新設されました。特に専属系列局の少なかったテレビ朝日はそれを元の12局から最終的に24局へと倍増させました。

しかしこの構想はバブル崩壊や人口減少などにより放送局の経営悪化が見込まれ、途中まで進行して終わり、中途半端なまま現在に至っております。

一方で、全ての地域が等しくこのデメリットを被っている訳ではありません。佐賀県では地元テレビ局はフジテレビ系列のサガテレビ1局のみですが、実際には隣県の福岡県の民放5局の放送が佐賀県の大部分で視聴できます。そのためサガテレビはフジテレビ系列の番組のネットとローカル番組の放送ににほぼ専念しております。徳島県でも地元局は日本テレビ系列の四国放送1局ですが海を挟んだ大阪府など関西地方からの放送を視聴できます。それらの県では実際に視聴できる系列は地元テレビ局の数より多くなります。

 

2つ目のデメリットは地域の情報発信拠点が少なくなることです。

各地域のテレビ局は全国ネットの番組のほかその地域内のみのローカル番組も放送します。ローカル番組の主な内容は、天気予報、ニュース、生活情報などです。番組ではありませんが、CMも含めればローカルCMも地域内放送の重要な内容になります。このため各地域のテレビ局はその地域の情報発信拠点となるのです。

特に災害時にはこれは重要な役割を果たします。日本では近年大雨や地震などの災害が多発しており、その度に迅速な情報提供がテレビで行われています。テレビは速報性や共時性に長けているメディアですのでその役目が期待されております。地震の時の「緊急地震速報」はその一つですし、大雨や台風のときの情報もそれに含まれております。

それが少ないということは地域内での情報密度が小さくなるということにも繋がりますし、地域社会のまとまりや生活にも影響を与えることにもなります。

さて日本のテレビ局にはどこのネットワークにも所属していない「独立局」という放送局がありますが、この独立局は地域の情報発信拠点に特化して作られた放送局です。この独立局は全て関東、東海、近畿といった広域放送(複数の都府県にまたがり行われる放送)が行われる地域に存在しております。これらの地域の広域放送局は放送対象地域よりも更に細かい都府県の情報の発信は手薄になります。そのため広域放送局とは異なり都府県単位のローカル放送に特化したテレビ局が作られたのです。兵庫県サンテレビジョンや東京都のTOKYO MXテレビなどがこれに入ります。

ちなみに、日本には地元民放テレビ局がゼロの県が一つだけ存在します。それは茨城県です。茨城県は関東広域放送圏に入り、いわゆる東京キー局を全部視聴できますが、県内の情報を発信する民間テレビ放送局は存在しません。NHK水戸放送局は県域放送を行っていますが、開始したのは2004年10月でそれまでは行っていませんでした。そのため茨城県では県内の他都市や他地区の情報が分からないという状況が続いていました。

 

3つ目のデメリットは自分の地域から他の地域に対する情報発信力が欠如することです。自分の地方の情報を全国ネットを通じて他の地方に発信することは地域の情報発信力に含まれます。全国ネットのニュース番組やワイドショーは製作しているのはキー局等ですが、その情報ソースは各地方のテレビ局から集めております。全国ニュースで福岡県内の情報を流すときはその取材・配給は福岡県のテレビ局が行います。

かつて日本テレビ系列で放送された情報番組「ズームイン!!朝!」はその代表例で、東京と全国の地方局で中継を繋ぎ、各地から生の情報をリアルタイムで放送しておりました。放送開始当初は画期的な試みで、他の放送局もこれに追随する現象が起きました。

よって地方のローカル局の存在は全国レベルでの情報発信の力の大きさに関わります。ネットワークに加盟している放送局の存在は特に重要です。先程申し上げました広域放送圏に入っている地域では、その放送局が立地している都府県以外の府県は独立局があるのみです。独立局は全国に情報を発信する機能はありませんので、独立局だけしかない府県の情報は全国に知れ渡りにくいという課題があります。先程申し上げた茨城県は独立局も存在しておりませんので、全国的な視点によると情報が手薄になりやすい状況になります。東日本大震災の時はそれらの地域の被害状況の報道は手薄となり、福島などの地域に比べて復興支援の確保に困難を極めたという意見もありました。

 

このように地方のテレビ局が少ないことにより、(1)見れる全国ネットの番組が少なく大都市圏などとの情報格差が生まれ(2)地域の情報発信拠点が少なくなり地域内の情報共有の度合いが小さくなり(3)全国への情報発信源が少なくなり全国での地域の情報の認知度に支障が出る、という弊害が生まれるのです。

 

 

【地方のテレビ局を増やす工夫】

 

 

このような環境の元で政府やテレビ業界がこの問題を見て見ぬふりしてた訳ではありません。両者はこの問題を試行錯誤しながら解決してきました。その先駆的な試みをいくつか紹介します。

 

(1)放送対象地域の統合

 

現在島根県鳥取県は2県で同じ放送対象地域に入り、両県は同じ民放チャンネル3局を共有しています。これは通常1県で1つの放送対象地域とするのに対して異例です。

かつてこの2県は他地域と同じようにそれぞれの県で放送対象地域が別れておりましたが、1972年に両県の放送対象地域が統合され今の形になりました。

その理由は、当時両県の人口はそれぞれ70万人、60万人と共に日本最小レベルで域内市場の小ささ故に将来テレビビジネスがそれぞれの県で発達する可能性は望めなかったからです。当時既に島根県には2局、鳥取県には1局民放テレビ局が存在していましたが、ここから放送局が増える望みは小さいものでした。むしろ、放送局が経営難に陥る可能性の方が高かったのです。放送対象地域の統合直後は地域内のテレビ局は3局となり、域内人口は約130万人でした。これは今の大分県とほぼ同じ状況です。そのため当時の政府は放送対象地域の統合を実行したのです。

 

これと似たような例で、岡山県香川県は1979年に両県の放送対象地域が統合されることになりました。これは両県が瀬戸内海を挟んで正対し、電波を遮るものがないため元からお互いに相手の県の放送を見ることが出来たからです。その実情から、岡山県香川県は同じ放送対象地域に含まれるのが合理的であると判断されたのです。現在岡山県には民放テレビ局が3局、香川県には2局あり、両県で5局見ることが出来ます。5系列全て視聴することが出来ます。

 

(2) テレビ局間業務提携

 

次に沖縄県の例ですが、1995年に沖縄県の民放テレビ第3局(かつ最後発)のQAB琉球朝日放送が開局しました。この放送局が特別なのは、この放送局の本社が他局のRBC琉球放送の本社ビルの中に同居していることです。しかもただ入居しているだけではなく、スタジオや放送機材などの設備もRBC共用しており、業務の多くはRBC提携しております放送法の兼ね合いから報道部門などは独立しておりますが、ほとんど同じテレビ局のようなものです。

