ずばあん物語集

ずばあんです。作品の感想や悩みの解決法などを書きます。

いじめへの勝ち方 ~幸福に生きてなんぼ~

皆さまこんにちは、すばあんです。

 

コロナの件ですが、現在も緊急事態宣言が解かれる気配はなく、このまま夏に入りそうな模様です。集団生活と縁遠くなった方は少なくないと思われます。学校、会社、部活…その他の集団で暮らしていたことを忘れてしまうかもしれません。

 

さて、前回は「友達」を作ることと人間関係の意義を述べました。今回は「いじめ」の解決について話をしたいと思います。

 

もし自分がいじめに巻き込まれる、あるいは身の回りでいじめが発生したときに、皆さんはどう解決しますか?あるいはどう対応しますか?

 

その問いに対する答えは様々であると思われます。やり返せばよい、無視すればよい、警察に通報すればよい…。しかしながらその中に絶対解はないと思われます。

 

いじめの問題はいじめる側といじめられる側の間のコミュニケーション不全の問題ですので、それを解決するには、お互いの歩み寄りが必要だからです

学校の先生が双方を仲直りさせて「解決」させるのはそうした理由があります。このようないじめの解決法は理に適っており、教育されるべきものであると思います。ですがこれを絶対と考えることはできません。再びいじめが発生するかもしれませんし、前よりもひどくなる場合もあるからです。こうなるといじめられた側はいじめの「解決」後もいじめの脅威に怯えなくてはなりません。

 

だったらいじめられっ子はいじめっ子よりも強くなるか、より強い力に頼るべきという意見もございます。これは先程の説よりも有力なように思えますが、これも落とし穴があります。お互いが対等の関係になれば問題ありません。しかしそれを行き過ぎて、いじめっ子といじめられっ子の立場が逆転すれば、いじめの解決に失敗したことになります。その場合、両者の人間関係はいじめの可能性を常にはらむ、危険なものになります。

 

いじめの解決を図ろうとすれば、いじめる方いじめられる方問わず人間関係に常にいじめの影を見なくてはなりません。そのような前提を強く意識して作る人間関係は果たして得なのでしょうか?

 

私自身いじめに何度か遭いました。悪口を言われたり仲間外れにされたりなどされました。

年齢が上がるにつれていじめに遭うことはなくなりました。しかしいじめのトラウマのせいで人間関係を築くときに、相手が自分をいじめてくる人間かどうかを、常に気にするようになりました。相手からナメられないように虚栄を張ったり、相手をいちいち論破しようとしたりして、相手と「対等」な関係を築こうとしていました。まあ、私のそのような本性を分かっていた人もいましたが。

そのような攻撃的な態度は人間関係の不和を招くことがありました。もし自分が上のような態度をとらなければ、今も続いていたであろう関係は少なからずあります。

そのため私はいじめの影を人間関係に常に見る様になったことを後悔しているのです。

 

私はいじめそれ自体を完璧に無くすことは不可能だし、それよりも先のような問題の方に目を向けるべきと考えています。

それでは何をどのように解決すべきなのでしょうか?それは、いじめられっ子をいじめという幸福の搾取関係から「脱出」させることだと思います。

 

いじめとの戦いとはいじめ自体を起こさないこと、仲良くし続けることだと専ら考えられがちですが、それよりもいじめが起きたときにその関係性のリストラクチャーをはかり、いじめによる損失を止めることがより建設的だと思われます。

すなわち、いじめが発生したときにいじめられた方がいじめる方と心理的物理的に疎遠にし、最適な人間関係をはかるというものです。

このように言ったとき、仲良く出来るかもしれないから話し合いをすればよいのではと言う意見があります。

しかし、もしそれで解決できるのであれば最初から出来ていて、いじめは起きていないはずです。なぜ出来なかったのかという理由は様々ですが、それを話し合いで解きほぐすのはコストがかかりすぎます。

それよりもいじめた方といじめられた方の関係を一旦「破綻宣告」させ、そこから人間関係を再構築する方が速いと思われます。いわゆる人間関係の「契約更改」を行うのです。

 

私は誰とでも出来るだけずっと親しくすべきとは考えてはいません。そんなことをすれば、人間関係の維持だけで過大な疲労感になるし、幸福を生み出すための要素という人間関係の目的からかなり外れることになります。幸福を産み出さない人間関係は早く解消した方がいいのです。

 

ここまで私は絵空事をいっているのではありません。なぜなら、もう既にそのようないじめへの対策は実施されているからです。

近年一部の図書館では休暇明けの児童、生徒で、登校拒否の子どもの来館を歓迎するキャンペーンが行われています。ここでは、図書館はいじめの解決を積極的に図っていませんし、図る理由もありません。ただ、いじめられっ子がいじめから逃げ込む為の場所は確保されます。

図書館だけではありません。公園やモール、または川や広場など、いじめの発生源の外には、いじめから逃げるための場所はいくらでもあるのです。

いじめに最初から立ち向かう必要はないのです。いじめの外の安全地帯に逃げ込み、そこからどうすればいいのかを決めていいのです。それがいじめを受けた人にとっての希望になると思います。

 

いじめの解決法に絶対解はありませんが、いじめからの脱出法はあると思います。いじめはゼロになることはありませんが、戦略的撤退は誰にでも可能です。

逃げて勝つ、これが私が示すいじめへの勝ち方です。

 

現在はコロナの影響で、集団生活をしていた時とそうでない時の差異をありありと感じる人がほとんどと思われます。多くの方が3密の解消、ソーシャルディスタンスなど人と離れることが半ば強制され、窮屈な思いをされていることでしょう。

一方で、人と直接会わないことのメリット・デメリットに気付いている方も多いことでしょう。人間関係も同様で、親しければそれで良いという事ではないですし、誰とも関わらなければ良いという事でもないのです。人間関係に絶対解はないので、日々実験なのです。いじめへの対策もその一つです。

いじめの解決法は数多く唱えられていますが、そのなかに絶対解はありません。ですが、いじめによって自分の幸福感をすり減らされ続けるのを避け、自分が幸せになるという目的は忘れてはいけないことだと思います。

 

みなさんいじめに勝ち、幸せになりましょう!

 

2020年5月7日