このような変わった経営の仕方をするのは、沖縄の地場資本の小ささ故でした。沖縄は本土から大きく離れた小さな離島であり重工業などの第二次産業を誘致できないのと、沖縄本島などにアメリカ軍が駐留しており開発に制約を掛けられている点から、経済発展が未発達な地域となっていました。その状況は沖縄の日本への返還後ますます強くなりました。

それ故に一から新たなテレビ局を開局するために資本を集めるのは困難な状況でした。QAB開局以前にも沖縄には「南西放送」の開局構想がありました。これは日本テレビが多大な支援をして開局する予定でしたが、日本テレビの社内政策の変更により南西放送の構想と資本から撤退しました。結果、南西放送設立に参加した地元資本だけでは開局のための資金が足らず、この構想は頓挫しました。

この後に起こったのがこのQAB開局構想でした。この構想を主導したのはテレビ朝日でしたが、テレビ朝日RBCと関わりがあり、それによりRBCもQAB開局に関わりました。ここでRBC南西放送構想破綻の教訓から自社内に新たな放送局を開局し、新局の資本を小さくすることを提案しました。これはテレビ朝日や政府との協議の末に実現し今に至りました。このような経営形態は沖縄経済のパイの小ささという制約の中で、沖縄の新しいテレビ局への期待を実現するための工夫でした。

 

この沖縄の例に近いのが、鹿児島のKKB鹿児島放送です。こちらは1982年に開局しましたが、その際に同じ地域の放送局・MBC南日本放送から人員派遣を受けたり、中継所を共用したり業務面で厚い協力関係を築きました。MBCはKKBの主要株主の一つですが、株式以上の密な関係があったのです。

 

この(1)(2)の例は古い例でございましたが、近年においても放送局の経営や新設に関わる新たな取り組みが行われております。

 

 

【今、そして将来どうなるか】

 

 

近年行われている新たな取り組みは、放送持株会社の認可と、マスメディア集中排除原則の緩和、そしてテレビ放送における法規制のチャンネル単位の規制からレイヤー単位の規制への転換です。

 

(1)放送持株会社の認可

 

放送持株会社とは、放送局がその傘下に入ることを目的とした持株会社のことです。ちなみに持株会社とは他の複数の企業の株を保有し資本面で支配するための会社です。一般的に出資比率50%以上の場合子会社として認められます。

これにより各テレビ局は放送持株会社の支配を受けつつ、財政面で手厚いサポートを受けながら安定した経営が出来るようになりました。法律では最大12局が同じ放送持株会社の傘下に入ることが出来ます(ただし各局が別々の地域に所在する必要があります)。

日本では放送法の改正により2008年に放送持株会社が認可され、フジテレビホールディングスなどが放送持株会社として設立されました。フジテレビHDの場合、傘下にフジテレビジョンとBSフジ、ラジオ局のニッポン放送宮城県の地方テレビ局・仙台放送があります。大阪の朝日放送ホールディングスの場合、旧・ABC朝日放送の放送の内ラジオ部門を朝日放送ラジオに、テレビ部門を朝日放送テレビに分社化した上でこの2社を傘下に支配しています。

このように放送持株会社は、それぞれ異なる放送局を強力なグループとして傘下においたり、元は1つの放送局の事業を分割した上で持株会社を含めてそれぞれの役割に特化した集団をまとめるなどして機能しております。

 

この放送持株会社は、2011年の地上波デジタルテレビ放送の開始に伴う莫大な投資に地方のテレビ局の財政が悪化する可能性を見越して認可されたものでした。

そして地デジへ完全に移行した現在は、人口減少やマルチメディア化などによるテレビ局の経営の悪化に関心が移行しております。全国的にこの放送持株会社が地方局の株式に対する持ち合い比率を上げ、筆頭株主になる例が多くなってきました。特に東京キー局や新聞社の持株会社がこの傾向を強めております。これは地方局側の経営の安定化という思惑と、キー局や新聞社の自社系列やグループの一体的支配の拡大・強化という思惑が一致したものと言えます。

 

(2)マスメディア集中排除原則の緩和

 

2011年には総務省がこれまでのマスメディア集中排除原則の基準を省令改正の元で緩和しました。ここでは複数の放送局に出資する会社は2局目以降は出資比率を、異なる1地域の1局のみならば、従来は20%が上限だったものを、3分の1(33.33・・・%)を上限として出資することが可能となりました。

この改正は当時全体的に悪化しつつあった日本の放送局の財政の安定化を図って作られました。この緩和により日本のどの会社も、放送持株会社でなくとも、それぞれの地域で1局ずつならば、テレビ局の株式の最大3分の1までの株式を保有することが出来ます。

このため持株会社を持たない新聞社や放送局も近年複数のテレビ局に対する支配力を強めつつあります。例えば全国紙の朝日新聞社持株会社を持っていませんが、2020年現在6つのテレビ局において局の全株式の内の20%以上を保有しており、省令改正後に支配力を強めたことが分かります。この集中排除原則の緩和は、放送持株会社の認可とともに、複数の放送局を一社が支配する傾向を強めていることが分かります。

 

(3)チャンネルへの法規制から各段階への規制へ

 

ここで話は一旦反れますが、テレビはもう要らないという意見やテレビ局は無くてもよいという意見が昨今は起こっております。

その様な意見が出ることは自然なことです。現在インターネットによる動画配信はポピュラーな物となり、テレビ局や新聞社などもインターネットで配信する時代となっております。両者の間でコンテンツを共有することも当たり前になりました。

またケーブルテレビ局を見ると、インターネット通信とテレビメディアの融合は地上波以上に進んでおります。自社ケーブルによって、テレビ放送と共にインターネットサービスも提供しており、両者を合わせたサービスも幅広く行っております。

そのような中で、これまで通りの放送局のあり方は「古い」と考えられるようになりました。これまでのようにテレビ局が一貫して情報管理する時代は終わったのです。

 

この流れが日本のテレビ法制に影響を与えております。長年チャンネル自体に対して行われていた縦割りの放送規制が、2010年にテレビ放送の各段階に対する横割りの規制になりました。

それまでは放送業界や放送法制において、テレビ番組の企画から製作、放送は全て同じ放送局が行う前提でした。放送局に本放送免許が降りると、そのチャンネルは一企業であるその放送局が半永久的に占有することになりました。これはある種の利権であり、時にはその利権争いがし烈なものになることも珍しくありませんでした。

しかし、平成時代になるとインターネットが普及し始め、そのサービスも年々充実していきました。インターネット通信は最初はテレビ放送と独立しておりましたが、2000年代にはインターネットでテレビコンテンツを扱ったり、テレビ事業者がインターネットサービスを提供するなど両者の壁は徐々に融解していきました。

その中でこれまでの縦割り放送規制では法律の数も増え処理が複雑になり、現実の通信・放送事業に対応し難くなりました。そのため政府は各レイヤー(段階)ごとの横割り放送規制に切り替えることにしたのです。

横割り放送規制では、放送コンテンツ、伝送サービス、伝送設備の3つのレイヤーごとに規制することになりました。放送コンテンツは放送法のもとに、伝送サービスは電気通信事業法のもとに、そして伝送設備は電波法と有線電気通信法のもとに規律されることとなりました。これにより放送と通信が融合した現在の社会に対応しました。

現在日本のテレビ局はネット配信サービスも行っております。ネットニュースに素材を提供したり、YouTubeの動画配信サービスに組み込まれたりもしております。また、YouTubeのチャンネルにこれまでのテレビ人材が大量に参入する現象も起きており、ネット内にテレビのノウハウが攻めてくるようになりました。Huluなどの動画配信サービスと協力して番組製作をすることもあります。もはやテレビ局かネットサービスかではなく、全ての情報はどこからでも発信されどこからでもアクセス出来るようになったのです。

こうなれば、これまでのテレビ局は必要無いと言われるのは当然の結論となります。番組を作る所、番組を組み立てプログラムを放送する所、放送設備を管理する所は全く別々でいいのですから。インターネットかテレビかにこだわる理由がもはや無いのです。

 

 

ここまで(1)(2)(3)を見てきましたが、これらからテレビ放送の事業拡大に関わる障壁が徐々に小さくなっていることが分かります。一社により複数の放送局の所有や経営を行う体制が整えられてきたことや、放送・通信事業にこれまで入れなかった事業者が参入することができるようになることから日本のテレビの可能性が決して狭くないことも分かります。

 

前章で見た前例からも分かる通り、地方のテレビ局の少なさを補う工夫はずっと行われてきました。今後地方と都市とのテレビの情報格差を補う策にもっと進展があるかもしれません。

 

 

【おしまいに】

 

 

また長い記事になりました。

 

この問題は私自身が経験したことでもあり、私の友人が痛感していることでもあります。

 

私は長崎県出身ですが、長崎県では民放テレビ局が4局存在し、テレビ東京系列の局はありません。地上波ではテレ東系列の番組は一部しか見ることが出来ませんでした。そのため大学進学で福岡に住み始めたときは、テレビ東京系列のTVQを見れることに感動した覚えがあります。

 

福岡で会った宮崎県出身の人は、宮崎県では民放が2局しか無いので「ガキ使」の年末特番を見れないと仰っていました。また、漫才トーナメント番組の「M-1」も生放送ではなく、後日録画放送するので結果が分かってから見ることになると仰っていました。

 

かつては長崎も民放2局の時代が長く続いており、自分の親世代の人には当時福岡や熊本など他県からのテレビ放送を見る人も少なからずいたとのことです。

 

この問題は昔から存在しておりその解決が長らく図られてきましたが、従来どおりのやり方では解決困難になってきました。その中で放送・情報ビジネスの大改革に伴い新たな青写真が描かれつつあります。

 

これからこの問題がどのように動くかはとても面白い見ものであると考えています。

 

それでは最後までご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

2021年2月9日

続編・「許しを請うこと」をやめる生き方

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は短めの記事ですが、ライトノベル小説キノの旅」の「人を殺すことができる国」について思うところがあり話したいと思います。

 

先日私は『「許しを請うこと」を止める生き方』(https://zubahn.hatenablog.com/entry/2021/01/13/182054)の記事を発表しましたが、それを受けてこの話の感想を述べさせていただきます。

 

キノの旅「人を殺すことができる国」】

 

さてこの「人を殺すことができる国」のあらすじは次の通りです。

 

(あらすじ ※ネタバレあり

 

・・・主人公のキノは旅の途中で若い男と会う。話を聞くと彼はこの先の国に移住するそうだ。その国は人を殺しても罪にならず、それゆえに凶悪犯が逃げ込んでいるらしい。キノは先に行き国に入った。

その国は平穏で、人も穏和で親切で心地よい場所だった。ただ、ある店には「人を殺すため」の銃が常備されていた。充実した3日間を過ごしたキノは予定通り国を去ろうとする。

その時、先の道中で会った若い男に、殺されたくなければ荷物を置いていくように脅迫される。彼はこの国の国民になったという。それを拒否するキノに銃口を向ける男。すると男の腕に矢が刺さった。

男の回りに武器を持つ市民が寄ってくる。その中の老紳士が、この国では人を殺そうとするものは殺されると男に言った。男はこの国では殺人は禁止されていないと反論する。すると老紳士は、禁止されていないことは許されていることではないと返す。そして老紳士は自分が有名な連続殺人犯であることを明かすと男を殺した。事を終えると老紳士はキノを笑顔で見送った。

キノは国を出ると別の男に会った。彼は先ほどキノが出てきた「安全な」国に行くという。キノは男にきっと気に入ると告げ去っていった。

 

こちらが「人を殺すことができる国」の内容でした。

 

キノが訪れたこの国は確かに人を殺すことは禁止されていませんでした。しかしそれは人を殺す権利が認められたわけではありません。もしそれが認められるならば、その者を殺し返すことは禁止されるはずです。

 

実際のこの国では人を殺そうとする者を逆に殺しても罪にならないのです。人を殺すことが禁止されないという法秩序は人々に殺す自由と共に殺されるリスクも与えております。よって誰もが処刑人になるという環境から逆に人を殺せないという秩序を作っているのです。

 

これは権利・許しと自由の違い如実に表した話であると思いました。

 

 

【理不尽は許さなくてもよい】

 

 

さて、世の中には理不尽で苦しいことは沢山あります。大人であれば理不尽なこととそうでないものの区別はつく方は多いと思われます。

 

そうした理不尽について、それは当たり前のこと、それに不平不満を言うことは情けないことなど、理不尽を放置しようとする人は多いと思われます。それは理不尽を禁止するのはそれこそ理不尽だからです。もしそれを禁止しようとすればあちらが立てばこちらが立たずという風に、理不尽がやむことは無いからです。理不尽を受ける人間が変わるだけです。そうなると理不尽の度合いが益々強くなるだけです。

 

しかし、ここで誤解してはいけないのは理不尽は禁止されていないだけで許されてはいないということです。理不尽を行う権利というのは誰も持ってないですし誰も与えていないのです。そのため、理不尽はなるべく最小限にする、もしくは理不尽を強めない努力が必要なのです。

 

ここで理不尽が禁止されてないことと許されることの差を、先の「人を殺すことができる国」の例に則り詳しく説明します。

 

理不尽が許されるというのは、人は誰しも理不尽を行う権利を持つということです。そのため、人が理不尽なことを積極的にしようとする場合、それを止める人間は人権侵害に対するペナルティとして理不尽を公正に受ける義務を負うこととなります。

お気づきの方もいらっしゃるでしょうがこれは現実的ではありません。そんな権利を大っぴらに主張すればとんでもない社会的制裁を受けることはお分かりでしょう。自分が理不尽な目に会ったから、それが裁かれなかったからといってそれが正しいのだ、人にしていいのだ、ともならないのです。

「人を殺すことができる国」では、人を殺す権利は誰も持っていません。そんなものがあれば先ほどの老紳士や矢を放った者こそが殺されるべきなのですから。

 

一方で理不尽を禁止されてないとなるとどうなるでしょうか。こちらでは理不尽なことをする者はいますが、彼らは同時にされ返すリスクもあるためにある程度抑止力が働き理不尽が暴走することは避けられます。理不尽を行うにせよ利に叶う方へと動こうとするのです。

「人を殺すことができる国」でも人を殺すことは禁止されていません。しかし誰もがそうであることから、かえって相互抑止力になっています。自分のやろうとする悪意は、相手からも仕返しされるのですから。

 

こう申し上げますと、世の中はそう理屈どおりにいかないとおっしゃる方もいるでしょう。確かに理不尽の度合いは千差万別で、場合によっては「神も仏も無い」と思われるパターンもあるでしょう。

そのような方に私が重ねて申し上げたいのは「神も仏も無いのであれば、もう理不尽を許している者はいないのでは」ということです。理不尽を行う人は勝手に許しもなくやっているのであって、あなたがその「権利」を守る理由は無いのです。少なくともあなたの心が楽になるように考えても罰は当たらないのです。そんなものに罰を与える神も仏もいないのですから。

 

もっと言えば、やめてくださいと許しを請うこともないのです。別に理不尽をしている人は許可を得てやっているのではないのですから。神様に対しても何も許しを請うことはないのです。

 

 

【おしまいに】

 

 

今回は「キノの旅」の「人を殺すことができる国」の感想と理不尽を許さなくてもいい理由を述べました。

 

これは何かを煽動する意図はなく、あくまで内心の問題として主に語ったつもりです。

 

いつもよりあっさりめの記事でしたが、ご覧いただきありがとうございました。

 

2021年1月24日

 

 

「許しを請うこと」をやめる生き方。

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は「許しを請う」ことについて話をしたいと思います。

 

許しを請う」ことは日常的に行われることであり、結婚するときに結婚相手の家族に許しを請う場面、仕事で契約違反をしてしまった場合にも先方へ許しを請う場面など様々な場面において許しを請うことがあります。このセンスを持つことこそが大人の資格の要件といっても過言ではありません。

 

しかしながら、とにかく許しを請うことが正しいかというとそうではないと思います。むしろ、そればかりを意識してもっと大事なものを犠牲にする恐れがあります。場合によっては人の人命を奪いかねません。

 

その為今日は私の人生経験から許しを請うことの是非を述べていきます。

 

 

【私のことが気にくわない人】

 

さて、世の中には私の生き様や存在が気に食わないという人がいます。世間に気の合わない人は人間全体の3割いますので仕方ありません。

その大半の人は距離感を置くなり疎遠にするなり賢い行動をとられますが、中には暴言や暴力などの実力行使を伴う方もいらっしゃいます。「消えろ」「死ね」「気持ち悪い」など言う人はそれです。

 

私は昔はそうした人達がいれば自分が悪かったものと思い、いろいろ「努力」をしました。しかし、それが上手くいくことは少なかったのでした。そしてあるとき私は気づくのです。向こうが私を許すときも、私が許すときも来ないのだと

 

そこから私は人と親しくするよりも、適度な距離感をとりその上で仲良くする道を選びました。その結果、人付き合いで心の負担がかかることは少なくなりました。

 

人間は何か理由や改善点があって不和が起こるのではありません。そもそもの相性の悪さから有ってないような理由で不和が起こることもあるのです。

それも理由に入るだろうという人もいますが、それならば人間関係を築くことはとんでもない博打かあるいは重罪に当たるでしょう。もちろん「朱も交われば赤くなる」と言われるように、明らかに悪い集団に関わることは自分の責任かもしれませんが。

許しを請い続けないと成り立たない関係性はそもそも成立していることが害悪なのです。あり続けることは可能ですが害悪なのです。それを放置したり、認めるものに心から許しを請うことも害悪です。

 

そのためそのような不穏分子との関係は改めないと、自分の幸福はゴリゴリ削られまくるのです。

 

もちろん自分が他人に対して害を与えてしまう関係性も改めなくてはなりません。行動を改めるのは当然ですが、関係性も改めなくては問題は延々と続きます。

自分が勝手に人を裁く関係を積極的に作るのもある意味不幸です。たちの悪い粘着質です。いつも人の罪や罰に怯えたり怖がりながら暮らすのと変わりません。自分もそうしているのだから人もそうしているのだろうと思うからです。

 

そうしたことから、自分を裁きたがるようなもしくは他人を裁きたがるような関係は最初から殺意満々ですし、口で言って聞かせたところで改めないのです。

だから、このような関係はとっとと決別させた方が早いのです。親しくつき合うことから、不和さえ起きなければの方に早々とシフトチェンジした方がよいのです。

 

 

【私を許さない神】

 

さて、このような人々の上に立つものとしていわゆる神様がいます。その神様からの裁きは「天罰」だとか「裁きの鉄槌」と呼ばれます。

私はこの考え方は常々不健康であると考えております。体感として、もしこれが神からの罰ならばあまりにもメッセージがないものだなと思います。それほど天罰の理由が理由になってないのです。あったとしてもあちらが立てばこちらが立たずのような、神のメッセージとしてありえないものに思われます。

 

ただ、これはいきなり無神論や神様への侮辱の弁を述べるものではありません。そもそも私は神様のメッセージとやらを解せるほど知識が豊富なわけではありませんし、人生経験を経ているわけでもありません。このさき神様のメッセージを理解できる日が来るかもしれませんし、私もそれは信じております。

 

ただ、問題はその日までどのように過ごすのかということです。分からないものから無理矢理メッセージを汲み取るのは、妄想以外の何者でもありません。自分の思い込みで行動することになりますし、神様への侮辱です。もしこれが人相手ならば、失礼でおろかな行為であることはハッキリ理解することができるでしょう。そもそも神様の存在自体も不確かでしょうに。

そのため私は、いずれ神様のお心が分かるだろうというのは、天罰を天罰として強制的に粛々として飲み込む理由にはならないと思っています。

 

私も過去の失敗や不幸の度にこれは神様からの罰ではないかと思ったことがありました。しかし、今思えばそれは教訓というものもなくメッセージでもなく、罰だとすればものすごい気まぐれなものなのです。

 

罰を受けるものと受けないものの差を理由もなくつける存在。私たちがそんな存在に対する最後のアプローチは「許し」なのです。許すか許さないかはそれを思う者の心持ちが全てですので公平性が入る余地がないのです。不公平に罰せられたことには不公平な許しを請うしかないのです。

それで何か得るものがあれば問題はありませんが、むしろ失うものの方が大きくなればまた新たな問題が起きます。失うものを供物として許されるか、許されずに失うものを減らすかです。罪か幸福かどちらかを選択するのです。

 

しかし、時計の針を戻して客観的に考えましょう。そもそもこれは許しを請うべき神の存在から始まっているのです。

天罰は私に何を求めるのか。天罰は公平なのか。その神様はそもそも天罰を落としたのか。それ以前に私の中での神様の存在の仕方は正しいのか。

 

こうしてみれば、神様が自分の行いに対して天罰を落とすという思考自体がどれ程バカらしいことか分かるでしょう。そんな神がいたとしていつ許してくれるかも知れたものではありませんし、むしろそれで命を落とすことになれば神が殺人鬼と同等の存在であることになります。そんなものに請う許しには塵ほどの価値もないのです。

 

そもそも世の中には、何かしらの宗教を信じる人や神様を信じる人は沢山います。しかし、その人達がみんな自分の宗教を十分理解しているわけではありませんし、天罰だとかをみんな正しく理解しているわけではないのです。むしろその様なものに拘泥せず自分の生きやすいように生きているのではないのでしょうか。そのなかで善行を積む人も多く、自律心の高い人もいます。こうしたことからも天罰や神の否定がすなわち非徳や不幸に陥ることを意味しないのです。

 

 

【私に死ぬことのみを望む正義】

 

 

さて、私に死を強要するのは生きることを許さない神ばかりではありません。私を生け贄として成立する正義もまた殺意にまみれた存在であると思います。

 

個人はこうあるべき、集団はこうあるべき、社会はこうあるべきという正義は何かしらの形であります。正義は個人を個人足らしめ、集団を集団足らしめ、社会を社会足らしめます。故に人間が充実した人生を送るには何かしらの正義は必要なのです。そのために自分の時間や力を投資するのは必要な投資です。

 

そこから外れた者は穢れた者として蔑まれ、制裁を受けます。人を不愉快にする人間が、嫌われ集団から追放されるのはその一例です。

しかし、その正義が過激になると「生贄」を要求されるようになります。例えば、太平洋戦争が続いたときに、大日本帝国であり軍国主義の下にあった日本では誉れ高き民族の矜持やその連帯意識から集団自決をすることが少なからずありました。これは軍国主義に対する「生贄」です。その生贄を断れば正義の名の下に激しい攻撃を受けたでしょう。

 

小説「沈黙」でも、生命の危険からキリスト教から棄教した主人公などは、敬虔な信徒からの侮蔑や罵りを受けることを予測しておりました。キリスト教の正義に基づけば、拷問に屈せず殉教した信徒こそが正義に守られ、そうでない者は正義に攻撃されるのです。

 

つまり、正義は時として従うものを死の脅威に晒す可能性もあるのです。死とまではいかずとも健康を損ねるまでの犠牲を我々に求めることがあるのです。これは一種の殺意です。

これは嫌いな人間に対する憎悪の念ではなく、愛の条件としての殺意です。正義のために奉じ死んでくれた人間には愛を向けるも、殉死から逃げた人間には侮蔑や軽蔑の念が向けられます。または、死から逃れた自分への後悔や懺悔の思いも同じものでしょう。そして、それは長く汚名として残されることもありますし、自分の中でも許されない失態として心の傷となることもあります。

 

私はこの事を思うときに、許されるために許されるまで生きようと思ってきました。いじめられないようにすること。荒れた学校の同級生を更正させること。自分がより男らしくなること。目に見えて分かる友人関係を築くこと・・・etc 。自分の人生は許しを請うためにあるのだと。正義に奉じ続けることが私の人生なのだと。

しかし、そうしようとすればするほど許しを請う事に耐えられず逃げてしまうのです。そして「穢れ」だけが増えていきいつまでも「みそぎ」は終わらないのです。許してもらえる気配は無いし、強迫観念は日に日に増しました。

 

そんなある日、私はリラックスしているときにこう思いました。そもそも私を裁いているのは誰なのか、私にみそぎを要求する人間との原初の関係性は何なのか。そんな「輩」が私を許すことはあるのか、それ以前に許したことはあったのか。

 

私に正義に奉じて死ぬことを要求する人間は、最初から私という人間に殺意があるか、あるいは私という人間に関心がないのかのどちらかなのです。その時から私は無い罪や正義のためにみそぐことをやめました。自分を永遠に許さない者や関心がないものに許しを請うことを止めたのです。

 

数あまたの人間の暮らすこの世に生まれた以上、私を悪人として殺したい人は沢山いるのです。それは立場を変えても同じです。私は数あまたの人々に殺意を向けられ、そこからは逃れられないのです。そのため私は正義から悪人として裁かれようと、穢れだと卑しいと言われようとも、取りあえず生きようと思います。そんなささやかな希望だけは忘れずに璧として大事にしていきたいと自分に誓いたいです。

 

 

【許されずとも生き抜く】

 

 

ここまで申し上げた通り、世の中には私をとにかく殺したくて殺したくて仕方ない者が沢山いることが分かります。許しを請うても殺すし許さないならもちろん殺すという、そんな人は沢山いるのです。

 

以前上げた記事で「この世は殺意が横溢している」と申し上げましたが、その根拠はこうしたことなのです。

 

そんな者に対して本当に許しを請うことがどんなに徒労なことでしょうか。私を許したくない者は一生私を許さないし、死んだところで許さないでしょう。そもそも私がこの世に生まれなくとも私を端から許さないでしょう。

 

そんなに私を許さない人間だらけなら、もう許しを請わずに勝手に生きていけばいいし、せめて人に迷惑をかけないような工夫をすればいいことなのです。

 

ここまで言うと私は人間が絶滅することや私自身がこの世から去ることを望んでいるように思われるでしょうがそれは違います。

 

私はこの世は素晴らしいと思っていますし、人々との交流にも素晴らしいものがあると思います。その中で殺意を汲むことやそれに許しを請うことは無いと申し上げているのです。殺意を向けられたらそれに対して嫌だと言うのがコミュニケーションなのです。

 

現在新型コロナウイルスの脅威が未だに続いておりますが、もしそれが何者かのメッセージならば、それに対して許しを請うても無駄だと思います。私たちは反省はすれど、無い罪の妄想に付き合う義理はないのですから。無い罪に対する許しを請うことは滑稽なのですから。

万が一にも誰かが私に本当に死んで欲しいならば、私はそれまでの関係性を否定しなくてはなりません。絶縁とまではいかなくてもただの他人以下の関係になることは避けられません。

 

さて、ここで諸作品の紹介です。

 

始めに工藤マコトさんの漫画作品「木曜日は君と泣きたい」を紹介します。

 

この作品は、女装して生活する男子大学生とそれを取り巻く人々の話です。主人公の男子大学生の薫は普段は女装して女子と偽って生活しており、薫が男性という事実は親友や単身赴任中の父親のほか知りません。

彼が女装するのは過去に双子だった妹の楓が事故死したことがきっかけでした。塞ぎこんだ母のために薫は女装し「楓」になりました。それから母は薫を「楓」としてしか受け入れられなくなりました。そのため同居する母の前で薫は「楓」として生きているのです。

話が進むにつれ薫を殺そうとする人物が現れたり、実は親友が薫のことを「楓」として見ていたりと、薫の居場所が無いことが明らかになりました。

身近な人間から悉く殺意のようなものを向けられた薫は現在の環境に絶望し、全く別の場所で「薫」としての人生を取り戻すのでした。

 

この様にこの作品は、自分が生きることを許されない緊迫した状況を描き、そこから脱するストーリーを描いております。

 

二つ目は音楽作品ですが、TOKIOの「宙船」です。こちらは中島みゆきさんが作詞作曲され、長瀬智也さんが歌っておられました。

 

この曲は人の人生を船に例えて、人生の様々な難局を乗り越えながら厳しい人生を歩むことの尊さを表しております。

こちらの曲の歌詞には「お前が消えてよろこぶ者にお前のオールをまかせるな」という節がございます。私は小学生の頃からこの曲が好きでしたが、歳を経るにつれこの節がやたら気になるようになりました。

お前が消えてよろこぶ者」というのは自分のことを嫌ったり虐めるものだけにとどまりません。前の章で述べた通り、自分と相容れないものや、メッセージの無い罰を下す神、正義のために自分に殉死して欲しい人など沢山います。

そんな人間に自分の行動の主導権を握らせるのは、実に愚かな行為であります。どんなにキツイ状況でもそれだけはやってはならないことだと思います。

 

この二つの作品は厳しい局面で自分の人生を守る話ですが、実際にとったアクションは逃げるか立ち向かうかで真逆です。ですが、この2つのアクションは両方とも「許しを請う」場面は出ておりません。許さない人間はまだいますし、永遠に許されないのかもしれません。しかし、どちらも許されなくとも生きております。

生存権は誰かの許しを得て獲得するのではないのです。自分に死んで欲しい人間は消えないのが当たり前ですから。

 

許されないなら許さない人間は無視して生きていけばいいのです。許さないという感情は正義の鉄槌でも裁きでも何でもないのです。あくまで1つの現象なのですから。

 

 

【おしまいに】

 

この記事はかなりきつい口ぶりになってしまいました。これは誰もが謂われ無き殺意で悲劇的な最期を向かえないために、そして自分もそうして生きていきたいと思い記しました。

 

許しを請うこと自体は全否定はしませんが、それはあくまでコミュニケーション上の要請であり、何処から沸いたか分からない許さない心に対するものでは無いのです。そんなものは地面の石ころのようなものと考えるのが一番です。

 

 

 

今日現在、様々な難局に満ちておりますけれども、とにかく皆様には生き続けてもらえればと思います。

 

それでは今日もありがとうございました。

 

 

 

2021年1月13日

 

 

ヘイトスピーチって何が問題?

こんにちは、ずばあんです。

 

今日は「ヘイトスピーチ」の話をします。

この言葉を聞いたことがある方も沢山いらっしゃると思われますが、ヘイトスピーチとは「特定の民族や国籍などを理由にそれに属する人々を攻撃、侮辱すること」とされます。

 

昨今では日本でも在日の韓国人や朝鮮人、中国人などへのヘイトスピーチとされる事案が問題となっています。日常生活やネットでの誹謗中傷や在日外国人の排斥を主張するデモ活動とされる事案などが問題となっています。その中で訴訟に発展するケースも少なくはありません。

 

2016年には国会でヘイトスピーチ規制法が制定され官公庁はヘイトスピーチ防止の努力義務を負うことになりました。一部の地域ではヘイトスピーチに対して罰則を定める条例も定められました。

 

しかし、このヘイトスピーチの問題について分からない部分は沢山あります。そのためこれまでの知識に加えて、新たに明らかにされた部分も補いつつこの問題をまとめてみました。

 

【何故ヘイトスピーチは問題なのか】

 

そもそもヘイトスピーチは誰の何に対して害を与え問題とされるのでしょうか。

 

ヘイトスピーチアメリカで生まれた言葉です。アメリカでは1980年代より特定の民族に対する憎悪を表現する発言を「ヘイトスピーチ」と呼ぶようになり、一般的な言葉として使われ始めました。

一方で、日本ではこの言葉が使われるようになったのは2010年代に入ってからであり、この言葉が市民権を得てから10年も経っていません。きっかけは2000年代からのネット上やデモ活動などでの在日外国人への攻撃的な発言が司法や政治の場で問題になり、それが報道されたことからです。

 

では、この特定の民族に対して憎悪を示す発言は社会ではどのように解釈されるのでしょうか。

 

ヘイトスピーチとは特定の「民族」への憎悪を示す発言ですが、これが特定の「個人」へとなると話は変わります。

特定の個人への憎悪や誹謗中傷は「名誉毀損」に当たります。名誉毀損は人の名誉、すなわち人の価値を傷つけることです。この内、法的に問題となる名誉毀損人の評判やプライドを傷つけることを指します。

 

この名誉毀損への罪状は、刑法上では230条の名誉毀損と231条の侮辱罪、そして233条の信用毀損罪が存在します。民法上では、先の刑法上での各条で定められている構成要件を満たせば、名誉毀損として認められ損害賠償に問えるとされます。

 

ここまでくると、ヘイトスピーチはこれらの罪で罰することが出来そうですが、それは不可能です。なぜならヘイトスピーチは「個人」に対してではなく「民族」「出自」に対する発言だからです。例えば「在日韓国人」は特定の属性であり特定の個人ではありません。そのためこれまでの名誉毀損への罰則ではヘイトスピーチに対応できないという問題があるのです。

 

それに、こうした発言への規制は日本国憲法21条の表現の自由を考慮する必要もあるという問題もあります。これはアメリカのヘイトスピーチ問題も同様で、表現の自由を定めたアメリカ合衆国憲法修正1条に則り各地でのヘイトスピーチ規制に関わる地方公的機関の対応に違憲判決が出されております。

 

一方でヘイトスピーチにより攻撃された民族に属する人々の生業が侵されたり生活上の平穏が侵される事態が続いてきたことも事実です。それによりここ10年で各地でヘイトスピーチの被害を巡る刑事・民事訴訟が増加し頻発しました。

 

2009年には京都の朝鮮学校への街宣行為が授業妨害や脅迫行為であると問題になりました。この街宣を行った市民団体は企業や組合への脅迫等でも併せて責任を問われ、裁判所から損害賠償を命じられ、それを実行したメンバーにも刑事罰が課せられました。

また、2020年には不動産会社の社長が在日韓国人の女性従業員への出自を揶揄した暴言について、地裁で損害賠償が命じられました。これに対して被告の社長は控訴しました。

 

そうした現状からこれまで法的規制の存在しなかった日本でのヘイトスピーチへの対策のために、超党派による議員立法で2016年6月に「ヘイトスピーチ規制法」が成立しました。これにより全国の官公庁にはヘイトスピーチ規制への対応の努力義務が課されることになりました。そして川崎市など一部の自治体では条例により罰則を課す所も出てきました。

 

しかしながら、この対応についてまだまだ諸外国に比べて緩く、被害への対応も不十分という批判も聞かれます。

法務省ヘイトスピーチ相談ダイヤルには相談が相次ぎますが、ある相談者は「相手をせずに我慢してと答えられ、ヘイトスピーチ自体への対応が不十分であった。」という不満を述べました。

 

 

【何故ヘイトスピーチをするのか】

 

 

一方でヘイトスピーチをする人々はどのような理由でヘイトスピーチをするに至ったのでしょうか。

 

日本の例を見ますと、ネットの匿名掲示2ちゃんねるでは中国や韓国などの諸外国を敵視する書き込みは2000年代から既に始まっていました。その切っ掛けとして考えられるのは日本の「自虐史観」やそれに伴う諸外国との関係性を批判する書籍が1990年代に広く認知されたからと言われます。

そこから保守的な政治観や強固な愛国心を強調する言説がインターネット上に多く出回るようになり、右派政治団体の一部もネット上で言論活動を行うようになります。

 

この後2000年代後半になると、そのような保守的な言説をデモ活動として行う市民団体が生まれました。この活動は「行動する保守運動」と呼ばれました。これは、これまでメディア上の言論活動や右翼団体による抗議活動に限られていた保守派の政治活動を、革新派や左派などが従来より行っていた市民デモ行進にも拡大させようという試みでした。

 

この活動では、保守派の思想に反する発言や行為をした組織や個人に対する抗議や批判などが行われます。運動には市民団体のメンバーのほかそれに同調する人々も活動ごとに任意で参加します。

 

この行動する保守運動にインターネット上での右派政治団体の活動が合流し、この2つのシナジー効果として日本社会全体での保守世論が拡大・成熟していったのです。

しかし、この動きのなかで過激な保守主義を抱く人も現れ、その人々が在日外国人や諸外国、あるいは自分と思想を異にする人々への議論を越えた誹謗中傷を行うことが問題となりました。これが各所で対立や摩擦を起こし、日本に置けるヘイトスピーチ問題に至ったのです。

現在ではこのヘイトスピーチに疑問を持つ市民団体やそのほか組織、個人との軋轢や対立も加わり、今日に至るまで抗争や訴訟、暴力事件などが頻発しております。

 

したがって、ヘイトスピーチインターネットデモ活動をきっかけに引き起こされたものなのです。

 

 

なお、ヘイトスピーチをする人の分布ですが、評論家の古谷経衡氏の分析によりますと50~60代にやや集中しつつもどの年代にも満遍なく分布していました。これまでは若年層が多いとか、就職氷河期の人々の不満が爆発している等の説が唱えられてきましたが、この分析によるとヘイトスピーチにおいては世代論はあまり通用しないものと思われます。

 

また、ヘイトスピーチ規制条例を日本でいち早く(2014年)制定した大阪市の市長だった橋下徹氏は「□□(ヘイトスピーチを行っていた人物)は知識量は豊富ではあるがそれには偏りがある。」と述べました。これは「確証バイアス」、すなわち一個人の「合理的な判断」の基準が既に個人の主観により歪んでいることへの言及でした。

実際にヘイトスピーチを行う人々には日々勉強と知識の更新を怠らない方も少なからずおります。しかし、その情報選択や処理の基準は自身の主観で決定されており、言うなれば最初から結論が決まっているようなものなのです。

ヘイトスピーチを行う団体の発言では「警察は(某団体)の手先。(某団体)は北朝鮮のスパイ」「○○市役所は外国人に乗っ取られている」「(某企業)はテロ支援団体」などの、根拠不明・意味不詳の過激なだけの文言が度々発せられます。

それも確固たる証拠があるわけではなく、陰謀論や憶測に基づく物が多く占めています。恐らくは要素たる多くの知識はまごうなき事実なのでしょうが、それらを繋ぐ論理が主観や願望、その他諸々の思惑により客観から遠く歪められ、その集合体たる論が虚実になっているのでしょう。

 

 

【なんでもかんでもヘイトスピーチ?!】

 

 

ヘイトスピーチの問題が各所で取り上げられる中で、それに含まれないものまでヘイトスピーチとしてでっち上げられる事案が出てきました。

 

例えば、ある評論家がその立場において他国の政策を批判した時に、先方の政府機関がその発言を「ヘイトスピーチ」であると批難するケースがあります。

この場合は評論家の発言は民族や出自への誹謗中傷ではなく、政府の政策への批判です。それも正当なルールに基づく正確な発言です。よってこの発言は「ヘイトスピーチ」には当たらず、また制限されるべきものではありません。

例えば日本と国交を持つ国の政策において、貿易協定の一方的な破棄など日本の国益を左右する事案について日本の国政関係者が批判的なメッセージを出すことはヘイトスピーチには当たりません。これが認められないならば、そもそも外交自体が成立しません。また逆の場合もしかりです。よって先方政府機関の非難は、ヘイトスピーチというレッテル貼りとそれにかこつけた越権行為なのです。

 

また、団体や個人への批判も同様で、民族や出自に対する発言でもなければ、誹謗中傷でもないのです。ある個人が犯罪を犯したときにその人の批判をすることは、その人が日本人だろうが在日外国人であろうが関係なく認められるのです。また外国と関わりの深い特定の団体の税制上の扱いについて論議することも同様です。ゆえにこれもヘイトスピーチではないのです。

 

こうしたことは本来のヘイトスピーチ問題の提起を妨害し、ヘイトスピーチ防止活動で保護されるべき人々の安全を間接的に危機に貶める行為でもあります。もちろん、通常の議論自体を停滞させてしまいかねない、それこそ表現の自由を侵す行為なのです。

 

 

一方でこのような事案もありました。

ある国会議員が自身のSNSアカウントで、当時ヘイトスピーチを度々行っていた団体の代表を名指しで「存在そのものがヘイトスピーチ」「差別に寄生して生活している」と主張しました。

これに対して団体の代表はその議員に名誉毀損であるとし損害賠償を求め訴訟を起こしました。その結果、議員の発言は名誉毀損には当たらないという一審の地裁判決が出され、高裁も原告の控訴請求を棄却し地裁判決を支持し判決が確定しました。

この判決の理由は、この事案以前から当団体の代表は団体の中心的な役割を果たし団体ぐるみでヘイトスピーチ規制法に触れる発言を繰り返してきたことと、当団体の代表がその団体の活動により資金を集め営利行為を行っていたことの二点からでした。

 

このようにヘイトスピーチの真偽というのは言葉の定義に加えて、発言する人間の信用度によっても判断されることが上の訴訟の判決から分かります。

特にヘイトスピーチの法規制上の抜け穴を意識しながらヘイトスピーチを長期に渡り繰り返す人の発言は、信用度は最悪であると言えます。

この事はヘイトスピーチの定義と併せて考慮すべき点であると言えます。

 

したがって、ヘイトスピーチ問題は言葉の定義を越えて、正当な批判に対するセーフガードとして濫用される懸念があります。一方で自らのヘイトスピーチの経歴が自身の言行の信用度を貶めるという現象も起こっております。

 

 

ヘイトスピーチ勢力 vs 反ヘイトスピーチ勢力】

 

 

こうしたヘイトスピーチに対するヘイトスピーチの動きは日本で動いております。2016年のヘイトスピーチ規制法の制定やそれに基づく地方自治体の条例の制定もそうです。

ヘイトスピーチに対する抗議運動も年々激化しております。2013年にヘイトスピーチに抗議する市民団体が作られ、現在では地方支部も各地に存在します。メディアにおいてもここ十年近くでヘイトスピーチの問題は取り上げられる頻度が増えました。また政治評論家の中にもヘイトスピーチを批判する人物が思想の立ち位置に関係なく多く出てきました。

 

これまでヘイトスピーチを行ってきた団体の活動は反ヘイト勢力との終わりが見えぬ泥沼の戦いに突入しております。

 

ヘイトスピーチを行う団体の街頭演説には、反ヘイトスピーチ団体がカウンターの抗議デモを行うことが多くなりました。これにより双方の攻撃は熾烈さを極め、街頭演説の度に騒乱が起こっております。

これまで街頭演説やデモに対する苦情に対して小競り合いが起こることは珍しくありませんでしたが、今度は団体同士である以上一度騒乱が起こると長時間にわたり収拾がつかなくなっております。

 

昨年の2020年6月にはヘイトスピーチを批判した評論家の元にある団体がゲリラ街宣を行い騒動となる事案がありました。そして2020年12月にはその団体の会員と反ヘイト団体の構成員の間で暴力事件が発生し、双方が逮捕される事件が起こりました。

 

また、この団体の街頭演説中に取材をしていた新聞記者と激しい口論になることもありました。その新聞記者は自社紙面のヘイトスピーチ特集コーナーを担当していました。ヘイト勢力により、団体の運動を批判する記事を載せた新聞社やその記者への抗議街宣も度々行われ、双方の支持者を交えての騒乱は定番となりました。

 

2019年3月にはヘイト団体の集会会場が反ヘイト団体に占拠され、集会が数時間にわたり開けない状態になりました。別の当団体の集会でも、ヘイトスピーチに反対する市民が集会に乱入したこともありました。

 

またこの団体と官公庁との摩擦も以前から強く、ヘイトスピーチ規制法成立以前より団体に官公庁から警告が出ておりました。ヘイトスピーチ規制を担う法務省の職員がヘイト団体のデモ活動を調査しているときに、デモ参加者らは職員を大声で罵倒したこともあります。前述のヘイトスピーチ規制条例を敷く川崎市に対しても団体は度々抗議デモを行い、ネット上でも当市役所をめぐる陰謀論を発信しております。

2019年には愛知県での芸術祭の展示物をめぐる議論と、公費による芸術祭の支援を巡る県知事の指針の是非が問われました。知事の指針に反発したヘイト団体は、同じ愛知県で芸術展を開き、ヘイトスピーチに当たるであろう展示物の他にも先述の知事や芸術祭の代表を揶揄した作品も展示しました。

 

そうした抗争の中で特に印象深いのは、2014年10月の当時の大阪市長橋下徹氏と団体代表(当時)の対談でした。

報道陣を前に始まった対談は1分ほどで些細な言葉遣いをきっかけに激しい口論が始まり険悪ムードとなりました。一時警備班が出動した後、対談は再開しましたがお互いにつっけんどんな平行線の会話に終止し、橋下市長が開始10分程で対談を打ち切りました。団体代表はそれに憤慨し去り行く市長に暴言を吐き続けました。

私もその日のうちにこのニュースを見ましたが、ここまでの感情的な喧嘩になるとは予想だにしませんでした。

 

そしてこのあと団体代表と橋下徹氏の政党「大阪維新の会」とは今日に至るまで激しく対立することになりました。

この団体代表は2016年に政治団体を新たに創設し、地方自治体や国政の選挙に代表本人も含め候補者を送ってきております。その度に団体は他の政党や候補者を激しく攻撃する街宣を繰り返しており、デモ活動ばりの勢いを見せております。

 

このようにヘイトスピーチを行う団体と反ヘイトスピーチ団体の戦いは、インターネットやデモ活動のみならず政治の場での直接対決にも及ぶ懸念が強まっております。

 

 

【おしまいに】

 

ご覧のようにヘイトスピーチ問題は本来のヘイトスピーチのみならず、そこから枝葉の様に派生する問題も含めて一筋縄ではいかない事態を起こしております。

 

ヘイトスピーチが悪いかそうではないのかという論議よりは、それを取り巻く動き全体が厄介な状態になっているという感想です。この問題と関わらないようにしようとする人を含めて誰もが当事者になっていく、そんな印象です。

 

今回は日本でのヘイトスピーチ問題について話しましたが、ヘイトスピーチ問題の本場(?)アメリカでは、ヘイトスピーチを行う市民とそれに反発する市民との争いが日本以上に激しくなっております。ニュースやネットでも聞かれるBLM運動(Black Lives Matter)やANTIFA(反ファシズム行動)はその団体の代表格です。こちらも同様に本来のヘイトスピーチや差別問題自体を取り囲むように過激な暴行や犯罪行為などが問題となっております。

 

私は人の思想について指図できる立場ではありませんが、この記事を読んで各人ごとに色んな考え方があっていいものと思われます。

何事にも内心や選択の自由があり、そして行動の責任が問われる、それだけだと思います。

 

今日も最後までありがとうごさいました。

 

2021年1月11日